第2話 従業員は、妖怪。
そんなわけで、私は、一夜にして、仕事と住むところが見つかりました。
従業員の皆さんを紹介します。このお店の店長で調理担当の、狼男さん。
洗い物担当が、カッパさん。小鉢を担当しているのが、とうふ小僧さん。
接客担当が、一つ目小僧さんと化け猫さん。レジと副店長が、半漁人さん。
事務と経理を担当しているのが、人魚のアマビエさん。
そして、オーナーで社長が、砂かけ婆さん。
私の担当は、盛り付けと狼男さんのお手伝いということになりました。
店長の狼男さんは、2メートルはあるかと思うくらい大きく、全身がグレーのフサフサした毛に覆われて目がギョロッと大きく、耳がピンと立って、全身も筋肉質で、大きくて太い尻尾が、とてもカッコよくて、いかにも強そうです。
口は、耳まで裂けて、牙がいくつも見えています。これで、噛みつかれたら、私などイチコロです。
どちらかというと無口で、口数が少なくて、目が鋭いだけに、その目で見られるとゾッとします。
でも、言葉が少ないながらも、的確なアドバイスで、私にとっては、頼れる上司というか、師匠という感じがしました。
洗い物全般というか、水仕事を一手に引き受けているのが、カッパさんです。
文字通り、全身緑色で、黒い斑点があって、背中には大きな甲羅を背負って、お腹が白くて大きく張り出してます。
もしかして、太り過ぎなのかも? 下半身は、半ズボンを履いて、そこから伸びる両足は短くてシンクには届かないので、縁台に乗っています。
もちろん、頭には、カッパのシンボルの白いお皿があります。
頭にお皿があるだけに、皿洗いが得意だそうです。両手、両足の指には、水かきが付いているのに器用に丼やお皿を洗わせたら、右に出る者はいません。
小鉢を担当している、とうふ小僧さんは、小さな男の子です。
私の腰くらいまでしか背がありません。ツンツンルテンの半纏を着て、頭に藁で出来た傘を被り、丸くてクリクリした目がチャームポイントで、とても可愛い。
いつも長くて真っ赤な舌を出して優しい笑顔が癒されます。
定食に付き物の小鉢は、当然冷ややっこで、おいしい豆腐を作る名人です。
他にも、お漬物も担当して、ぬか床でおいしいお新香を作っています。
いつもニコニコして、慣れない私を助けてくれました。
接客担当は、一つ目小僧さんと化け猫さんです。二人とも、とうふ小僧さんと同じくらいの身長で、とても可愛い。
一つ目さんは、短い着物を着て、頭が大きくて、ツルツル頭をしています。
顔一面に、大きな目が一つあります。口は、広角に上げて、お客様に対していつも笑顔でした。
可愛い男の子で、目力があって、いつも元気一杯なので、見ているだけで私も元気になりました。
同じく接客担当の、化け猫さんは可愛い女の子です。
赤いスカートに白いブラウス、長い髪をポニーテールにまとめて赤いリボンが似合いました。
化け猫だけに、目が大きくて吊り上がっています。口も耳まで裂けて小さな牙がいくつも見えます。それでも、お客様に対しては、いつも親切で、優しく笑っています。
気が利いて、常連のお客様には人気がある、お店のマスコット的存在です。
副店長で、レジと仕入れ担当が、半漁人さんです。いつも入り口近くのレジ前に座って、会計をしながら、店内に目を配らせていました。
そして、大事な仕入れも担当されて、謎の人脈があるらしく、そこから、安くていいものを食材として仕入れていました。
姿形は、全身が青みがかって海藻みたいなのが皮膚のように垂れています。
しかも、ヌルヌルしていて触るのに勇気がいります。目が小さいけど、迫力がありました。薄いピンク色の唇で、話し方がとても優しい。
もちろん、手足の指には、水かきが付いています。
