第9話 妖怪の子供が生まれました。

 とは言ったものの、実際に妖怪の森について見ると、正直言って、私のやる気は、あっという間に萎んでしまいました。

社長に会って、事情を話すと、大きなため息をついて、首を横に振るだけでした。

「ルリ子も見ればわかるじゃろ。そもそも、人間の世界で仕事をしようなんて妖怪は、あいつらだけじゃ。妖怪は、怠け者だからな。まして、パソコンができて、計算ができるような、妖怪なんておらんよ」

 社長が言うんだから、きっと間違いないのだろう。でも、私は、アマビエさんが安心して卵を産んで子供を育てられるような誰かを見つけてこないと。

店長とハンギョさんには、大きなことを言ってしまったけど、先行きは不安で一杯です。

 妖怪の森を一通り歩いて見ると、いろんな妖怪さんから声をかけられました。

話をしても、聞いてくれる妖怪は、ほとんどいません。聞いてくれる妖怪はいても、判で押したように断られました。

「ハァ~・・・」

 私は、歩き疲れて、カッパ沼の畔に腰を下ろして一休みすることにしました。

「やっぱり、いないのかなぁ・・・」

 独り言のように呟くと、カッパ沼から誰かが出てきました。

「おや、そこにいるのはルリ子じゃないか。元気ないな。なんか悩みがあるなら、相談に乗るぞ」

 出てきたのは、沼女という妖怪でした。下半身は魚で、上半身は人間の姿をしています。でも、アマビエさんのように、可愛くはありません。

見た目が恐ろしい姿をしています。

全身が緑色で、下半身は銀の鱗に覆われた、大きな妖怪でした。

オッパイがあるので、たぶん、女の妖怪だということはわかります。

しかし、青くて長い髪で、目が吊り上がって、口は裂けています。

魚の下半身で沼の中を泳ぎながら近寄ってきました。

 今の私は、悩みを抱えているので、逃げるどころじゃありません。

「ルリ子、人間のお前が、そんな顔をしていてはいかんな」

 そう言って、私の隣に腰を下ろして、大きな尾ヒレをピチャピチャ動かします。

私は、思い切って、悩み事を打ち明けました。すると、沼女さんは、深いため息を漏らして言いました。

「それは、難しいな。砂かけや狼男の言うように、そんな妖怪はいないぞ」

 そうよね。私は、そう思って、項垂れてしまいました。

「でも、一つ、いいアイディアがあるぞ」

「なんですか? 教えてください」

 私は、沼女さんに詰め寄りました。すると、こんなことを言いました。

「教えてやってもいいが、一つ、あたしの願いを聞いてくれるか? 聞いてくれるなら、教えてやる」

「わかりました。私にできることなら、何でも聞きます」

 藁をもつかむ思いで、必死に訴えます。すると、沼女は、言いました。

「この子のおもちゃが欲しい。おもちゃをくれるなら、教えてやる」

 そう言うと、私に見せたのは、両手に抱えている子供でした。

見れば、小さな男の子でした。もちろん、下半身は魚で、上半身は人間です。

「お子さんですか?」

「そうよ。私の可愛い坊やよ」

 胸に抱かれて、スヤスヤ寝ているその子は、とても可愛い。子供は、妖怪でも人間でも可愛いもんは可愛い。

「可愛いですね」

「そうだろ。それで、願いというのは、この子におもちゃを買ってやりたい。でも、私は、この姿だから、人間界には行かれない。だから、お前が代わりに、この子のおもちゃを買ってきてほしいんだ」

