第3話 ギルドのレストランにて
「ケルン=ムーン、それがアンタの名前っすか?」
浅い偽名だった。
ルーナという名前は浮島で知られている可能性があるから安易に使えなかったというだけだが……まだ俺はルーナ島についての情報を何も知らない。
悪魔の住まう巣窟という伝説があってもおかしくない。
実際、ルーナ島では地上がそうだと言われていた。
俺は地上からルーナ島にやってくる人を一族の仕事上知っていたが、そうでない人にとってはもっぱらの噂だったし、やってきた人の中でも面白がってそういう話をする人もいた。
今となっては地上に墜ちたルーナ島だが、まぁ地上は地獄というのは概ね間違いではないだろう。
あの島に思い残すことなんて何も……いや、ほとんどないのだから。
「そう、俺はケルン=ムーン。なぁ、このゲルニッヒ炒めって何だ?」
「それ美味しくないっす。暴食亭の唯一の外れメニューっすよ。注文はアタシがしとくっす」
おいしくないと言われてしまうと食べてみたい気もするが、一番最初に食べる食事がそれというのも味気ない。
というか、胃袋はそれどころではなかった。
お腹がすきすぎてもはや食欲も消えつつあり……。
「元気ないっすね……魔力の消費による疲れっすか? てんちょー、魔力ドリンク一丁!」
「あいよーっ!」
謎の飲み物を目の前にいる少女が注文する。
そんな飲み物、俺は知らない……。
「アタシの名前はシャミーっす。いっぱしの冒険者っすかね」
「冒険者ねぇ……ふぅ~ん」
「いや本当に何も知らないんすね……、知ったかぶり下手っすか?」
そろそろ色々と素性を暴かれそうになったので、知っているふりをしようと思ったんだが筒抜けだったようだ。
「で、なんでお兄さんはあんな僻地に一人でいたんすか? そんなボロボロの格好で……。戦いに向いて無さすぎるっす。剣も持ってないし……」
「島流しにされたんだよ」
ふと口を衝いて出た嘘は、永久に続くとも思えた海岸線を思い出してのことだった。
前にいた街ではあまりにも役に立たないからと言って追い出されてここに流れ着いた――ということにしておこう。
あれ?
でっち上げた話のくせに心の傷痕が根深いんだが?
「で、辿り着いたのがカーナの森、と」
「そういうことになる」
「異国から来た人っていうのはたくさんいるので、まぁ珍しくはないっすけどね……」
「ああ、それはなんとなく実感してる」
ギルド内レストラン『暴食亭』では様々な人種がいる。
人間、獣人族、エルフや謎の羽衣みたいなものをつけている人とか。
あれはファッションか?
とにかく、多種多様な人間がいて、それが許されている雰囲気だ。
「――ってことは一文無しっすか」
「……おはずかしながらそうなるな。おごってもらって申し訳ない」
「これはいいんすよ。いや? よくないかもしれないっすね……。生きて帰れたとはいえクエスト失敗になったのは元はと言えばお兄さん……ケルンさんの殺気のせいっすから」
「なぁ、さっきも言ってたけど殺気って何だ?」
「いやマジで他の国ではそんなことも教わらないんすか? どっから来たんすか??」
怪訝な目をして少女――シャミーは俺を眺める。
「まあいいっす。過去に深入りすると碌なことが無いってシャミー知ってるっすよ。殺気っていうのは、簡単に言えば敵意っす。ほら、相手が攻撃をしてきたらこっちも応戦せざるを得ないじゃないっすか。だから魔物たちは敵意に敏感なんす」
「あの時、そんなに俺殺気出してたのか?」
「憎しみに溢れてたっすよ。正直今もまだ消え去ってないっす」
……ルーナ島のことが尾を引いている。
両親を殺され、シーシャもいない。
ファンのことを思い出すだけで、もう……。
「あわわ……、私何か悪いこと言ったっすか!? 落ち着いてくださいっす、てんちょー早く!」
