第6話 赤の星々
その日の夜、客間で寝ていた樹里は、隣のタキの部屋でタキがドアを開けて、どこかへ行く音がしたので目が覚めた。いつまで経っても戻ってくる様子がないので、ちょっと気になって客間を出、タキを探すと、リビングの窓が開いていた。そこから先はバルコニーである。しかし、バルコニーにもタキはいない。バルコニーの壁には、綱でできた梯子がかかっている。まさかと思って少し登り、屋根の上をのぞいてみると、タキが、デコボコとした屋根の上で体育座りで膝に顔を埋めて泣いていたのである。
樹里は、まずいなぁ、と思った。相当ショックだったのだ、あの子。裏切られた気分、というものは樹里もよく知っている。しかし、狩人で、あの落ち着いたタキがこれほどまでに落ち込むとは……。
どうにかして慰めないと、と思って、樹里は上へ登ろうと思ったが、いや待て、そっとしておいた方がいいんじゃないか、と思い、その両方の考えの間で挟まれ、動けなくなった。
こうなったのも、全部、ハジメが悪いんだ。全く、お互い、あの男には苦労しますなぁ——なんて思ってみたところで、樹里は、ハジメの塔でお茶を勧められたことを思い出して、タキにお茶を淹れてあげよう、と思った。
樹里は下へ降り、キッチンへ行き、やかんで湯を沸かした。もう何日間かこの家で生活しているので、ものの位置も大体わかる。
この砂漠に来てから、ことあるごとに勧められた、不味いお茶。でも効果はある、悔しいけど。このお茶、多分タキは好きだよな。私は全然好きじゃないけど。日本のお茶の方が断然美味しいけど。
ポットとカップをお盆に乗せて、はしごの前まで来た時、あ、と思った。どーやって登るんだ、これ。
そう樹里が思っていたら、タキがひょこっと上から顔を出して、下まで降りて来た。
「お茶、淹れる音聞こえてたよ。わざわざどうも」
とタキが言った。
樹里が何も言わないうちに、タキはお盆からお茶のはいったカップを取り、
「あなたの分は?あなたも飲みなよ」
と言って、あっという間にキッチンまで行って樹里用のカップを取ってきて戻った。いらないんだってば。
樹里は、仕方なく戻ってきたタキからカップを受け取ると、お茶を飲んだ。
二人はしばらく無言でバルコニーで膝を抱えてお茶を飲んでいた。
「星が見えるね」
そう先に言ったのは、樹里だった。
「うん、さっきまで見てたんだ」
うそ、うずくまって泣いてたじゃん、と思って樹里は思わずタキの方を見てしまった。
「ここの最上階から見る星が、一番綺麗なんだよ。他のどの塔から見るより、綺麗なんだ」
タキが、ヨクさんの塔、と言わないように気をつけているのが樹里にはわかった。だって他に塔なんてこの辺にはないじゃんね。とりあえず、
「そうなんだ」
と言って樹里はお茶を一口飲んだ。
「ニホンから見る星とこっちの星と、どっちが綺麗?」
タキが、随分子供っぽいことを言うので、樹里は、ちょっと困ってしまった。
「そうだなぁ、こっちの方が、色鮮やかだよ」
樹里は、思った通りのことを言った。事実、そうなのだ。この砂漠から見た星は、赤、青、黄、緑、というふうに、
虹のように光って美しい。美しい。けれど——。
「ここのは少し、不気味かな」
ここまで言う必要なかったのに、口をついて出てしまった。
「不気味?」
タキが、こっちを振り向いて言う。
「やっぱり、そうだよね」
思いの他タキがにっこり笑ってそう言うので、樹里は面食らった。
「私もさぁ、自分の知ってる星はこんなんじゃないって、今まで思ってきたのよ」
なるほど、タキも違和感を感じるのか、この星々に。そう思っていると、タキが、
「ニホンの星ってどんなの?」
と真面目な顔をして聞いてきた。これは真剣に答えなければな、と樹里は思い、少し悩んだ末、
「白い星が多い」
と答えた。こんな答え望んでいなかったのではないだろうか、と思った時には、
「白?」
とタキが反応していた。
「色のある星は無いの?」
とタキは畳みかける。
「あるよ、ある。青とか、オレンジっぽいのとか——」
「ふーん」
ここまできて、急にタキがつまらなそうな顔をした。そりゃそうか。こっちに比べたら青とオレンジなんて、屁みたいなもんか。
