第7話 妖怪食堂のお客様。
翌日、私たちは、たくさんの妖怪たちに見送られて、元の世界に帰りました。
いつもの妖怪食堂に着くと、なんかホッとします。
「時間まで、好きにしてていいぞ」
店長が言うので、私も一度部屋に戻りました。時間は、まだ、お昼を過ぎたばかりです。
開店時間までは、まだ時間もあるので、とりあえず部屋着に着替えました。
でも、開店の時間まで、どうやって過ごそうか、実はすることがありません。
昼間の時間に、どこかに出かけるとか、友だちと会うとか、残念ながら、そう言った用事がありません。
手持無沙汰で、一階に降りました。他の従業員たちは、思い思いに時間を過ごしているようです。
一階には、店長だけがいました。この時間からも、夜の仕込みをしていました。
「店長さん、私も何か手伝います」
「いいよ。ルリ子も疲れてるだろ。やることないなら、昼寝でもしてろ」
「しっかり、休ませてもらったので、眠くありません」
「しょうがねぇな・・・」
店長は、そう言いながらも口元が緩んでいるのがわかりました。
「それじゃ、付け合わせのキャベツを切ってくれ。千切りにするんだぞ。包丁で指を切るなよ」
「ハイ」
まだまだ修行が足りない私は、包丁が苦手です。
私は、大きなまな板にキャベツを乗せて、手を切らないように注意をしながら、キャベツを切ります。
店長のように、細くきれいには切れないけど、店長は、黙って見守っていてくれました。
「店長、いる?」
そこに、お店の扉が開いて、二人の男女が入ってきました。
「あの、まだ、営業時間ではありませんけど・・・」
お客さんかと思って、慌てて言葉にしました。
「いいんだ。この人たちは、客じゃないから」
店長が、そう言って、仕込みをする手を止めました。
入ってきた人の一人は、白髪頭ででっぷり太ったおじさんと、もう一人は、細身のおばさんでした。
「あら、店長、どうしたのこの子?」
「新しく入った、パートさんですよ」
「もしかして、人間かい? すごいな、店長。ついに、人間を雇ったのかよ」
「ないしょですよ。この店は、妖怪の店だから」
「わかってるよ」
太ったおじさんは、そう言って、カウンター越しに私を見ていました。
「初めまして、江戸川ルリ子と言います。よろしくお願いします」
「フゥ~ん、ルリ子ちゃんか。よろしくな」
おじさんは、人のよさそうな顔をしてニコニコしています。
「ところで、なにか、用ですか?」
「そうそう、それよ。そろそろ、例のイベントの時期だから、また、よろしく頼むわ」
「あぁ~、もう、そんな季節ですね。わかりました。こっちもそのつもりで用意します」
「ありがとよ」
私には、さっぱりわからないけど、三人は話を進めていました。
私だけ会話に入れずにいると、店長が言いました。
「この人は、向かいのラーメン屋の大将で、こちらは隣のビルの喫茶店のママさんだ」
私は、改めて何度も挨拶を繰り返します。
「いいってことよ。気にすんな」
ラーメン屋さんの大将は、そう言って気さくに笑います。
「ねぇ、店長。せっかく、こんな可愛い子がいるなら、今度のイベントに貸してくれないかしら?」
喫茶店のママさんが私を見ながら言いました。何のことかわからず、首を傾げていると、店長が説明してくれました。
「毎年、この時期になると、近所の公園でちょっとしたイベントをやるんだ。ご近所の人たちとか常連しか来ないけどちょっとしたお祭りみたいな感じでな。子供たちも来るんだよ」
ラーメン屋の大将が後を継ぐように話をしてくれました。
「ウチは、餃子とビールとアルコールで」
「あたしのところは、お茶とかジュースのソフトドリンクとちょっとしたスナック類でね」
「俺たちは、ツマミを出すことにしてるんだ。豚汁と冷ややっこにキュウリの一本漬けくらいだけどな」
私は、素敵な企画の話を聞いて、目が輝きました。
「素敵です。私も手伝わせてください」
「だったら、浴衣を着て、花を添えてくれないかしら? きっと、人気者になるわよ」
