第4話
休日の午後。
街路樹の間をすり抜ける柔らかな陽光が、人々の影を長く伸ばしていた。
天城遼はショッピングモールへ向かう道を一人歩いていたが、目の前の小さな広場で、何やら人だかりができていることに気づいた。
その中心に、一条楓の姿があった。
白のワンピースに藍色のカーディガンを羽織り、春の日差しの下で軽やかな雰囲気を漂わせる彼女。柔らかく波打つ髪が風にそよぐその姿は、どこか幻想的で人目を引くものだった。
しかし、その美しさが、今や彼女を苦境に追いやっていた。
「ねぇ、そんな冷たくしないでさ、一緒にお茶くらいどう?」
「ちょっと話すだけでいいって。そんな堅くならなくていいだろ?」
「お姉さん、明日の朝までには帰すからさ。さ、行こうよ」
数人の男たちが彼女を取り囲み、しつこく声をかけている。
楓は目線を鋭くしながらも、声を荒げることなく冷たい態度で断り続けていた。だが、その毅然とした態度にも限界が見え始めているのは明らかだった。
歩を進めようとしても男たちが前に回り込み、意図的に彼女の進路を塞ぐ。
(あの男たち、完全に悪意を持ってる……)
状況を察した遼は迷わず足を速め、楓たちの元へと向かった。
近づくにつれて、楓の手がわずかに震えているのが見える。毅然とした表情の裏にある緊張を、遼ははっきりと感じ取った。
そして、遼は穏やかながらも凛とした声で言葉を放った。
「楓、待たせてごめん。大丈夫?」
男たちが一斉に振り返る。その視線の先には、自然体の笑みを浮かべた遼が立っていた。
しかし、その目元は笑っていない。冷静でありながら威圧感を伴うその視線に、男たちは一瞬で動きを止めた。
「……誰だよお前」
「いや、もしかして……彼氏?」
「そうだけど、それが何か?」
遼は穏やかな口調で返しながら、楓の肩にそっと手を添えた。その仕草には力はなかったが、隣にいるだけで不思議な安心感を与えるような包容力があった。
「ちっ、なんだよ。そうならそうと早く言えよ」
男たちは舌打ちをしながら、不満げに立ち去っていく。
静寂が戻ると同時に、楓がそっと息を吐いた。
彼女の肩は微かに震えている。その姿に気づいた遼は、一歩だけ距離を取った。
「ごめんね、驚かせちゃったかな。……一人の方がいいなら、少し離れるけど?」
楓はゆっくりと顔を上げ、視線を遼に向けた。少しだけ迷うような仕草を見せた後、首を横に振る。
「……一人は、怖い」
その言葉を聞いて、遼は柔らかい笑みを浮かべた。
「分かった。じゃあ、どこか静かに休める場所を探そう」
楓は小さく頷いた。彼女の足取りはまだ少しだけ不安定だったが、隣にいる遼を頼るようにして、一緒に歩き出した。
◇
二人は近くのコーヒーショップに入り、静かな店内の奥の席に腰を下ろした。
カフェの窓から差し込む柔らかな光が、楓の繊細な表情を照らしている。
楓はミルクと砂糖を入れたコーヒーを一口飲み、深く息をついた。
一瞬だけ肩の力を抜いたような仕草を見せたが、まだ手元のカップがわずかに震えている。
「……ありがと。本当にタイミング良すぎてびっくりしたけど」
楓がぽつりと呟くように言うと、遼はカップを持ちながら微笑む。
「偶然だけど、間に合って良かったよ」
その言葉に、楓はカップ越しに遼をちらりと見た。その視線には、ほんの少しの安堵と照れが混じっていた。
「天城くんって、こういうこと慣れてるの?」
「慣れてるわけじゃないけど、困ってる人を放っておけない性分なんだよね。高校入学前も、よく友達に頼まれごとされてたから」
遼が軽く笑いながら答えると、楓は意外そうな表情を浮かべた。
「……そうなんだ。意外とお人好しなんだね」
