5.精霊魔法の使い方
第5話
次の授業は精霊魔法学だった。
気分の悪くなるようなつまらない授業が終われば、今度は僕が特に楽しみにしていたやつだ。
さっきの魔法史はがっかりだった分、期待は大きくなる。
教室でワクワクしながら待っていると、精霊魔法の教師がやってきた。
教師の名前はシド。マリア先生と同じくらいの歳だろうか。はちみつ色の髪と瞳をした男性だった。優しそうだけど、どこか軽い印象だ。
簡単な自己紹介を聞いて驚いたのだが、シド先生は光の精霊の祝福を授かっているということだった。
──これは凄い。
精霊との契約は、相性のいい属性であればわりと誰でもできる。でも祝福を授かるのは訳が違った。
気まぐれな精霊との契約は、案外容易いものだ。
求めて出会えれば即契約となることもよくあるし、たまたま出会ってお菓子をあげたら契約できた、なんて事も普通にある。
しかし祝福は、その精霊に愛されなければならない。
大きな好意と共に与えられる、特別なものなのだ。
水の精霊から僅か十歳で祝福を授かったシエラは、相当規格外だ。聖女候補や天才と呼ばれる理由のひとつは、まさにそれだった。
ああ。シエラは本当に格好良い。可愛いだけじゃなく、格好まで良いなんて。──好きだ。
「さて、今日はさっそく精霊との契約を試してみよう」
シエラに想いを馳せていると、教室がざわめいて我に返った。
いやいや、ちゃんと聞いていましたよ。さっそく試してみるんでしょ。
──うん、そりゃあ驚くよね。僕だって、まずはくどぐととした説明から始まるのかもと少し思っていたし。きっと他の者そうだったのだろう。
基本的に王国では、安全面を考慮して十五歳になってから精霊と契約することになっている。
つまり、この教室にいる生徒はまだ誰も精霊と契約していないのだ。そりゃあ興奮するさ。
「俺が教えるのは精霊魔法だからな。契約してもらわなけりゃ話しにならん」
お。いいねその考え方。この先生は好きになれそうだ。
「契約できたら魔法の使い方を教える。それまでは精霊をひたすら探して、契約を取り付けろ」
生徒たちの顔が目に見えて色づいた。
テンション上がるよな。シエラが契約した精霊はシエラと共に眠っているから、実は僕もまだだし。
だからこれは本当に楽しみだった。
みんなに気合いが入った事を確認して、シド先生がニヤリと笑う。──のせるの上手いなあ。
「じゃあ、始めようか」
その声と共にわっ、と歓声が上がる。
シド先生は満足げな笑みを浮かべたまま、コトン、カタン、と教壇や机に小物を置いた。
「今回は特別にヒントをやろう。各精霊にまつわるものを用意した。運が良ければ呼べるかもしれないぞ」
なんと!これらを使ったら精霊に会えるかもしれないのか!再び色めき立つ教室。
「選んだら気持ちを込めて精霊を呼んでみろ。心を近づける一番簡単な方法は、直接呼び掛ける事だからな」
続く説明を聞きつつ、気持ちが急いた僕たちは用意された各精霊にまつわる物を色々と見ていった。
短くなった蝋燭は火の精霊用。壊れかけた風車は風か。中身の少ない聖水の小瓶は水の精霊で、このちょろっと草の生えた鉢植えは土や木の精霊だろう。すると光の精霊と闇の精霊はこれか?
