長姫制度と侍女

 姫奥島ひめおくしまには、長姫制度おさひめせいどという独自の文化がある。


 島の名家である神島家かみしま け彩美家あやみ け侍屋敷家さむらいやしき けは御三家と呼ばれ、長姫制度おさひめせいどの継承と島の統治を行ってきた。


 御三家の中で一番最初に産まれた長女は『姫』の入った名前を授かり、産まれた瞬間からその世代の『姫』として育てられる。

 成人後は『長姫おさひめ』に昇格し、先代に代わって島の統治を行なっていく。

 これが長姫制度おさひめせいどだ。


 姫の権利を持たない二番目以降に産まれた女子は、姫の侍女として仕える。

 次の姫になれるのは長姫の子供の世代であり、侍女として仕えた段階で姫に昇格することは無い。

 世代交代によって新たな長姫が誕生した年以降に、初めて産まれた長女が次の『姫』となる。

 それ以外の年に産まれた女子は、長姫制度おさひめせいどの対象外だ。


 姫や長姫おさひめの急死といった問題が生じない限り、長姫おさひめ不在の時期を迎える事はまず無い。

 しかし、珠景姫みかげひめが十歳を迎える年に、先代である母が病により命を落としてしまう。

 それに伴い、珠景姫みかげひめ長姫おさひめになる為の準備を早くから強いられてきた。

 宮殿から出る事を禁じられ、必要な知識や作法を叩き込まれる毎日。

 そんな日々が、姉さんを変えてしまった。


 だから、私は長姫制度おさひめせいどが嫌いだ。

 大好きな姉さんが辛そうに生きる姿は、見ているだけでも心が苦しくなる。


 こんな文化、無くなってしまえば良いのに――


「……って考えても無駄ですね」

 自室でため息をこぼした色歌いろかは、立ち上がって部屋を出た。

 中心にある珠景姫みかげひめの部屋から見て、左にある廊下を進むと宮殿の厨房がある。

 厨房から数えて二番目の部屋を使っているので、御飯時になると料理の良い香りが流れ込んでくるのだ。その香りを感じて、早速厨房へと向かう。


「皆さんお待ちかね、色歌いろかちゃんですよー。夕食を受け取りに来ました」

 暖簾を潜ると、出来立ての料理と厨房で働く男性が出迎えてくれた。

「お、色歌いろかちゃん。今日は春野菜の天丼だぞ」

「特盛でお願いします」

「だと思って、もう用意してる。持って行きな」

 明らかに他とは大きさの違う丼鉢を受け取り、色歌いろかは笑顔を弾けさせる。

「ありがとうございます!」

 天ぷらが大好きな色歌いろかにとって、天丼は夢のような料理だ。

 甘いタレの羽衣を身に纏った天ぷらは、四季を旅して育った白米の上で輝いている。

 天丼を乗せたお盆を持ち、色歌いろか珠景姫みかげひめの部屋へと向かった。


 部屋の前で一度お盆を置き、珠景姫みかげひめの様子を覗いてみる。

 すると、無に近い表情で、重たいため息を漏らす姉の姿が見えた。

「美味しいご飯の前に、なんて顔しているんですか」

 思わず、素直な思いを声に出してしまった。


「……色歌いろか

「綺麗な顔が台無しですよ?」

 近くに置いていたお盆を手に取り、色歌いろか珠景姫みかげひめの部屋へと入る。

 向き合うようにして色歌いろかが座ると、廊下から侍女が珠景姫みかげひめに声をかけた。

「失礼します。お食事をお持ちしました」

 侍女は珠景姫みかげひめの前に夕食を置くと、軽く頭を下げてすぐに部屋を後にした。

 その姿が見えなくなってから、色歌いろかは困ったように呟く。

「いくら年上とはいえ、侍女である以上、あの態度は良くないですね」


 珠景姫みかげひめには、色歌いろかを含め五人の侍女がいる。

 現在、身の回りの世話を担当しているのは、侍屋敷家さむらいやしき けの姉妹だ。

 どちらも珠景姫みかげひめより年上であり、長姫制度おさひめせいど上は侍女になる必要がない。しかし、侍屋敷家さむらいやしき けの当主の指示により、侍女として宮殿で働いている。

 本来の役目ではない上に、年下の姫の世話をしなければならない立場に置かれた事で、珠景姫みかげひめに対する印象はあまり良くないのだろう。

 今日の夕食の準備をしてくれたのも、この二人だ。


「……ほら、冷めないうちに食べよ?」

 話題を変えるように、珠景姫みかげひめは料理の前で手を合わせた。

 色歌いろかも同じように手を合わせ、声を揃えて食に感謝を告げる。

「「いただきます」」

 特盛の天丼に向き合い、色歌いろかは早速食事を楽しむ。

 ゆっくりと食べる珠景姫みかげひめの前で、色歌いろかの天丼は異様な速さで姿を消していく。

 会話もなく、二人の時間は過ぎていった。


「……侍女の制度さ、廃止にしない?」

 丼鉢の底が見えてきた頃、珠景姫みかげひめが話を切り出した。

「どうしてです?」

侍屋敷家さむらいやしき けの姉妹を見ていると、申し訳ないなって思うし、夕食とかの準備くらい自分で出来るじゃん? 侍女って立場だけで、あの二人を苦しめたくないというかさ……」

「なるほど。姉さんらしい考えですね」

 色歌いろかは箸を置いて考え始める。

 今思い浮かぶ解決策は三つ。


 ・侍女の制度を廃止にする。

 ・身の回りの世話を、侍屋敷家さむらいやしき けの姉妹以外の侍女が担当する。

 ・長姫制度おさひめせいどを廃止にする。


 侍女の制度を廃止にする事は、珠景姫みかげひめの時代のみ特例を適応するという形で実現する事は可能なはずだ。しかし、侍女の役割を解かれた者の処遇など問題も生じてしまう。

 長姫制度おさひめせいどを廃止にする事が出来れば全てが解決するが、千年以上続く文化を終わらせるには相応の転換期を迎える必要がある。現状に満足していれば、人の心は変革を求めない。

 それに対して、侍女の配置転換は簡単に行える。

 掃除や食事の準備、来客の対応など、宮殿に置ける仕事に専念する形であれば、年上の二人も働きやすいはずだ。


「明日から侍屋敷家さむらいやしき けの二人には、宮殿の業務に専念してもらいます。代わりに、彩美家あやみ けの双子姉妹を、姉さんの主たる侍女に昇格させますね」


 残りの侍女である彩美家あやみ けの双子姉妹。

 まだ幼いが、色歌いろかと一緒に仕事を覚えていけば良い。

 何より、姫の成長と共に、侍女も成長していくものだ。

 千年の間、その循環を繰り返して来たのだから、きっと上手くいくだろう。

 珠景姫みかげひめを取り巻く環境が少しだけ良い方向に変わる気がして、少し嬉しかった。

 笑みが溢れたのは、きっとそのせいだ。

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