3.入学前のお勉強
第3話
「こうなってしまったのなら、受け入れるしかない」
無情にもマリア先生はそう言った。
だけど素直に頷けるほど、僕は容認も覚悟もしていなかった。
「シエラを、元に戻す方法は······」
「ないだろうな」
震える声で絞り出した僕の呟きは、あっさりと否定される。
「そんな······」
「シエラは魂魔法を使ったんだ」
うん。そうなんだろうと、今となってははっきりとわかっていた。
「お前が夢魔法を使い眠りに落ちる直前に、たぶん魂を入れ換えた」
「じゃあ、もう一度入れ換えれば」
「できると思うか?」
「······」
安直な解決策を口にしてみたけど、はっきり言って、自分でも無理だと思った。
魔法には二種類ある。
一般的な精霊魔法。そして、僕の夢魔法やシエラの魂魔法のような特殊魔法だ。
精霊魔法と特殊魔法は大きく理が違う。
七大精霊と契約して使うのが精霊魔法で、火、水、土、風、木、光、闇の七種類ある。
これはそれぞれの属性の精霊と契約を交わせば、比較的誰でも使うことができるようになる。まあ資質と相性の問題はあるんだけどそんな感じだ。
そして特殊魔法は、生まれつき肉体に宿るもの。血統も性別も国も関係なく、生まれた時に持つものと持たざるものとがいた。
それは特異体質のようなもので、人数は圧倒的に少なく。そして、その特殊性から悪用されることが多かった。
だから、この国ではある法が定められていた。
特殊魔法使い保護法。
生後すぐに魔法の適性検査が施され、特殊魔法の資質が認められれば、こうして親元から離れ生活するのだ。
教会付属の孤児院は、特殊魔法を持って生まれた子供たちの教育と保護の場だった。
孤児院とは呼ばれているが、その目的により当然親を失った子どもばかりではない。
産みの親と会えないわけではなく、誕生日や年越しには普通に会えたし、教会の許可を取ればいつでも面会できた。
ただ、シエラと僕の親はもう亡くなっていて、それも叶わなかったけど。
孤児院の子供たちは、成人すると自衛と自立が可能とみなされて巣だっていく。
自立するも良し、王立魔法学校に入るも良し、親元に戻り家督を継ぐも良しと、その選択は自由だった。
但し、特定の特殊魔法を除いては。
僕の持つ夢魔法だけは、その自由はない。
ただでさえ希少な特殊魔法使い。その中でも最も数が少なく、必要とされるのが夢魔法使いだった。
使い道は言わずもがな。
世界の均衡を保つための、生け贄だ。
シエラの魂魔法も特に希少なものだけど、比べ物にならない。
今この世界には、僕を含めて三人の夢魔法使いがいるらしいけど、ひとりはまだ赤ん坊。もうひとりは高齢だそうだ。
だから、僕。
今回の使命は、当然のように僕が負うことになっていた。
シエラは僕の護衛として一緒に聖域に行った。
そう。ただの付き添いではなく、護衛として。
それはシエラが魂魔法だけでなく、精霊魔法の使い手としても有能だったからだ。
一般的に精霊魔法は王立魔法学校で学ぶのが通例だ。
それは、あまり幼いうちから魔法を使うと危険も伴うため、大体が成人してから精霊と契約を結ぶ。だから、精霊魔法を使えるのはおとなばかりだった。