「イヤイヤ、ママさんだって、まだまだイケるぜ」
「なにを言ってるのよ、大将。もう、あたしは、若くないのよ」
「そんなことはないぜ。ママもまだまだ若いぜ。知ってるか、ルリ子ちゃん。こちらのママさんが若い頃は、人気ナンバーワンの売れっ子ホステスだったんだぜ」
「やめてよ、昔の話よ。それより、ルリ子ちゃん、やってくれる?」
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、改めて腰を折って頭を下げました。
「それじゃ、詳しいことは、また、連絡するから」
そう言って、二人は、帰って行きました。
「店長さん、私もがんばります」
「ホントにいいのか? 夕方からだから、いつもと時間が違うぞ。もっとも、その日は、夜中の営業はしないけど、近所の家族連れとか子供も来るし、酒も出すから、酔っ払いに気をつけろよ」
「大丈夫です。その時は、店長さんに助けてもらいます」
私は、そう言って笑うと、店長は少し困ったような顔をしながらも頷いてくれました。
後日、その夕涼み会という名の小さなお祭りは、今度の土曜日に決まりました。
「いらっしゃいませぇ」
その日、私は、浴衣を着て公園にいました。
公園内は、テントがいくつかあって、ラーメン屋さんの大将が作る餃子とビール。
喫茶店のママさんのソフトドリンクと軽食の屋台。そして、私たち妖怪食堂のお店があります。
私は、店先に立って、お客様の注文を聞いて、それぞれの担当の人に知らせます。
この日は、セルフサービスなので、お客様が注文したものを取って、席に座って食べたり飲んだりします。
町内会の人たちも手伝って、テーブルや椅子を用意してくれたので、家族連れやカップルなどが座って食べています。
「お姉さん、ビールと餃子ください」
「ハイ、大将、ビールと餃子をお願いします」
「ハイよ」
「あたしは、オレンジジュースとポップコーンください」
「ハイ、ママさん、オレンジジュースとポップコーンです」
「ハイハイ」
「こっちは、豚汁と冷ややっこ、キュウリもちょうだい」
「ありがとうございます。店長さん、豚汁に冷ややっことキュウリです」
「ハイよ」
会計係は、いつものようにハンギョさんが担当です。
レジに並ぶお客さんたちで、忙しそうです。化け猫さんや一つ目さんは、接客がないので、近所の子供たちといっしょに遊んでいます。
人間の子供たちは、妖怪食堂の子供たちとも仲良しなのです。
カッパさんは、この日のためにたくさん仕入れたキュウリを一本ずつ箸に刺して、
塩もみして薄い味付けをしました。それを氷の上で冷やすと冷たくておいしい。
人気の一品でした。
とうふさんの作る冷ややっこもビールのお供に大人気でした。
「このとうふ、うますぎ。ビールが進んじゃうよ」
「いつもの豚汁も、店で食べるのもいいけど、外で食うのもうまいよな」
「キュウリ、やばいよ。もう一本、買ってくる」
お客さんたちの声を間近で聞くと、うれしくなります。
そこに、いつも夜中にやってくる、常連の皆さんたちもやってきました。
「よぉ、店長、やってるね」
「いらっしゃいませ」
「豚汁ね」
「ハイ、ありがとうございます。ビールもいかがですか」
「それじゃ、もらっちゃおうかな」
「ありがとうございます。大将、ビールをお願いします」
「ハイよ」
うわさを聞き付けた常連の皆さんたちもやってきて、公園内は、大盛況でした。
一段落すると、子供たちは砂場で花火を始めました。楽しそうな声が公園に響き渡り、子供たちも楽しそうです。
普段は、夜中の仕事なので、近所の人たちや子供たちとは会うことがないので、こんなイベントは、私にとってもすごく新鮮で、刺激にもなりました。
「どう、ルリルリ、儲かってる?」
夜の静寂を縫うように泳いできたのは、アマビエさんでした。
「見ての通り、忙しいですよ」
「それは、いいことだわ」
「ハンギョさんを手伝わないんですか?」
「いいのよ。あたしが行くと、騒ぎになるから」
