第5話
朝9時50分。
天城遼はマンションのエントランス前で立ち止まり、腕時計に目を落とした。
(少し早く出ちゃったな)
空を見上げると、澄み渡る青い空に春の陽光が柔らかく降り注いでいる。穏やかな風が街路樹を揺らし、遼の心をふと軽くした。
しかしその余韻に浸る間もなく、背後から軽やかな足音が聞こえてきた。
振り返ると、白いブラウスに薄いグレーのスカートを合わせた楓が立っていた。淡いピンクのカーディガンが春の雰囲気を引き立て、ふんわりと揺れる髪が柔らかく光を反射している。
「おはよう」
楓が軽く手を上げながら挨拶する。その表情は、いつもより少しリラックスして見えた。
遼は微笑みながら頷いて返した。
「おはよう。一条さん、準備早いんだね」
「遅刻するの嫌いだから。それに、せっかく天城くんに付き合わせてるんだし、失礼はしたくないしね」
楓は軽く微笑みながら言い、歩き出す。遼はその隣に並び、二人で静かに目的地へ向かった。
◇
目的地の本屋は広々とした路面店だった。
入り口をくぐった瞬間、紙とインクの心地よい匂いが鼻をくすぐる。木目調のインテリアに囲まれた空間は、どこか時間が止まったような静けさを感じさせた。
「本屋って、久しぶりかも」
楓が小説コーナーを見ながら呟く。その声は、どこか懐かしさを含んでいるようだった。
「意外だな。普段から結構本読んでるイメージだけど」
「うん、読むけど、最近はネットで買うことが多くて。こうやって店に来て選ぶのは久しぶり」
楓は平積みされた小説を手に取り、表紙をじっと見つめた。それは話題の恋愛小説で、優しい色彩で描かれたシンプルなデザインが印象的だ。
「これ、前から気になってたんだよね」
楓が小さく言うと、遼はそれを一瞥して少し驚いた表情を浮かべた。
「恋愛小説とか読むんだ」
「変?」
「いや、意外ってだけ。何となくもっとシリアスな本が好きなのかなと思ってた」
楓は微かに頬を赤らめ、視線を下げながら表紙を見つめる。
「……たまには、こういうのもいいかなって思っただけ」
遼は軽く笑いながら隣の棚に目を移した。そこにはブルーバックスシリーズの科学書が並んでいる。
彼が手に取ったのは、宇宙に関する最新トピックを扱った一冊だった。
「やっぱりこういうのが好きなんだね」
楓が彼の手元を見ながら言うと、遼は頷いた。
「うん、こういう科学系の話って面白いんだよ。普段の生活じゃ触れないテーマが多いし、読んでてわくわくする」
「男の子って感じ」
楓が微かに笑いながら言うと、遼も少し恥ずかしそうに肩をすくめた。
本屋の奥に進むと、料理本のコーナーが目に入った。
楓はふと足を止め、色とりどりの表紙を見つめると、一冊の本を手に取った。
「これ、いいかも。簡単なパスタのレシピが載ってる」
「そういえば料理するだっけ?」
遼が興味深そうに聞くと、楓は軽く頷く。
「まあね。一人暮らしだし、自炊しないと結構きついから」
「すごいな。俺、全然やったことないんだよね」
「だから言ったでしょ?少しはやりなよ。料理って、意外と楽しいものだよ」
楓は本のページをめくりながら、柔らかく笑った。その笑顔は、普段学校で見せる「完璧なお姫様」の仮面とは違い、どこか親しみやすいものだった。
◇
購入する本をそれぞれ手に持ちながら、本屋を後にした二人。
楓がふと遼の手元を見て尋ねた。
「何買ったの?」
「これ。宇宙の未来について書かれてる本」
「へえ、面白そう」
楓は軽く笑いながら、自分の手元の恋愛小説と料理本を見せた。
「お互い全然違うジャンルだけど、こうやって本を選ぶのも悪くないね」
「確かに。お互いの趣味がちょっと見えて、面白かった」
遼が言うと、楓は少し考え込むようにして呟いた。
「……次はお昼だね。お腹空いてきたし」
「そうだね。何か食べに行こうか」
二人はまた並んで歩き出し、次の目的地であるショッピングモールへ向かった。
その足取りは、少しずつ互いの距離が縮まっていくように見えた。
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