「わかりました。次に来るときには、必ず何か買ってきます」

 それくらいは、お安い御用です。子供用のおもちゃでいいなら、いくつでも買ってこよう。

「それじゃ、こんなアイディアは、どうだ?」

 沼女さんが言いました。私は、その話を聞いて、俄然やる気が起きました。

「ありがと、沼女さん。そうよ。その手もあるわよ。人間だって、それは考えることよ」

 私は、沼女さんの話に、元気を取り戻すと、立ち上がると早足で今来た道を戻りました。目指すは、妖怪銭湯です。

「すみません、お歯黒さんは、いますか?」

 私は、番台から中を覗きながら言いました。ここは、妖怪銭湯。妖怪たちが毎日お風呂に来る、お風呂屋さんです。

そこを経営しているのは、お歯黒ベッタリという、おばさんの妖怪でした。

「ハ~イ」

 まだ、開店前らしく、浴室の方からお歯黒さんの声が聞こえました。

ドアを開けてやってくると、私を見つけて頭に巻いた手拭いで汗を拭きながら言いました。

相変らず、目も鼻もなくて、口だけしかありません。それで、前が見えるのが不思議です。この世界では、ベテランの妖怪で、他の妖怪たちからも慕われている、年配のおばさんです。

「あら、誰とかと思ったら、ルリ子ちゃんじゃない。元気にしてる? 今日は、遊びに来たのかい。狼男とか化け猫は?」

「今日は、私、一人です」

「アンタ一人で来たのかい?」

「ハイ、今日は、お歯黒さんに頼みがあってやってきました」

「あたしに頼み? なにかしらねぇ」

 私は、お歯黒さんに、沼女さんが言ったことを話しました。

私がお歯黒さんに頼んだのは、ベビーシッターとアマビエさんのケアーでした。

卵を産むというのは、人間が赤ちゃんを産むのと同じくらい、大変な労力です。

それを助けてほしいということと、生まれた卵のケアーと孵化した時の赤ちゃんたちのお世話でした。

お歯黒さんが赤ちゃんたちのお世話をしてくれれば、アマビエさんも仕事ができます。通いでもいい。お歯黒さんのような、ベテランの女の妖怪がそばにいれば、

アマビエさんも心強いと思います。

「どうですか。お願いできませんか?」

「いいだろう。やってやろうじゃないか。こう見えても、あたしも女の妖怪だからね。それに、300年ぶりの産卵だろ。めでたいじゃないか。人魚の世界も、半漁人の国でも、めでたい話だから、あたしも力を貸すよ。何でも言っとくれ」

「ありがとうございます」

 私は、お歯黒さんの手を取って、何度も頭を下げました。

「よしとくれよ。アンタが産むわけじゃないだろ。ルリ子ちゃんの気持ちも、同じ女としてわかるわ」

「それじゃ、早速、帰って、話をしてみます」

 私は、そう言って、妖怪銭湯を出ると、今度は、社長のお店に向かいました。

「社長!」

 私は、奥にいる砂かけの社長にそのことを話しました。

「なるほど、それはいい考えじゃな。よし、その話は、わしからも言ってみる。

アマビエは、頑固じゃからな。すぐには、うんとは言うまい。そこは、わしに任せておけ。ルリ子の気持ちは、わかってる。必ずウンと言わせてやる」

「ハイ、お願いします」

 私は、そう言うと、今度は、妖怪食堂に戻りました。


 開店時間よりも早くお店に戻ってきた私に、店長は少し驚いていました。

「早かったな。それで、どうだ、誰か見つかったか?」

「そのことなんですけど・・・」

 他のみんなは、開店準備の掃除をしています。私は、他の皆さんたちを気にしながら、店長だけを呼んで、私の部屋で話をすることにしました。休憩室には、アマビエさんが事務仕事をしているので、ここではできません。

