妖怪食堂に就職しました。
山本田口
第1話 妖怪たちとの出会い。
私の名前は、江戸川ルリ子。今年で24歳になりました。
広告代理店の下請けの下請けの小さな会社に勤めて、今年で二年になりました。
ところが、いきなり倒産したのです。早い話が、資金繰りが滞って、会社を閉鎖ということで何の説明もなく、社長がお金を持って逃げてしまったのです。
おかげで、無職になってしまいました。
また、上京して、初めて住んだアパートも、老朽化を理由に取り壊すことになり、
強制的に退去ということで、住むところもなくなってしまったのです。
仕事もなければ、寝るところもない。まさか、この年で、住所不定無職になるとは思いませんでした。
東京に憧れて、地元の三流大学をやっとの思いで卒業して、親の反対を押し切って、東京に出てきたのに二年でこの有様です。こんなことになるとは思わなかった。
だからと言って、親に言ったら、田舎に連れ戻されるに決まってる。
私の実家は、地方の山の奥のそのまた奥の、ポツンと一軒家のようなド田舎です。
こんなところで一生を終わらせたくなくて、片道三時間かけて、死ぬ思いで勉強して大学に進学しました。
そして、何十、何百という、会社面接を受けて、やっと採用されたのが、
広告代理店の下請けの下請けでした。仕事は、厳しく、休みもなく、毎日が忙しくて
ウチに帰っても、寝るだけで、満足に食事もしたことはありません。
給料も安くて、家賃と光熱費を払ったら、残るのは微々たるものなので、自炊が当たり前です。
でも、帰宅しても、疲れて自炊などする気も起きず、毎日、コンビニ弁当かカップラーメンしか食べていません。
それでも、田舎育ちで体だけは丈夫な私は、風邪一つひくことなく、元気だけが取り柄でした。
しかし、いきなり住所不定無職になったことで、さすがの私も落ち込んでしまいました。どこかでバイトでもしなきゃと、手当たり次第に面接に行っても、住所がないので採用されません。
当たり前です。こんな人間など、雇う会社など、あるわけがありません。
アパートを追い出されてから、着替えだけを詰めた、小さなバッグを片手に、ネットカフェで寝泊まりするようになりました。
でも、お金も底をついてきて、ネットカフェにも泊まれません。
貧乏のどん底に落ちたような気がして、何も見えなくなりました。
とはいえ、どこに行く当てもないので、やっぱり、ネットカフェに行くしかなく、
小さな個室で、パソコンを見ながらバイト先を探していました。
時計を見ると、夜中の12時を過ぎていました。横になっても、眠れないし、お腹も空いてきたのでカウンターで軽食を食べようと思い立ちました。
ところが、行ってみれば、カップラーメンかスナック類しかなく、食欲もわかないので、駅前のコンビニで、お弁当でも買いに行こうと思って外に出ました。
夜中だけに、閑散として、すでに終電も行ってしまったらしく、人も歩いていません。居酒屋も閉店していて、シャッターを閉めた商店街の中を、コンビニを探して歩いていました。
少し歩くと、商店街の路地の方に、明るい光が目に入りました。
この時間に、まだ空いているお店があるのかしら? 私は、その光に吸い寄せられるように、足が勝手にそっちの方に歩いて行きました。
近づくにつれ、おいしそうなニオイが鼻を突きました。何かのお店屋さんかしら?
