第5話 獣人の彼女

「よいしょっと。どうしてと言われても、あなたを迎えに行くように命じられましたので。迎えに来ました」

「……は?」

「色々と混乱されているようですが、まあじきになれますから」

「は? は? は?」


 しゅたっ、と壁から勢いをつけて離れたシオンライナは、素晴らしい身のこなしで音もなく、地下室に続く階段の上に降り立った。


「とりあえず……えーと」


 ここに来る前の自分と同じくらいの背丈だ。シオンライナを見て、洋子は目測で相手の身長を推し測る。

 腕を組み、唇に人差し指を当ててうーん、と思い悩む忍者。いや、くノ一風の美少女は、長い銀髪をポニーテールのようにして、高く結い上げていた。


 黒い膝丈のハーフパンツ、白いブラウスに紺色のサマーニットを着込んでいる。足元は編み上げのサンダルのような物だった。

 背中に背負った刀のような直刀をもし抜かれたら、一巻の終わりだ。


 自分の終わりがとうとう来てしまったのかと、悲しみがこみ上げて来て、洋子は座り込んだまま、静かに後ずさる。


「よし。白米、普通焚き、おにぎり!」


 彼女がどこかで聞いたような日本語を並べて両手をまさしくおにぎりを握る時のように形作ると、いきなりぺかっ、と黄金の輝きとともにお皿。その上に、おにぎり。

 まごうことなきおにぎり。ほかほかと湯気が立っていて、黒い海苔が巻かれていて……。


「おに、ぎり」

「そう、おにぎり。忍法、炊飯の術!」


 シオンライナはお皿を差し出すと、ニンニン、と嬉しそうに微笑んだ。

 ああ、もうなにかもがめちゃくちゃだ。


 異世界の常識、どこいった?

 もっていた常識と非常識が脳内でぶつかり合い、凄まじい音を立てて、洋子のなかでなにかが崩れ落ちた。


「……無理」


 目が回る。ぐるぐると世界が回転する。ああ、目が回るというのは、本当に世界が回るんだ。



「ちょっと! しっかりして?」


 シオンライナと名乗ったくノ一? の悲鳴を耳の奥に捉えながら、洋子の意識はゆっくりとオレンジ色の闇の中に沈んでいった。



 

 目を覚ましてみると、そこは異世界だった。

 銀色の雪景色でないだけましか。


 洋子は「はあ」と溜息をつくと、辺りを見回す。

 見知らぬ天井だ。木目が荒い天板が目に入る。見るからに硬そうで、あれが落ちてきたらさぞや痛いだろうな、と思った。


 左右を見る。白い石材の冷たそうな壁材でできたそれは、コンクリートも混じっていて、文明の香りがした。

 頭の下にはもにゅもにゅとやわらかいものがある。


 たぶん、羽毛かそれに準じた質の良い、弾力性のあるなにかが使われている、大きな枕だった。

 石鹸とカモミールに似た良い臭いがする。この世界でも女性はおしゃれに気を遣うのだ、と心が落ち着いた。


 女性が、と思ったのはそこが八畳ほどのフローリングの床を持つ部屋で、右の隅に扉がありその手前に置かれた木製のハンガーラックには、この部屋の主の私物だろうドレスやスカートやズボンや外套などが、ハンガーによってかかっていたからだ。


 そこにかかっている衣装のデザインから、洋子はこの部屋の主人がどうやら日本にいたころの自分とそう年の変わらない、若い女性だと目星を付ける。

 壁に立てかけられた姿見らしき物には、布がかけてあって中身がわからないけれど、あれだけ大きな鏡を個人で持てるなら、それは裕福の証となる。


「シオンライナ?」


 そう名乗ったあの女性がこの部屋の主だとしたら、金持ちの娘。

 貴族令嬢? お嬢様、といった種類の人々とはちょっと何かが違う気がした。


 もっとこう……猟犬。

 いや、くノ一。そうだ、忍者だ。


 スパイのような、暗殺を請け負う殺し屋のような、そんな凄みのある雰囲気は……あったかな?

 どこか天然じみた所作と笑顔しか記憶からは思い出せない。


「私、どうなるんだろ」


 これから先の未来が不安だ。シオンライナは命令されて洋子を迎えに来た、と言った。

 それはつまり、女神様とか神様とか。


 地球からこっちの異世界に洋子を転生させてくれた存在が、そう命じたということだろうか?

 疑問が疑問を呼び、頭が知恵熱で沸騰しそうになる。ただでさえ頭が悪いというのに、これ以上、追い詰めないで貰いたい。


 そう願った時、ガチャリ、と音がして扉が開かれた。

 思わず目を閉じて布団を被る。寝たふりをした。


 向こうからは二人の女性の声がした。

 聞き覚えのある声。これはシオンライナのものだ。もう一人は誰? 洋子はうっすらと目をあけて、入り口を見て、あんぐりと口を開けた。


「……そうなの、女神様に言われて行ってみたら、あの子が民家の地下に通じる階段のところで寝ていたのよ」

「寝ていたの? さっき、話しかけたって言ったじゃない」

「そうでしたか?」

「相変わらず、記憶力薄いんだから、シオンは。それでその子は?」

「お腹が空いたと言ったので、おにぎりを出したら」


 あっち、とシオンライナはベッドを指差した。

 上では唖然とした表情の幼児? いや、体格が幼いからそう見えるのだろう、少女がこちらを見て、驚いている。


「起きてるみたいだけど、どうする?」

「食べてしまいましょうか?」

 

 銀髪の少女は茶化すようにそう言った。


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