お客様には、感謝の気持ちを忘れないその接客振りは、私も勉強になりました。
それに、副店長という、店長の狼男さんの、よき理解者で親友でもあります。
事務と経理を担当しているのが、人魚のアマビエさんです。
普段は、休憩室の隣の部屋に閉じこもって、パソコンを相手に、お金の計算や事務全般を仕事にしてます。なので、滅多に店内には顔を出しません。
口癖は『また、値上げなんて、聞いてないわよ』で、
いつも額に皴を寄せて、悩んでいました。上半身は、人間と同じですが、身長がとうふさんや一つ目さんたちよりも小さく手の平サイズくらい小さな金魚のような、
人魚さんです。下半身は、大きなピンク色の尾ひれがあります。
水の中はもちろん、尾ひれをパタパタさせながら、空中も泳ぐように移動します。
ピンク色の長い髪、パッチリした目、小さな鼻と口、上半身だけ見たら、美少女と言ってもいい。まさに、人魚中の人魚と言った姿でした。
しかも、アマビエさんは、半漁人さんと結婚していて、夫婦とのこと。
今度、結婚のなれそめとか聞いてみたい。
そして、この店のオーナーで社長の、砂かけのおばあさんです。
妖怪だけに、ホントの年がまったくわかりません。きっと、何千年、何万年とか生きているかもしれない。いつも白い着物を着て、白くて長い髪をなびかせていました。
お店には、滅多に顔を出さず、銀行や役所、商工会議所など、外回りが主な仕事でした。妖怪が、どうやってお店を経営していけるのか?
このお店は、どうやって作ったのか、その辺の話も聞いてみたい。
お店のことは、店長の狼男さんに任せて、自分は裏方として立ち振る舞わっていました。
そして、私は、店長の狼男さんのお手伝いとして、厨房に立ちます。
飲食店で働いたことがない私は、やることなすことが初めてのことで、右も左もわかりません。
店長には、怒られてばかりで、言われたことをやるのが精一杯でした。
また、ここに住むことになったとはいえ、ルームシェアということで、化け猫さんと同じ部屋でした。
アマビエさんと半漁人さんは、夫婦なので二人で一部屋を使っています。
一つ目さんととうふさんは、二人で一部屋。店長とカッパさんが、二人で一部屋を使ってます。なので、私は、化け猫さんと住むのは、ちょうどよかったらしい。
私たちの部屋は、二人でも、決して狭くはありません。むしろ、広い感じです。
窓際に机と私用のベッドだけで、家具もありません。
化け猫さんは、猫なので、寝るときは押入れの中で寝ています。
テレビとかパソコンとかはないので新鮮でした。
トイレとお風呂は共同だけど、お風呂は広くて温泉かけ流しでした。
どこから温泉を引いているのかは謎だけど、お風呂に入ると、一日の疲れが取れます。
開店時間は、夜の12時からなので、まだ開店前です。
「とにかく、今日から、ここで住み込みで働くことにしたから、文句があるやつは、いるか?」
砂かけさんの社長が全員を前にして言いました。
「大丈夫なの? 人間なんか雇って。他のみんなは、全員妖怪なのよ」
「それじゃ、お前が、厨房を手伝うか?」
「それは、イヤ」
「だったら、仕方なかろう」
人魚のアマビエさんが反対意見を言ったけど、すぐに社長に却下されました。
「それじゃ、自己紹介しなさい」
私は、そう言われて、慌てて立ちました。
「皆さん、初めまして。江戸川ルリ子と言います。これから、よろしくお願いします」
私は、そう言って、深く頭を下げました。
「こちらこそ、よろしくでゲロ。あっしは、カッパでゲロ」
「ハイ、カッパさん、よろしくお願いします」
私は、一人一人に挨拶をしました。
「お姉ちゃん、ぼくは、とうふ小僧だよ」
「とうふさん、よろしくお願いします」
