第8話 妖怪食堂に就職しました。
私は、この夜のことは、生涯忘れません。
胸が一杯になって、温かいぬくもりで包まれて、見守ってくれるお客様のことを、宝物にしたいと思いました。
「店長、この店、ずっと、続けくれよ。そうじゃねぇと、俺は、刑事なんて仕事やってられないからよ」
食べ終わった刑事さんがポツリと言いました。
「長くやって行けるように頑張ります」
店長が言いました。
「俺だって、この店がなくなったら、生きていけないもんな」
さっきの若い男性が思いつめたように言いました。
「ラーメンあがったよ」
「ハイ、化け猫さん、ラーメン出来ました」
「ハイニャ。お待ちどうさまでした」
お客さんは、テーブルに置かれたラーメンを一口すすりました。
「うまいなぁ・・・ これだよ、これ。ラーメンと言えば、これなんだよ。金さえ出せば、いくらだってうまいの食えるけど、俺は、店長の作る、ラーメンが一番だと思うぜ」
そう言って、お客さんは、おいしそうにインスタントラーメンを啜りました。
もちろん、インスタントだからと言って、そのまま出しているわけではありません。
店長が、ひと手間かけて、ちょっとした味付けを足しているのです。
「玉子焼き、出来たぞ」
「ハイ。一つ目さん、玉子焼きできました」
「ハ~イ。お待たせしました、卵焼きです」
「ありがとう、一つ目くん。いただきます」
そう言って、一口食べる女性は、ホントにおいしそうでした。
「あぁ~、おいしい。卵焼きって、甘い方がおいしいのよね」
そして、もう一人のピンクの髪の女性は、肉豆腐を食べながら言いました。
「あたしがこの店に通っているのわね、店長さんのおいしいご飯を食べるだけじゃないのよ。このお店に来ると、なんか元気をもらえて癒されて、また、がんばろうと思うのよね」
「それ、それだよ。ぼくも、そう思うな」
「でしょ、でしょ」
「この店はさ、安くてうまい飯だけじゃないんだよな」
お客さんたちは、みんな激しく頷いていました。
「頼むぜ、店長。辞めたりしたら、逮捕するからな」
刑事さんがお茶を飲みながら言うと、お客さんたちの間から、笑いが起きました。
「ありがとうございます。これからもがんばります。でも、もしもの時は、恥も外聞もなく、助けてくれって言いますんでその時は、よろしくお願いします」
「おぅ、任せとけ」
「店長、あたしも応援してるからね」
なんて素敵なお客様たちなんだろう・・・
私は、胸に熱いものがこみ上げてきました。
妖怪の従業員の皆さんも素敵なら、常連のお客様たちも素晴らしい。
人も妖怪も関係なく、みんながおいしい料理を食べにやってくる。
こんな夜中にもかかわらず、みんなおいしそうに店長のご飯を食べにやってくる。
なんて素晴らしいお店なんだろう。そんなお店で働ける自分は、もう、昔の自分ではありません。
「おい、ルリ子、オムレツできたぞ」
「ハイ。えっ、でも、オムレツの注文はありませんけど」
私は、伝票を確認して言いました。すると、店長が、オムレツにケチャップで何かを書きながら言いました。
「これは、アソコのテーブルの客にサービスだ。お前が持って行け」
そのテーブルとは、私の両親と兄が座っている席でした。
「なにしてる。料理が冷めるだろ。さっさと持って行け」
「ハ、ハイ、わかりました」
私は、慌ててオムレツのお皿を持って、家族が座っている席に行きました。
それは、黄色が鮮やかなフワフワのオムレツにケチャップで〇に妖の字が書いてありました。
私は、感激しながらも、店長の心遣いに心の中で手を合わせました。
そして、少し緊張しながら、家族の元にオムレツを持って行きました。
「あの、これは、お店からのサービスです。召し上がってください」
それだけ言うのがやっとでした。もちろん、笑顔はそのままです。
やっと目を合わせた3人は、私を見て黙って何度も頷いていました。
母は、ハンカチで涙を拭っていました。父は、そのオムレツを見て、何度もうんうんと言っています。兄は、私を見て、納得したような顔をして笑っていました。
私は、急いでカウンターに戻ると、3人はオムレツを食べていました。
なんだかいいことをしたような気がしたのは、私の素直な感情でした。
そして、お客様たちも一人二人と帰って、残ったのは、私の家族3人だけになりました。頃合いを見ていたのか、父が立ち上がると、母と兄も席を立ちました。