そこにはヒビの入った小さな鏡があった。
みんなそれぞれ、小瓶や蝋燭を手に取る中、僕は鏡を手に取った。目の前にかざせば、大好きなシエラの顔が移った。
生徒たちはシエラが既に六精霊と契約しているのは知らない筈だ。でもシド先生は知ってるだろう。
だから、不審がられない為にも人前で挑むなら闇の精霊と決めていた。
それに闇なら、──まあ大丈夫だろう。
さて。こらからどうしよう。取り敢えず自分にできるやり方は何かと考えてみた。
シエラの特訓をもっとちゃんと見ておけば良かったな。どうせ僕に未来はないと諦めていたから、精霊と契約なんてこれまで考えていなかった。
うーん。僕には特別な才能なんて無いだろうしな。やれそうな事と言ったら一つしか思い付かなかった。
慣れ親しんだ夢魔法の使い方を試してみる。自分の中の魔力を感じて、血の巡りを意識した。
こうしてみて分かったけど、シエラは魔力量はそんなに多くないようだ。
元の僕と同じか、むしろ少ないくらい。つまり、平均並み。
あれだけの素質があっても魔力はそんなものなのか。何だかアンバランスで不思議だった。
シエラは昔からそういうところがあった。
か弱そうに見えて打たれ強かったり。簡単に流されそうな穏やかな口調なのに、一度言ったことは曲げなかったり。
見える表と見えない裏で、全然違った姿を見せることがあった。
シエラはどんなことを思いながら僕と入れ替わったんだろう。
今になって、そんなことが気になる。
僕に何も言わず、どうしてひとりで眠ってしまったのだろう。
それは、僕の見えてなかった一面。
どうせなら、一緒が良かった。
一緒なら、あんな場所で眠るのも悪くないかもしれないと、今なら思えた。
そこまで思って、──はたと気がついた。
自分が役目を果たす時、そんな事は考えもしなかった。
一緒に眠るなんて、シエラを巻き込むつもりなんて、全くなかったから。
──そういう、事か。
僕はシエラが大切で、守りたかった。
シエラもきっと、同じだった。
だから一緒に、ではなく、だから自分が、を選択してしまった。
「······──っ」
鏡を握る手に力が入る。
そこに映る悲しげな顔は、シエラなのか僕なのか。どちらの感情を現しているのだろう。
もっと、シエラと話をすれば良かった。こうなってしまうのなら、相談でもなんでもすれば良かった。
この結果が最善だったなんてとても思えないから、後悔ばかりが大きくなっていった。
僕はなんて、頼りない男だったろう。本当に情けない。
自己嫌悪は果てしなく、僕がいなければなんてことまで思ってしまう。
僕はぼんやりと鏡に視線を落としたまま、自分の不甲斐なさを呪った。
シエラと一緒なら、たとえ闇の中だって怖くない。むしろ、側にいられるだけで最高の場所なのに──
「──ふふふ。みんな悪いな。実はこれはほんの冗談で、精霊と契約するには······」
シド先生がにやりと笑いながら説明を始めた。しかし、それは唐突に別の声に遮られた。
"我は闇の精霊、汝が求めし者"
「えっ?」
「はっ?」
僕とシド先生の声が同時に裏返った。
でもそれも仕方の無いことだと思う。だって本当にびっくりした。
僕の目の前に浮かぶ真っ黒い靄のようなもの。両手の平を合わせたくらいの大きさのそれが、突然喋ったのだから。
"本来出現は不可であったが、汝が我を呼び起こした"
「え、え、······え?」
良く見れば靄の中心には小さな光る玉が見える。それは僅かに色を変えながらゆらゆらと揺れていて、綺麗だなあ、なんて間抜けなことを思っていた。
"ほう。これはまた、数奇な······"
見えているのか、僕の回りをくるりと一周する闇の精霊。僕はただぼんやりとそれを目で追っていた。
沈黙していた教室が、次第に騒然とする。
それとは反対に、闇の精霊は何やら思うところがあるのか、黙り込んでどこかへ想いを馳せているようだ。顔がないから表情はわからないけど。
"我と契約を望むか"
唐突にもたらされたチャンスに、僕は漸く我に返った。
その場にいた全員が息をのんだ音が、やけに大きく聞こえた。
「え?あ、はいっ」
条件反射で、僕はそのチャンスを掴み取る。
"よかろう。では契約を授ける"
闇の精霊はぼおっと黒い炎のような靄を揺らめかせると、その一部を僕の胸へと放った。それは痛みも熱さもなく、すっと身体に吸い込まれて消えた。
おお!これが契約!
