社会派SFの金字塔『猿の惑星』(1968)
恒星間航行が当たり前となった時代。
地球を離れ長旅を続けた宇宙船は、探査を終え帰路に着き、船員たちは冷凍睡眠に入る。
が、途中、宇宙船は不慮の事故で、とある惑星の湖に不時着水した。
なんとか生き残った船員たちは、その惑星を探索し始める。
海があり、乾いた陸がある。続けて植物も見つかる。
そして彼らはついに、集団生活を営む、霊長類を見つける。
だがそれは、猿、ゴリラ、オランウータン。
彼らはまるで、自分たちが人であるかのような振る舞いで、大きな建物の中で、服を着て、道具を扱いながら暮らしている。
何を隠そう、彼らは、高度に知的なのである。
ホモ・サピエンスの姿は無いかと思われたのだが……
猿が檻の中に、何か動物を飼っている。
それが……
檻の中の人間たちは、どこか弱々しく、言葉も発さない。まるで、人間としてのあらゆる機能が退化してしまったかのように見える。
この、人間─猿の立場の逆転現象は、ただ支配する者と抑圧される者の入れ替わりを示すだけでは無い。
人間の持つ、とある歪んだ認識が、浮き彫りになる。
どういうことかと言うと……
人間が檻の中に猿を飼っても、「かわいい〜💕」だとか言って、見せ物小屋の愛玩動物を正当化できるのだが、逆に猿が人間を飼い、放水で体を洗浄すると、とんでもない虐待をはたらいているように見えてしまうのは、私だけの感覚ではないはず。
つまり、人間は、抑圧される側の種になることで初めて、人間があらゆる動物たちの中で頂点に君臨する特別な存在であるという傲慢な錯覚に陥っていることに気づかされるのである。
物語の途中から、船員たち、つまりはその惑星でほぼ唯一の人間は、己の「人権」を主張し、猿たちとの融和を試みるのだが……
彼らを待っているのは、惑星に隠された、とんでもない秘密なのだった。
ラストは本当に鳥肌ものなので、ネタバレを回避しつつ、ご鑑賞いただきたい。
やや余談にはなるが、今作は、五部作のシリーズの一本目で、全て話が続いている。
この一本目を見た、という方は多いように思われるが、二作目以降も網羅したという
だが猿の惑星は、五作を通して見て初めて、物語が完成するので、どうせ見るなら全て見てほしい、というのが本音である。
私のお気に入りは、三作目『新・猿の惑星』(1971)である。
これは、法廷モノ×サイエンス・フィクション×社会問題という、ちょっぴりオカタイ会話劇が好きな方には間違いなくブッ刺さる一品で、設定と脚本の調和が、本当に見事なのである。会話劇とは言いつつも、画的な変化にも富んでいるので、飽きが来ない。
ちなみに今シリーズはリメイク・リブートが繰り返されることでも有名だが、最近の作品も、なかなかにレベルが高いので、そっちもおすすめである。
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