第9話
放課後の教室は、どこか軽やかな空気に包まれていた。
クラスメイトたちの明るい声が飛び交い、連休を一週間後に控えた期待感が窓の外の柔らかな陽射しに溶け込んでいる。
そんな中、一条楓はいつものように静かに荷物をまとめていた。
クラスのざわめきに溶け込むでもなく、涼しい顔で自分の世界を保っている。
ちらりと窓際を見ると、天城遼が数人の男子と話しているのが目に入った。
彼の穏やかな声と控えめな笑いが、教室の喧騒の中でも妙に耳に残る。
(……あの人、クラスの誰とでも話してるけど、不思議と深入りしてる感じはないんだよね)
楓は、鞄の中にしまった本の背を指で軽く撫でながら考える。
(『王子様』って呼ばれてるのも納得だけど、それだけじゃない。距離を詰めるようで、どこか線を引いているみたいな……)
「さすが天城、気が利くなあ」
窓際のグループから笑い声が響き、その言葉に遼が軽く肩をすくめる仕草を見せる。
楓はそれを横目で見ながら、内心で静かに思った。
(……本当に誰にでも“王子様”なんだな。女子たちもこっそり見てるし。でも、それが天城くんらしいって言えば、そうなんだろうけど)
ふと気づけば、自分も彼の様子をちらちらと気にしていたことに思い当たる。
楓は小さくため息をつき、鞄を肩に掛けて立ち上がった。
◇
校門を出てマンションに向かう帰り道、背後から遼の声が響く。
「一条さん、帰り?」
「他に何があると思うの」
振り返らずに、軽く肩越しに答える楓。
遼は追いつくと、自然なペースで隣に並んだ。
「少し寄り道しない?」
「……は?」
楓は一瞬足を止めて、遼を見上げる。
「いや、特に目的があるわけじゃないけど。なんとなくさ」
「……別にいいけど」
どこか納得していない様子ながらも、楓は歩き出す。
二人が訪れたのは、駅前のショッピングストリートだった。
雑貨店やアクセサリーショップが立ち並ぶ通りを、遼はどこか気楽な様子で歩いている。
◇
最初に入ったのは、小さな文具店だった。
遼が棚の一角から小さなノートを取り出し、楓に見せる。
「これ、一条さんに似合いそうじゃない?」
「どこが?」
「シンプルだけど、ちょっと可愛い感じ……ほら、こういうの好きかなって」
遼が差し出したのは、落ち着いた色合いに繊細な花柄が描かれたノートだった。
楓はじっとそれを見つめた後、少しだけ頬を緩める。
「……別に嫌いじゃないけど」
「じゃあ買う?」
「なんでそうなるの」
遼は「冗談だよ」と笑ってノートを棚に戻した。
その軽いやり取りに、楓は肩の力が抜けるのを感じた。
◇
次に訪れたのは、アクセサリーや雑貨の店だった。
楓がふと目を留めたのは、小さなピンブローチ。控えめなデザインの花を模したモチーフだった。
「これ、いいかも」
楓がぽつりと漏らすと、遼がすぐに横に立つ。
「気に入った?」
「別に。ただ、ちょっと可愛いなって思っただけ」
そう答える楓に、遼は少し考えるような仕草を見せた後、軽く笑う。
「一条さんって、意外とこういうの好きなんだね。覚えとこ」
「……何それ」
楓は少しムッとしたように遼を睨むが、彼は全く動じることなく微笑みを浮かべている。
「いや、もっとシンプルなものが好きだと思ってたから。意外だっただけ」
「……悪かったね」
少し冷たい口調でそう返す楓だったが、内心では少し違う感情が芽生えていた。
(……こういうことを自然に言うの、ずるいんだよね)
◇
ショップをいくつか巡った後、二人は駅近くのカフェに入った。
遼がカウンターで注文を済ませ、テーブルで楓を待っている。
彼女が席に着くと、目の前に小さな紙袋が置かれていた。
「これ」
「……何?」
楓が袋を開けると、先ほどの雑貨店で見たピンブローチが入っていた。
楓は驚いた顔で遼を見つめる。
「ちょうど良かったから買っといた」
「……余計なことしなくていいのに」
「この前、楽しくお出かけさせてもらったから。そのお礼ってことで」
遼の軽い口調に、楓は「……そう」とだけ呟いて袋をそっと閉じる。
手の中にあるブローチの重みが、妙に温かく感じられた。
◇
帰り道、楓はふと隣を歩く遼の横顔に目を向けた。
(天城くんって、本当に誰にでも優しい。でも、その優しさの裏で、全部を見透かされてるような気がするんだよね)
彼のペースに自然と歩調を合わせている自分に気づき、小さく息を吐く。
(でも……それが天城くんらしいって言えば、そうなんだろうけど)
夕暮れの光に照らされた街路を並んで歩きながら、楓の中で天城遼という存在が、静かに、けれど確実に特別なものへと変わりつつあった。
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