「ハイお待ち!」
慌てふためくシャミーを遮って、店長が俺の目の前に飲み物を置く。
それからたくさんの食べ物がやたらと広いテーブルの上に並べられていく。
「嫌なことはあったかもしれないけれど、食べて忘れるっすよ! 泣かないで欲しいっす……」
知らないうちに、目が潤んでいた。
少し上気した顔の涙を近くにあったナプキンを取って拭う。
「いや、こっちこそごめん。そうだな、今は食べよう」
「そうっすよ! これはアタシが持つっすから!」
「かたじけない」
そこで食べた料理は、今までずっと屋敷で食べていた高そうな食事よりもずっと雑多な味がしたが、どんな食事よりもおいしかった。
空腹感は最高のスパイスというが、その所為なのかどうかは俺には分からなかった。
「ギルドちょー、連れてきたっすよ」
食べ終わった後は、ギルドの長の部屋に俺はなぜか通された。
シャミーの説明曰く、「余所者はとりあえずギルドちょーの『鑑定眼』スキルで見定めてもらう規定になってるっす」とのこと。
大仰なドアを目の前にして、俺は一歩後退る。
だが、シャミーが俺のスーツの裾を持って引っ張っていく。
「一応知り合った縁なんでアタシが今ここに居るっすけど、実際問題ちょー他人っすからね。本当はギルド役員の人がやるはずなんすけど……」
「仕方あるまい。今ギルドは忙しいのだ……だからシャミー、君にも仕事が行き渡るという物だよ」
シャミーの愚痴がドアの向こう側まで聞こえたようだ。
どうやら壁は薄い。
遠慮なしにシャミーは扉を開けた。
「嬉しいっすけど嬉しくないっす」
「そういうな若人よ、仕事がある金が貰える、ギルドはそれが全てだろう?」
そこにいたのは、年齢不詳のエルフだった。
両耳の長さだけでそう判断したが、纏っているオーラが他とは違うことにすぐに気付いた。
さっきのレストランで見た他の客とは何かが違う――一線を越えた何かをこの人は持っている。
そう思わせるだけの貫禄があった。
「まぁそう身構えるな、君がケルン=ムーンか」
「名乗りましたっけ?」
「私の『鑑定眼』の力だ」
だとしたらそれは失敗している。
俺はケルン=ルーナだからだ。
それとも、名前なんてものに意味はないと遠回しに言われているのだろうか?
――考えすぎか。
「はい採用ッ!」
「えっ!?」
「あーあ……」
俺の驚きと被るように、隣にいるシャミーが溜息を吐く。
「本当にいいんすか? 素性も知れないのに」
「いいんだ。もし何かあったら私が責任を取る、それでいいだろう」
シャミーとギルドの長が話しだす。
俺はどうすればいいのか何も分からずに首を傾げる。
「変な格好をしてようと、過去に何があろうと、誰でも受け入れる! それが私の目指したギルドなんだッ!」
「いや、そもそもケルンさんは求人募集を見てきた人じゃないっすよ!」
ふむ、と呟いてギルド長は俺に向き直る。
「ケルン君、君がこの街に来た流れは一通り知っている。だがまだ生い先は長い――何もすることが無いならひとまずここに勤めてみないかね?」
「全然断っちゃっていいっすよ……この人いっつもそうなんす……」
「君にとっても渡りに船だろう? なぁ?」
とにかくお腹が減っていたからこの街に来た。
だけど、それ以上の目的はここには無い。
それどころか、俺の人生に目的は無かった。
もしもここでその人生のリスタートを切れるのなら。
それは、願ってもない申し出だ。
「わかりました。俺、ここで働きます!」
「物分かりが良いね――そういう人は大好きだ!」
「やめたいときは好きに言ってくれていいっすからね……」
なぜだか少しだけ憐憫の目をシャミーから受け取って、その日はお開きとなった。
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