私は、そう思いながらそのお店の前に立つと、真っ赤な大きな提灯が目に入りました。そこには、丸の中に『妖』という字が書いてありました。
なんのお店かわからず、上を見ると暖簾に『妖怪食堂』と書いてありました。
おいしそうなニオイは、そこから漂っていたのです。
私は、小窓から覗いてみると、中には、この時間なのに、たくさんのお客さんがいて、おいしそうな食事をしていました。
しばらく覗いていると、小窓から小さな女の子と目が合いました。
その女の子は、ニッコリ笑うと、何か言っています。しかし、窓の外にいる私には、聞こえません。
すると、目の前のお店のドアが開いて、若い女性が二人出てきました。
「おいしかったねぇ。どう、元気出た?」
「出た出た。明日から、がんばれる」
「このお店に来ると、元気がもらえるから、不思議よね」
そんな会話が聞こえました。二人の女性は、そんな話をしながら横を通り過ぎました。元気がもらえるなら欲しい。今の私に足りないものは、元気なのだ。
でも、このお店は、どんなお店なんだろう? 元気がもらえるお店なんて、いかにも怪しすぎる。
だけど、さっきの女性たちを思い出すと、決して怪しいお店には感じない。
「中、一杯? 並んでるの?」
いきなり、後ろから話しかけられて振り向くと、そこにはスーツ姿のサラリーマンらしい男性が立っていました。
「い、いえ、別に・・・」
「そう。それじゃ、先に入るよ」
そう言って、サラリーマンは、お店のドアを開けて中に入っていきました。
ドアが開くと、その隙間から、おいしそうなニオイが更に私の鼻を突きました。
その時、私のお腹が、ぐうぅ~と、大きくなりました。そう言えば、昨日から何も食べてないことに気が付きました。
「ここは、何のお店なんだろう?」
すると、小さな窓が開いて、さっきの可愛い女の子が言いました。
「いらっしゃいニャ」
「えっ、イヤ、あの・・・」
「お腹が空いてるんでしょ。安くておいしいご飯がたべられるニャ」
そう言って、手招きしました。それは、まるで、招き猫のようで、私は、それに誘われるようにドアを開けて中に入っていきました。
「ウソ! なに、ここ・・・」
私の目に飛び込んできたのは、不思議な空間でした。
そこは、いたって普通の定食屋という感じで、テーブル席やカウンターには、老若男女問わず、満員のお客さんで満席の状態でした。ワイワイ、ガヤガヤ、こんな夜中なのに、みんな楽しそうに、そして、おいしそうに食事をしていました。
でも、普通の定食屋とは、違うところが一つだけありました。
働いている店員さんが、全員、人間じゃなかったのです。これが、妖怪食堂との初めての出会いでした。まさか、その後、ここで働くことになるとは、この時は、夢にも思っていませんでした。
「いらっしゃいませニャ」
声をかけてきたのは、店員さんです。見ると、小学生くらいの小さな可愛い女の子でした。
赤いスカートに白いブラウスに、可愛らしいエプロンをして、きれいな黒髪を後ろに縛って、赤いリボンが見えます。
でも、顔を見たら、可愛いけど、ちょっと怖い。目が鋭く、笑っているけど、なんか怖い。口が耳まで裂けて鋭くとがった牙が見えます。
「なに、この子・・・」
私は、女の子を見下ろしながら呟きます。
「お一人様二ャ?」
「ハ、ハイ・・・」
「それじゃ、カウンターにどうぞニャ」
そう言われて、導かれるように、空いているカウンターの席に座りました。
両隣は、スーツ姿のサラリーマン風の男性と中年のスーツ姿の女性です。
二人とも、おいしそうに食事をしながらカウンターの向こうの厨房にいる人と話をしていました。
顔をあげて前を見ると、厨房で鍋を振るっているのは、2メートルはあるかと思う、大きな狼でした。
「えっ!」
思わず声が出てしまいました。だって、目の前にいるのは、目が大きく、口が裂け、大きな牙を見せ、全身灰色の毛に覆われている、狼なのです。なのに、頭には、白いコック帽をかぶり、エプロンをして、肉球の付いた手で、大きな鍋を振るっているではないか。私は、余りのことに、固まってしまいました。
「アンタ、この店は、初めて?」
すると、突然、隣に座って食べている、サラリーマンから話しかけられました。
「ハ、ハイ」
「ここは、安くて、何でもうまいよ。食べたいものを何でも作ってくれるんだ」
