2.帰る場所と帰りたい場所

第2話

そこからどうやって帰ってきたのかは、あまり覚えていない。


 行く時は聖域の入口まで馬車で来た。

 そこからは限られた者しか入れないから、シエラと二人ひたすら歩いて大樹の元まで行ったのだが、確か丸一日半はかかったと思う。


 精霊魔法を施された国宝級の魔法道具のお陰で、眠気も空腹も疲れも便意を催すこともなかったのだが、精神的には辛かった。

 なんせ、僕にとっては生け贄になりに行くようなものだったから。はっきり言って、逃げたかった。


 望んだわけでもなく、生まれつき持っていた特殊魔法のせいで、死ぬまで眠り続けなくてはいけなくなるなんて。

 そんなの、誰だって御免だと思う。

 それでも僕がこうして役目を果たそうとしたのは、シエラがいたからだった。


 ずっと好きだった。

 確か五、六歳の頃には好きだったから、もう十年近く想っている。


 直接気持ちを伝えたことはないし、異性として触れたこともなかったけど、シエラも同じように想ってくれていたのは知っていた。


 嬉しかった。

 幸せだった。

 気持ちが繋がっていれば、彼女から向けられる穏やかな眼差しだけで充分だった。


 本音では、恋人になりたいと思ったこともあった。でも、そうなることは憚られた。


 僕は夢魔法使いだから、諦めていた。


 シエラが幸せに生きていてくれれば、それでいい。

 ずっと前にそう決めていた。




 ──なのに。




 ガタンと馬車の扉が開き、はっと気が付いた。

 僕は、いつしか自分の家へと帰りついていた。


 馬車を降りてその建物を見上げる。

 白く荘厳な建物は汚れひとつなく、まるで城のように鎮座していた。


 目を細めて上まで視線を巡らせてみれば、屋根の上の尖った塔の天辺に翼と枝葉を象ったオブジェが見えた。

 これは教会のシンボルだ。


 もう見ることはないと思っていたそれを、僕は不思議な気持ちでしばらく見つめてから、教会の裏手へと回った。


 鋳物の格子扉を開けて敷地に入る。整えられた芝生の上をしばらく行けば、木造のそこそこ大きな建物が見えてきた。

 僕は緊張から吐き気を感じながらも、一歩一歩そこへと向かっていった。


 教会とは全く違う、木の温もり溢れる家。見慣れたその家の簡素なドアの前に辿り着くと、僕は立ち尽くした。


 帰ってきたはいいけど、どう説明したら、何と言っていいのかわからない。

 僕がそこで悶々と悩んでいると。


「あっ!シエラ姉ちゃん!」

「おかえりー!」


 後ろから飛んできた元気な声に飛び上がった。

 慌てて振り替えると、そこには数日ぶりに見る弟たちがいた。

 どうやら買い物を頼まれたらしく、それぞれの手には紙袋に入れられた長いパンが抱えられている。


「あ、ただいま······」


 普通を装って声を発したけど、慣れた相手でも酷く緊張した。


 どうしよう。シエラの振りをするべきか。それともさっそくカミングアウトするか──。


「あれー?アンヘル兄ちゃんはー?どこー?」

「ばかっ!アンヘル兄ちゃんはジリツしたんだよ!」

「ばかじゃないよー。クラップのばかー」

「なんだと!?」


 唐突に自分の名前を呼ばれて、不自然に硬直した。

 幸いにも二人は喧嘩を始めていて、そんな挙動不審な様子には気づいていない。

 まだどうするか決めかねているので、とりあえず良かった。


「ていうか、ジリツー?」

「あ、そうそう!ヒトリダチしたんだってさ!そんでシエラ姉ちゃんが見送ってきたんだろ?」


 二人がくりっと首を回して顔を覗き込んでくる。喧嘩を始めるのも早ければ、終わるのも早過ぎてついていけない。

 だよね?と言う表情に慌てて頷いた。


「あっ、え、ええ。そうよ」


 僕は咄嗟にシエラの振りをしていた。


 うん、そうだよな。二人も混乱するだろうし、今は誤魔化そう。小心者の僕はそう決めて、シエラっぽさを心掛けて微笑んだ。

 すると、二人はひくっとおかしな反応をして、訝しげな視線を送ってくる。


「シエラ姉ちゃん?」

「なんかへんー」


 どうやらシエラのふりは失敗したらしい。


「ご、ごめんね。ちょっと疲れちゃって」

「あ、そっか!」

「早くお家入ってー。休もー」

「そ、そうね!」


 何とか誤魔化しつつ、二人と共に中へと入った。


「あ!マリア先生、ただいまー!」

「ただいま!」


 入るとすぐに駆け出す二人。

 パンを持ったまま嬉しそうに抱きついたのは、背の高い女性だった。


「ウィル、クラップ、お使いお疲れさん。ありがとね」


 炎のような見事な赤髪をひとつに束ね、シンプルなワンピースにエプロンという出で立ちは、一見清楚である筈なのに妙な威圧感がある。

 床をモップで磨いていた手を止めて切れ長の目を細めた表情は、どこぞの騎士の様だ。背中に赤ん坊を背負っているのが、また違和感を大きくした。


 マリア先生は、二人の頭を撫でつつ僕に目を向けた。


「シエラも、おかえり」

「ただいま、マリア先生」


 さっきよりもうまく応えられた。

 よしよし、慣れてきたぞ。と、思ったのも束の間。

 マリア先生が目を見開いて、すごい勢いで近寄ってきた。え、なに、めっちゃ恐い。


「せ、せんせ······」

「······」


「······」

「······」


 なに、なに!?


