BLUE HEAVEN
遅番の澤村はまだこれから仕事なので、帰りは七海と二人だ。
いつものように出口で待つ。今日はいつにも増して出てくるのが遅い。
手がかじかんで動かなくなってきた頃に、かちゃりと小さな音がして七海が出てきた。
「……お待たせ」
蝶番の摩擦音にさえかき消されそうな七海の声。それに気づかないふりで俺は右手を上げる。
「寒いから、早く帰ろう」
七海が横に並ぶのを待たずに歩き始める。
コツコツコツと、二つの靴が地面を踏みしめる音がやけに大きく響く。背の低い七海は踏み出す一歩が小さいから、二つの足音は同じ周波数にならない。
七海は横に並ばずに一歩後ろを歩いている。付いてくる足音で、離れず同じ距離を歩いていることはわかるけれども。
「聞いてたんだね、ユー君は」
七海の声は小さいけれど、しんしんと冷えた冬の空気は糸電話。張りつめていて、はっきりと心を震わせた。
「聞いてた。っていっても昨日だけど」
吐く息は白くわだかまって、じわじわと空気に溶けていく。そのうちに、二人は駅に向かって近道になる公園に向かって入っていく。
「サンタはプレゼントを置いてった。確かにユー君が言ってた通りに」
ちゃら、と音がして、振り向くと七海は手にネックレスをぶら下げていた。暗い中で淡い桜色の煌めきは夜の闇さえ反射して輝いていた。
「ローズクオーツのネックレス」
七海はちゃらちゃらと、弄ぶように手の中のネックレスを触っていた。「私ってこんなキャラだったっけ? って。分かんなくなっちゃうんだけどな。こんなことされると」
「高そうなもの買うなぁあいつも。時給何時間分だよ」
俺が言うと、七海は力無く笑った。
「サンタはどうして、いつも頼んでないものばっかり持ってくるんだろう」
二人の距離をぴゅうと冷たい北風が吹きぬけて、歩く速度を速める。
ぽつりぽつりと街灯がひそやかに照らす公園を奥へ奥へと進んでいく。
不意に七海が、「あ。あれ」と向こう側を指差して小走りに駆けて行く。その先には小さな池と噴水があった。
「なにこれ。すっごい地味なイルミネーション」
噴水はイルミネーションで飾りつけられていた。光を掬い取ろうとするみたいに、七海は手を差し伸ばしている。
暗い公園の中でそこだけがぽっかりと浮かびあがっていた。青いLEDを繋いで輪っかにしただけといった風情のイルミネーション。
歩いてきた住宅街にあった個人宅のほうがよっぽど強く輝いていた。
「こんなの昨日までは無かった気がするけど」
俺が聞くと、七海は力が抜けきったみたいな声で答える。
「なんか、近所のおじさんが余ったパーツで適当に日曜大工しましたって感じ」
「せっかくのクリスマスイブに、唯一見たイルミネーションがこれでいいのだろうか」
「いいんじゃない? 大切なのは、イルミネーションで楽しませようって気概」
七海は笑った。笑いすぎてごほごほと咳込んでいた。
「……え。大丈夫?」
「うん、ごめん。ありがとう。ちょっと冷たい空気にむせちゃって」
七海は誤魔化すように、頬をぽりぽりと掻いた。「なんか、サンタから昔もらったプレゼントのことを思い出しちゃったんだ」
「なんだよ。七海だってサンタからプレゼントもらってたんじゃん」
さっきサンタのことで笑っていた七海を思い出す。
「そうなんだよ。うん。でもさ、サンタからのプレゼントって欲しいものをもらえたためしがないんだよ。特撮ヒーローの合体ロボ下さいって言ったのにプリキュアの変身アイテムくれたりだとか。プラレール下さいって言ったのにすみっコっぐらしになったりだとか」
「一般的な感覚からすると、それはサンタのほうが正しい気がするよ」
俺が言うと七海は笑う。楽しそうな笑顔。
「プリキュアは見てみたら面白かったし、すみっコぐらしも好きだった」七海は手に持ったままのネックレスを見つめる。「ただ、やっぱり最初は思っちゃうんだよね。私はこんなの欲しくないって」
私には淡い桜色なんて似合わないのに、と言った七海は俯き加減で、その本当の表情は見えなかったけれど。
その瞳は光を反射して桜色なのだろうか。
「せっかくサンタがくれたんだから、」
本当は背中を押すような真似はしたくない。
けれども七海には笑っていてほしかった。
誰のもとに行こうと、たまに俺に向かって笑いかけてくれるなら。
「大事にしなきゃダメだよ」
七海は答えず、代わりに鼻をすすった。
「ユー君のところにもサンタが来ればいいのに」
ローズクオーツはきらきらと光っている。真っ暗な夜の中からわずかな光を探し出して、小さな身はきらりきらりと輝く。
それは陳腐なイルミネーションよりもずっと明るい。その光を握る両手、夜でも目立つチョコレート色の髪。眩しいくらいだ。
「サンタなんて待たない」俺は言う。七海に向かって宣言する。
「俺は強くなるんだ。サンタクロースなんて来なくても、一人で生きられるように」
「サンタは来るよ。いい子のところに来るんだから」
七海はローズクオーツをコートのポケットに入れて、俺を正面から見つめた。「君は、じつにいい子だ」