笑顔で話しかけられた私は、返事もできません。
「ハイ、お水どうぞニャ。ご注文は、なににするニャ?」
さっきの女の子に話しかけられて、おろおろする私に、隣の中年の女性が、壁を指さしました。
そこには、たった一つだけ『豚汁定食・700円』とだけ書いてありました。
「えっ? なにここ・・・」
私の心の声が出てしまいました。
すると、目の前で、鍋を振るっている、大きな狼が言いました。
「ウチの名物は、豚汁定食だけど、出来るものなら、何でも作るから、食べたいものを言ってくれ」
私は、目を疑いました。狼がしゃべっている。それに、料理を作っている。
信じられない・・・
「注文が決まったら、声をかけてニャ」
さっきの女の子が、飛びっきりの笑顔で言いました。でも、口から牙がきらりと光っています。
豚汁定食は、私も好きだ。でも、周りを見ると、みんないろいろなものを食べていました。
焼肉定食を食べている若い男性。オムライスを食べている若い女性。ハンバーグを食べている女性二人組。
その他にも、各自、いろんな食事をしていました。しかも、老若男女関係なく、こんな夜中なのに大勢の人で賑わっています。
「すごい・・・ このお店って、何屋さんなの?」
「妖怪がやってる食堂に決まってんだろ。さっさと、注文しろ」
厨房で料理を作っている、狼からギロリと睨まれました。
「妖怪? 食堂って・・・」
「お前には、目がないのか? 見りゃわかんだろ」
料理を作っている狼から言われて、周りを見渡しました。
客席では、会社帰りのサラリーマン、カップルらしい若い男女、みんながみんな、笑顔でおいしそうに食事をしていました。
私は、訳が分からなくなって、頭がパニック状態でした。
「ご注文は、決まったニャ?」
さっきの女の子がやってきました。
「あ、あの、その、え~と・・・」
私は、口籠っていると、隣のサラリーマンが言いました。
「初めてなら、豚汁定食がお薦めだよ」
「そうなんですか。それじゃ、豚汁定食でお願いします」
「ハイニャ。豚汁定食一丁ニャ」
「ハイよ」
女の子の声に、目の前の狼が復唱しました。
このお店は、いったいどうなっているのか? 妖怪がやっている食堂なのに、どうしてここにいるお客さんたちは普通に食事をしているの?
目の前には、狼がいるのに、何で驚かないの?
普通なら、ビックリして、腰を抜かすでしょ。しかも、妖怪が目の前にいる。
そして、日本語を話している。
これは、夢だ。夢を見ているとしか思えない。だって、妖怪が、商売をしているなんて、信じられない。
私は、そう思いながら、目の前のコップに注がれた氷が入っている水を一口飲みました。
「おいしい・・・ なに、この水?」
「井戸から汲み上げたんだから、うまいに決まってんだろが」
狼が言いました。
「そうよ。この水は、水道水とか、コンビニで売ってる水とは、比べ物にならないのよ」
中年の女性は、そう言って、席を立ちました。
「ご馳走様、お会計して。店長さん、おいしかったわ」
「毎度、ありがとうございました」
そう言って、女性は、レジに向かいます。私は、その女性を目で追っていると、入り口のドアのところでレジをしている生物に信じられないものを見ました。
「毎度、ありがとうギョ。から揚げ定食、800円になるギョ」
「それじゃ、千円で」
「200円のお返しだギョ」
「ご馳走様」
「ありがとうギョ。お気をつけて・・・」
そういうのは、全身が黒光りして、体中がヌメヌメさせて、目が小さいながらも輝いて、ピンク色の薄い唇、両手に水かきが付いている、不思議な生き物でした。
「な、な、何ですか、あの人は?」
「半漁人だよ」
「半漁人?」
隣のサラリーマンに言われて、驚きの余り、椅子から転げ落ちそうになりました。
半漁人て、あの、海に住んでいる、バケモノか妖怪か、恐ろしい生き物です。
もちろん、そんな生物がいるわけがありません。それは、架空の生物で、人が考えたものです。
この世にいるはずがない。現実にありえない。子供の頃にアニメやマンガで見たまんまの、半漁人がそこにいます。
私は、頭がどうかしてしまったのかと思いました。
「お待たせしましたニャ」
そこに、トレーに定食を乗せた女の子がやってきました。
「豚汁定食二ャ。おいしいニャ」
「あ、ありがとう」
「ごゆっくりどうぞニャ」