母が、レジに行って、会計をしている間に、父がカウンターの前に来ました。
「店長さんですか」
「ハイ」
「娘が世話になっています。ルリ子の父です。どうか、これからも、娘のこと、よろしくお願いいたします」
そう言って、あの厳格な父が、深々と頭を下げたのです。私は、驚いて父を見ることしかできませんでした。
他人に頭など下げたことがない父が、こうして、店長に頭を下げているのです。
しかも、店長は、妖怪の狼男です。私は、無理やり家に連れ戻されるとばかり思っていました。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
なんと、店長も、コック帽を取って、頭を下げていました。
「ルリ子、しっかりやれよ。店長さん、オムレツ、おいしかったです。今日は、ご馳走様でした」
初めて見る父の優しい笑顔に、涙が溢れそうです。
厳しい父が、こんな顔をするなんて、夢を見ているようでした。
「ルリ子、お前、がんばってるんだな。兄ちゃん、応援してるからな。また、東京に来るときは、食べに来るからな」
「お兄ちゃん・・・」
私は、その一言で、涙が溢れました。そして、会計を終えた母が戻ってきて言いました。
「ルリ子ちゃん、たまには、家に帰ってきなさいね。元気な顔を見せてね。店長さん、皆さん、ホントにおいしかったです。ご馳走様でした。それじゃ、失礼します」
母も目を真っ赤にして、私を元気づけてくれました。私は、何度も頷くことしかできず、返事もできません。
「あの、もう、遅いから、タクシーを呼ぶギョ」
「気にせんでください。車で来ているから大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
レジ横にいたハンギョさんが言うのを、父が笑って言いました。
3人がお店を出て行くとき、従業員の皆さんたちが言いました。
「ありがとうございました。お気をつけて、お帰り下さい」
声を合わせて、見送ってくれたのです。
「ルリ子、何してんだ。見送ってやれ」
「ハイ」
私は、店長に言われて、下駄を鳴らして、急いで出口に急ぎました。
お店を出ると、車に乗るところでした。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん。今日は、ありがとう」
「ルリ子、お店やお客さんに迷惑かけないように、しっかりやりなさい」
「ハイ」
「また、来るからな」
「うん、お兄ちゃん、待ってるね」
「ルリ子ちゃん、お母さんも応援してるからね。困ったことがあったら、何でも言ってね」
「ありがと、お母さん」
「それじゃな。見送りなんかいいから、さっさと店に戻れ。仕事中だろ」
最後は、厳しい父でした。それでも私は、小さくなるまで、家族を乗せた車を見送りました。
車は、夜の街へと消えて行きました。こんな夜中にわざわざ来てくれたことに、心から感謝しました。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ありがとう。私、がんばるからね」
私は、心に誓いました。そして、振り向くと、着物の袖で涙をぬぐいました。
こんな泣き顔でお店に入ったら、また、みんなに叱られます。
アマビエさんと約束しました。もう、何があっても泣かない。
もう、泣き虫なんて言わせない。
どんな時も笑顔を絶やさない。優しい笑顔で、笑ってお客様を迎える。
それが、私の仕事です。
「すみません、戻りました」
私は、笑顔で元気一杯で、暖簾を潜りました。
パぁ~ン! パパ~ン。
暖簾を潜って、中に入ると、いきなりクラッカーが私目がけて飛んできました。
頭から、紙吹雪や紙テープを浴びて、呆然としていると、従業員の皆さんが拍手をしながら迎えてくれました。
「おめでとう!」
「おめでとうニャ」
「やったね、お姉ちゃん」
「ルリ子さん、あっしは、うれしいゲロ」
「ルリルリ、よくやったわね」
いきなり従業員の皆さんたちから、そう言われて時が止まりました。
「あ、あの・・・」
私は、唖然として言葉が出てきません。すると、店長が言いました。
「ルリ子、よくがんばったな。今日から、お前は、正式な正社員だ」
「正社員て・・・」