しかしシエラは精霊に愛されていた。十歳を過ぎた頃に初めて自力で水の精霊と出会い、契約を交わしていた。
初めは国の魔法省や教会も若すぎると危険視していたが、それはすぐに杞憂だと判断された。
シエラは僅か十歳にも関わらず人格的にも優れ、平和的思想の持ち主であり、更には次に役目を担う夢魔法使いの僕ととても近しい間柄だと認知されたからだった。
しかも後からわかったことではあるが、シエラは契約だけでなく、精霊から祝福も授かっていた。それが、公に認められる大きな後押しとなった。
大切な生け贄を守らせるには、正に適任。生け贄の方も、一番心を寄せる相手ならばバカなことは考えないだろうと、きっとそんな思惑が働いたのだと僕は思っていた。
シエラの評価はすこぶる高い。そしてその評価通り、能力も資質も平均とは段違い。
子供ながらに精霊魔法を学ぶことを公に許されたシエラは、かつて王立魔法学校を首席で卒業していたマリア先生に師事して、精霊魔法を極めていった。
それからも順番に少しずつ精霊と契約を交わしていく姿を、僕はいつも見ていた。尊敬と羨望と憧れの眼差しで。
シエラは正に天才。
あとひとつ、闇の精霊と契約を交わせば七精霊全てと契約を交わした歴史上初めての人となる筈だった。
水の精霊から祝福を受けたことも含めて、シエラはそれくらい凄い少女だった。
一部の人間は、シエラはいずれ聖女となるだろうと言った。聖女とは全ての精霊から愛された存在。一番難易度の高い闇の精霊を残しつつも、とんとん拍子に六精霊と契約したのだから、そう期待されるのも頷けた。
それは教会の高位の者だったり、王族の者だったり。権力者ほどシエラに価値を見いだしていたようだ。
まあシエラは特に興味もなさそうだったけど。
そんなシエラが、僕に魔法をかけた。
魂を入れ換える、特殊魔法を。
僕なんかに解けるとは、到底考えられなかった。
──でも。
僕はもう諦めたくなかった。
自分の未来は諦められたけど、シエラだけは、諦めたくなかった。
だから。
無理でもやるんだ。
僕は決意のままに、マリア先生を睨むように見つめる。
「······」
「······」
しばらく無言で視線を合わせていると、ふうと小さなため息が聴こえた。
マリア先生は困ったような、でもどこか嬉しそうな光を瞳に宿して僕を見下ろす。
「やれるかい?」
ニ度目のその問いかけに、今度は即座に頷いた。
「やるよ」
「厳しいよ。誰も知らない、あるとも思えない方法を探すんだ」
「わかってる」
本気だ。
僕も、マリア先生も。
それがお互いに伝われば、どちらからともなく自然と唇の端が持ち上がる。
僕はシエラを取り戻す。
例え、今度は僕が眠りにつくことになっても。
「覚悟は決まったみたいだね」
「うん」
僕は力強く頷いた。
もう躊躇わない。
絶対にやってみせる。
**********
「じゃあまずは、その精霊の腕輪を返しな」
「は?」
唐突な言葉に裏返った声を出してしまった。
「それは国のものだ。返さないと」
「え、でも、これがないと······」
マリア先生は当然とばかりに詰め寄って、腕に着けていた腕輪を抜き取った。
「あっ!」
まずい!まずいって!
それのおかげでトイレもお風呂も必要なかったのに、それがなくなったら大変じゃないか!