そう言うと、尾ひれをフワフワさせながら夜の中に消えて行きます。
と思ったら、子供に捕まってしまいました。
「あっ、アマビエちゃんだ」
「アマビエちゃん、遊ぼうよ」
「ちょっと、放しなさいよ」
「アマビエちゃん、花火やろうよ」
「やらない。それより、シッポを触らないでくれる」
「遊んでくれなきゃ、放さない」
子供たちに捕まったアマビエさんは、困った顔をしながらも、実は嬉しそうでした。アマビエさんは、子供たちにも人気らしい。
「まったく、しょうがないわね。ちょっとだけよ」
そう言って、やっとシッポを放してもらった、アマビエさんは、子供たちと花火を始めました。
「ウニャ、アマビエちゃんもやるニャ?」
「しょうがないのよ」
「ハイ、これ、どうぞ」
「ありがと」
一つ目さんに渡された火の付いた花火を片手に、子供たちや化け猫さんと楽しんでいました。花火に照らされたアマビエさんの顔は、確かに楽しそうでした。
「ルリ子さん、キュウリは、あと三本で売り切れでゲロ」
カッパさんが、そっと私に言ってくれました。
「わかりました。キュウリの一本漬けは、残り三本です」
私は、少し大きな声で言いました。
「こっちに一本くれ」
「あたしにも一本下さい」
「俺にも」
あっという間に、キュウリは売れ切れてしまいました。
カッパさんは、とてもうれしそうな顔で、キュウリをお客さんに渡しています。
その顔を見ると、私もうれしくなって、笑顔になります。
「ルリ子、豚汁もあと10人前くらいしかないぞ」
「えっ、あんなに作ったのに、もうないんですか?」
「去年は、こんなことなかったのに。今年は、完売だな。きっと、お前のおかげだな」
そう言って、店長が大きな口を開けて笑いました。
私は、店長からそんなことを言われて、顔が赤くなりました。
顔だけでなく、きっと、耳たぶまで真っ赤になっていることだろう。
恥ずかしくて店長の方をむけません。
「ルリ子ちゃん、やばいよ、餃子がもうすぐなくなる」
「大将もですか?」
「イヤぁ、今年は、大盛況だぜ。ルリ子ちゃんのおかげだな」
「そんなことありません」
「イヤイヤ、アンタが来てくれたおかげで、いつもより人もたくさん来てるだろ」
見れば、公園の中は、近所の家族連れの人たち、子供やカップル、わざわざ来てくれた常連の皆さんたちで賑わっています。みんな笑って、楽しそうです。
いつもと違う雰囲気なので、気分が違うのでしょう。
「ルリ子ちゃん、ありがとね。今年は、例年以上の盛り上がりだわ」
「いえ、私だけじゃありませんよ」
「そんなことないわ。華があると、雰囲気からして変わるからね。それはそうと、今年は、大儲けよ」
そう言って、ママさんは、とても機嫌がいい。
こうして、始まった夕涼み会は、大成功で幕を閉じました。
片づけをして、お店に戻ると、すっかり夜中になっていました。
普段なら、開店時間です。でも、今夜の営業はありません。しかも、明日は、日曜日で定休日です。
遅めの打ち上げということで、私たちはお店で従業員だけの食事をしました。
「残り物だけど、好きなだけ食ってくれ」
そう言いながらも、みんなのために、料理を作ってくれる店長は、やっぱり優しい。こうして、また一つ、私の宝物が増えました。
楽しい夜は、こうして更けていったのです。
それからしばらくたって、私もやっと、みんなについて行けるようになりました。
店長には、いつも怒られてばかりだけど、やっとついて行けるようにもなったので、
少しは自信がついてきたところでした。
この夜も、いつものように開店時間と同時に、お客さんがやってきました。
「いらっしゃいませ、ようこそ、妖怪食堂へ」
私も、お客様への挨拶も自然にできるようになりました。
常連のお客様たちの顔も覚えて、笑顔で挨拶します。
「こんばんわ、いつもの一つね」
「ハイ、店長さん、豚汁定食お願いします」
「ハイよ」
その日の夜も、たくさんの人で賑わってきました。
「ねぇ、店長さん、ハンバーグってできる?」
