第6話 ともだちじゃなくなる日
そんなわけで、およそ5年ぶりに懐かしい幼馴染の家に足を踏み入れたのだが。
「あっ! 瑞望、また真っ先に甲羅をぶつけに来たな!」
「ふふん、ライバルはさっさと潰しておかないとね」
「くそ、お前みたいな卑怯なヤツに負けるか!」
「ていうかアイテムなしでもあたしの方が速いけどねー。翔ちゃん、腕鈍っちゃったんじゃない?」
俺たちは、ヒゲの兄弟でお馴染みのキャラクターが登場する定番レースゲームをしていた。
最新作ではなく、一世代前のハードで遊ぶ、昔の作品。
今日のコンセプトは、小学生時代を懐かしむことだから。
瑞望の部屋に足を踏み入れる前後は緊張した。
幼馴染とはいえ、女子高生の部屋。
でも、こうして一度あの頃と同じゲームを始めたら、そんな緊張も消えて、心地よい楽しさだけが残った。
「瑞望、お前にメリカーを教えたのは俺ってこと忘れるなよ。昔の瑞望はカーブ曲がるたびに体傾けてたんだからな」
「そんなの本当に始めたばっかの頃の話だよね! すぐあたしの方が上手くなっちゃったもん」
「ぐぬぬ……」
思い出した。
ゲームも運動能力が関係しているんじゃないかと思ったのは、アクション系のゲームを始めたらすぐ瑞望の方が上手くなってしまうのを目の当たりにしたからだ。
「ふふふ、またあたしが一位。翔ちゃんはいっつも二番手だね」
「あー、くそ! 別のにしよう、別の!」
そうだ、格ゲーなら俺の方が勝率が良かったはず。
身を乗り出してソフトを探そうとすると、くすっ、と笑みを漏らす声が聞こえた。
「な、なんだよ。勝ったからって見下すのは性格悪いぞ?」
「違うよー。元気出て良かったなって思っただけー」
「元気……」
そうだ、俺はここに来るまですっげー落ち込んでいたはず。
泰栖さんのことで……。
「えっ!? だ、大丈夫!?」
「いや、揺り戻しが……」
楽しいひとときから一気に現実に引き戻されたせいで、泰栖さんに嫌われたことがより重い意味を伴って戻ってきた。
泰栖さんと同じクラスになれたときは嬉しかったけれど、今はむしろ恨めしい。
明日も学校へ行って、泰栖さんから冷たい態度を取られないといけないのだ。
ぴえん。辛いよぉ……。
「ごめんごめん、楽しんでくれてるならもう平気って思って、迂闊なこと言っちゃった……」
「いいんだ。俺のメンタルがヨワヨワなだけだから……」
「よしよし、今の翔ちゃんは保護動物くらい大事にしないといけないんだね」
頭を撫でてくる瑞望。
けれど、単に頭に腕を伸ばしてきたわけじゃなかった。
俺を抱くようにして撫でてくるものだから、体はぴったり密着してしまっている。
「み、瑞望!?」
慰めるにしてはやりすぎじゃね!? なんて焦った。
「そ、そこまでしてくれなくていいって!」
「あっ、ごめんね! ……うちらもう高校生だもんね」
苦笑いをして、慌てて体を離す瑞望。
そうだ。小学生の頃の瑞望は、俺より背が高くて大人びていたからか、俺のことを幼い弟として接しているようなところがあった。
昔を懐かしんでいた今、ついそのときの感覚が出てしまったということだろう。
けれど、昔と違うこともあるんだ。
瑞望の体の感触が、思い出の中よりもずっと柔らかくなっていた。
特にどこがというわけじゃなくて、体全体が。
「でもあたし、翔ちゃんが落ち込むところ見たくなくて。どうにかしてあげたかったんだよ」
「その気持ちはありがたいけどさ……」
「そうだ。もしきーちゃんが許してくれなかったら、あたしと付き合っちゃう?」
「えっ?」
これ、告白……?
確かに俺は瑞望と仲良かったかもしれないけれど、それはあくまで友情であって、恋愛に発展するような出来事は何もなかったはず。
ああ、あれだ。きっと、瑞望なりに俺を励まそうとしているのだろう。
なんて理屈ではわかっていても、心は告白と勘違いしているようで、頭に響くくらいドキドキする音が止まらない。
「なんて! 冗談だよー」
「なんだ、驚かすなよ……」
でも、瑞望らしくない冗談ではある。
恋愛を意識させるような冗談はこれまで言った覚えがないから。
「そういう冗談はやめろよ。お前、ほら、俺が罰ゲーム告白に巻き込まれたときだって怒ってたじゃん。あれと同じだぞ」
「ホントにごめんて。そこまでびっくりしちゃうとは思わなかったんだよ。だって、きーちゃんのことで落ち込んでる翔ちゃんに、あたしが代わりに付き合お? って言ったって、すぐ冗談ってわかると思ったから」
どういうことだ?