慌てて取り返そうともがく僕に、マリア先生は冷たく一瞥するときっぱりと言った。
「お前はその身体に馴れなければならない」
「でも」
そうかもしれないけど、でも、それとこれとは別問題というか。なんというか。
「今のお前はシエラだ。つまり、その血肉に宿るのも魂魔法ということ。シエラの魂を戻したいなら、アンヘル。お前が魂魔法を使うしかないんだ」
僕ははっと息を飲んだ。
特殊魔法は生まれた時から当たり前に持っているものだ。誰かに使い方を教わったり、勉強したりして使えるようになる訳ではなくて、自然と身に付いていくもの。
自分も夢魔法を扱っていたからそれは良くわかっていた。
物心がついた頃には、ささやかにではあるけれど好きな夢を見たり、誰かに見せたりしたなと思い出した。
シエラが空を飛んでみたいといえば、鳥になる夢を。シエラが風邪をひいて苦しげに眠っているときには、美しい花園の夢を見せたっけ。
それはどうやって、とか、こうして、とか考えるまでもなく、当たり前にできたことだった。
「魂魔法、使えそうか?」
あの時、僕が夢魔法を使った後。何とか戻せないかとシエラにキスをした。
でもそれには何の反応もなかった事からみて、キスだけではダメなのだ。
突然のことに混乱したのが、本当に悔やまれた。
シエラがどうやって僕に魔法をかけたのか、さっぱりだった。
だから、マリア先生にそう聞かれても、僕は首を振るしかない。
シエラが十五年かけて馴染んだ力の使い方なんて、当然わからないのだから。
そうか、ここからか。
シエラとして始めるしかないのか。
「やります」
できるできないじゃない。──やるんだ。
先は長いかもしれない。
でも諦める気は毛頭なかった。
だって、魂魔法はここにある。
可能性としては充分じゃないか。
例え、シエラとして生きることで、僕の知らないシエラの色々を知ることになったとしても。
そのことに、密かに激しく興奮してしまったとしても······。
**********
さて。
魂魔法の使い方は自分で探っていくとして。
これは、一体?
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
翌日。早朝から僕はマリア先生のスパルタ指導の元、筋トレに励んでいた。
女の子の身体については緊急ということで、昨日の早い内に粗方座学を受けた。
日常生活におけるマナーや仕草などはもちろん、服の着方、身だしなみの整えかた、そして入浴やトイレまで。
はっきり言って拷問かと思うような内容を、わずかな時間で叩き込んだ。
その後、しばらく我慢したものの、どうしようもなくなってトイレに行った時は、気絶するかと思った。
何て言うか、もう、どうしたらいいの······?刺激が強すぎる。
入浴に至ってはなんとマリア先生と入ることになって、鼻血を噴くかと思った。
だってマリア先生はどこも隠していなかったし、自分に至っては服を脱げば好きな娘の裸体な訳で。更に全身こうしてああしてと洗われてしまえば、息も絶え絶え。
もう志し半ばで早くも死ぬかと思った。本気で。
昨日、これからの生活に少し興奮した自分をぶん殴ってやりたい。何て浅はかなんだと罵ってやりたかった。
そもそも僕はシエラの身体にイタズラなんてしないし、興奮してる場合じゃなかった。
だって大切すぎるんだから、簡単に許可もなく触れるわけがない。······必要最低限の不可抗力なおさわりは仕方ないとしても。
まあ、そんな風に諸々手取り足取り指導してもらって、なんとかシエラとしての生活の目処がたっていった。
ちなみに、普段スカートを履くことだけは、断固拒否したのは余談である。
──そして今朝。
疲れ果てて熟睡していた僕は、夜明け前にマリア先生に叩き起こされた。
そして、これである。
まず初めに柔軟、次に走り込み。そして筋トレ。更に木剣の素振りという、激しいトレーニングに勤しんでいた。
常に隣には仁王立ちのマリア先生。少し休むことも、もちろんサボることも許されずにひたすら身体をいじめていた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
「よし、あと十回!」
「一っ、ニっ、三っ、四っ、」
「脇を締めろ!」
「五っ、六っ、七っ、八っ、」
「脚が遅れてる!」
「九っ、十!」
「よし!」
木剣を支えにして、へたり込みそうになる足腰になんとか力を入れて堪える。辛うじて立ってはいるものの、生まれたての子馬のようにプルプルしていた。
しんどい。本当にしんどい。
まだ夜も明けきらない早朝から汗だくだ。
これにはなんの意味があるのか。
魂魔法を使えるようになるのに、まさか鍛練が必要なのか?いやそんな馬鹿な。
などと息を切らして考えていると、
「これを毎朝続けるんだよ」
信じられない言葉が聞こえた。
「は?毎朝?」
「ああ」
「毎朝?」
あまりに驚いたので二回聞き返した。
いやいやいや。だって、ねえ。
「シエラが毎朝こなしてたメニューだ」
「はあ?」
「もう身体はできてる。たぶん疲れも残らないし、筋肉痛にもならないだろうさ」
「はあ!?」
え?