相変わらず、目の前のイルミネーションは虚空に向かって平坦な光を放っている。ぼんやりとした、弱々しい光。
でも不思議なもので、それに慣れてしまった今となっては公園の外は真っ暗で何も見えない。この頼りない光が、まるで世界の全てみたいだ。
今、この外側に世界は見えない。
「このまま、クリスマスイブが終わらなければいいのに」
「私と過ごすクリスマスイブごときで満足なのか君は」
話し終わるよりも前に入るツッコミ。
まぁ、私もこの公園から出たくないもん。暗すぎて。
ぼそぼそと七海は呟いた。
「ねえユー君、例えばさ」
しゃらしゃらと七海の手の中で音を立てるローズクオーツのネックレス。
「プレゼント失くしたら、サンタさんは代わりをくれると思う?」
手の中から放物線を描いて飛んで行ったピンク色の光は、そのまま池の中へ吸い込まれていく。
「いやいやいや、ちょっと待ってよ、何やってるの」
「ただ、ちょっとした実験。別に捨てたいわけじゃないよ」
そして七海は一歩だけこちらに寄って、
「ねえサンタさん、私にプレゼントをちょうだいよ」
私、きっと、いい子にするから。
そう言った。
"Now December. Found the love we shared in September"
歌っていた七海の透明な声。
今、暗いイルミネーションに照らされて、その瞳はそれよりずっと透明で、
9月21日の夜、あの時から変わったもの、変われなかったもの、
こんな場所でさえ、まだ迷う。君の手を引こうかどうか。
「池にポイ捨てする子のところにはサンタなんて来ないよ」
ひと息で言って、池の中に足を踏み入れる。
12月の公園の池は想像以上に冷たい。
「ちょっと待ってよユー君、何やってるの」
「それはこっちが言うべきセリフ」
ローズクオーツのピンク色の輝きは、青い世界の中でたった一つの異物だ。見つけて拾い上げるのは容易い。
「大切なものなんだから、失くしちゃダメだよ」
それを掲げると、
「サンタはいつも、欲しくないものばかり押し付けてくるのね」
七海は呟く。
冷たっ、と小さく叫んで、池の中に足を踏み入れながら。
「ちょっと待って、冷たいからやめたほうが」
「それはこっちが言うべきセリフ」
俺の言葉に、七海が答える。「もっとさ。楽に生きればいいのに」
せめて何も言わずに、少しだけ暖まりなさい。
七海は俺を抱き寄せて、そこで初めてその身体が想像以上に冷え切っていることに気づく。
「寒いから暖まらないんだけど」
「誰のせいだと思ってるのさ」
だから、その背中に腕を回す。少しでも暖まるように。
力を入れた瞬間、その身体が少しだけ震えたことが分かった。
「運命って多分、待ってても向こうからは歩いてきてくれないと思うんだよね」
「何それ、どっかで聞いたようなセリフ」
「だから、あんまんも食べてみたら美味しいかもしれないし」
「……ピザまんがいいんですけど」
「そして、こんなところで立ち止まってるのは一人だけでいいから」
ひとつだけ誤解しないでほしいんだけど。七海は言った。
「あなたが小説を書き続けるって選択をしたこと、本当に、尊敬してるんだから」
「それはこっちも同じ」
だから、歩き出しなさい。
そう言うと、七海はため息をついた。大きくて、なんだか湿度の高いため息。
「私だけが稼ぐって。いつまでも私がサンタ役になっちゃうね」
メリークリスマス。プレゼントあげる。
七海のその言葉の意味を理解する前に、
唇に押し当てられる、暖かくて湿った感触。
それは全然甘くなくて、
「……フライドチキン?」
よく見てみると、それはバイトしているコンビニのフライドチキン。
「何これ」
「言ったでしょう。クリスマスプレゼントだよ」
「クリスマスにフライドチキンなんて、よく残ってたね」
「違うよ、これはあらかじめ買っておいたんだ」
プレゼントと言いながら、七海も自分用の一本を持っている。「神様に運命を委ねて待つのはもうやめました。そんなのはもう終わり」
2本のフライドチキンを、二人で一本ずつ。
「澤村も食べたがりそうだな。言ったら怒るぞ多分」
「いいよ別に、サンタはチキンなんて食べない。澤村くんは今、必死に顧客の皆様へ有料でプレゼントを配っているんだ。肉まんとかおでんとか」
そして七海はフライドチキンを大事そうに見つめる。「クリスマスを祝おう。二人でさ」
二人でフライドチキンにかぶりつく。お互いの背中に回した腕に力を込めながら。
「池の水、本当に冷たいね」ってぼそぼそ言い訳しながら。
「何だか、思ったよりも明るいね。このイルミネーション」
「外から見ると地味なのに、池の中から見ると眩しいくらいだ」
ぼやっと輝く青い光。決して明るくはないけれど、七海の瞳を青く染めるには十分な光。
フライドチキンを食べ終わるまでの短い間、二人はまだ青い世界の中。
今はまだ、その外側のことなんて何も見えない。
サンタクロースを待つ うみべひろた @beable47
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