とうふさんは、小さな手で私の手を優しく握ってくれました。
「あたいは、化け猫ニャ。これから、いっしょニャ」
「ハイ、よろしくお願いします」
化け猫さんは、私と同じ部屋なので心強いです。
「おいら、一つ目小僧。わかんないことあったら、何でも聞いてね」
「ハイ、一つ目さん、よろしくお願いします」
一つ目さんは、一つしかない大きな目で、優しく微笑んでくれました。
「ぼくは、半漁人だギョ。よろしくギョ」
「ハイ、半漁人さん、よろしくお願いします」
「ちょっと、ウチの亭主に色目使ったら、承知しないからね」
「ハ、ハイ」
「あたし、アマビエ。ハンギョと結婚してるから、邪魔しないでよ」
「ハ、ハイ。わかりました」
半漁人さんより、奥さんのアマビエさんのが強そうです。
「あの、店長さん、よろしくお願いします」
最後に、店長の狼男さんに挨拶しました。
「ちゃんと付いて来いよ。ビッシビシ、鍛えてやるから、覚悟しておけ」
「ハイ。よろしくお願いします」
「心配すんな。あー言ってるけど、根はやさしい奴じゃ。最初は、慣れてないから大変かもしれんがすぐに覚える。慣れれば、どうってことはない。しっかり頑張ってくれよ」
そう言って、優しく肩を叩く、社長の砂かけさんでした。
「それじゃ、もうすぐ時間じゃ。開店準備じゃ」
他の妖怪の従業員の皆さんは、それぞれ開店準備を始めます。
私は、何をしたらいいのかわからず、おろおろしていると、砂かけの社長が言いました。
「ルリ子、お前さんには、ちょっと話があるから、そこに座れ」
社長に言われて、私は、テーブルの前に正座して座ります。
「履歴書がないというのは、人間を雇う場合は、非常に困る。身分証は、あるか」
「ハイ、保険証ならあります」
「それと、お前さんの実家の家族構成と連絡先もな」
「わかりました」
「それから、これが、この店で働く条件じゃ。後で読んでおくように」
そう言って、一枚の紙片を渡されました。
「休みは、週に一度の日曜日が定休日となっている。その日は、自由にして構わん。営業時間は、夜中の12時から、朝の7時まで。昼夜逆転の生活になるが、大丈夫か?」
「ハイ」
それくらい、前の会社のことを思えば、どうってことはありません。
それに、昼夜逆転の生活も、自分を変える環境としては、申し分ない条件です。
「もちろん、有給もある。それと、お前さんの給料だが・・・」
そう言って、提示された金額を見て、私は、違う意味で驚きました。
その金額は、今まで私が働いていた時の二倍の金額だったのです。
「こんなに、いただいていいんですか?」
「お前、今まで、どんな会社で働いていたんだ?」
逆に聞かれて、私の方が困るほどでした。私は、前に働いていた会社のことを話すと、社長は、黙って聞いていましたが、最後にテーブルを強く拳で叩いたのです。
その音に、私は、ビックリして飛び上がりました。
「要するに、ブラック企業ということじゃな。お前さんのような若い娘を、安い給料でこき使うとは、けしからん。そりゃ、この店だって忙しい。お前のような若い娘には、大変かもしれん。しかも、人が寝ている夜中の仕事だ。だからと言って、安くこき使うことはせん。妖怪は、妖怪。人間は、人間として、きちんと働く限り、
それなりの給料は、払うから、安心しなさい」
「ありがとうございます」
私は、畳に頭を擦りつけて、精一杯のお礼を言いました。
「頭を上げろ。人間が、わしら妖怪に、いちいち頭を下げることはない」
「でも、砂かけさんは、社長で、私の雇い主だから・・・」
「もちろん、その立場は、忘れないでほしい。だからと言って、差別はする気はない。なんで、わしが、お前を採用したかわかるか?」