「ハイよ」
「やった。今夜は、これから忙しくなりそうなのよね。スタミナ付けなきゃ」
「それじゃ、あたしは、焼肉定食がいいな」
「ハイよ」
ピンク色の長い髪に、顔も耳もピアスだらけの派手な服の若い女性と、金色の髪に肌を露出した女性の二人組がカウンター越しに店長に言うと、一つ目さんに誘導されて、テーブル席に座りました。
こんな夜中から、どんな仕事をしているのか、私には想像もつきません。
私くらいの若い女性で、派手な服装で、とても自分にはできませんでした。
「よぉ、一人だけどいい?」
「カウンターにどうぞニャ」
「ありがとよ、化け猫ちゃん。いつも、可愛いね」
「ウニャ~、そう言ってくれるとうれしいニャ」
妖怪相手にも、気軽に話しかけてくるのは、夜勤で警備をしている人でした。
制服姿なので、今が休憩なのかもしれません。
今夜も忙しくなりそうです。私は、厨房にお皿を並べて、トレーにご飯と豚汁をよそいます。
お皿に盛られた料理をトレーに置くと、化け猫さんたちに声をかけます。
「ハンバーグと焼肉定食、あがりました」
「ハ~イ」
一つ目さんと化け猫さんがそれを持って、テーブルに運びます。
「あぁ~、おいしい」
「たまんないわよね。店長さんて、やっぱり、すごいわ」
女性二人の声を聞くと、私もうれしくなります。
「お待たせしましたニャ。豚汁定食ニャ」
「ありがとな。これを食わなきゃ、力がつかないからよ」
そう言って、警備員のおじさんは、豚汁をおいしそうに食べています。
私は、おいしそうに食べるお客さんの顔を見るのが大好きでした。
その後も次々と料理を作る店長さんは、大忙しです。
もちろん、私もそれに遅れないように、お皿を出して、ご飯をよそって、そんなことの繰り返しでした。
その時、また、お店の扉が開いて、お客様がやってきました。
「いらっしゃいませ、ようこそ、妖怪食・・・」
しかし、途中で声が詰まってしまいました。
「いらっしゃいませニャ。三名様ですか二ャ?」
「ハイ、三人です」
「こちらのテーブルにどうぞニャ」
「ありがとう」
そう言って、三人のお客様がテーブルに座りました。
そのお客様は、私の両親と兄だったのです。どうして、ここを知っているのだろう?
家族には、教えていない。こんな夜中に、食堂に来るなんて、どういうわけなんだろう。まさか、私を連れ戻しに来たのか?
「ルリ子、手が止まってるぞ」
「ハ、ハイ、すみません」
私は、店長に注意されて、現実に引き戻されました。
それでも、どうして父や母が来ているのか、それがわからず、頭の中はパニック状態でした。
私は、調理中も横目で三人を見ているのに、家族のみんなは、私の方を見てくれませんでした。
「ご注文は?」
「メニューを見せてくれますか?」
「ウチは、豚汁定食しかやってないんです。でも、食べたいものを言ってくれれば、作れるものなら、何でも作ります。それが、妖怪食堂なんです」
一つ目さんが丁寧に説明してくれました。
「そうですか。それじゃ、豚汁定食を三つお願いします」
「ハ~イ、店長、豚汁定食を三丁で~す」
「ハイよ」
私は、ドキドキして、仕事も上の空です。厳格な父が怒りだして、私を強引に店から連れ出したりするんじゃないかと思うとヒヤヒヤでした。
「ルリ子、何してる」
「ハ、ハイ、すみません」
私は、トレーを三つ並べて、ご飯と豚汁をよそって、冷ややっことお新香をそれぞれ用意しました。
一つ目さんと化け猫さんが、それを持って、家族のテーブルに運びます。
食べてくれるかしら? もしかして、文句を言ってくるのではないかと、ドキドキです。
それでも、みんなは、静かに豚汁を飲んで、ご飯を食べ始めました。
美味しいのか、まずいのか、何も反応がないので、目が離せません。
他のお客様は、それぞれ楽しそうに食事をしたり、話をしているのに、私の家族は、黙々と静かに食べているだけでした。
もしかして、食事が口に合わなかったのか? このお店の雰囲気が気に入らなかったのか?