特別感じたものは何もないけど、一連の流れに実感が湧いた。
"必要な時は我を呼べ。ではな"
最後にそれだけ伝えて、闇の精霊はあっさりと姿を消した。
しーんと静まり返る教室。
誰も動かない生徒たち。立ち尽くすシド先生。
しかし闇の精霊の気配が消えると、途端にわっと騒がしくなった。
「え、嘘!?精霊!?」
「闇の精霊って──······」
「······ほ、本当に?」
「闇魔法って、失われた魔法じゃないの!?」
そういえばそんな話も聞いたことあるな。闇の精霊はいないって。マリア先生によると、実際はいるが数が少なすぎて全然出会えないそうだ。
今闇魔法使いとして活動しているのは、大分昔に契約を果たした、ご高齢の方がほんの数人とか。最近はめっきりで、若手ではいないらしい。
まさか僕がいきなりそれと出会えるなんて、本当についてる。かなり嬉しくて顔がにやけそうになるのを必死に我慢した。
「君はシエラだね?」
シド先生が傍まで来て声を掛けた。
「後で話をしよう。放課後残ってくれ」
「わかりました」
僕は話したこともないやつにバンバン肩を叩かれながら頷く。間近に精霊を見て興奮しているのはわかったけど、地味に痛くててイライラした。
「ほらお前たち、一旦席に着け」
見かねてかシド先生がそう促してみんなを座らせた。
そして、詳しく精霊との契約の仕方について説明してくれた。
どうやらさっきの小物で精霊が呼べるかもと言うのはデタラメで、本当はどこで会えるのかは全くの偶然に頼るしかないらしいということだった。
僕が契約出来たのはその偶然の一端。しかも相手が闇の精霊ともあらば、それは奇跡だと言いきられた。
「ここ数年、精霊は闇に限らず激減している」
ざわ、と動揺が広まる。
「これまで当然のように見つけられた精霊たちが、なかなか見つからない。俺が学生の頃くらいまではこれらの道具でも割りと出てきてくれたんだけど、今は相当運がないとまず無理だ」
なるほど、僕は運が良かったのか。そりゃそうか。出てきてくれたのは、まず出会えないとされる闇の精霊だもんな。運が良いどころの話じゃない。確かに奇跡。
「みんな、気を引き締めて探すんだ。いくら相性がよくても、呼べば出てくるなんてことは、今では殆どない。可能性があるとすれば、精霊は各属性ごとにそれぞれ縁のあるものの側に現れやすい。そのヒントがこのアイテムたちだ。各自考えて、そういった場所を普段から探すように」
そう言ってシド先生が締め括ると、はい!と気合いの入った返事が響く。
みんな実際に精霊を目にして、俄然やる気が漲ったようだった。
**********
「さて」
放課後。約束通り僕は、学校内のシド先生の私室に案内されていた。
「君のことは聞いているよ。聖女候補のシエラ」
さっそく切り出したシド先生に、僕はびくりと飛び上がった。
──あ、まずい!
本当はまだ闇の精霊としか契約してないのに、対外的には七精霊と契約を交わしたことになってしまっている事に、今更ながら気がついた。
そうだった!闇ならそんな簡単に出てこないだろうからと、練習のつもりで選んだのに。
まさかいきなり出てきてくれて、契約もしてくれて。
浮かれてすっかり失念してたーっ!
これってつまり、聖女というやつになっちゃったってこと!?え、僕、聖女!?
もしかして、王国や協会にはもう知られてる?
いやいや、ついさっきの話だし、きっとまだ、大丈夫。······だよな?
