3. 海を背に吼えろ!料理人
・ ・ ・ ・ ・
「ううッッ」
やみくもに走り出た料理人アンリは、いま海側市壁のすぐ内側、テルポシエ南区のずんぐり角ばった防災倉庫の平たい屋根に座り込んでいる。
両手のひらを目尻にこすり付け、にじみ出る涙をなんとか押しとどめようと努力していた。さっきまで赤々としていた頬からはてかりが削げ落ち、おとつい残りぱんのようなしょげっぷりである。
昼過ぎの陽光がまっすぐ、アンリのまき巻き苺金髪にあたっている。今朝も小雨がぱらついた、もわもわ低い雲の合間から青空が垣間見える。
「せっかく……。せっかく、テルポシエに店を持つという夢が叶ったのに。何をしているのだ、俺はぁぁッ」
ぐすん! アンリは鼻をすすり上げた。
淡い青空の下、自分の過ごしてきた長い日々が頭をよぎる……。
二十歳を迎えたアンリが召集され、二級騎士すなわち市民兵となってすぐに包囲戦が始まり、祖国テルポシエは惨敗した。実家の高級料理店“
故国を占領した蛮軍“エノ”、その他もろもろを相手に独自のけんか戦線を張る旧テルポシエ軍二級騎士、“第十三遊撃隊”めし係として、輝ける場所を見つけちゃった!と、むしろ喜んでいた。
朝のお粥はしょっぱい派、ほっとくと絶食しがちな本業お直し職人の隊長ダン。
下町
魚どころか猪の骨までかじり倒す、驚異の獣人ビセンテ……。
「……イスタの味覚の鋭さには、いつも驚かされたっけ」
敗戦直後、ひろって育てた敵軍側の少年傭兵のことを懐かしく思い出す。
そして初めて会った日に、自分の鍋を泣きながら食べてくれたエリン姫……!
大切な人達それぞれのために、心をこめて鍋を煮た歳月があった。
ようやく長い戦いが終わり、アンリは故郷テルポシエ市に帰って来た。そしてずうっと胸に抱いてきた夢、自分の店を開いたと言うのに。
……その店が、はやらない。全ッ然お客がこない、食べに来てもらえない!
ふうー、と長い溜息をつき、アンリは目線を上げた。市壁と海を背にしているから、眼前に広がるのはテルポシエ南区の住宅街だ。
ここは陥落の前、貴族たちの邸宅が集まっていた場所である。騎士たちが戦死し、国の支配階級がその身分を剥奪され追放されてからは、大きな屋敷は商人たちの手に渡った。その多くはいま、事務所や管理倉庫、大型店舗などに姿を変えている。商家兼住宅になっている場合も少なくない、……つまり人がいなくなったわけではないのだ。
この状態では、仕入れた食材代を支払うので精いっぱいだ。ちゃんと利益を出して、店長と副店長、用心棒と女将にめいっぱいお給金を払いたい!
給仕を手伝ってくれるナイアル母と姪のリリエルにも、たっぷりご祝儀を手渡したい!
ついでに、大邸宅をただで貸してくれているすてきな紳士、ミルドレにもお歳暮くらいは届けたいのに……!
今のところ、全部できていなかった。料理人は悔しくて、ふがいなくってたまらない。
「……場所のせいじゃあ、ないはずなんだ……」
アンリは東方向に頭をめぐらし、その一画をぎっときつく見据えた。
因縁のあるところ。彼自身の実家、“
ちなみにアンリは地図の読めない男である、よって確実にその旧店舗をにらんだわけではない。薄ぼんやりと感覚で見当をつけただけだ……そのへん詳細はまあ、気にしない。
――ナイアルさんは、ひまわり亭が奥まったところにあるせいだ、と気に病んでいる。しかし……、“麗しの黒百合亭”だって、そんなにわかりやすい立地ではなかったのだ! それなのに連日、予約あり・なしのお客でいっぱいだった……。この差は、何なんだ!?
アンリの脳裏に、きらっと兄の冷笑が思い出される。富裕な客層を相手どった高級志向、どこまでも素材にこだわって上から目線の料理を作り続けた料理人、ティエリ……!
「ぬううッ。必ず追いついてみせるぞ、兄さんッッ」
永遠の好敵手の記憶が、アンリのしぼみかけた心に火をつける。いきがるつもりで、料理人は無理やり空を見上げてにらみつけた……! その時。
「追いつくんじゃあ、ねえだろうがよ」
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