「それで、うまくいったのか」

「それが、やっぱり、見つかりませんでした」

「そうだな。仕方がないさ。ルリ子も気にするな」

 私が肩を落としているのを見て、店長は、元気づけるように肩を叩きます。

店長は、立ち上がって、仕事に戻ろうとするので、慌てて引き止めました。

「待ってください。話を聞いてください」

 店長は、足を止めて、私の方を見ました。

「アマビエさんの代わりは、見つかりませんでした。それに、アマビエさんも仕事を休む気は、ありません。だから、ベビーシッターを使ったらどうでしょうか?」

「ベビーシッター?」

「ハイ、赤ちゃんが生まれたら、ここで、お世話をしてもらうんです。そうすれば、アマビエさんも安心して仕事を続けていけると思うんです」

「確かに、人間の世界では、そんなのがいるのは知ってるけど、そんな妖怪がいるのか?」

「います。お歯黒ベッタリさんです。あの妖怪なら、ベテランだし、同じ女性として、アマビエさんも心強いと思うんです。お歯黒さんも、やってくれると言ってくれました。社長にも話をしました。店長さん、どうですか?」

 店長は、腕組みをしながらしばらく考えています。その間、私は、ハラハラしながら答えを待ちます。

「わかった。お前のアイディアに乗ろう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 私は、両手をついて、額を畳に擦りつけながら頭を下げました。

すると、店長は、そんな私の頭に大きな肉球の付いて手で、優しく撫でながら言いました。

「ルリ子、顔を上げろ。沼女のアイディアとはいえ、よく気が付いたな。やっぱり、お前は人間だ。俺のような妖怪には、思いつかなかった。後は、任せておけ。俺が責任を持って、アマビエにウンと言わせてやる」

 店長は、温かい目で私を見詰めて仕込みに戻っていきました。

私は、その後を追って、仕事に就きました。


 その日の明け方、この日も無事に営業が終わって、掃除をしてから、賄を食べていると、社長がやってきました。

「お疲れ様です。社長」

 みんなが立って挨拶すると、社長は、それを制して言いました。

「今夜もご苦労だったな。今日は、みんなに話がある。よく聞いてくれ」

 社長は、みんなを見渡しながら言いました。

「とても大事なことだから、しっかり聞くように。半漁人とアマビエの間に、子供が生まれることになった」

「えーーーっ!」

「ホントニャ?」

「マジゲロ?」

 初めて聞く話に、みんなビックリです。私と店長は、知っていたけど、他のみんなは知りません。

アマビエさんとハンギョさんは、みんなの視線が集中して、少し恥ずかしそうにしています。

「おめでとうニャ」

「アマビエさん、おめでとう」

「ハンギョくん、よかったゲロ」

「みんな、ありがとうギョ」

 ハンギョさんが何度も頭を下げています。その横で、アマビエさんも照れたように笑っていました。

「そこでじゃ。アマビエは、産卵期に入って、無事に産卵したら、産休に入る。卵が孵化したら、今度は、育児じゃ。つまり、育休を取る」

 店内が静まり返ります。社長の話にみんなが聞き入っていました。

「しかし、アマビエが休むと、この店が成り立たん。しかもアマビエの代わりはおらん。それは、わかるな」

 全員が大きく何度も頷きます。

「アマビエも、休みたくないと言っておる。そこで、アマビエが産卵して、卵が孵化した後も、安心して仕事ができるように、ベビーシッターを雇うことにした」

「ベビーシッター?」

 アマビエさんもハンギョさんも、初めて聞く話に、目を向いて驚いていました。

「シッターを雇えば、アマビエも安心して仕事ができるじゃろ。もちろん、この休憩室を使う。だから、アマビエも子供に目が届くし、仕事にも集中できる。どうじゃ、アマビエ、半漁人、お前たちは、この話に乗るか?」

