こうして僕らは大人になるのだろう

@aegis-lash-01

こうして僕らは大人になるのだろう

10月15日。僕たちの修学旅行、3日目の夜。


「こういうの、なんて言ったらいいかわかんないんだけど、私は、まひろくんとは良い友達のままがいいな、」


 僕らは、一つのベッドの上に五人くらいでのっかり、一つの携帯を取り囲むようにして座っていた。さっきまであんなにお騒ぎムードであったのに、それはどこに行ってしまったのだろうか。携帯のスピーカーから聞こえた言葉が修学旅行中で浮かれている僕らに黒い静寂を与える。その瞬きの間に、部屋は昨夜の大騒ぎからは似ても似つかない、青春と若気の至りの混じり合う空気とはまるで違った温度になった。まるでレコードの針を途中で上げてしまったみたいだ。そのあまりに黒い静寂から一刻も早く抜け出すためにも、その場にいた誰もが、今、言葉を発することができたなら、と思っただろう。


「あぁ、分かってるよ、俺も付き合ってって言ってるわけじゃない。」


 そんな訳ないだろう。なんでそうやってお前は逃げるんだ。これからもそうやって生きていくのか。

 彼はいいよ、いいよ、といった調子で手と頭を降った。


ツーツーツー


 ことが終わり、僕たちはようやっと、まだ真夜中の外の暗い空に相応しい静けさを手に入れることができた。深い悲しみ、と言えば一言で言い表せてしまうが、そのような一言でそれをまとめたくは無い。なぜだかその悲しみの重さにはどこか心地良さがあった。

 僕たちは言葉を発さない。しかし、先のような緊張感とは異なる沈黙―まるで、何かに抱かれているような―が僕たちの間を取り巻いていた。この心地の良い不思議な静寂に、いつまでも身を委ねていたい。皆が、言葉の形には出さないものの同じ感情を共有していた。


「まぁ、最初から付き合おうとは思ってなかったしな」

 

 彼の言い訳は部屋の上の空気を流れていく。でも、昨日は彼女は、まひろとの電話は乗り気だったじゃないか。あまりに唐突すぎた宴の終わりに僕は戸惑いを隠せない。結局僕は何も言葉にすることができずに布団に顔を埋めた。

 他の友達も僕に何かを伝えようとして携帯に打ったテキストを見せてきた。彼もこの場で発言する気にはならなかったのだろう。そこにはこう書かれていた。


 付き合おうとは言ってない、これは絶対言っちゃいけないやつ


 僕はとりあえず頷く。たしかに、彼の言うことは分かる。が、まひろの気持ちも僕はわかるのだ。だから、そこでまひろを攻める言葉を口に出すようなことはしない。食べようとして作ったカップラーメンは、とっくに冷めていた。

 こうして3日目の夜はあっけなく終わった。


════════════════════════


2日目の夜。

「あぁ、ゆい可愛いなぁ」

 皆がまひろの方を向く。まひろは皆がなぜ驚いたのが分からないといった様子で続けて言った。

「え?ゆいって可愛いだろ」

 たしかに、僕らのクラスメイトであるゆいは愛嬌があるし、話してて1番楽しい部類の女性である。でも、顔は可愛いとは言えない。と、この時の部屋の中にいた男たちは、僕も含めて、そのようなことを考えていた。また僕たちが驚いたことの他の理由に、まひろは普段は彼女の苗字の白石呼びであることもある。

 彼は、なんでわかんないのかなぁ、とボヤきながらちょうどテレビでやっていた、生中継で日本対どこかの国(国の名前は忘れたが、確かアフリカの国だった気がする)のサッカーの試合を見始めた。しばらくして、ちょっと騒ぎすぎたので、先生が見に来ることが心配になり、誰かに声がどれほど廊下に響くか聞きに行かせることにした。じゃんけんをした結果、僕たちはまひろがその役に抜擢された。彼は恐る恐る廊下に出て扉を閉めた。すると、日本が点を決めてしまった。つまり、まひろは今まで見続けていた試合の1番大事な所を見逃したのだ。


