第6話 無能な亡霊王女の紋章と魔法式



「お願いします、どうか外に出してください……!」

「何度言えばわかるんですか。催事での失態を反省しているのかと思えばこのようなわがままを言うようになって。絶対に塔の外へは出しません」


 あれから二日が経った。

 この現実離れした夢のような世界から醒める気配はない。


 クラウド様の弟妹、イヴ様とアラン様。そしてソルディアに嫁いでからお世話になっていた宰相補佐官ハンス様の実妹、メルナ様。

 三人が『大型魔獣の暴走スタンピード』によって亡くなる事実を思い出し、居てもたってもいられず外に出ようと試みたのだけれど……。


 窓や扉には施錠が掛けられ、簡単に開けることができない。傍付きエラも外に出す気は一切なく、ただ苛立たせてしまった。


 エラはここまで喋る私を見るのは初めてなので、本格的に頭の病気を疑い出す始末だ。それでも医術者を連れてこないあたり、私がどれだけ冷遇されていたのか嫌というほどわかる。


 私だって、ここが現実だとは思っていない。

 悪い現実を逃避したいあまりに、都合の良い夢を見続けているのだろう。


 そうだとしても、たとえ夢であっても、もうすぐでクラウド様の大切な人たちが亡くなる瞬間がくると知っているのに、動かずにいるなんてできなかった。

 

「もう、時間がないのに……!」


 夢の中で、すでに二日が経ってしまった。

 黄昏の催事は終了し、滞在していた客人たちは午前中に王宮を出たという話をエラからそれとなく聞いた。

 『大型魔獣の暴走スタンピード』の具体的な時刻まではわからないけれど、場所はずっと前に教えてもらえたから知っている。


 本当はクラウド様たちが王宮を出る前にどうにかして伝えたかった。

 帰路を変えたり、一日宿に泊まって時間をずらして、どうかその現場を通らないようにと。


 しかし事前に知らせることができなくなったいま、私が直接行ってどうにかしなければと、そう思った。


 ……その手段が、ないわけではなかったから。



「昼食をお持ちしました」


 突然扉が開けられる。

 エラが私の昼食を運んできてくれたのだ。


 お湯の味しかしないスープと、固くなった黒パン。それが毎日三食出る。


「……」

「なんです。また外に出たいと言うんじゃないでしょうね?」


 じっとエラの動きを見つめていた私に、彼女は怪訝な表情を浮かべた。

 エラはさっさと盆を机に置き、部屋を出ていこうとする。


「……ごめんなさい。少しだけ貸してください」


 小さくつぶやき、私は意を決してエラの背後に回り込んだ。それから彼女のエプロンのポケットからはみ出ていた『魔法杖ロッド』を素早く引き抜く。


「なにをっ!?」

「催眠魔法式、展開」


 意表を突かれたように振り返ったエラよりも早く、私はロッドを握って催眠の魔法式を展開させた。

 円型の複雑な模様が描かれた魔法式は、ほのかな光を帯びて輝き、魔法を発現させる。


 睡眠魔法にかかったエラは、近くの寝台に倒れ込む。すやすやと寝息を立てているのを確認し、私はほっと息をついた。


「はあ、はあ……やった、できた」


 ロッドを握った両手がぷるぷると震えている。

 とんでもないことをしてしまったと、小心者の心が叫んでいる。けれど、これがいまするべき最善の行動だと思う。


 魔法式をひとつ展開させただけで息があがっている。

 きっと体内の魔素が少ないんだ。


 魔素は、魔法式を展開させ、魔法を発現させるために必要な力の源。健康体であったならここまで急に疲れたりはしないのだが、やっぱり十四歳の体では慎重に調節しないとすぐに無理がきてしまう。


「夜までには必ず戻りますから」


 眠ったエラに言葉を残し、私は施錠が解かれた扉を開ける。

 王宮の端にある旧管理塔にほかの人間がいるはずもなく、私は難なく外に出られた。


「大丈夫……まだ間に合う。場所は北の国境前、プルノツ森林。――浮遊魔法式、展開!」


 体の魔素を練り、ロッドを用いて魔法式を展開。

 魔法が発動すると、ふわりと体が宙に浮く。少し不安定ではあるけれど、なんとか飛行はできそうだった。


 ここが王宮の端でよかった。

 目の前にそびえる高い城壁のおかげもあって、この近辺には兵士の姿がない。


 それから城壁を乗り越えるように浮遊し、王宮の外へ出ることに無事成功する。


 飛行しながらああよかったと、心の底から安堵する。

 私が理解した魔法式がしっかり展開され、魔法を発現できたことに。



 ***



 シュトラウス王室始まって以来の無能、恥知らずの亡霊王女。


 確かに以前はそう言われていた。

 でも、そうではないと教えてくれたお師匠がいた。


『お前の体内にある魔力は極少だが、調和性は極めて高い』

『あ、あの。それは、どういうことなのでしょうか……?』

『例えるのなら、体力はまったくないが運動技術がすこぶる良いということ』

『……喜ぶべきところですか?』

『許容範囲内なら魔力はこの先いくらでも増やせるはずだよ。魔法式っていうのは、一人一人の才覚やセンス、生まれ持った素質によって習得できる数が変わってくるんだ』

『習得数……魔法式を理解する数、ということですよね』


 そう言うと、尖った耳の先をぴょこんと動かし、彼は満足そうにうなずいた。


『そう。魔法式の理解とは、すなわち円型に浮き出る模様の配置や質量、魔素の練り込み具合。全部を知るということ。それでいったらお前が生まれ持ったのは『全知の紋章』である独自属性の魔法式。ほかの魔法式をほぼ無限に理解できる力がある。やる気と根気があれば求めるだけ魔法式を展開できるし、いわば才能の原石だね、喜びな』


 それは、北ソルディア帝国皇室の隠れた相談役であるお師匠からの言葉だった。


『だ、だけど……この時代の魔導師は、魔法式が刻まれた紋章を宿すことなく生まれてくると教えられました。だから記録上に残っている基本属性と特殊属性、そして独自属性を扱えるかを毎年慎重に適性検査をしているんです。なのにどうして私には生まれつき紋章が? それに、全知の紋章だなんて聞いたこともなくて……』


『なぜお前が紋章を宿して生まれたのかは知らないけど、聞いたことがないからと言ってありえないと決めつけるのはどうかと思うね。お前がシュトラウスでどれほどの歴史書に触れてきたのかは分からないけど、所詮は誰かの手によって記録された創作物だということを忘れないほうがいいよ』


 その人は、とても物知りで、見目は若々しくあったがひどく達観していた。

 ときおり助言はくれるけど、甲斐甲斐しく手助けは絶対にしない。

 もしかすると、彼の力があったのなら、ソルディアが滅亡することはなかったかもしれない。


 でも、世界には極力干渉しないと、そう常々言っていた。

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