「よかったギョ。今まで、人間の正社員なんて一人もいなかったギョ。ルリ子さんが初めてだギョ」
「あの、私・・・」
「ルリルリ、よかったわね。でも、これからよ。しっかりしなさいね」
「アマビエさん・・・」
私は、今まで我慢していた涙が溢れて頬を伝わります。
「よかったな。ルリ子」
「ハイ・・・」
みんなが盛大な拍手をしてくれました。もう、我慢なんてできません。
大粒の涙を流して、声をあげて泣きました。
「店長さん、皆さん、ありがとうございます。私、がんばります。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼むぞ」
「ハイ」
私は、深く頭を下げました。そのまま、顔を上げることができません。
「ルリちゃん、ホントによかったニャ」
「お姉ちゃん、これからもよろしくね」
私は、化け猫さんと一つ目さんに言われても、言葉にならず、涙でぐしょぐしょの顔のまま、頷くことしかできませんでした。
「ほら、いい加減、顔を上げて、涙を拭きなさい」
アマビエさんに言われて、着物の袖で涙を拭きます。
「アンタ、あたしとの約束、忘れてないでしょうね」
私は、アマビエさんと約束しました。どんなことがあっても泣かない。
いつも笑顔でいること。
私にとって、初めて交わした大切な約束です。忘れるわけがありません。
「人間は、泣き虫だからイヤなのよ。いい、ルリルリ、今日は、特別だからね。
明日から、あたしの前で泣いたら、クビだからね」
「ハイ。アマビエさん、ありがとうございました」
「わかったから、もういいわよ。あたし、涙って嫌いだから」
私は、無理に笑顔を作って、泣き笑いの顔になります。
「ルリ子さん、お腹空いてるよね。ぼくの豆腐を食べて、元気出してよ」
とうふさんが、お豆腐を私にくれました。
「ありがとう、とうふさん」
私は、それを手にすると、また、涙が溢れてきました。
「よし、それじゃ、客もいないことだし、ちょっと早いけど、店閉めて飯にするぞ」
店長の一声で、一つ目さんが暖簾をしまって、化け猫さんが看板の明かりを消します。
「お前は、そこに座ってとうふ食ってろ。今、飯も持ってきてやるから」
「ありがとうございます」
私は、空いている席に座って、とうふさんが作った美味しいお豆腐を食べました。
この日のお豆腐の味は格別でした。
「ハイよ。これを食って、明日からも、頼むぞ」
店長が豚汁とご飯を持ってきてくれました。
「ありがとうございます。店長さん、いただきます」
私は、目を真っ赤にしながら、豚汁を食べて、ご飯を口に入れました。
「おいしいです。とても、おいしいです」
「当り前だろ。俺が作ってんだ。いいか、お前は、この味を覚えて、作れるようになれ」
「ハイ」
「なんでも教えてやる。だけどな、豚汁だけは、見て覚えろ。それができるようになったら、一人前だ」
「店長さん、よろしくお願いします。私、がんばります」
「その意気だギョ」
「お姉ちゃん、ぼくも応援してるからね」
「あたしもニャ」
「みんな、ありがとう。私、幸せです」
私は、胸が一杯で、泣きべそをかきながら食べました。この日の豚汁は、今まで食べた中で、一番おいしく感じました。
「ねぇ、店長、ルリルリばっかりで、あたしたちもお腹が空いてんだけど」
「わかってる。お前らの分も作ってあるから、さっさと食え」
「さすが、ウルフくんだね。気が利いてるギョ」
そう言って、私は、みんなとおいしく食事を食べました。
「とうふさん、さっきのお豆腐、おいしかったです」
「うへへ・・・ ルリ子さんに褒められると、うれしいよ」
とうふさんは、ツルツル頭を掻きながら笑っています。
「お姉ちゃん、これからも、ずっと、ここにいてくれるよね?」
一つ目さんが、私を見上げて言いました。
「もちろんよ。いつまでもいるわよ」
「ホントに?」
「でも、店長さんにクビにされるかもしれないわね」
「バカ! 俺がそんなことをすると思ってるのか?」
店長が、大きな口を開けて笑いました。
「大丈夫ニャ、店長がそんなことするわけないニャ」
「どうかしらね。ルリルリは、失敗が多いからね」
アマビエさんがからかうように言いました。でも、その顔は、とてもうれしそうでした。そこに、珍しく社長がやってきました。
「社長、おはようございます」
「おはよう」