「私も、ニホンの星を見てみたかったな」
そう言うタキの顔は、つまらないんじゃなくて、寂しそうなのだと樹里は気づいた。樹里はそれを見て、
「私の好きな星はね」
と語り始めた。
「赤い星なんだ」
そう続ける樹里の顔を、タキが見つめる。
「赤い星って、あれみたいな?」
ひときわ赤く輝く一つの星を指さして、タキが言った。
「ううん、あんなに赤くない。けど、まぁ、赤っていうよりオレンジだけど、あっちの星の中では赤い」
と樹里が言うと、
「へえ、なんて星?」
とタキが聞いた。
「アンタレスと、火星」
「2個もあるんだ」
「並んで見えるんだよ。その二つの星が、赤さ比べをしているように見えることから、アンタレスは『火星の敵』と呼ばれているんだ」
樹里は、千鶴に聞いた知識を思い出しながら語った。
「へぇー」
ここまで聞いて、タキが、
「なんで、その赤い星たちを好きなの?」
と聞いた。
「何でだろう……。何でだろうね……」
樹里は、自分でも考えたことのなかった質問に、しばし悩み、
「赤が好きっていうのもあるけど……なんか可哀想だからかな……。お互い必死になって競い合って、誰に褒められるわけでもなく、最後には消えて失くなる——なんて」
「失くなるの?」
「星なんてみんなそうでしょ」
樹里がそっけなく言うと、
「まぁ、そうだよね……」
とタキが言った。
「消えないものなんてないか」
とタキが呟くので、
「悲しくなるからこの話やめよう」
と樹里は言った。自分から始めた話題がこんな流れになるなんて思いもしなかった。
「日本の星だって不気味だよ」
そう言って樹里は、少しでもタキを元気づけようとした。こんなんで元気になる人など居ようはずもないとは気づかずに。
「ヨクさんは、いや、ハジメさんはさぁ、ずっと知ってたんだよね」
タキがとうとう本題に入り始めた。できれば入ってほしくなかったのだが。
「このお茶、案外いけるよね」
樹里は、ちょっと無理があるとは思いつつも、そう言って話を変えようとした。
「ハジメさんはさぁ、迷惑だったんだろうね。本当は帰りたくないのに、私に前の世界のこと無理矢理思い出させられて。かなりしんどかったんじゃないかなぁ」
樹里は、タキの肩に腕を回し、
「なんだ、そんなこと心配してたのか」
と言った。
「だってそうでしょ、私、相当面倒くさいやつだったんだよ。いつも適当にあしらうの大変だったんだろうなぁ……、そう思ったら、ハジメさん、可哀想に思えてきて……」
「それは違うよ」
と樹里は自分でもびっくりするくらいきっぱりと言った。
「いくら事情があったとしても、それを説明しようとか、人に明かそうとしなかったアイツにも問題があるんだよ。いずれタキを苦しめることになるかもしれないってわかってたのに、そうしようと思わなかったのはアイツの欠陥だ。アイツには、人を人と思わないところが少しあるでしょう?それを見つめ直すチャンスを、タキはアイツに与えたと思った方がいい」
樹里は自分でも、こんな非道い言い分はないんじゃないかって思いながらも、言った。
樹里の言葉を聞いて、
「そういえば、ユナ婆に会ったとき最後に言ってた……。『何故ヨクが帰りたがらんのかそれは知らん。人には事情というものがある。しかし、お前に心を開いていると見えるあのヨクが、何故お前に協力せなんだか、わしは、そのことの方が気がかりじゃ、奴は、また心を閉ざそうとしておるのではないのかね』って」
とタキは言った。
「『また』?」
と樹里。
「うん……。ヨクさん、こっち来たばかりの時、人と付き合うのは今以上に極力避けてたから——」
「そうなんだ……」
と樹里は言った。
「でもさ、樹里もユナ婆も言うけどさ、ハジメさんにある、『事情』って何なのかな。私、ヨクさんとは相当仲良くなったつもりでいた。それなのに、本当に誰にも明かせないようなことが、あの人にはあるんだね。それって、一体何なのかな」
タキは、洟をすすりながら言った。
「わからない」
樹里は、夜空を見つめながら言った。
虹色に輝く星々の中で、あの赤い星だけが、ひときわ明るくざわめいて見えた。
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