私は、首を横に振りました。その理由が、私には、わかりません。
知らないお店にたまたま入って、募集の広告を見て、いきなり応募したのはいいけど、住所不定無職のどこの馬の骨ともわからない人間を雇う理由なんて、今の私にはさっぱりわかりません。
「むろん、忙しくて、妖怪手が足りないのが理由だが、誰でもいいというわけではない」
砂かけさんは、静かな口調で語り始めました。
「わしが言ったことを覚えておるか?」
私は、考えてみたけど、何も思い出せません。
「それはな、お前さんは、妖怪を信じてないと言ったからじゃ」
「えっ?」
「人間は、妖怪なんて正直言って信じておらん。この世にいると思っている人間など、いないと言っていい」
「でも、このお店には・・・」
「そう。この店にいる従業員は、全員本物の妖怪じゃ。この店に来る客たちは、怖いもの見たさで来る者もいるだろう。妖怪が好きな者、妖怪を信じている者、もちろん、この店の食事が好きで来る者もいる。理由はどうあれ、そんな客たちに支えられて今日までやってこれている」
私は、意味がよくわからず、首を傾げると、社長は言いました。
「客たちは、好きでもいい。だがな、従業員まで好きになられては、仕事に差し支えがあるんじゃ」
私は、その時、あっと思いました。私は、正直言って、まだ、このお店の従業員の皆さんたちが妖怪だとは、信じていません。妖怪がこの世にいるとか、この目で見えるなんて、信じられません。
「お前さんが、妖怪を好きになったり、信じるようになったとき、妖怪と人間を差別するようになった時、その時は、辞めてもらうから、そのつもりでな」
それはそれで、厳しい条件かもしれない。でも、今の私は、社長の一言が胸に刺さりました。
「わかりました。妖怪を好きになったり、信じたりしません」
「お前さんとは、縁があったということだな。それと、この店に住むことの条件がある」
私は、ゴクリと唾を飲んで、社長の一言を待ちました。
でも、その条件というのが、私には、夢のような話でした。
それは、家賃がないということでした。私は、その話を聞いて、思わず聞き返してしまいました。
「この家は、お前の居場所だ。お前さんの家でもある。そんなお前さんから、家賃を取る気はない」
「でも・・・」
この家は、三階建ての建物です。一階がお店と倉庫。二階が住居で、三階が洗面所と洗濯機があります。そして、あっと驚く、温泉が地下一階にあるのです。
「その代わり、お前さんには、部屋の掃除をしてもらう。トイレと風呂は、各自交代でやっているが、横着もんが多くて、いくら口を酸っぱくして言っても、ちっとも部屋を掃除せんで困っておるんじゃ。飲食店が、ゴミ屋敷になっては、シャレにならんのでな。人間なら、掃除もできるじゃろ」
「ハイ、掃除は得意です。やらせてください。何なら、トイレもお風呂も私が掃除します」
「いいんじゃ。トイレと風呂は、みんなも使うから、お前さん一人でやることはない。この休憩室とか、階段とか、やつらの部屋とか、掃除してもらえればいい」
「ハイ、しっかりやります」
「営業中は、厨房で忙しいと思うが、時間を見つけて、昼間の時間に少しずつやってくれればいい」
「ハイ」
「それと、今夜の営業が終わったら、明日の営業までに就労条件の紙と履歴書を書いて、アマビエに渡しておいてくれ。後は、アマビエが処理してくれる。人間を雇うのは、大変なんじゃよ」
そう言って、社長は、盛大な溜息をつきました。
「飯は、狼男が賄いで作ってくれるから、心配せんでいい。他に、聞いておきたいことはあるか?」
「いえ、今は、特にありません」
「わからないことがあれば、追々誰かに聞くがいい。話は、以上じゃ。それじゃ、今から、働いてもらうが、その格好では、困るな」