そう言って、ニッコリ笑う女の子の口元からは、やっぱり牙が見えます。
私は、湯気が立っている出来立ての定食を見ても、まだ、信じられない思いでした。
「冷めねぇうちに、さっさと食いな。腹、減ってんだろ。メシのお代わりもできるぜ」
狼が言いました。私は、気を取り直して、割り箸を手にして、バキッと割って、まずは、ご飯を一口食べました。
「おいしい・・・」
思わず口に出ました。こんなにおいしいご飯は、東京に来てから、食べたことがありませんでした。
甘くて、ホックりして、一粒一粒が柔らかくもなく、硬くもなく、これが白米の
ホントの味なのかと感動すらしてしまいました。
そして、豚汁を一口飲みました。
「おいしいです」
「当り前だろ。俺が作ってんだから、うまいに決まってる」
誰に言ったわけでもないのに、狼が言いました。
出汁がきいて、しょっぱくもなく、具だくさんの豚汁でした。
ダイコンやニンジン、ゴボウにお豆腐、豚肉もちゃんと入っていて、これだけでオカズになります。
豚汁なんて、たべたのは、いつ以来だろう・・・
インスタント味噌汁すら、作らなくなった自分は、味噌汁の味を忘れていました。
「おいしいです。こんなにおいしい、ご飯は、食べたことがありません」
これは、素直な気持ちでした。その後は、何もかも忘れて、夢中で食べました。
箸が止まらず、すごい勢いでした。
箸休めの小鉢は、冷ややっこでした。醤油をちょっと垂らしただけでも、ちゃんと大豆の味がして、美味しいお豆腐でした。お新香も、ぬか漬けらしく、歯ごたえがあって、白菜とキュウリを噛む音が楽しい。
「お姉ちゃん、ハイ」
突然、話しかけられて、ビックリしてみたら、そこには、小さな男の子がいました。白い着物を着て、頭に藁で出来た傘を被り、クリクリの大きな二つの目に、真っ赤な舌をベロンと出してニコニコしています。その子が、私にティッシュを差し出しました。
「お姉ちゃん、何で、泣いてるの?」
「えっ?」
なぜかわからないけど、私は、泣いていました。自分でもわからないほど、目から涙が溢れていました。
「あ、ありがとう」
私は、差し出したティッシュを取って、涙を拭きます。でも、涙が止まりません。
私は、なんで泣いているんだろう?
どうして泣いてるのか、自分でもわかりません。
「泣くほど、うまかったか」
狼が言いました。
「その豆腐、うまいだろ。おいらが作ったんだよ」
「き、キミが・・・ お豆腐を?」
「うん。だって、おいらは、豆腐しか作れないから」
そう言うと、ペコリと頭を下げると、奥に行ってしまいました。
私は、不思議な男の子を目で追っていました。
「ご飯のお代わりは、どうするゲロ?」
その声に振り向くと、狼の隣にいる、不思議な生き物でした。
全身が緑色で、頭にお皿を乗せて、黄色いクチバシ、水かきの付いた手、もしかしなくても、それって、カッパでしょ。
「ご飯は、お代わり自由でゲスよ。食べなきゃ、損でゲロ」
「ありがとうございます」
私は、言われるままに、すっかり空になったお茶碗を差し出しました。
緑色で、水かきが付いた手でお茶碗を受け取ると、ご飯をよそって差し出します。
「いただきます」
私は、そう言って、ご飯を食べました。ご飯をお代わりした記憶は、大人になってからありません。
食費を削って食事をしていたし、自炊と言っても、お米を研いで、ご飯を炊くなんて、上京してから数回しかない。もともと、小食の私が、ご飯をお代わりするなんて、自分でも信じられません。
お腹が空いていた私は、あっという間に定食をきれいに平らげました。
「おいしかったです。ご馳走様でした」
私は、狼に向かって言っていました。
「ありがとよ」
ぶっきらぼうに言う狼も、大きな口から牙を覗かせながら、少し笑っていました。
すると、スタッフルームらしい部屋の奥から、白い着物を着た、白くて長い髪を揺らしながら、おばあさんが出てきました。
「半漁人、これは、レジ横に貼らせてもらうぞ」
「おばば、ホントに、人間を雇うつもりギョ?」
「仕方なかろう。妖怪手が足らんのじゃ。お前らみたいに、人間界で働きたいという、妖怪がおらんのじゃから人を雇うしかないだろ」
そんな会話が聞こえてきました。見ると、レジ横の壁に、パート募集という張り紙が見えました。
それを見た瞬間、私の頭に何かが閃きました。