 二人は、顔を見合わせています。すぐに答えが出るとは思えません。

「ちなみに、ベビーシッターを買って出てくれたのは、お歯黒ベッタリじゃ。あいつなら、アマビエも安心じゃろ。どうじゃ?」

 私は、二人の返事を待ちながら、ゴクリと唾を飲み込みます。

「ちなみに、このアイディアを出したのは、ルリ子じゃ。アマビエ、ルリ子の気持ちを考えて、返事をしろ」

 すると、アマビエさんは、私の肩に乗って、横顔をじっと見つめていました。

「ホントなの?」

「いや、ホントは、カッパ沼の沼女さんから聞いた話なんです。私が困っていた時、相談に乗ってもらったんです。それで、この話をお歯黒さんや社長に聞いてもらったんです」

「カッパ沼でゲロ?」

 カッパさんが、驚いて私に聞いてきました。

「ハイ、カッパ沼の沼女さんです」

 それを聞いたカッパさんは、アマビエさんに言いました。

「アマビエちゃん、ルリ子さんの言ったこと、すごくいい話だと思うゲロ」

「そうニャ。お歯黒さんなら、大丈夫ニャ」

「そうだよ。お歯黒のおばちゃんは、子供好きだし、安心だよ」

「おいらも、そう思うよ」

 みんながアマビエさんに声をかけます。

「店長は、どうなのよ?」

 アマビエさんは、店長に話を向けました。

「俺は、いい考えだと思う。お前も仕事を休まなくて済むし、子供のことも見ていられるだろ。俺は、いい考えだと思うがね」

「もちろん、私たちもお世話を手伝います。アマビエさんの仕事を邪魔しないように、みんなでお世話します」

「もちろんニャ」

「ぼくも手伝うよ」

「おいらも」

「あっしもいるでゲロ」

 みんなの熱い気持ちが伝わったのか、アマビエさんとハンギョさんは、揃って頭を下げて言いました。

「みんな、ありがとう。ルリルリ、ありがとね」

「ホントにありがとうギョ。ぼくは、みんなに感謝するギョ。ルリ子さん、ありがとうギョ」

 私は、その一言で、報われたと思いました。心が明るくなって、うれしくなりました。

「よし、決まりじゃ。アマビエ、よく、わかってくれたな。後は、無事に産卵することを考えろ。半漁人、アマビエのこと頼むぞ。お前たちもな」

「ハイ!」

 みんなの声が重なりました。よかった。ホントによかった。これで、後は、無事に卵が産まれるのを待つばかりだ。

ところで卵って、いつ生まれるのだろうか? それに、いくつ産むんだろう?

アマビエさんの体は、手の平サイズなので、そんなにたくさん産むのは難しいだろう。それに、見た感じ、まだ、お腹は膨らんでいない。

「あの、一ついいですか?」

「なんじゃ?」

 社長が振り向きました。

「アマビエさんは、いつ頃卵を産むんですか? それに、いくつくらい卵を産むんでしょうか?」

「来週くらいには、産むわよ。そうね・・・ たぶん、二個か三個くらいかな?」

 アマビエさんがあっさり答えました。

来週って、もうすぐじゃないか。しかも、二個とか三個って・・・

私は、反射的に壁に掛けてあるカレンダーを見ました。来週は、12月です。

クリスマスや大晦日、そして、お正月を迎える飲食店は一番の掻き入れ時です。

てゆーか、そんなに早く生まれるんだ。

「ちなみに、無事に卵が産まれたとして、孵化するのは、いつくらいなんですか? 産卵に用意するものは、ありませんか?」

 せっかく産んだ卵が孵化しなかったら大変です。また、卵に何かあったら取り返しがつきません。大事な卵なのです。みんなで気を付けて、守っていかないといけない。

「特にないわね。洗面器に水を用意してくれればいいわよ」

 アマビエさんは、これまた、あっさり言いました。人間の出産とは、だいぶ違うようです。

その前に、人魚は、卵から生まれるんだ。だったら、人魚は、魚類なのか?

まんま、小さな人魚が生まれると思っていたのは、間違いだったようです。

「店長さん、人魚って、卵から生まれるんですか?」

 私は、小さな声で聴いてみました。

「当り前だろ。アマビエに足があるか」

 そう言われると、その通りです。アマビエさんの下半身は、魚と同じ大きな尾ヒレがあって、魚と同じ鱗があります。

それじゃ、人魚は、私と同じ哺乳類とかではなく、魚類なのか?