言うほどわかりやすい冗談とは思えなかったんだけど……。
「ほら、あたしときーちゃんって全然違うじゃん? あたしの見た目はきーちゃんみたいにモデルさんとかカッコいいダンスが得意なアイドルみたいじゃないから」
笑顔のままの瑞望だけど、どこか卑屈なものに変わって見えた。
「背も低いし、手足が長いわけじゃないし、髪型も二つ結びだから余計にこどもっぽいのかなぁ。スポーツはできるかもだけど、かけっこが速いから目立つ人みたいで、そういうところも小学生っぽいしね」
「瑞望……」
「きーちゃんのおまけじゃ、きーちゃんの代わりにはなれないよ」
瑞望は、俺が思っている以上に聖女様のおまけとして扱われていることを気にしたんだ。
「変な慰め方しようとして、ごめんね。でもあたし、翔ちゃんには元気出して欲しくて――」
「そんなこと言うなよ」
「えっ?」
「お前だって……俺にとっては憧れなんだよ」
小学生の頃の俺は、今よりずっと情けないヤツだった。
俺と瑞望は小学生の頃からの付き合いだけど、瑞望と違って俺は小学校二年生のときに転校してきた。
多数と違った人を嫌うのは、大人だけじゃなくて子どもだって同じ。
突然教室にやってきたよそ者として扱われた俺は、何かと仲間はずれにされることが多かった。
そんなところを助けてくれたのが、あの頃から人気者だった瑞望だ。
瑞望は、いじめていい空気を無視して優しく手を差し伸べてくれる強さがあった。
「ただのよそ者」から、「瑞望の友達」にクラスチェンジしたことで、仲間はずれにされることもなくなり、それからの小学校生活を楽しく過ごすことができたのだ。
「だから、瑞望のことを泰栖さんのおまけみたいな扱いをするヤツのことは、ずっとイライラして見てたんだ。俺は、お前がどれだけすごいヤツか知ってるつもりだったから……」
本来はこんな不満、瑞望を軽く見ている連中にぶつけるべきなんだ。
見ろ、瑞望だってびっくりしてるじゃねえか。
「……あ、ごめん。変に熱くなって。なんかキモかったよな」
「ううん、そんなことない! ていうか、そ、そんなこと思ってくれてたんだ……」
瑞望は顔を赤くして、唇はなんかもにょもにょしていて、露骨に照れているみたいだった。
「いや、まあ、あの教室の中じゃ一番付き合い長いし。どうしたって注目しちゃうっていうか」
瑞望のせいで俺までしどろもどろだ……。
「ていうか、そんな顔で聞き入っちゃうのやめろよな、こっちの方が恥ずかしくなるだろー」
「だって!」
俯いてもじもじする姿からは、普段の快活な姿はなかった。
指先をつんつんしながら、はっきりものを言う普段の姿からは珍しいくらいもにょにょしていて。
「翔ちゃんがそこまで見ててくれたんだってわかったら、すごく嬉しくなったんだもん」
「俺が見てるくらいでそこまで喜んでくれるのか。なんか逆に悪い気がしてくるよ」
ごめんな、陽キャイケメンじゃなくて。
俺がもっとクラス内で強い立場なイケメンだったら、瑞望だって泰栖さんの添え物みたいな扱いはされないだろうに。
「そんなことないよ、翔ちゃんだから嬉しいの!」
身を乗り出してくる瑞望。
間近で見ると、本当にこいつの顔立ちは本当に整っていて、きめ細やかな肌をしているってことがわかる。
「俺だから……?」
「だ、だって、す、好きな人……だから?」
「え……」
好きな人って……さっき、ウソ告白はやめろって言ったばかりなのに。
けれど、今の瑞望からは、ウソとは思えない切羽詰まった迫真の感があって、口を挟むことができなかった。
「小学生のときからだよ」
カーペットにぺたんと座る瑞望は、ぽつぽつと語り始める。
「いつも放課後は一緒に遊んで楽しかったし、お泊り会もいっぱいしたし、翔ちゃんってちょっと気が弱いところあるけど優しいし。だからもっと気に入られたくて。給食当番のときはこっそり翔ちゃんのだけおかず多めにしたり、体育のときは翔ちゃんにいっぱいパスしたり。あと、毎年あげてたチョコは『義理だよ』ってあの頃は言っちゃったけど、全部手作りの本命チョコだから……」
おいおい。
俺を異性として見てくれていたなんて、初耳だ。
確かに仲は良かったけれど、あくまで同性の友達みたいな感覚だと思っていた。
「だから……翔ちゃんと中学校が別々になるときは悲しかったよ。同じ中学に行けるようにできない? って親に相談したり、いっそ引っ越したいって頼んでたくらいで……」
