とある未開の凍結事象(コールドケース)、ACT1.~聖鎚の闘姫~女神官シャナイアの消失~

和泉鷹央

第1話 異世界転生

 死にたいと思って河に身を投じてみたら、見覚えのない街にいた。


 そこは高い屋根を持つ洋風の建物がずらっと左右に立ち並ぶ、小径の一角だった。

 あまりに暗いので空を見ようと視線を上げると、そこには見覚えのない星空が広がっていた。


「月が……三つある。どういうこと?」


 見上げ続けていると首が痛くなり、視線を足元に戻す。

 赤いレンガ造りの壁は二階から上からは青や黄色の派手なペンキが塗られており、そこから下は大理石とコンクリートが敷かれた道になっていて、地面は見えなかった。


 一階部分や地面の下に続く階段部分だけが、レンガの地肌のまま赤い世界を形作っている。

 ここがどこか見当がつかず、進むにしても、後退するにしても、左右に続く小径を抜けてどこかに行くにしても、それは十六歳の洋子にとって、心細いものを感じさせた。


 洋子は四国に住む高校二年生だ。

 亜麻色に染めた肩までのセミロングの髪と、グレーのカラコンを入れた瞳は目尻が下がっていて、よく猫のようだ、と友達に言われていた。


 身長はクラスでも一番後ろの方で、つまり女子には嬉しくなく170を越えるそれは、彼女のコンプレックスになっていた。


 父親と母親の離婚が原因で家出をしたのが、二週間前。

 四国は温かい気候に恵まれているとはいえ、真冬の季節は零下になるときも少なくない。


 制服とその上にダウンジャケットを着たのみで家を飛び出してから、街をうろつき、友人宅を転々とし、カラオケボックスやネカフェは年齢確認があるから、制服の洋子は室内で夜を過ごせる場所を求めていた。


 それもこれも、親友の家にしばらくやっかいになる予定だったのに、あちらの両親が浮気だなんだで喧嘩をし始めたのが、原因だ。

 ついでに「あなたも実家に戻られたらどう? 電話してあげましょうか?」と向こうの母親に言われ、固辞したものだからまるで逃げるようにして、親友の家を後にしなければならなかった。


 手持ちのお金なんてもともと多くないし、コンビニで温かいジュースとパンを買ったら、現金と電子マネー合わせてもう数百円しか残らない。

 父親の財布から抜き取ったクレジットカードが財布の中に眠っているが、使うと居場所がバレるという噂を思い出してしまい、それを使う勇気が出なかった。


「どうしよう」


 タイツ一枚の足元はスカートの隙間から吹き込んでくる寒風にさらされて、もう肌の感覚を忘れてしまいそうなほど、寒かった。

 凍えるのがいいのか、それとも自分で自由を選ぶのがいいのか――考えたら、結論はすぐに出た。


「死のう」


 自殺とはこうも軽く、儚く命を散らせるものなのか。とどこか詩人めいた感覚でそれを捉えつつ、じゃあどこで死ぬの? という問題にぶち当たる。

 高速で走行している車に飛び込んで死ぬのが、いや違う。跳ねられて死ぬのが昨今、ネットで流行りの異世界ファンタジー小説の定番らしいが、自分でトラックに突入するのは……度胸がない。


 余ったお金でまだ空いている百円均一ショップで包丁でも購入して、人気のない公園で手首でも切ってしのうかと思ったが、それでは死に至るまで時間が掛かる。

 どろどろと抜け落ちていく自分の血液が溜めた血の池に浸かりながら命の火が消えていくことを想像すると、ぞっとしない。


 どうしようどうしようと繁華街を抜け、河の付近まで来てみたら、いつもより水かさが増えていることに気づいた。

 一昨日の台風の影響で増水したらしい。


 この激しい流れはすぐ向こうの瀬戸内海に面した内海まで続いているのだ、と思うとこれがいいんじゃない? となんとなく背中を誰かに押された気分になった。

 進みなさい、その誰かはそう言ってくれていた。


 洋子の頭の中でだけ、だけど。

 自殺者の問題は、遺族がその遺体を片付けて埋葬するところにあるとか、ないとかニュースで耳にしたことがある。


 あんな両親。喧嘩ばかりして、洋子が小学生だったころのような、笑顔をもうくれることがないだろう、冷たい両親であっても。

 死んだ後に埋葬などの手を煩わせることは、なんだか心が痛む。


「全部、流し去ってくれる?」


 声をかけてくれた見えない誰かに問いかけたら「それが望みならば」と、即座に返事がきた。

 それならもう思い残すことはない。


 誰かに見られたらはしたない、と思いながら欄干に大きく足をかけ、ぐいと体をその上に引き上げる。

 もうこれで、いろいろな煩雑な問題から解放される。


 自殺したいから死ぬんじゃない。死ななければ救われないから、これを選ぶのだ。

 もう、この苦しみと同居して生きていくのに、疲れたから。


「そっーれ!」


 自殺者にしてはえらく元気な合図をこの世に遺して、洋子は欄干から濁流の流れる河に身を投げた……はずだった。

 そして今。見知らぬレンガ造りの街にいる。


「なんだ、これ」


 右手側にある地下に降りる階段にそっと身を潜め、再び空を見上げた。

 そこには見覚えのない光景。三連の月が煌々と輝いている。


 赤、青、銀。今夜は赤い月が一番大きいらしく、世界はオレンジに染まっていた。


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