「お前ら、うるさすぎるよ。え?なになにどうしたんだ、え?点を決めた?日本が?」


 まひろは貴重な得点シーンを生で見ることができなかった。結局その後の試合は特に面白い展開はなく、1対0で日本の勝利に終わった。

 ついてないやつ。それが修学旅行中のまひろの印象であった。今思えばあの時、得点を見るのを逃した時点で、何らかの運命が決まったのかもしれない。


 だんだん深夜になり、部屋の男どもが浮かれてくる。

すると、こんな言葉が出てくるようになる。女子に電話しないか。

誰も反対する人はいない。というわけで、僕たちはゆいを含む3人の女子がいる部屋へ、スピーカーで電話をかけることになった。


 プルルル、プルルル、プルルル。


 コールは長かった。恐らく、突然の電話に驚いていたのだろう。8回目くらいのコールで1人の女子が電話に出た。僕たちは1時間程度、女子達と話した。


「あははは。楽しかった。」

「じゃあそろそろ切るねー」


と女子達が言った。

僕たちは満足していた。ゆいを含むクラスの女子―もっとも、この時は、1人の男を除いて誰もゆいを意識していなかったのだが―と電話できたことに満足しただけでなく、修学旅行の夜の勢いを利用して、皆で普段やらないことができたことに満足していた。


「ばいばい」

「ゆい可愛い」と、まひろ。

「、、、、え?」


 ん?まだ電話切ってないぞ。すると突然部屋の端で電話の内容を聞いていたまひろが携帯を手に取り、携帯に向かって、酷く落ち着いた様子で言い放った。


「ゆい、可愛いぞ」

 

 僕たちは何が起こったか分からなかったのだ。だから、笑うことしかできなかった。しかし、まひろの目は笑いや、羞恥心や、その他もろもろの感情を一切持つことない。

 彼は話を続ける。

「ゆい。可愛いと思うぞ、マジで。」

 携帯からは笑い声と混乱した声が入り交じって聞こえる。おそらく向こうは僕たちと似たような状態だろう。

「じゃあな」

 まひろが電話を半ば強引な形で切った。何をしてるんだと尋ねてみたが、彼は万有引力のように淡々と説明する。


「俺、ゆいが好きなんだわ」


 1週間くらい前まで、違う女の子の事好きって言ってたじゃないか。一体何が彼の気を突然変えてしまったのだろうか。しかし、5日間の少年達の旅行も酣であり、そんなことを聞く暇はない。もう、時計の針も11時を指そうとしているんだし。

 欲していた高揚を手に入れた僕たちはゲームをすることにした。僕以外のみんなは、まひろがまた例のごとく訳の分からないことをしたのだろうと、そんな風に思っていただろう。しかし僕だけは彼の目に、普通ではない何かを孕んでいるのを見た。


「あぁ、ゆいに電話したい。」

 もうすぐテンションのおかしい明日が来ようとしていた。みんなも、まひろの目のおかしい座り具合には気づかない。

「いけ!いけ!」

 彼はゆい、ひとりに電話した。あまりにも流れがスムーズだった。まだ僕たちがその行動力に驚いてる間に、スピーカーから声が聞こえた。


「もしもし?」


「好き」


 なんだと。こいつは気でも狂ったのか。さすがに1年の頃から彼とずっと一緒にいた僕でさえも彼の正気を疑わずにはいられない。いくら好きな相手だとしても、電話が始まった1言目、開口一番に好きだなんて。


「え、、??どうしたの!ホントに」


 彼女の口調から、彼女が明らかに動揺していること、動揺しつつ少し照れて笑っていることが分かった。


「だから、好きなんだって、ゆいが」

「白石じゃなくて、ゆいって呼んでいいか?」

「ゆい、好きだ。ゆいが可愛い」


「ちょっとまってちょっとまって、え?どうしたんだ、えそれほんとの話?嘘でしょ?」

「嘘じゃない」


 まひろの意志がひとつの道だとしたら、わき道や分岐点などが全くなく、また辺りに草や看板などの他の要素もひとつもなかった。彼の言葉は、皆が彼が本気であることを理解するのに十分なくらいにはまっすぐだった。彼は歩き続ける。