え!?
シエラが?毎朝?
こんなハードなトレーニングを!?
「信じられないか?」
信じられない。僕は言葉もなく、コクコク頷いた。
「でも事実だ」
あの可愛くて優しくて可憐で美しいシエラが?
みんなが起きる前に、身体を鍛えてたって?嘘だろ。
いやでも嘘をつく理由はないと思うんだけど。え、本当に?
「何でだと思う?」
「え?」
「何の為にやってたと思う?」
なんで、だろう。
「健康のため?」
「馬鹿者」
思い付いたことを口にしたら、ぺんっと頭をはたかれた。シエラの身体でもやっぱり容赦ない。
地味に痛かったので頭を擦っていると。
「お前のためだ」
······え?
言われたことが理解できなくて、僕はマリア先生を見つめた。
僕のため、って言った?このトレーニングが?
「たぶんシエラは、ずっと前に決めていたんだ」
「······何を?」
「アンヘルと入れかわることを」
どくん、と。心臓が跳ねた。
「夢魔法使いが聖域に赴く時、必ず一名護衛がつく。お前が役目を果たす時に側にいるには、護衛になるしかない。だからその為に、密かに努力していた」
側で見届けるためではなく、入れ替わるためだとは思わなかったけど、と付け加えて。マリア先生は苦しげな表情を浮かべた。
そうか。シエラはマリア先生の指導を受けていたけど、それは単に精霊魔法だけじゃなかったんだ。身体能力も上げて、戦闘能力も上げて、自分を研いた。それは聖女となる為ではなく、僕の護衛となるために。
そこまでして、シエラは──。
「私もシエラの想いの深さを読み違えていた」
僕は言葉を忘れたように、口を開けなかった。
その真実はあまりに衝撃的すぎて、呼吸すらもままならない。
「お前はそれ程、愛されてたんだよ」
ああ。シエラ。
君に会いたいよ。
今すぐ抱き締めたくて堪らなかった。
**********
「シエラが契約してた精霊とは、今どうなってるんだ?」
気を取り直してマリア先生が問うた。
「さあ?」
「何か感じないか?」
「まったく」
「そうか······」
精霊は心の近さに呼応して現れる。もしかしたら、心というものは魂に宿るのかもしれない。だから身体には契約がなくて、おそらくシエラの魂と共に在るのだろうとはマリア先生の考えだ。
とういうことは、今の僕には契約した精霊はいないということ。まあ契約していたのはシエラなので、それが当然だろうと納得した。
精霊魔法は特殊魔法を使う事には大きく影響はしない。しかし、精霊には人外の知識と力がある。精霊とはできるだけ契約を結んでおいた方が良いだろうとマリア先生は言った。
秋から僕は、元々シエラが入る予定だった王立魔法学校に入学することにした。
精霊魔法を覚えて、特殊魔法についても学んで、知識を深めるんだ。
きっとこれが、シエラを取り戻すための道に繋がると信じて。
視界の端で、ウィルが家庭菜園に声をかけながら水をやっていた。早起きで感心だ。
大きくなってねーとあくび混じりに呟く姿は和む。実に平和な日常の光景だった。
ウィルのお陰で少しだけ余計な力が抜けた僕を、マリア先生が微かに笑みを浮かべながら見つめた。
しかし視線が合うと、その表情をピリッとした真面目なものに変える。
「最後に」
凛とした低めの声に、身を引き締めて耳を澄ます。
「特殊魔法使いだということは、学校では隠しておけ」
それが大切な事だというのは、その視線だけでよくわかった。
「まあ、教師にはバレてるが。あらぬトラブルに巻き込まれたりするからな」
僕はその忠告を肝に銘じて、力強く頷いた。
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