砂かけの社長は、たまにしかお店に顔を出しません。
「狼男、例の話は、どうなった?」
「ちょうど、今、話したとこです」
店長さんは、そう言って、今夜の出来事を社長に話しました。
元上司が来たこと、私の家族が来たこと、常連のお客様たちの話など、話してくれました。
「そうか。そんなことがあったのか。ルリ子、偉かったな。褒めてつかわす」
「ありがとうございます」
「それで、お前は、正社員になる気はあるか?」
「ハイ、ありがとうございます」
「わかった。それじゃ、この書類に目を通して、名前を書いて、アマビエに渡せ。わかったな」
「ハイ、わかりました」
「人間を社員にするのは、大変なんじゃ。わからないことがあったら、半漁人に聞け」
「わかりました」
「それと、たまには、手紙でも電話でもしてやれ。親に心配をかけるな」
「ハイ」
私は、社長に言われて、家族の顔を思い出しました。
「それと、これは、お前の親から預かってきたものだ。後で、読みなさい」
そう言って、社長は、封書をくれました。
「あの、これは・・・」
「お前宛の手紙じゃ」
「えっ?」
まさかと思いました。私は、上京してから、両親には何も連絡していませんでした。仕事で忙しくて、すっかり忘れていたし、電話する時間もなく、音信不通でした。
「これを、どうして?」
「お前の親に会ってきた」
「私の?」
「大事な娘をわしらのような、妖怪食堂で働いているんじゃ。心配するじゃろ。お前の仕事ぶりは、狼男や半漁人たちから聞いておる。みんな、お前のことを大事に思っているんじゃ。明日からは、パートではなく正式に正社員として採用するんじゃ。
そのためにも、お前さんの両親にも話しておこうと思ってな、この前、会いに行ってきた。その時、これを渡されたんじゃ」
知らなかった。社長が、私の家族と会ったなんて、今の今まで知りませんでした。
その時、妖怪食堂のことをきちんと話してくれたそうです。
普通に考えれば、妖怪が食堂を経営しているなんて、信じられるわけがありません。
まして、厳格な父は、妖怪など信じていません。社長が、なんといって、父や母に説明したのか聞いてみたいけど、それを聞く勇気は、まだありません。
いつか聞いてみようと思います。
でも、今日の父たちの態度を思い返すと、少しは理解してくれたと信じたい。
私は、その手紙を胸に抱いて、社長の話を聞いていました。
「ちゃんと、返事を書くんじゃよ」
「ハイ、必ず書きます」
「親に心配かけるなよ」
「ハイ、わかりました」
「それじゃ、この話は、これでしまいじゃ。みんな、片づけをして休め」
社長は、そう言って、立ち上がると、お店を出て行きました。
残された私たちは、お店の片付けと掃除をして休みます。
ベッドに入ると、空が明るくなってきました。化け猫さんと寝ながら、昨夜のことを思い出すとなかなか寝られませんでした。母からもらった手紙は、アレから何度も読み返しました。返事を書いて、安心させてあげたい。
メールや電話ではなく、手紙で書きたい。
なんて書こうか、そんなことを考えているうちに、私もいつの間にか、眠ってしまいました。
それから、数カ月たって、私もすっかりこの食堂に慣れました。
夕方に起きて、夜から働いて、朝日が昇ると同時に寝る。昼夜逆転生活も、今じゃ気にならなくなりました。
いつものように、昼過ぎに起きて、1階に降りると、店長はいつもように夜の仕込みをしてました。
「おはようございます、店長さん」
「おはよう、ルリ子」
「あの、何か手伝いますか?」
「大丈夫だ。それより、お前に話がある。ちょっと来てくれ」
いつもと違う真面目な顔で言うので、私も緊張しました。私は、店長さんと休憩室に行きました。
「ルリ子に頼みがある」
いつにも増して真面目な顔をするので、私は、ちゃんと正座をして聞くことにしました。
「妖怪の森に行った時のことは、覚えているか?」
「ハイ、覚えてます」
妖怪の森には、アレからも何度か行きました。妖怪たちが住んでいる、不思議な森です。
「これから、一人で行ってきてもらいたい」
「えっ? 私、一人でですか」
「そうだ。これは、お前にしかできない仕事だ。やってくれるか」
「私でよければ、何でもやります」
私は、生唾を飲んで、顔を引き締めます。いったい、どんな仕事なのだろうか?