社長は、そう言って、考え込みました。
「今、着ている服を脱げ」
「えっ?」
「そんなもん来て厨房に立たれては、店のコンセプトが崩れる。アマビエ、ちょっと手伝え」
砂かけの社長が言うと、隣の部屋から人魚のアマビエさんが宙を泳いでやってきました。
「着付けするから、着物を持ってこい」
「ハ~イ」
すると、アマビエさんが出してきたのは、花柄の着物でした。
「これを着るんですか?」
「そうよ。アンタも妖怪になるんだから、着物を着るのよ」
「妖怪って・・・」
私は、訳がわからず、首を傾げます。
「話は、後。いいから、さっさとそれを脱いで。アマビエ、襦袢を出せ」
アマビエさんは、せっかちな性格なのか、とにかく動きが早い。
私は、ジャージを脱いで下着姿になると、砂かけさんが白くて長い襦袢を羽織らせます。
「着物って、着たことないの?」
「子供の頃に、お祭りの時の浴衣くらいしか着たことなくて・・・」
「それじゃ、一人で着られるように、着付けを覚えなさいよ」
「ハイ」
私は、言われるままに、襦袢を着ます。それからは、アマビエさんの言われるままに、着付けていきました。
鏡を見ながら、襦袢の前を合わせて、裾の長さを調整します。社長に腰紐を結んでもらって、襟を合わせました。
その上から、花柄の着物に袖を通しました。前を合わせて、裾を調整して、腰ひもで縛ります。
「帯は、どれにする?」
「その赤いのでいいじゃろ」
砂かけさんが選んだのは、真っ赤な帯でした。
それをアマビエさんに締めてもらいながら、鏡で腰の位置を調整します。
「こうして、蝶結びにするのよ。覚えてね」
「ハ、ハイ」
アマビエさんは、尾ヒレをヒラヒラさせて、空中を泳ぎながら、帯を結んでくれました。
「こんなもんでしょ。ハイ、出来上がり。やってみれば、簡単でしょ」
そう言われて鏡を見ると、着物姿の自分が映っていて、まるで別人に見えました。
「なんだか、自分じゃないみたいだわ」
「馬子にも衣裳よ」
アマビエさんは、相変わらず褒めてくれません。それでも、私は、うれしくなりました。早く自分で着付けができるように練習しようと決めました。
「それから、これやって。仕事中は、袖が邪魔でしょ」
今度は、腰ひもでたすき掛けにして、袖を捲りました。
「それと、髪を結んだ方がいいな」
そう言われて、社長に、髪を一つにまとめて、簪でお団子にしました。
「う~ン、まだ、なんか足りないわね」
アマビエさんは、鏡に映る私の顔を見て、考え込みます。
尾ヒレをパタパタさせながら、空中を行ったり来たりしています。
「アンタ、いくつだっけ?」
「えっと、今年で、24歳です」
「それにしては、童顔よね。若すぎるわ」
それは、私も気にしていました。年の割には、幼く見られることが多くて、大人になったのにときどき子供に見られるので、年相応になりたいと思っていました。
「アンタ、化粧って、したことある?」
「それが、実は、余りなくて・・・」
会社に行っていた時は、朝も忙しくて、まともにメイクなどしたことがありません。せいぜい、リップを塗るくらいで、ほとんどスッピンの状態でした。
大人の女なのに、化粧をすることもないので、言われてみると恥ずかしくなりました。
「アマビエ、お前のメイク道具を貸してやれ」
すると、小さなポシェットを持ってくると、その中からいろいろとメイク道具を出してきました。
「大人の女なんだから、化粧くらいしなさいよね。人間なんだから、それくらいしなきゃ、モテないわよ」
アマビエさんの一言が、胸に刺さります。でも、当たっているだけに何も言えません。それにしても、アマビエさんは、いつもきれいだけど、妖怪なのに、お化粧をするのかしら?
