第2話 縮んだ?
うーむ。どうしよう。でも、戻れたらとかもう思わないし。
自分の姿を見る。ダウンジャケットと制服はそのまま。着ていた服はそのままでここにいるらしい。
だが、持っていたバッグはどこかに流されてのか、手元からは消えていた。もう二度と会えないかもしれない。
お疲れ様、バッグ。その中身たち。スマホを取り出して、画面を鏡のように見立てて自分を見る。
ふむ。誰だ、こいつは。そこに写っている見知らぬ誰かの美しさに、思わず洋子は絶句した。
左上から、右下から、斜め前から、後から。
カメラを起動して、いろいろな角度で写真を撮ってみる。
夜間モードに自動的に切り替わったカメラは、勝手にちょうどよいタイミングでフラッシュを放ち、辺りには数度。パシャパシャというシャッター音と共に、まばゆい銀光が疾った。
周囲の家々、その窓に嵌まっているガラスにそれが反射してしまい、思わずしまった、と洋子は首を竦める。
自分は明らかに不審者だ。
スマホの時刻が正確ならば、いまは深夜の二時過ぎ。
薄暗い路地裏で自撮り写真を撮っている制服姿の女、なんて怪しいに決まっている。
警察に通報されなかっただろうか、としばらく地下室の入り口に身を隠して、辺りをそっと窺った。
どうやら大丈夫らしい、と見極めがついたころには、全身が緊張と汗でぐっしょりと濡れていた。
いや違う。この場所が暑いのだ。気候がついさっきまでいたはずの日本とは格段に違う。
温かい、暑いといってもいいくらい。真夏の熱帯夜でも、これほど暑い日があるだろうか。
あるとしたら八月の蒸し暑い亜熱帯気候にさらされる、瀬戸内の昼間くらいだ。
それと同じくらいに暑くて、でも蒸し蒸しとした湿気はまったくない。
さらっと肌を流れるような汗がこぼれていき、いつもまにか乾燥して消えてしまう。
生まれてこの方、日本の四国から出たことがない洋子には経験したことのない、見知らぬ暑さだった。異質な暑さだ。
それは冷え切っていた洋子の心の中にまで、浸食してくる。
どういうことかというと、新しく何かを感じたくないと思って拒絶したはずの心が、勝手に温もりをおいでおいでして、招き入れているのだった。
死のうと決めて行動した人間が、自分から人肌が恋しくなるなんて、なんて自分勝手な欲求なんだろうと、洋子は眉根を寄せた。
寄せたついでに、自撮り写真に写っている見知らぬ誰かの美しさに、改めてほう……と感嘆のため息がその唇から漏れる。
手で前髪を触ってみたり、腰まで伸びたしなやかなストレートな感触に驚きが隠せない。
染めて茶色くなっていたはずのそれは、見た限りで分かる範囲では、混じり気のない銀一色。
いや、オレンジの月光に染められて、なんといったか……ああ、そうだ。洋子はこの色を形容する言葉を思い出した。
「ストロベリーブロンド、だっけ。こういうのって」
まあでも、翌朝になれば普通のシルバーブロンドに戻るのだろうけれど。
いや待って、どうして銀髪? おまけに目は……、とグレーのカラコンをわざわざ両目とも外して、外に光が漏れないように気を付けながら、再び撮影。
パシャリ、と音だけが響き、光はもう脱ぎ捨ててしまいたいくらい暑いダウンジャケットの中の闇に消えていく。
画面を戻し、画僧データを確認して、「げっ……」と変な声が漏れた。
真紅なのだ。真っ赤。ルビー色に染まった見たことのない瞳が両方、揃っている。
でも目が悪いのは変わらないらしい。カラコンを再び装着すると、ぼやけていた景色が元に戻る。
「はあ? ふう……」
夢か? 幻か? あれ待って、私の肌の色、こんなに白かった? いやそれよりも、なんだこれ。
一番最初に気づいておくべきことに気づかなかった自分を、とことん間抜けだとののしりたい気分になってしまう。
洋子の足のサイズは25.5センチだ。スニーカーもそれに合わせて購入した。服だってそうだし、ダウンジャケットもそう。
その中に着込んでいるカーディガンだってMサイズだ。
それなのに……。
「え? 縮んだ? マジ?」
身体が小さくなっている。そういえば写真で見た顔も、どことなく幼いように見えた。
手先がようやく出る程のサイズになってしまったブカブカの服。その内側ではブラが肩からずれ落ちそうになっている。
どういうことよー? こんなの聞いてないって!
自殺しようとしたら、いきなり見知らぬ世界で、別人の肉体になってる? あれ、でも声は……試しに録画モードで声を録音してみた。
小さく再生すると、そこにあるのは親友たちとバカみたいな動画を撮ってはしゃいでいるかつての自分の動画と、何一つ変わらない。
「ふふ、ふふふ……。異世界転生? まじで? こんなのあり得ないでしょ。私のチートどこよ? スローライフは? ステータスは?」
魔獣は……と言い出して、やめた。口の中で声になる前に、喉元で抑え込んだ。
それこそ死亡フラグを立てかねない。ここはまともな――日本ではどうやら、ないようだから。
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