私は、頭がグルグルしてきて、心臓のドキドキが止まりませんでした。
「あの、店長さん」
「どうした?」
「実は、アソコのテーブルのお客様は、私の・・・」
私は、店長に家族のことを言おうとした、その時でした。
勢い良く、お店の扉が開いて、一人のお客様が入ってきました。
「なに、ここ? ホントに妖怪がいるの。マジかよ」
入ってきたお客様は、少し酔っているようでした。
「いらっしゃいませ、ようこそ妖怪食堂へ」
私は、反射的に、入り口に向いて挨拶しました。でも、入ってきたお客様を見た瞬間、背筋が凍り付きました。
「ホントに妖怪かよ? 妖怪なんているわけねぇだろ」
「他のお客様の迷惑になるので、お静かに願いますギョ」
ハンギョさんが声をかけました。
「なに、お前? なんで着ぐるみなんか着てんだよ。ふざけんなよ」
そのお客様は、そう言って、空いているカウンターに座りました。
そして、店内を見渡して、私と目が合ってしまいました。
「アレ? お前、もしかして、江戸川じゃねぇの? そうだよ。お前、俺の部下だった、江戸川ルリ子だよな」
「ひ、人違いです・・・」
「そんなわけないだろ。お前、俺の会社を辞めて、こんなとこで働いてるの?」
その人は、私の元の職場の上司で、お金を持ち逃げして、会社をつぶした社長でした。
「お前、こんなとこで何してんだよ。妖怪食堂? なにそれ、ふざけてんの。こんなとこやめて、また、俺の会社に戻って来いよ」
私は、昔のことを思い出して、体が震えてきました。サービス残業の毎日で、休みもなく、給料も満足に払ってくれたこともありません。パワハラの連続で、精神的にも肉体的にも、壊れそうになった時、突然、会社がなくなったのです。
「あの時は、俺が悪かった。今度は、ちゃんと、給料も払うし、仕事もあるから、こんなとこでバカなことしてないでまた、一緒にやろうぜ」
この時の私は、どんな顔をしていたのだろう?
きっと、醜く歪んでいたのかもしれません。
「こいつさ、仕事じゃミスしてばかりで、全然使えなくてよ。ついに、会社が倒産だよ。こんなバカを使ってたら、この店も、すぐにつぶれるぜ」
その時です。着物の裾を誰かが引っ張っていました。下を見ると、とうふさんが、怒った顔をして、拳を握っていました。いつも笑顔で、優しいとうふさんが、大きな目を吊り上げて怒ってます。
それでも、私は、一言も言い返せませんでした。自分が情けなくて、悔しくて、胸が張り裂けそうでした。
その時、ガタンと大きな音がして前を向くと、父が真っ赤な顔をして立ち上がりました。それを見た時、私は、考えるより先に、口のが先に出ていました。
体が震えて、あの頃のことが思い出して、我慢できませんでした。
「バ、バカにしないでください。お店の皆さんに謝ってください。私はともかく、お店をバカにしないでください」
「な、何だと!」
「勝手に会社をつぶして、なにを言ってるんですか。あんな会社より、このお店のが、健全なんです」
「ふざけんな。なにが、妖怪食堂だ!」
元上司が興奮して怒鳴りつけると、その隣で食事をしていた会社員の男性がポツリと言いました。
「アンタ、うるさいよ。飯がマズくなるから、少し黙っててくれないかな」
「な、何だって・・・」
今度は、派手な服装のテーブル席に座ってる若い女性が言いました。
「店長さん、警察呼ぼうか?」
元上司は、その女性たちの方を振り向くと、顔を真っ赤にして言いました。
「上等じゃねぇか。警察呼ばれて困るのは、そっちじゃねぇのか? だいたい、妖怪が食堂なんて、出来るわけないだろ。保健所に行って、即刻、つぶされるのがオチだろ」
「お客様、お静かに願いますギョ」
止めに入ったハンギョさんにも、食ってかかりそうな雰囲気でした。
「なんだよその態度は。こっちは、客だぞ。お客様は、神様だろ」
私は、恐ろしくて怖くて、それに、お店に迷惑をかけたことで、震えが止まりませんでした。その時です。調理中の店長の手が止まりました。
「やかましい。てめえなんか、客じゃねぇ、出てけ。ここは、妖怪食堂だ。文句あるか」
ついに、店長が怒りました。目が吊り上がり、大きく開いた口から、鋭い牙が見えました。
「ウチの大事な従業員をバカにされて、黙っていられるか。こちとら、妖怪が命をかけて、飯を作ってんだ。食わねぇなら、客じゃねぇ。さっさと出て行け」
いつも優しい店長の怒った顔を初めて見て、私も震え上がりました。
「いいのかよ。そんな態度をとって。警察に行って、こんな店なんかつぶしてやるからな」
そう言って、カウンターを強く叩きました。私は、どうしたらいいのかわからず、震えているとカウンターの一番隅で食事をしていたスーツ姿の男性が、静かに立ち上がると、やってきました。
