プロローグ⑤
痛い。
頭が朦朧とする。
だけどまだ俺は、この浮島の上で踏ん張っていた。
心はボロボロで、もう壊れかけている。
取り返しのつかない罅が、亀裂が既に入り込んでいる。
だけど、でも――まだ倒れるわけにはいかなかった。
なぜなら、俺は――。
「俺を殺すと、この島が沈むんだぞ!」
「ああ、らしいね」
面白いジョークだと言わんばかりに、ファンは笑う。
「らしいよ、皆」
皆――というのは、ここに集まっている民衆のことだろうか。
耳をすませば――大爆笑だった。
「誰が信じるんだ? そんなルーナ家の伝承を。そんなもの、没落しないように打った布石に決まってるだろう? 現に当主はもう死んだ――なのに島は沈まないッ! これ以上の証拠があるかい?」
「俺が浮かしてるからだよ――」
「ははっ、僕に魔法でわずかに勝てなかったお前がか? 笑わせてくれる。まだ死んだこの首が動かしていると言った方が信憑性があるね! そうだろう? アレーナ」
「ああ。私が知る限りそういった事実はない」
「姉さん――痛ッ」
飛んできた小石がまた当たる。
俺が痛がったのを良いことに、再び石が投げつけられた。
「この島を沈めてもいいのかよ――ッ!」
「出来るものならしてみるといい――無能当主め!」
それを聞いて、領民も、厳正にしていなければならない執事ですらも笑っていた。
――ここに、真実を知る人はいない。
そして、味方もまた、いなかった。
当然といえば当然だろう。
そんな人間は、ファンによって排除されているのだから。
証拠なら――目の前にある二つの首が物語っている。
わかったよ。
そんだけ沈めてほしいのなら――やってやる。
「さて、覚悟はできたか? お前はそうだな――生きたままこのまま落すっていうのはどうだ? 今は動けないだろう? このシーズンこの島の下はちょうど海が広がっているはずさ。泳げれば港町まで行けるかもしれないがな」
ははっ――と笑って、動けないままの俺を親衛隊に担がせる。
よく見れば、親衛隊もルーナ家の私兵だった。
――かつての、私兵か。
とっくに心根は鞍替えしているのだろう。
この島は、クロー家のクーデターによって倒されたのだ。
担がれたまま、家のあった方を見ると――燃えていた。
ルーナ家とクロー家を結ぶ橋・は・切・り・落・と・さ・れ・て・、外から火炎瓶が投擲され続けている。
「そんな……」
「中に残っているのは、本当にルーナ家を想う人ばかりさ。彼らには自分で伝えてくれ、自分が死んだことをな」
あそこには――シーシャがいたはず。
「シーシャは……どこだ」
「シーシャ? 彼女には何も言っていない。彼女だけはお前が死んで悲しむだろうからな――ああ、可哀想だ」
クックック……とファンが笑う。
だけど、シーシャはさっきまで、あの家に。
「シーシャの居場所はどこだって聞いてんだよ!」
「そんなの……知るわけないじゃないですか。僕はしばらく彼女と会っていませんのでね」
涼しい顔とは対照的に、瞳に映る燃え続ける炎の熱が僕らのところまで届く。
浮島特有の突風だ。
酸素の流入により、炎の勢いがますます増していく。
「そうだ、さっき退室するときに爺さんが……」
「あの爺さんは最後のルーナ派でした。なので――僕からとっておきのプレゼントとして、今頃あのお屋敷でお留守番という任務を与えておきました。あの年まで生きれば、大往生じゃないですか」
火炎瓶は屋敷の周囲をとうに燃やし尽くしていた。
何度も修改築を続けてきた歴史と伝統ある屋敷は、炎に強くない。
既に勢いよく立ち上っていた炎は、屋敷の中を真っ黒に染め上げ――。
潰れるまでは、一瞬だった。
「シーシャが、あの屋敷にいるんだ……」
「――ッ、」
初めて、ファンが動揺する。
だけど、それは民衆には悟られない程度の小さなブレ。
「そんな譫言には騙されませんよ」
「本当なんだよッ!」
「稀代のピエロが、何を叫ぶのです」
ファンは取り合わない。
そして、火の勢いは強まる中、俺の住んでいた家は崩落した。
3階まであった屋敷は既にその原型を残していない。
「シーシャ……、執事長……」
炎の勢いが全てを物語っている。
生存は絶望的だった。
それでも――俺の身体は動かない。
ただただ俺を見る姉・の・存・在・が――今となっては憎らしい。
『青空迷宮』と対を成すも・う・一・つ・の・ス・キ・ル・――他人を操るスキル。
伝説の類だと思っていたし、それは圧倒的なカリスマ性あってのものかと思っていた。