「······アンヘル?」


 囁くような小さな声で呼ばれて、僕はひゅっと息をのみ込んだ。そして、


「そうか。シエラは······」


 マリア先生は全てを覚って、酷く悲しそうな顔をした。






**********






「あの、マリア先生······」


 いま僕はシエラの部屋にいた。

 ひと目、というかひと声で、帰ってきたのが僕だと見破ったマリア先生とふたりで。


「······」

「······」


 あの後、背負っていた妹メアリーをウィルに手早く預けると、問答無用で手を取られ、引きずるようにしてここまでやってきた。

 もちろん、シエラについて話をしなければならない。その為だということはわかっていたから、僕はおとなしく従った。


 弟や妹たちには、僕がいなくなった本当の理由は言っていない。さっきウィルとクラップが言った通り、独り立ちしたということにしてあった。

 この孤児院で真実を知っていたのは、併設している教会の人たちとこの孤児院の管理を任されている十歳年上のマリア先生、それと僕と同じ最年長のシエラだけだった。


 あとはまだなにも知らないウィルとクラップとメアリー。教会の人を除いて、それが僕の家族だった。


 マリア先生はみんなのお母さんで大黒柱。シエラはみんなの良きお姉さん。それと、卑屈で引きこもりのダメ兄な僕。

 それがこの家にいたおとなだった。

 まあ、僕とシエラはおとなといってもついこの間十五歳になったばかりの新成人だけど。


 孤児院の子供は、成人すると院を出る。

 だから、シエラは来年度から王立魔法学校に入学し、寮に入る予定だった。

 そして僕は、役目を果たして眠りにつく筈だった。


 それが今、こんなことになっている。


 マリア先生はきっと僕に言いたいことがあるだろうと思っていたのに、黙り込んだまま一言も発さない。

 僕はただ黙ってマリア先生が何かアクションを起こすのを待っていた。


「······シエラは」


 吐息のような小さな声が耳に優しく届いた。


「シエラは、魂魔法を使ったんだね」

「······はい、たぶん」


 続く会話は、なかった。

 窓から聴こえる雑音がやけにうるさく感じる。


 町の賑わいや鳥の声でさえ、気に障った。


「おかえり」

「······っ」

「おかえり、アンヘル」


「······ただいま」


 ぼろりと涙が落ちた。

 それは栓だったようで、一粒溢れれば堰を切ったように止まらなくなった。


 帰ってきてしまった。ひとりで。

 シエラを置いて、帰ってきてしまった。


 その後悔が、懺悔となって溢れだす。


「マ、リア先生、······ごめ、ん、なさい」

「うん」


 聖域に向かう道中では、ずっと帰りたいと思っていた。心を決めて魔法を使うまで、恐くて、不安で、帰りたかった。

 でもそれは、シエラを身代わりにしてまでそう思っていた訳ではなくて。


 自分の弱さのせいでシエラにこうさせてしまったという現実に、押し潰されそうなほどの罪悪感がのし掛かっていた。


 マリア先生に責められなかった事が、酷く辛かった。

 罵って、責め立てて、むしろ殴って欲しかった。


 見ず知らずの人々のためではなくて、マリア先生や家族の為に。そして、誰よりもシエラの為に役目を果たそうと思っていたのに。


 ヘタレでダメな僕は覚悟を決めきれなくて。

 抗えない恐怖と悲しみとの葛藤に、シエラは気づいていたんだ。


 だから。

 優しいシエラは自ら僕の役目を肩代わりした。


 不甲斐ない。情けない。

 バカじゃないのか、僕は。

 何が守るだよ。守りたいだよ。

 シエラの未来を作ってあげたかったのに。


 本当に幸せに生きて、欲しかったのに。僕が手放させたも、見放したも、同然じゃないか。


 涙が止まらなかった。


 マリア先生が優しく、でも力強く抱き締めてくれた。いつものお日様の匂いがして、それが一層涙を増やす。


「シエラの選択は、悲しい」


 うん、僕もだよ。

 こらえきれない嗚咽がどんどんせり上がってきて溢れる。


 帰りたかった。

 シエラと一緒に、帰りたかった。


 ここに、帰ってきたかった。


「でも、お前が帰ってきてくれて、嬉しいよ」

「うっ······」


 マリア先生にすがり付いて、僕は泣いた。

 それまで堪えていた全てをさらけ出して、いつまでも泣いた。

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