「そんなことがあったなんて知らなかったんだが……?」
瑞望との別れは、あっさりしたものだった。
卒業式の日だって、しんみりした表情なんて見せていなかった。
それは、中学が別々とはいえ、住んでる場所はそう離れていないのだから、いつでも会えるという余裕からだと思っていたけれど……。
まさか、そこまでしようと考えるほど、俺と一緒にいたいと思ってくれていたなんて。
「でも、翔ちゃんまできーちゃんのこと好きって知ったら、ちょっと悲しかったな。しょうがないけどね。きーちゃんは綺麗だから」
声音は明るいし、微笑む姿に悲壮感なんてなかった。
けれど、俺は見てしまった。
瑞望の目の端に涙が浮かんでいるのを。
いつも笑顔で、そんな姿に過去勇気づけられた身としては、幼馴染の涙を目にすると胸を締め付けられるような感覚があった。
瑞望を悲しませたくない。
そんな想いから浮かんだアイディアは、我ながら驚くべきものだった。
このまま、瑞望と恋人として付き合う。
俺が恋人として相応しいかどうか自信はないのだが、瑞望は俺を好きだと言ってくれるし、それならいっそ付き合ってしまえば、瑞望の悲しみを和らげられると思ったのだ。
泰栖さんに未練がないと言ったらウソになる。
だが、いくら泰栖さんのことを好きでも、俺の想いは届かないのだ。
だったら、俺を好きだと言ってくれる瑞望と付き合った方が、ずっと有意義で楽しい時間を過ごせるはず。
「瑞望がそこまで言ってくれるなら、俺……瑞望と一緒にいたいんだけど……」
「え……」
瑞望の顔が、すんっ、ってなったとき、俺はなんかすげぇ勘違い発言をしたんじゃないかって心配になった。
けれど、まったくの無表情が、次第に驚きのそれへと変わっていき……。
「えええええっ!? いいの!?」
デフォルメキャラみたいに崩れた顔をする瑞望。
「だ、だって、翔ちゃんはきーちゃんのことが好きなんでしょ!?」
「もう一度言うけど、俺は泰栖さんに憧れてるだけだよ。ただのファンなんだって」
「う、うそだぁ。だってきーちゃんだよ?」
瑞望は明るい性格だと思うんだけど、どういうわけか泰栖さん相手だと自虐的になるな。親友として近くにいるからこそ、自分とは違う色々なものを目の当たりにしてしまっているからだろうか?
「あのな、瑞望は全人類が泰栖さんに惚れてると思い込んでない? そういうのって卑屈だし、瑞望っぽくないよ」
「……そ、そういうところはあるかも」
俺の方にちらりと視線を向けてくる。
「それなら……!」
突如俺の胸に飛び込んでくる瑞望。
「こういうことしちゃってもいいってことぉ!?」
「まあ、恋人同士なら……」
「あっ、どうして頭グイッとして遠ざけようとするの!? やっぱり恋人として認めてないから!?」
「いや、恋人でも順序ってものがあってだな。いきなり密着されるとビビるわ」
「で、でもついさっきまで結構密着してた気がするんだけど?」
「それはあくまで友達ってことで……いざ恋人同士ってことになると、俺だって照れるんだよ」
「そうかも。ごめんね、グイグイいっちゃって。つい嬉しくて」
いそいそと離れる瑞望は、俺の隣にちょこんと座る。
「じゃ、じゃあ、恋人同士になったってことは信じていいんだよね?」
「ああ」
にやっ、と笑う姿は、快活に笑いがちな瑞望にしてはキモい笑みだったけど、そういう不格好な表情になっちゃうのも、不慣れを感じてちょっと可愛いかもなって思ってしまう。
「翔ちゃん、紙とペン持ってきていい?」
「ん? なんで?」
「契約書作りたくて」
「な ん で ?」
「口約束じゃ心配だもん」
瑞望の恋愛観は、俺が想像していたより歪んでいるのかもしれない。
とはいえ、こうして俺は。
幼馴染の瑞望と、友達ではなく恋人として付き合うことになった。
「これからよろしくね、翔ちゃん」
へにゃっ、とした笑みを浮かべる瑞望を目にすると、俺の決断は正解だったと思えてくる。
元が気の合う友達なんだ。
俺たちの関係性が、友達から恋人ってラベリングに変わろうとも根っこは同じ。
今すぐ異性として見れるかどうかは不安だけど……時間が解決してくれるんじゃないかと楽観的に見ている。
まあ、恋人契約書の作成は断固として断ったけどな。
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