そんなことを考えているうちに、アマビエさんは、私の顔にメイクをしていきました。ファンデーションを塗って、アイシャドウをつけて、頬にチークをぬってもらいます。口紅は、薄いピンク色にしました。耳にも、ワンポイントのイヤリングをつけてもらいました。
「肌が若いから、薄めのが映えるわね。どうかしら?」
鏡に映った自分の顔は、明らかに大人の女性に見えました。
「これが、私なの? 信じられない」
「そんなもんじゃろ。いくらか大人の女に見えるな」
「メイクも簡単だから、これからは、自分でやりなさいよ。それが、女のエチケットだからね」
「アマビエさん、社長さん、ありがとうございました」
私は、そう言って、何度もお礼を言いました。
「いい、よく聞きなさいよ。ここは、妖怪食堂だから、従業員は、全員妖怪なの。でも、アンタは、人間。だから、アンタは、ろくろ首になったつもりで、働きなさい」
「ろくろ首ですか・・・ でも、私は、首が伸びたりしませんけど」
「当り前でしょ。アンタは、人間なんだから。ろくろ首になりきればいいのよ。誰も、アンタに首が伸びることなんて期待してないから、心配しなくていいのよ。妖怪食堂なのに、人間がいたら、幻滅するでしょ」
言われてみれば、納得します。確かに、この店に人間がいたら、お客さんもガッカリする。でも、やっぱり、私は人間だから、首は伸びません。
誤魔化すしかないのかもしれません。
「これで、完成よ。よく覚えておきなさいね。それと、その下駄を履きなさい」
「わかりました」
「それじゃ、仕事に戻るわよ」
私は、事務仕事をするアマビエさんを残して、社長と店内に戻りました。
「遅くなりました」
私は、慣れない下駄を履きました。可愛い小さな下駄です。
厨房だから、長靴とか履くのかと思ったけど、まさか、下駄とは思いませんでした。
「みんな、ルリ子だ。しっかり仕事を教えてやれ」
店内に行くと、みんながこっちを向きました。
「うわぁ、お姉ちゃん、きれい」
「ルリ子さん、きれいになったゲロ」
「ありがとうございます。あの、店長さん、これで、どうですか?」
私は、少し顔を赤く染めながら店長に向き直りました。
「いいんじゃないか」
店長は、私に一瞥しただけで、すぐに仕込みに戻ってしまいました。
少しガッカリしたけど、それが、店長なんだと思って気持ちを切り替えました。
「それじゃ、仕事を教えるから、厳しいけど、ちゃんと付いて来いよ」
「ハイ、がんばります」
「ルリ子の仕事は、俺が合図をしたら、飯と豚汁をよそって、カウンターにあるトレーに乗せる」
「ハイ、わかりました」
私は、自分に気合を入れて、元気に返事をしました。
「いらっしゃいませ。ようこそ、妖怪食堂へ」
私は、元気に大きな声で、入ってきたお客様に声をかけました。
「アレ? 新人さん・・・」
「今日から入った、パートさんニャ」
「すっごい美人じゃん。人間みたいだけど・・・」
「違うニャ。ろくろ首ニャ」
「えっ! ろくろ首って、あの、首が伸びる妖怪?」
「そうニャ。でも、見習いだから、まだ、首は伸びないニャ」
「そういうもんなの・・・」
お客様と化け猫さんの会話を聞きながら、私は、笑うだけでした。
内心、人間であることがバレるかと思うとひやひやです。
「今夜のご注文は、どうするニャ?」
「そうだな・・・ 店長、トンカツ定食ってできる?」
「ハイよ」
メニューにない食事を頼むんだ・・・
それなのに、簡単に作ってしまう店長って、すごい。
「ルリ子、ボーっとしてんじゃない。揚げ物の注文が入ったら、そのトレーをカウンターに置いて、キャベツを盛って、ここに置いておけ。合図をしたら、飯と豚汁をよそうんだ」
「ハイ、わかりました」
メニューにないものを用意するとなると、準備が大変です。
まして、今日が初日の私にとっては、右も左もわかりません。店長の言うことを聞いて動くしかありません。
