警察方面
奇妙な護衛
井口と田村はホテルの前で
「おはようございます」
井口がマルタイにそう声をかけた。
「……おはようございます」
マルタイの田中という男は土気色の顔で小声でぼそりと挨拶を返してきた。
「では」
井口はそう言って田村に頷いた。それを合図として田村が先に歩き始めた。
井口清隆は所轄の捜査三課に所属する巡査部長である。剣道の全国大会に何度も出場した強面でもあるが、印象とは違って真面目で温厚な男だ。そして彼はそのキャリアを活かしてSPを志願してもいた。それがこの護衛に選抜された理由でもあった。
──お前にはうってつけの仕事だよ
係長はそんな言葉で激励してくれた。それを聞いたときは実質的なSP推薦試験だと思い大いに奮い立ちもしたのだが、蓋を開けてみれば──
「田中さん、体調は大丈夫ですか?」
井口はマルタイにそう声をかけた。これもこの奇妙な護衛の役割のひとつなのだ。
「……ええ……」
マルタイの田中という男はおどおどとした様子でそう答えた。
普通SPなり護衛なりは警護に関する事以外でマルタイと会話などしない。だがこの任務では逆に親しく話しかけろ──正確にはそういう素振りを周囲に見せつけろ、と言われているのだ。意味が分からない。襲撃者への牽制なのだろうか?
「随分と顔色が悪いですよ」
井口は一応は心配そうにそう言った。
「……なかなか寝れなくて……」
田中という男はぼそりとそう言った。
奇妙な指示は他にもあった。職場が見えてきたらマルタイから徐々に離れろ、特に職場の人間には警備を悟られるな、と厳命されているのだ。
田中の職場が近くなると井口は命令通りに距離を開けた。先導していた田村は千川通りを挟んだ反対側に待機している。田中がそのまま職場へ入っていくのを見届けるとこれで朝の護衛は終了である。井口は田村と合流して来た道を引き返した。
「なんなんでしょうねこれ」
田村はどうでも良さそうにそう言った。
「さあなあ」
井口もどうでも良さそうそう返した。
二人は、いや警備チームは、実はマルタイが田中という姓ではないのを知っている。数日前に自称田中が社員証を落とし、井口がそれを拾った時に確認したのだ。本名は飯塚悟といいカタカナの役付きでもあった。それはすぐ隊長に報告したが──
──田中の社員証じゃなかったんだろう
井戸端隊長はそう言っただけだった。それで井口も田村も察した。少なくとも隊長は最初からマルタイが偽名を使っているという事を知っていた。知った上で護衛チームにすらその情報を展開しなかったのだ。通常の警備ではあり得ない対応である。
警備チームはマルタイに関する情報を共有しないといざという時に対応が遅れる可能性がある。その常識を覆すほどの重要人物なのだろうか?
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