そもそも、聖女になるとどうなるんだろう。まさか閉じ込められたりはしないと思うけど。
でも、なんとなく色々と厄介な立場になりそうな予感がした。
自分が実はピンチに陥っていると理解して、身体が硬直する。
聖女と認定されてしまったら、シエラを助けに動けるだろうか。それ以前に七精霊との契約が確かか確認されたりするのかな。
それでもしそこで、実は闇の精霊としか契約していないとバレたら······。
さあっと血の気が引いた。
どう転んでも、良い想像が出来ない。
嘘つきだと捕まる?なぜ六精霊との契約がなくなったのかと調べられる?僕とシエラが入れ替わっていることも知られてしまうのだろうか。知られたとしたら、······解剖とか実験とかされないよな?というか、僕は役目をちゃんと果たさなかったことになるのか?だとすると、どうなる!?
恐ろしい想像はどんどん膨れ上がって、僕をおののかせた。
それでも何とか平静を装って立っていた。
ここで取り乱しても仕方ないし、むしろ怪しい。僕は頭は高速回転させつつも、意図して堂々とシド先生の目を見つめていた。
そして、そのままシド先生の出方を慎重に見極めていると。
「まだ上には報告はしない」
「え?」
呆気なく心配ごとは解決した。
「何か勘違いしているようだが、聖女はただ七精霊と契約すればなれるってもんじゃない。全精霊から愛されてこその聖女だ。お前はまだ精霊と契約を結んだだけのペーペー。聖女になりたけりゃ、まずは七属性しっかり使いこなせるようになるんだな」
た、助かった······!
そうか、確かにそうだった。
七精霊と契約して愛された存在、それが聖女だったな。
「はい。精進します」
僕はすぐさま素直に頷く。
おおー!危なかった!でも助かった!
マリア先生にこうなった場合の事を相談しておけば良かった。まさかこんなにすぐに闇の精霊と契約できるなんて思わなかったから、すっかり失念していた。
予定では闇の精霊を探すふりをしつつ、他の精霊を探すつもりだったから。
「他の生徒も、お前が闇以外の六精霊と既に契約していたとはほぼ知らない。だが、一部の高位貴族辺りは親から聞いてるだろう」
「はい」
「今回闇の精霊と契約をしたお前は、そいつらには殆ど聖女として見られると思っとけ」
「······はい」
うわー······。
思ったほど最悪の事態ではないかもしれないけど、やっぱり面倒くさいことにはなりそうだ。
気を抜かないようにしないとな。大切なシエラの身体を預かってるんだ。僕がしっかり守らないと。
「まあ、校内では俺らの目が光ってるし、七精霊と契約済みだと知ってるのも、生徒ではおそらく三人だ。一応他の者には、俺から他言しないようにとは言っておく」
おおう!シ、シド先生って親切!
「ありがとうございます!」
「まあ精々励めよ」
「はい!」
僕は気を引き締めつつも、笑顔で部屋を後にした。
──僕が去った部屋に沈黙が訪れる。
シド先生は苦虫を噛み潰したような顔をして、静かに机の引き出しを開けた。
すぐに目に留まる白い封筒を手に取れば、自然と溜め息がこぼれた。
「──ったく。早々に面倒なことになったな」
それは一通の手紙。
結構な枚数の便箋が入っているのだろう、中々の厚みがあった。
手紙の内容は既に頭に入っている。しかしそれを思い出した瞬間、頭痛を覚えてこめかみを揉んだ。
「おそらく聖女云々を知ってるのは殿下とその婚約者。あとは騎士団長の息子だろうな。殿下と騎士ジュニアはなんとかなるだろうけど······。あー······、面倒くせぇな······」
項垂れたシド先生が、ぺらりと手紙を裏返す。
そしてそこに記された、癖のない流れるような筆跡に視線を落とした。
「······ったく。何倍返しさせる気だ」
書かれた名前に悪態をつけば、ふん、と勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
燃えるような赤毛の気の強そうな女の姿が思い出された。
書かれていた名は、マリア・ドールマン。
シド先生とマリア先生の関係を、僕はまだ知らない。
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