そして、考えるより先に、こう言っていました。
「私、パートに応募します。お願いします。私を雇ってください」
私は、立ち上がって、そのおばあさんに向かって、大きな声で言って、頭を大袈裟に下げていました。
その後、私は、そのおばあさんに言われて、店内の奥にある、店員の休憩室みたいな部屋に通されました。
まだ、営業中だから、少し待っていてくれと言われて、一人で待つことになりました。
その部屋は、畳敷きの和室で、八畳くらいある広い部屋です。
そこには、テーブル一つあるだけで、一人ポツンと座っているだけでした。
家具もテレビも何もありません。周りを見渡しても、殺風景な部屋で、私の部屋みたいでした。
しばらくすると、ドアが開いて、おばあさんが部屋に入ってきました。
私の前に、お茶を一つ置いて、テーブルを挟んで座りました。
「初めまして、江戸川ルリ子と言います。よろしくお願いします」
まずは、自己紹介をして、丁寧にお辞儀をしました。
おばあさんは、そんな私を見ながら、表情を変えずに言いました。
「さて、お前さん、ホントにここで働きたいのか?」
「ハ、ハイ。私、バイト先を探していて・・・」
おばあさんは、私をじっと見てから、言いました。
「ここが、どんなところか、わかってるのかね?」
「・・・」
私は、返事ができませんでした。妖怪食堂という名前で、妖怪が営む食堂という、
ウソかホントかわからない不思議なお店ということしかわかりません。
「お前さん、妖怪とかバケモノとかお化けとか、信じるかね?」
いきなりそんなことを言われても、私は、なんて言っていいかわかりません。
「信じるか、信じないか、どっちだね?」
「信じていません」
「わかった。それじゃ、採用」
「えっ!」
「聞こえなかったのか? 採用と言ったんじゃ」
「ホントですか?」
「わしは、ウソは付かん。妖怪に二言はない」
なぜか、採用と言われても、うれしいという気持ちと、いまだにここが、どんなお店なのかもわからず、不安もあって、心から喜ぶことができませんでした。
「それじゃ、説明するから、よく聞きなさい」
そう言って、おばあさんは、話を始めました。
「ここは、妖怪食堂。妖怪が働く食堂じゃ。ちなみに、わしが、この店のオーナーで社長の、砂かけじゃ」
「砂かけ?」
「人は、わしのことを、砂かけ婆というがね」
砂かけ婆というのは、聞いたことがある。マンガやアニメなどに出てくる妖怪の一人だ。私の頭の中には、そんなマンガなどで見た砂かけ婆の姿を思い浮かべる。
確かに、私がイメージした、砂かけ婆に似ている。白い着物、白くて長い髪、しわくちゃの顔、明らかに老人なのに、話し方はしっかりしている。でも、そんな妖怪が、お店の社長だなんて信じられない。
「お前さんが信じるも信じないも、それは自由じゃ。でも、ここの従業員は、全員妖怪なのも事実」
私は、なんて返事をしたらいいのかわからず、黙るしかありませんでした。
「それで、お前さんは、どうする? 仕事を探しているなら、ここで仕事をするのもよし。やっぱり、辞めるのもよし。それは、お前さん次第じゃ」
そう言われたら、私の返事は、一つしかありません。
「いえ、ここで、働かせてください」
私は、テーブルに手をついて、頭を下げました。
今の私に選択肢はありません。この際、妖怪がやっているお店だろうが、採用してくれるなら、どこでもいい。
妖怪だろうが、オバケだろうが、関係ない。ここがダメなら、風俗でも行くしか道は残されてないからだ。
「わかった。それじゃ、明日から、来てもらおうか。ちなみに、この店は、別名、深夜食堂とも呼ばれていて、営業時間は、夜中の12時から朝の7時くらいまでじゃ。
夜の仕事になるが、大丈夫か?」
「ハイ、大丈夫です」
この際、深夜だろうが、早朝だろうが、時間だけはたくさんあるので、働けるなら、それでいい。
「それじゃ、明日でいいから、履歴書を持ってきてくれ。人間を雇うのは、いろいろと手続きが必要でな。詳しいことは、明日、来てから説明するから、今日は、これにお前さんの名前と連絡先だけ書いて、帰ってよいぞ」
そう言って、メモ用紙とペンを置きました。
私は、ペンを持って、メモに自分の名前を書きます。でも、そこで、ペンが止まりました。
これ以上のことは書けないのです。なぜなら、今の私は、住所がないからです。
「どうした?」