楓の言葉にはどこか皮肉のような響きがあったが、その声は少しだけ柔らかかった。
「まあ、そうかもね。でも、今日は楓さんに何かあったら嫌だと思っただけだよ」
遼の真っ直ぐな言葉に、楓は思わず目を伏せた。そして、カップを持つ手をきゅっと握りしめる。
「……ありがと。正直、怖かったけど、あの時、助けてもらえなかったらどうなってたか……」
楓の声が少しだけ震えた。
その様子に気づいた遼は、机の上にそっと自分の手を置いた。
直接触れるわけではないが、その距離感が「大丈夫だよ」と静かに語りかけているようだった。
「もう大丈夫。ここは安全だし、今日はゆっくりしよう」
楓はその言葉に、ほっとしたようにカップを口元に運んだ。
わずかに微笑むその姿は、先ほどの毅然とした態度とも、普段学校で見せる冷静な雰囲気とも異なり、どこか素直な少女のように見えた。
「ありがと……。こういう時、一人じゃないのって、意外と助かるんだね」
遼はその言葉に軽く笑って、彼女の様子を見守る。
楓はカップに残ったコーヒーを見つめながら、再び口を開く。
「……それでさ、ちょっと休んだら帰りたい。今日はもう、買い物とかする気になれそうにないし」
遼は楓の顔色を伺いながら、小さく頷いた。
「わかった。帰りも家まで付き合うから」
楓は遼の言葉に反応して、ちらりと彼を見上げる。
「……ほんと、ごめん。天城くんだって色々予定あったでしょ?」
遼は軽く笑って首を横に振る。
「いや、大丈夫だよ。今日はぶらぶらするのが目的だったから」
楓は少し考えるような仕草をした後、視線を外しながら小さく呟いた。
「……だったら、帰り道で少しだけ話し相手になってくれる?」
その言葉に、遼は一瞬驚きながらも柔らかく笑った。
「もちろん。ゆっくり帰ろう」
楓は恥ずかしそうに小さく頷き、カップに口をつけた。
「……ありがと、ね」
遼はその声に笑みを浮かべ、彼女を見守りながらコーヒーを楽しんだ。
◇
マンションへの帰り道。
楓がぽつりと呟く。
「……ほんとさ、ちょっと外見がいいってだけで、こんなことになるの。意味わかんないし、やってらんない」
「それは……本当に理不尽だよな。今日みたいなことがあるなら、一人じゃ怖いね」
楓は小さく頷き、さらに言葉を続ける。
「女の子同士で行くのが一番安全なんだろうけど……」
「篠崎さん良く話かてくれてるみたいだし、誘ってみたら?」
「でも、あの子部活でいつも忙しそう」
楓の声にはどこか諦めのような響きがあった。
遼は少し考えた後、軽い調子で提案する。
「一条さんが嫌じゃなければ、俺が付き合うよ。男除けとして」
その言葉に楓は驚いたように目を見開き、遼を見上げた。
「……それ、本気?」
「本気。今日みたいなことがあるなら、なおさら一人でいるよりいいだろ?」
楓は一瞬の沈黙の後、少し微笑みを浮かべながら頷いた。
「……それなら、お願いしてもいい?」
◇
マンションに到着したころ、楓が思いついたように言った。
「さっそくであれだけど明日、日曜だし、予定なければ付き合ってくれる?」
「いいけど、どこに行きたいの?」
「本屋に行きたい。今日行く予定だったの。それ終わったら、天城くんが行こうとしてたモール、適当に回れればいいかなって」
「了解。朝に連絡してくれれば合わせるよ」
「……じゃあ、その、連絡先交換しとこう」
「わかった。じゃあ交換しようか」
楓は小さく手を振り、控えめに微笑んだ。
「……ありがと。じゃあ、また明日」
遼は軽く手を振り返しながら、楓の背中を見送った。
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