「俺はゆいが好きで仕方がないんだ、ゆいがまじで可愛い」

「えははは。ごめん、私こういうこと人から言われたことなくて、慣れてない。ははは。なんて言えばいいのか分からないよ。恥ずかしい、、、」

「可愛い、大好きだ」

「ほんとに恥ずかしい!なんか変な気分だよ。」


 なんだ、この愛らしい会話は。みんなもその初々しく、青い反応に心をときめかせていた。この頃には、彼女のことを可愛いと言っても、誰も否定しないくらいには。

 2人の会話を聞く僕たちにはまったく新しい感情であった。


「可愛いぞ、好きだ、おやすみ」


 彼はついにやり遂げた。その時間は一瞬だった。実際には、30分近く話していたのだが。

皆が、いけるのではないか、つまり、まひろとゆいが付き合えるのではないかと騒ぐ。その夜はとても素晴らしく、輝いてみえた。僕は普段食べないような味のカップラーメンを作って食べた。熱くて火傷してしまったが、この瞬間こそが修学旅行の醍醐味なんだろう、と僕は思った。

 これが僕たちの2日目だった。


 3日目の夜。

 また、騒がしい夜が来てしまった。

「これいけるんじゃねーか!?明日、一緒に観光地回ろうって誘えよ!」

「いや、それはきつい。」

 なぜここで弱くでてしまうのか。だからサッカーの得点も見逃すんじゃあないのか。まぁ、その件に関してはまひろは悪くないのだが。僕はどうしてか、そう考えられずにはいられなかった。

 じゃあ、今日も電話するか。

皆が同じ期待に胸を膨らませ、彼女が電話に出るのを待ち望んでいたのだった。

 彼女が、昨日のように振舞ってくれる確信もないのに。彼女が、まひろに伝えなければならないことがあった事も知らなかったのに。


════════════════════════

 

 その後のゆいとまひろがどうなったかは分からない。というより、何も起こってないというのが正しい。

 12月中旬、もう冬休みにはいるというこの時期、最近ゆいは自分の席の後ろの男子と仲良さそうに話している。この二人で話している時は楽しそうでとても目立つ。ゆいはいつも頬を赤らめながら笑っている。まるであの夜がなかったかのように。

 まひろはこれといった大きな変化はない様子だ。つまらなそうな日常に身を委ねて、揉まれている。変わった点を挙げるならば、前のようにはっちゃけなくなったことだ。やはりそれほど彼はゆいを意識しているのだろうか。はたまた、その前の夜まで子どもだった彼はあんなちっぽけな一件で大人になってしまったというのだろうか。

 

 このことは彼しか分からない、いや彼自身にも分からないかもしれない。

 彼があの時、相手に返事をさせる隙も与えずに一緒に回ろうと誘ったなら。

 彼があの件の後、再度ゆいに連絡し、話をすることができたなら。

 彼が、あの時サッカーの得点を見逃していなかったら。

 そんなことを考えても何も分からない。僕は今や、社会や集団、人々の営みの海に流されて自分がどこにいるかさえ分からない。一体彼はなぜいきなり告白したのだろうか。もし彼がそこまでゆいのことを好きでないのなら、なぜあの時あそこまで揺るぎない決意を持って彼女に愛を伝えられたのだろうか。僕は未だに混乱している。みんなはあの時をただの思い出として捉えているだろうけど、僕はどうしても疑問を持たずにはいられない。僕は普段、過去の話なんて考える質でもないのにな。そんな僕でも確信を持って言えることはある。これはだんだん大人になっていく僕たちにとっての神からの教訓、とでも言うべきものなのだろうか。

 

 あの夜は確かに存在した。


 あの夜は、ささやかな笑いが散りばめられた日々が退屈になってしまったくらいには楽しかった。

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