「実はな、妖怪の森に行って、事務ができる妖怪を探してきてもらいたい」
思いがけない話に、私は、返事ができませんでした。
「あの、もしかして、新しい従業員を入れるんですか?」
「う~ン・・・」
なぜか、店長は、腕を組んで考え込んでしまいました。難しい顔をしているので、きっと、大変なことなんだろう。
「まだ、他のみんなに話してないから、ないしょにしておけよ」
店長は、そう前置きしてから、私に言いました。
「実はな、アマビエが卵を産むことになった」
「えーーーっ! それって、赤ちゃんが生まれるってことですか?」
思いもしなかった一言に、声が裏返って、ひっくり返りそうになりました。
「声が大きい」
「すみません」
店長が大きな口に指をあててシーッと言います。私も慌てて自分の口を両手で塞ぎました。
「アマビエさんが、妊娠したんですか?」
そう言うと、店長は、黙って頷きました。
「ホントですか! それは、おめでとうございます」
私にとってもうれしいニュースです。アマビエさんとハンギョさんの間に、赤ちゃんが生まれる。こんなうれしいことはありません。それなのに、店長は、余りうれしくないようで、難しい顔をしています。
「あの、それで、私の仕事というのは?」
「アマビエが産卵して、子供が育つまで、代わりができる妖怪が欲しい。それをお前に探してきてもらいたい」
私は、二度ビックリしました。
「それって、人間の世界で言う、産休というか、育休ってことですか?」
店長は、大きく頷きました。確かに、それは、人間社会では、普通にあることです。今は、働く女性は多い。結婚しても退職しないで、仕事を続ける人もいます。
妊娠しても、育休制度や産休というのもあります。それを、アマビエさんが取るということのようです。
でも、アマビエさんの代わりができる妖怪なんているのか、それが問題です。
「それを私が見つけてくるってことですか?」
「そうだ」
「でも、アマビエさんの代わりができる妖怪なんて、いるんですか?」
「たぶん、いないな」
店長は、あっさり即答しました。それはそうでしょう。それくらいは、私にも想像できます。
アマビエさんの仕事は、いわゆる裏方です。お金の計算、書類の処理、一日中、机の前でパソコンを使っていろいろ頭を悩ませています。計算が得意で、パソコンが詳しくて、お金のことが理解できる妖怪じゃないとこの仕事は勤まりません。
それだけ、アマビエさんの仕事は、シビアで難しいということです。
私も間近で毎日見ているので、代わりができる妖怪なんて、いるのかわかりません。
「でも、いないのは、大変ですよ」
「だから、それをお前に見つけてきてもらいたい。砂かけには、話を通してある。
妖怪の森に行けば、協力してくれるはずだ」
「それで、他の皆さんには・・・」
「ハッキリするまで、話さない方がいいと、砂かけと半漁人と相談した」
「それで、アマビエさんは?」
「あいつは、卵を産んでも、働くと言ってる」
なんとなくわかる気がする。アマビエさんにしかこの仕事はできない。数字が得意で、事務仕事に向いている。
それに、仕事が好きなのです。自分にも厳しい、真面目な妖怪なのです。
「でも、卵を産んで、子供を育てながら仕事をするのって、難しいんじゃないですか」
「だから、代わりを探してきてほしいんだ。少しの間だけでいいんだ。アマビエが一段落するまででいい。それを人間のお前の目で判断してほしい」
「そんなこと、私にできるんですか?」
「俺は、ルリ子の目を信じる。だから、頼んでいるんだ」
そこまで言われると、自信はないけど、断るわけにはいきません。
だけど、アマビエさんの代わりが務まる妖怪がいるとは思えません。
「わかりました。やってみます」
「頼んだぞ」
私は、大きく頷きました。これは、責任重大です。私に務まらないとか言ってる場合ではありません。妖怪食堂の未来がかかっているのです。なんとしても、店長の期待に応えなくてなりません。
