忍び隠れの宿 短編①

橘はじめ

第1話 賄い飯

 時は天正。

 尾張国の大名であった織田信長が周辺の強国を次々と討ち破り、ついにはを掲げて京へと上った。

 そして信長は近江国を己が政権の拠点と定め、今まさに琵琶湖に浮かぶ巨城と噂の『安土城』を建設中であった。


 ◇


 尾張国の隣国、伊勢国の玄関口にあたる古い港町。

 そこに『雲』の看板をかかげる旅籠があった。

 木賃宿きちんやどに食堂を併設する旅籠の造りで、店を営むのは老爺の主人、玄爺げんじいとその孫娘、ナギの二人が店を切盛りする。

 そんなある日のこと、一人の少年がこの旅籠で姿を見かける様になった。

ミナト」と呼ばれる少年。遠い親戚すじの子との事であるが、その仔細は定かではない。


 実はこの旅籠、甲賀の草の忍びとして地元に根ずく『忍び隠れ宿』であった。


 ◇◆◇◆ 賄い飯


 今日の仕事を終え、玄爺がキセル煙草をふかしながら、ご自慢の釣り竿の手入れをしている。ときおり白い煙をあげては満足そうに竿を振る。


 宿と食堂の戸締りを済ませた孫娘のナギが食堂へと戻って来た。


「あら? 玄爺……」


「今日のまかない飯は、あいつにまかせた」


 調理場の中を見ると高下駄に前掛け姿のミナトが何やらゴソゴソと動き回っている。


「はあぁん。どうよ、ミナトは?」

「うちぃの目利めききは?」


 とナギが自慢気に鼻を鳴らす。


「おう。悪くはねえな」

「お前が奴を突然連れて来た時は、さすがにあきれたもんだったが……」

「さすがはわしの孫娘だ。大した目利めききだぁ」


「ぷっくくっ」


 隣で二人の会話を聞いていた飛脚の伝助が、思わず笑い声をあげて吹きだした。

 一人で手酌していた酒の銚子を置くとニヤニヤと二人の顔を見る。


「さすがの御頭おかしらも、おじょうには弱いねえ」


「ちっ。ばかを言うな」


 キセル箱の縁にキセルを二回ほど打ち叩き、細く白い煙を吐く。


「そろそろ、あいつにも調理場を任せてもいいころだな」

わしも楽ができるってもんだ」


 素早く手首を返すと釣り竿をしならせてみる。



 ***



 食堂の調理場に立つミナトは食材を前に腕を組み、独り言をもらす。


「今日のまかない飯は、お前が作れ」

「その辺の食材を適当に使っていいからな」

「任せたぞ」


 と玄爺の指示。


「んんん……『任せた』と言ってもなあ」

「さて何を作るか……」


「賄い飯といえど、口のこええた玄爺とナギが満足する料理にするには」


 目の前に並んだ食材。

 港町だけあって魚の種類は多い。


 日頃、食卓に並ぶ魚料理は多彩だ。


 近所で採れた野菜や山菜も豊富。

 客には出せなかった見た目の悪い魚や野菜たち。


「さすがに使わないともったいないな」


 目を閉じながら大きく深く深呼吸した……。

 

 ひたいの前方に白金に輝く光。

 光の中央にの様なものが浮かぶ。

 そこに集められた数種類の食材たち。


 そのひとつひとつの食材が光の中で動きだし、形を変え始めた。

 それらが集まり、合わさり繊細な形が鮮明になっていく。


「うっす」

 すばやく包丁を握ると手際良く食材を切り始めた。

 細く切った玉葱と人参、烏賊いかのゲソを小さくぶつ切りに。

 薄く溶いたうどん粉に切った材料を全て入れ、まんべんなくからませる。


 思わずほほが緩んだとたん、じゅわりっと温かな唾液が舌裏から口の中を満たす。


「せっかくだ。他の食材も揚げておくか……」



 ***



「料理あがったよー」

 いつものように声をかけると、その声に反応してナギが立ち上がり、厨房の窓口に並んだ料理を運ぶ。


「何だこりゃあ」

「でけえか?」


 目の前の置かれた料理を見て、玄爺が目を見開き声を上げた。


「ちょっと待ってくれ御頭っ」


 思わず伝助の肩が割り込む様に入ってくる。


「こりゃあ。今、堺の港町で流行っているじゃねえか」

「えええと何だっけなぁ名前は……」

「そうっ『てんぷるぁ』だよ」


 伝助がひらめいた様に手を叩く。


「何でも信長が招いた南蛮人の国で食べれれているらしくて」

「堺港の教会でふるまわれる料理なんだと」

「目ざとい商い人がさっそく、ちまたの店で出してるよ」


「これがかぁ?」と玄爺が眉を細める。


「うちぃが一番に食べる」

 ナギが箸でつまむと、「じゃくりっ」と、ひと噛み。口にほおばった。


「うまっ」「これっ美味っ」と口を覆う。


「これも作ってみたんだ。味見して」


 大皿に並べれた品。

 赤い尾びれをピンッと立てた海老、穴のあいたレンコン、肉厚の椎茸、白身魚らがキツネ色の衣にフワリと包まれている。

 大根おろしと生姜おろしが小山に盛られ横に添えられた。


「このつゆにからめてから食べると美味いよ」



 ***



「ねえ。これ、うちの店で出そうよ」

「お嬢。そりゃあいい考えだ」

「珍しい料理にこの味なら、きっと評判になるぞ」


「玄爺いいでしょ」「ねえ」「ねぇぇ」


 押し黙った玄爺が口をへの字に曲げた。

 品書きの板版に玄爺がすらすらと筆で文字を書く。


「かきあげ」「てんふら」


「この二品。追加だ」

「お前は明日から板前に昇格だ」

「釜の一つはお前に任せるぞ」


 ふっとナギの細い肩がミナトの肩をつんつんとつついた。


 彼女は胸の前で両手を合わせる姿勢で玄爺の書いた品書きを見る。

 その横顔がとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忍び隠れの宿 短編① 橘はじめ @kakunshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画