でも、今は、そんなことは、どうでもいい。卵だろうが、そんなことは関係ない。

無事に生まれて、孵化することが第一だ。

「よいか、アマビエ。もう、お前ひとりの体ではない。無理はするな。きちんと睡眠をとって、飯を食え。半漁人やみんなを頼るのは、恥ずかしいことではない。それを肝に銘じて、無事に卵を産むことだけを考えろよ」

「わかってるわよ」

 相変わらず、アマビエさんは、ツンデレでした。代わりにハンギョさんが、何度もお辞儀をしていました。

二人は、いい夫婦なのが見てわかる。私も、こんな夫婦になりたいと思いました。


 それから週が明けて、その日の営業が終わるころに、お歯黒さんがやってきました。

「こんばんわ」

「よぉ、お歯黒ベッタリ。どうした、珍しいな」

「アマビエちゃんの産卵が、そろそろかなと思って様子を見に来たのよ」

 そう言って、休憩室に入っていきました。

確かに産卵は、来週くらいと言ってました。週が明けたので、その通りなら、そろそろです。みんなも今か今かと、待ちわびていました。特に、ハンギョさんは、アマビエさんが心配で、レジにいてもそわそわしていました。

 そして、この日も無事に営業が終わり、一つ目さんが暖簾を下げていると、奥から声が聞こえました。

「ちょっと、洗面器に水を用意して! 卵が産まれたわよ」

 お歯黒さんの大きな声が聞こえました。

私は、用意していた大きめの洗面器に水を張って、急いで休憩室に向かいました。

「持ってきました」

「ありがと、ルリ子ちゃん。ほら、見てよ。可愛い卵でしょ。二つも生まれたのよ」

 お歯黒さんが、大事そうに畳に転がっている小さな卵を優しく手にすると、水が入った洗面器に置きました。

見ると、うずらの卵くらいの小さなピンクの卵と青い卵が二つ見えました。

「アマビエさん、おめでとうございます」

「ありがと。悪いけど、疲れたから、先に休むわね」

 産卵で体力を使ったアマビエさんは、かなり疲れているようで、いつも元気にヒラヒラさせている尾ひれがだらんとしていました。そこに、従業員のみんなが顔を揃えてやってきました。

「おめでとう、アマビエちゃん」

「可愛い卵ニャ」

「よかったな、半漁人」

 みんなが感激して、うれしそうに笑っています。

ハンギョさんは、号泣していました。

「人魚ちゃん、ありがとう。お疲れ様ギョ」

「ハイハイ、わかったから、泣かないの。半漁人は、もう、親なのよ」

「わかってるギョ。でも、うれしいギョ」

 アマビエさんより、ハンギョさんのが感激屋なのか、涙が止まりませんでした。

それを見た、私ももらい泣きしそうです。

「半漁人、アマビエちゃんは、疲れてんだから、部屋に運んで、休ませてやんな。卵のことは、あたしが見てるから、安心おし」

「ありがとう、お歯黒さん」

 ハンギョさんは、何度もペコペコしながら、アマビエさんを抱いて部屋に行きました。

「おい、半漁人。今夜の片づけはいいから、アマビエについてやれ」

「うん、ありがとう、ウルフくん」

 私は、そんな二人の背中を見送りながら、可愛い二つの卵から可愛い赤ちゃんが生まれることを想像していました。

「あの、お歯黒さん。この卵って、このままでいいんですか? それと、いつごろ孵化するんですか?」

「人魚はね、他の動物みたいに、卵を抱いて温めたりしないの。このまま水の中にいればいいのよ。中で成長して、殻を割って出てくるからね。孵化するのは、一週間くらい先かな?」