「あの・・・ 私、実は、住むところがないんです」
そう言って、事情を話しました。黙って聞いていたおばあさん・・・
いえ、砂かけの社長は、最後まで聞くと、小さくため息をついて、考え込んでしまいました。
「やっぱり、ダメですよね。住所がないなんて、無理ですよね。そんな人間は、信用できないですからね。失礼しました」
私は、そう言って立ち上がり、部屋を出て行こうとしました。
ドアを開けると、そこに、従業員の妖怪たちがズラッと並んでいました。
「こらっ、何だお前ら。まだ、仕事中じゃろ。立ち聞きなんて、恥ずかしい真似をするんじゃない」
砂かけの社長が一喝すると、そこにいた従業員たちが、慌てて散っていきました。
「失礼しました」
私は、もう一度、砂かけの社長にお辞儀をして、出て行こうとすると、社長が言いました。
「待て。どこに行くんじゃ?」
「どこって、ネットカフェに・・・」
今の私の寝るところは、ネットカフェです。すると、もう一つ隣の部屋から、不思議な生き物がやってきました。
「住むところがなければ、ここに住めばいいでしょ」
「えっ?」
顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、宙に漂っている、小さな可愛い女の子でした。
「人間の世界には、困ったときは、お互い様って言う言葉があるでしょ。寝るところがなければ、ここで寝ればいいでしょ」
「で、でも・・・」
「アンタ、ここで、働きたいって言ったでしょ。それは、ウソだったの?」
「ウソじゃありません。でも、私は・・・」
思わず言い返したけど、最後は、声が小さくなってしまいました。
「いいから、ここに座りなさい」
砂かけの社長に言われて、私は、もう一度そこに座りました。
「わしらは、妖怪じゃからいいが、お前さんは、人間だろ。見たところ、まだ若い。しかも、女じゃ。それが、一人で、ネットカフェなどで寝泊まりすることが、どんなに危ないことは、わからんわけじゃあるまい?」
そう言われると、私は、下を向いてしまいました。ネットカフェで寝泊まりするようになって、一週間の間に知らない男の人から声をかけられたり、変な目で見られたりすることは何度もありました。
それを思い出すと、砂かけの社長に言われたことは、胸に突き刺さって、顔を上げることができませんでした。
「わしは、さっき、お前さんを採用すると言った。お前さんは、どうするんじゃ?」
「私は、ここで働きたいです。だけど・・・」
「だけど、住所がないから、働けないというわけか」
私は、黙って首を縦に振りました。
「そこの人魚がいったじゃろ。困ったときは、お互い様。住むところがなければ、ここに住めばいい。今日から、ここがお前さんの家じゃ。それは、イヤか?」
私は、顔を上げて、砂かけさんを見ました。
「よかったじゃん。一度に、仕事と家が見つかって。アンタ、運がいいよ」
私の肩に止まったその小さな女の子は、そう言いました。
「あの・・・ なんで、そんなに親切なんですか? こんな私に、どうして優しくしてくれるんですか?」
仕事もダメ、家もダメ。人間不信になりつつある私に、いい話を持ち掛けられも、素直に信じられませんでした。
「決まってるじゃろ。今、この店は、妖怪手が足りない。そこに、ちょうど、お前さんが来た。だから、採用した。それだけじゃ。家がないとか、そんなことは、関係ない」
「ホントに、いいんですか? 信用してもいいんですか?」
「それは、お前さんの気持ち次第じゃ」
私は、一歩下がって、きちんと膝を揃えて、両手を畳について、頭を下げました。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
私は、そう言っていました。
「お姉さんて、人間のくせに、泣き虫だね」
さっきの男の子が、ティッシュをくれました。
「ありがとう」
私は、それで涙を拭きました。うれしくて、涙が止まりませんでした。
すると、それを見ていた従業員たちが、手を叩いて喜んでくれていました。
「よかったね、お姉ちゃん」
「うんうん、よかった、よかった」
私は、そんな従業員の皆さんに向かって、何度も頭を下げました。
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