だけど、今になってわかる。
ルーナ家が今までトップになってこの島を守ってきたその要に、きっとそれがあったんだ。
姉はずっと両親と離れて生きてきた。
確かに、島を浮かせるという任務に比べたら大事ではないだろう。
それに、日々の訓練をする必要があった。
俺と離れ離れになって――ついぞ肉親を殺した姉。
家から追い出されて、ひたすら鍛錬の中に身を投じた姉。
なぜそんな姉が――俺から見ても尊敬できた姉が、ファンと婚約をしているのかは分からない。
正直、両親が死んだことに関しても信じたくない。
だけど――姉がそれを見逃したことについて、俺は責められない。
両親はいつだって俺の近くに居た。
姉はいつだって一人だった。
だからと言って看過できることではない――だけど。
俺は。
そんな姉の血の滲むような努力の結果であるスキルと魔力量にこうして伏すことになっている。
それは必然だろう。
俺は姉ほどに努力したかと言われれば――していないのだから。
俺の身体は芝生の上に転がされた。
あと数歩で崖から落ちる――既に傾斜は始まっている。
そんなギリギリの場所だった。
おそらく――間違いなく、姉が掛けたであろう拘束は未だに身体に雁字搦めになっている。
見えない何かが俺の魔力では解けない。
抵抗すらさせてくれない。
ギリギリのところまで、領民は俺の落ちる姿を一目見ようと押し寄せている。
「落ちろ!」「落ちろ!」のシュプレヒコールは止まらない。
「君も領主――それなら、最後くらいは自分から落ちますか?」
「…………」
「なんてね、させるわけないじゃないですか」
動けない身体に、ファンのナイフが突き刺さる。
脇腹に劈く痛みが響き、言葉にならないうめき声をあげ。
「死んでください、領主サマ」
軽い蹴りだった。
深い傷はぽたぽたと流れる血を止めることができない。
「うわぁぁぁぁぁぁ――っ!」
地面の下は、雲一つない快晴だった。
地表が遠ざかっていく。
今までに感じたことのない浮遊感。
それよりなにより、失血で集中できない。
意識の最後の線が落ちそうになる。
幸せだった記憶が甦る。
父さん、母さん、シーシャ……。
フィンにアレーナ姉さん――その二人の顔を思い出して、ギリギリのラインで俺は意識を保つ。
なんで俺はこんな仕打ちを受けているんだろうか。
拘束はまだ残っている。
手も足も動かせない。
マットに押しつぶされた時のような閉塞感と圧迫感だった。
こんなに空は晴れているというのに。
ルーナ島が見えなくなるかという頃。
あの島に、未練はない。
俺達を応援してくれていた皆は、もういないんだろう?
両親も、シーシャもいない、あの島に俺は何を残してきた?
じゃあ、なんであの島を俺はまだ浮かせてるんだ?
こんな――命を張ってまで。
「あの島を浮かすとか、もうどーでもいいわ」
最後の、足搔きだった。
もうどうだってよかった。
世界の全てが敵に見えた。
だから俺は、今まで一度も解いたことのない、ユニークスキルを解いた。
ピシッ――という大きな音が空に響き渡る。
『青空迷宮』が解かれた。
「さよなら、ルーナ島」
真っ二つに割れた島を下から眺め、いい気味だと思った。
今頃あの伝承は本物だったんだと慌てふためいても遅い。
ファン、アレーナ――それから俺を見て嗤っていた領民――こんなことされて、何もないと思うなよ。
ルーナ島が着水するまで、どれくらいの人が生きているのだろうか。
少なくとも、ファンを始め魔法に優れた人間は生きているのかもしれない。
そしたら俺は大悪党か。
でも、俺は悪くない。
「なんでこんなことになったのかな――絶対許さねぇ、アイツら」
ふと、両親の優しかった顔を思い出して、涙が浮かんできた。
腹部の痛みも、気付けば気にならなくなっている。
これが走馬灯か。
――生きてるのか、ファン。
そう考えると、許せなくなってきた。
どうして俺だけがこんな目にあわなければいけないのか。
興味が無いから、こうなった?
そうじゃないだろ。
ファン――お前が生きていたから、こうなったんだ。
そうじゃなかったら、父さんも母さんも死ななかった。
だから、俺はお前を許せないよ――。
その日、ルーナ島は海に墜ちた。
千年間浮いていた空島が、地上に着水――世界を駆け巡る、大ニュースとなった。
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