「一週間で生まれちゃうんですか?」

「そうよ。人魚は、すぐに孵化しないと、他の生物に食べられちゃうからね。その後は、親と仲間の人魚で世話をするのよ」

 そんな話を聞いたら、事の重大さを感じました。ここには、同じ人魚の仲間はいません。

私たちが、仲間なのです。みんなで力を合わせて、生まれた赤ちゃんを育て上げる。

それは、私だけではなく、ここのみんなが思っていることでした。


 それからというもの、営業時間中も、それ以外の時間も、みんなが代わる代わる卵を見に来るようになりました。

ベビーシッターのお歯黒さんは、営業時間の夜になるとお店にやってきて、お店が終わると妖怪の森に帰って行きます。昼間は、アマビエさんとハンギョさんはもちろん、いつ生まれてもいいように、みんなが気にしていました。

「早く生まれないかな・・・」

「そんなに早く生まれないギョ」

「男の子かな、女の子どっちかニャ?」

「ピンクが女の子で、緑が男の子だゲロ」

「イヤイヤ、生まれてみないとわからないと思うよ」

「どっちでもいいギョ。元気に生まれてきてくれれば、うれしいギョ」

 みんなは、卵が浮かんでいる洗面器を囲んで話をしています。

「こらぁっ、お前ら、仕事しろ。化け猫、一つ目、掃除は済んだのか。カッパ、仕込みはやったのか」

 店長の雷が落ちました。みんなは、急いで持ち場に向かいます。

私は、そんな光景を微笑ましく見ながら店長の隣で今夜の仕込みを手伝っていました。

「ルリ子、アマビエに飯を持って行ってやれ」

「ハイ」

 そう言って、渡されたのは、生きのいいアジと取れたての鮎でした。

これは、昨夜、妖怪の森からお祝いに、かわうそさんが持ってきてくれたものでした。

「アマビエさん、賄いです」

「ありがと、ルリルリ。アンタにも、心配かけるわね」

「そんなことありません。私もうれしいんです。生まれるの楽しみにしてます」

 私は、それだけ言って、調理場に戻りました。

産卵してから、今日で一週間が過ぎました。みんな、今か今かと待っています。

 そして、今夜は、クリスマスイブです。街は、クリスマス一色で、みんな浮かれています。だけど、彼氏も友達もいない、今の私には、まったく関係ありません。

従業員の皆さんたちも、妖怪なので、人間世界のイベントには、興味ありません。

店内は、いつも通りの景色で、特に、クリスマスツリーを飾るとか、ケーキを食べるとか、クリスマス的なことは、一切ありません。それが、私には、とても気持ちが楽でした。

「いらっしゃいませ、ようこそ、妖怪食堂へ」

 いつものように、開店すると、クリスマスでも、常連の皆さんたちがやってきます。

「店長、豚汁定食」

「ハイよ」

「から揚げ定食やって」

「ハイよ」

「あたしは、オムライスお願い」

「ハイよ」

 これまた、いつも通りの風景です。でも、従業員のみんなだけは、なんとなくそわそわしていました。

孵化する予定の一週間は、もう過ぎていました。みんな口には出さないけど、心配していました。

 店内は、クリスマスの夜だというのに、相変わらず満席で、みんなおいしそうに食べていました。

それも、いつもと同じ景色です。私も、調理場で、店長の指示に従いながら、忙しくしていました。

仕事で忙しいときだけは、卵のことは忘れることができます。仕事に集中しないといけません。

それでも、まだかまだかと、つい休憩室の方を気にしてしまいます。

もちろん、今夜もお歯黒さんが来ています。アマビエさんも年末年始で、事務仕事が溜まっていてパソコンとにらめっこしながら仕事をしています。

 その時でした。

「みんな、生まれたわよ」

 休憩室の扉が開いて、お歯黒さんが声を張り上げました。

その場にいた全員が、振り向いたのは言うまでもありません。

調理中の店長まで、その手が止まりました。

私は、調理場を飛び出して、休憩室に向かうと、アマビエさんが、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いてやってきました。