「お姉ちゃん、冷蔵庫にお新香の小皿があるから、それも用意するんだよ」
「わかりました」
とうふさんに言われて、私は、冷蔵庫を開けます。すると、そこには、小皿にきれいに盛られたお新香がたくさん用意してありました。
その一つを取って、お盆に乗せます。
すると、とうふさんは、小鉢に入った冷ややっこも同時に用意しました。
「これで、いいんだよ。今夜は、初日だから、全体の動きを見ていればいいよ」
「ハイ」
今の私は、言われたことをやるだけで精一杯です。
「トンカツ揚がるぞ。ルリ子、飯と豚汁の用意」
「ハイ」
私は、急いで丼にご飯を盛って、豚汁をお椀によそい、お盆に乗せます。
同じタイミングで、トンカツが盛られたお皿をお盆に乗せました。
すると、化け猫さんがそれを持って、お客様に持って行きます。
厨房の店長と接客係の化け猫さんたちの動きには、まったく無駄がありません。
阿吽の呼吸というのか、抜群のチームワークで、見ていて感心するばかりでした。
「今みたいな感じを忘れるな」
「ハイ」
店長に言われて、私は、緊張感がみなぎりました。
「そろそろお客さんが来るから、忙しくなるゲロ」
洗い物の準備をしているカッパさんが言いました。
私は、この期に及んでも、まだ、信じられませんでした。
こんな夜中に食事をしに来る人がいるなんて、この目で見ても、まだ、信じられません。夜中にガッツリ食事をしたら、太ってしまう。特に女性は、ダイエットを気にします。それなのに、みんな、たくさん食べているのを見ると、ちょっと心配になりました。
それに、こんなに遅い時間に食事をする人たちって、どんな仕事をしているのかも気になります。会社員なら、こんなに遅くまで仕事はしないし、若い女性がこんな遅くまで働くとは思えません。
風俗で働いているようにも見えないし、近くに大きな会社があるわけでもない。
飲んだ帰りで、酔っぱらってくる人もいません。それに、このお店には、アルコールは置いていません。
酔ったお客さんが来ると、レジ前で目を光らせている、半漁人さんが追い返すことになっていました。
そんなことを考えていると、終電が終わったころになって、続々とお客様がやってきました。
「こんばんわ、いらっしゃいませ」
「一日、お疲れさまニャ」
「いらっしゃいませ、ようこそ、妖怪食堂へ」
接客担当の化け猫さんと一つ目さんに負けないように、私もお客様には、明るく声をかけました。
「こんばんわ、化け猫ちゃん。焼き魚ってある?」
「店長、魚って焼けるかニャ?」
「アジの開きとホッケならあるけど」
「それじゃ、ホッケでお願い」
「俺は、生姜焼き定食で」
「ハイよ」
お客様は、化け猫さんに案内されて、テーブル席に着きます。
このお店は、カウンターが8席と四人掛けのテーブル席が3席あります。
余り大きくない店内ですが、それが、ちょうどいい感じです。
でも、一つ一つが、ゆとりを持って食事ができるくらいの広さなので、ゆっくり食事ができます。
私は、カウンターにお盆を二つ並べて、お皿に生姜焼きに添えるキャベツを盛り付けます。
「ホッケは、隣の細長い皿だ。冷蔵庫に大根おろしがあるから、一つまみ乗せろ。レモンのスライスもな」
私は、店長さんに言われたことをやるしかありません。
「いらっしゃいませニャ」
「こんばんわ、お疲れ様」
化け猫さんと一つ目さんの声を聞いて、前を向くと、入り口から次々とお客様が入ってきました。
カウンターやテーブル席に案内されて、あっという間に、満席になりました。
目が回るような忙しさでした。ご飯と豚汁をよそうだけで精一杯です。
その他にも、お客様の言ったメニューを作るので、私は、店長の指示に従って、
お皿を用意したり、添え物を準備したりと、厨房の中を右往左往するばかりでした。
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