そして、安心して、アマビエさんが卵を産んで、子供を育ててもらいたい。
その為には、私もがんばらないといけません。気合を入れなきゃ。
「それじゃ、早速、行ってきてくれ。夜の開店までに戻ってくればいい」
「わかりました。それじゃ、行ってきます」
そう言って、立ち上がると、扉が開いて、アマビエさんとハンギョさんが入ってきました。
私は、二人を見て、心を込めて言いました。
「アマビエさん、ハンギョさん、おめでとうございます」
「ありがとうギョ。ルリ子さん、ありがとうギョ」
ハンギョさんは、私の手を取って、喜んでくれました。
でも、アマビエさんは、余りうれしそうではありません。
「アマビエさん、元気な子供・・・ じゃなくて、卵を産んでくださいね」
すると、アマビエさんは、プイと横を向きながら言いました。
「ありがと、ルリルリ。でもね、あたしは、仕事を辞める気はないから」
「えっ、でも、産休というか、育休を取るって・・・」
「ちょっと、店長。あたしは、仕事は休まないから。卵を産みながらでも、仕事はできるから、余計なことをしないで」
アマビエさんは、卵を産んでも、仕事を続けたいみたいです。
「お前の気持ちはわかる。でもな、お前と半漁人の子供は、300年ぶりの子供だろう。せっかく、妊娠したんだから産んだ卵のことをどうするんだ。仕事をしながらなんて、無理だぞ。まして、卵が孵化した後は、どうするんだ?」
「育児しながらでも仕事はできるわ。あたしは、事務方だから」
「しかしな・・・」
「平気よ。第一、あたしの代わりができる妖怪なんて、いると思うの?」
「それは・・・」
店長の気遣いでも、アマビエさんは、断固拒否する勢いです。
「人魚ちゃん。ウルフくんの言葉に甘えて、今は、無事に産卵することを考えたほうがいいギョ」
「なにを言ってるのよ。それじゃ、溜まってる書類とか経理とか、どうするのよ? 半漁人にできるの?」
「それは・・・」
二人の会話を聞いて、私は、思わず言葉が出てしまいました。
「アマビエさん、やっぱり、休んだ方がいいです。だって、300年振りなんでしょ。人魚と半漁人の間に卵が産まれるなんてすごい久しぶりのことなんでしょ。だったら、無事に卵を産んでください。仕事の方は、私もフォローします。ハンギョさんもいるし、社長だって、きっと助けてくれると思います」
「ありがと、ルリルリ。でもね、あたしは、決めたの。卵も絶対に産んでみせる。
子供も育ててみせる。でも、仕事も辞めない」
アマビエさんの決意は、固そうでした。アマビエさんの性格上、一度決めたことは、絶対に曲げない。
他人にも厳しいけど、自分にも厳しい。それが、アマビエさんなのです。
「アマビエの気持ちは、わかった。それじゃ、こうしようじゃないか。ルリ子には、お前の代わりを探してもらうように頼んだ。もし、見つけられなかったら、お前に続けてもらおう」
いわゆる妥協案でした。私も、それがいいと思いました。でも、アマビエさんは、まだ、納得していません。
「人魚ちゃん、ウルフくんの言うとおりにしようよ。キミにもしものことがあったら、ぼくは、心配だギョ」
「そうですよ。アマビエさんは、もう、一人の体じゃないんですよ。今は、無事に卵を産むことを考えてください。もし、見つからなくても、他のみんなも協力してくれますよ」
アマビエさんは、私たちをじっと見渡すと、小さなため息を漏らしながら言いました。
「わかったわ。それでいいわ。でも、見つからないと思うけどね」
そう言って、アマビエさんは、尾ひれをヒラヒラさせながら出て行ってしまいました。
「それじゃ、ルリ子、頼んだぞ」
「ルリ子さん、よろしくお願いするギョ」
「ハイ、任せてください。必ず、誰か探して連れてきます」
私は、胸を張って言いました。そして、着替えを済ませて、妖怪の森へと、意気揚々と出掛けて行きました。
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