「女の子と男の子よ」

 その手には、ピンク色の小さなアマビエさんそっくりの可愛い女の子と、緑色のハンギョさんをそのまま小さくした男の子を抱いていました。

「やったー!」

「よかったニャ」

「男の子と女の子だよ」

 化け猫さんや一つ目さんがうれしそうに飛び上がって喜んでいます。

「アマビエさん、おめでとうございます」

「ありがと、ルリルリ」

 アマビエさんに抱かれている赤ちゃんたちは、スヤスヤ寝ていました。

「よかったギョ。ホントによかったギョ」

 ハンギョさんは、大号泣です。私も思わずもらい泣きしてしまいました。

営業中だというのに、従業員のみんなは、歓声を上げて、バンザイの連呼を繰り返し、大騒ぎです。

「お客様、お騒がせしました。でも、今日だけは、大目に見てください。ウチの従業員の、半漁人とアマビエに子供が生まれました」

 店長がお客様に言いました。最初は、訳がわからず、ポカーンとしていたお客様たちも、それを聞いて、一気に盛り上がりました。

「マジかよ」

「ホントに!」

「アマビエちゃんの子供だって?」

「ちょっと、見せて」

「やだ、可愛い・・・」

「半漁人、やったな」

「おめでとう」

 お客様たちは、食べるのも忘れて、アマビエさんを囲んで喜んでくれました。

「皆さん、ありがとうギョ」

 ハンギョさんは、何度も頭を下げながら、泣き続けています。

「おい、妖怪が泣くなよ」

「そうよ。もう、父親でしょ。しっかりしなさいよ」

「アマビエちゃんがお母さんか」

「見ろよ、この子、アマビエちゃんにそっくりじゃん」

「この子は、半漁人にそっくりだぜ」

 常連のお客様たちも、我がことのように喜んでくれました。

「ホントにありがとうギョ。今日の食事は、うれしいから、全部無料にするギョ」

「なに!」

 ハンギョさんの一言に、店長の目が丸くなっていました。

「いいんだギョ。今日は、めでたい日だギョ。ぼくが、全部払うギョ」

 ハンギョさんに言われて、店長も言葉を失っていました。

すると、常連お客様たちが言ったのです。

「なにを言ってんだよ。子供が生まれたんだろ」

「そうよ、それも、クリスマスじゃない」

「ただなんて、バカなこと言ってんじゃねぇよ」

 思いがけない言葉に、ハンギョさんも店長も目をパチクリさせます。

「少ないけど、これは、ご祝儀だ。取っとけ」

「あたしも。ハイ、これ、ミルク代にして」

「早く教えてくれれば、ちゃんとご祝儀を包んだのによ」

「アマビエちゃん、これは、俺からのお礼だから、遠慮しないで受け取ってくれ」

「半漁人、これから親として、がんばれよ」

 そう言って、次々と、お金を包んでくれたのです。

「皆さん・・・」

 ハンギョさんは、言葉もなく、泣いていました。

「うれしいギョ。ぼくは、とてもうれしいギョ。お客様の皆様、ホントにありがとうギョ」

 まさかの展開でした。このお店に通う、常連のお客様たちの温かい気持ちに、私も涙を我慢できませんでした。

見ると、化け猫さんや一つ目さん、カッパさんも鼻をすすっていました。

「お客様の皆様。店長として、心からお礼を申し上げます。ホントにありがとうございます」

 店長も深々と頭を下げてお礼を言ってました。

「ねぇ、あたし、ケーキを持ってるから、みんなで食べようよ」

「それなら、あたしも持ってる。ウチで食べようと思ってたけど、一人で食べるより、みんなで食べる方がおいしいしね」

「いいねぇ。やっぱり、この店に通ってる人は、話がわかるよ」

「今夜は、クリスマスだし、アマビエちゃんに赤ちゃんが生まれたし、すごくめでたい夜だな」

 なんて素敵な人たちなんだろう。人間も妖怪も関係ない。ここに通って来る常連さんたちは、みんな心が優しい、温かい気持ちの持ち主ばかりです。アマビエさんも、感激して、目を潤ませていました。



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