そして、元上司の肩に軽く手を置くとこう言ったのです。
「警察なら、もう、ここにいるけど」
そう言って、警察手帳を見せたのです。元上司は、それを見ると、顔が引きつり、青くなっていきました。
「この店のことを文句言う前に、逮捕されるのは、アンタだよ。営業妨害、人権蹂躙、あっ、妖怪だったか。とにかく、ここじゃなんだから、表で話そうか」
そう言って、元上司をつまみだしました。お店を出るとき、振り向いて、店長に軽く手を挙げて軽くウィンクしました。
店内は、騒然とした雰囲気から、急に静かになりました。
私は、その場の冷たい空気を感じて、カウンター越しに、頭を下げました。
「あの、お騒がせして、申し訳ありませんでした」
元はと言えば、私のせいです。せっかく、いい職場に就いたと思ったのに、こんなことになってもう辞めるしかない。店長や従業員の皆さんにも、お客様たちにも迷惑かけてしまった。
責任を取るしかない。私は、そのつもりで、頭を下げて謝罪しました。
乾いた床に私の涙が落ちていくのが見えました。
「お客様、お騒がせしました。お詫びに、今から、全品100円引きにさせていただきます」
そのとき、休憩室のドアが開いて、アマビエさんが飛び出してきました。
すると、静まり返った重たい空気が一変したのです。
「アマビエちゃんだ」
「ウソぉ、可愛い」
「おい、アマビエちゃんだぞ」
「レアだぞ、レア」
「マジかよ。初めて見た」
「やだぁ、アマビエちゃ~ン」
アマビエさんの登場に、店内があっという間に明るくなって、暗かった雰囲気が一遍しました。
「それじゃ、俺にラーメン作って」
「ラーメンなら、他所に行け。いくらでもうまいラーメンが食えるだろ」
お客さんの一人が、声を上げました。それに対して、店長が困った顔をして断ります。
しかし、そのお客さんは、笑いながら言いました。
「俺は、店長が作るラーメンが食いたいんだよ」
「ウチのラーメンは、インスタントだぜ」
「それそれ、それでいいんだよ。頼むよ、店長」
「しょうがねぇな。作ってやるから、ちょっと待ってろ」
店長は、笑いながらラーメンの用意をします。向かいのお店がラーメン屋さんだから、ラーメンや餃子は出していません。それでも、たまに、注文が入るので、用意だけはしています。
「それじゃ、あたしは、甘い卵焼きください」
「こっちは、豚汁のお代わり。それと、ご飯は、大盛りで」
「あたしは、どうしようかな・・・ そうだ、肉豆腐とかできる?」
「すみません、こっち、野菜スープください」
「ハイよ」
あちこちから声がかかり、店長は、うれしそうに調理を始めました。
すっかり空気がよくなって、私のことなど、みんな忘れたかのようでした。
私は、店長の指示に従って、丼を用意したり、ご飯をよそったり、卵を用意します。
泣いてなんていられない。私は、そっと着物の袖で涙を拭いて、顔を上げました。
その時、ふと見ると、真っ赤な顔をして立っていた父が、そっと座りました。
「店長、話は済んだぜ」
さっきの刑事さんが戻ってきました。
「デカちゃ~ン!」
アマビエさんが、刑事さんに飛んできました。
「こら、離れろ、アマビエ」
「ありがとう、デカちゃん」
「そのデカちゃんていうのは、やめろと言ってるだろ」
「おかげで、助かったわ」
「わかったから離れろ。飯が途中なんだぞ」
そう言って、元の席に座って、食事を再開します。
すっかり冷めてしまったので、私は、豚汁とご飯を温かいものに取り換えようとカウンターに行くと刑事さんが言いました。
「アンタ、勇気があるな」
「えっ?」
「なぁ、店長。さっきみたいな客は、まだいるのか?」
「前ほどじゃありませんがね。時たま、酔った勢いで来ることはありますね」
「そん時は、すぐに、俺に連絡しろ。すぐに飛んできてやる」
「いつも、ありがとうございます」
刑事さんと店長の会話を聞いて、この店は、たくさんのお客様で支えられていることがわかりました。
このお店にくるお客さんは、みんな素敵な人たちばかりです。妖怪とか人間とか関係なく、みんなが楽しく食事に来ます。化け猫さんや一つ目さんにも優しく接してくれて、アマビエさんやハンギョさんは、人気者です。店長とカッパさんは、そんなお客様や私たちのことを、いつも優しく見守っています。
「ところで、アンタ、ホントに人間なのかい?」
「えっ、えっと、その・・・」
私が口籠っていると、店長が言いました。
「見習いの妖怪で、ろくろ首なんです」
「そうかい。それじゃ、そういうことにしておこうか」
そう言って、刑事さんは、食べかけのご飯に豚汁をかけて食べ始めました。
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