第2話 砂漠のタキ

「来訪者だ」

 夕暮れ時も終わり頃、少女タキは、ロープを掴むと、それを伝って窓から下へ勢いよく滑り降りていった。

 初めは怖がっていちいちオンボロのエレベーターを使っていたが、降りる時はこのほうが早いし、やってみれば意外と簡単だとわかってからは、外に出る時はこの降り方をしている。この動作も、今や慣れっこで、体は半自動的に動いてくれる。

 あっという間に高層「アパート」の最上階から地面近くまで来ると、タキは勢いを緩め、砂を舞あげないようにそっと地面の上へ降りた。

 ここはデザという砂漠。「アパート」と、天道虫型の建物の「ドック」と、遠くに見える小さな塔、そして唯一の水源である小さな湖以外何もない。少し行けば森もあり、生き物もいるが、それ以外には本当に砂しかない、見放された、寂しい土地だ。

 この土地にも、大昔は国があり、町が栄えていたらしい。しかし、長い年月を経た今、その跡形はほとんどなく、唯一残っているのが当時貴族が見晴らし目当ての道楽で建てた「アパート」だった。「アパート」は、趣味の悪い姿形をしていた。遠くから見るとものさしみたいに見える随分と高いエレベーターと螺旋階段の上に、尖塔付きの、縦に細長い家がいくつもくっついた、頭でっかちでバランスの悪い形状だ。尖塔の色は当時はシックで上品な色合いをしていたみたいだが、今じゃ「アパート」の現大家であるユナ婆の趣味で、極彩色の赤や緑、オレンジといった色で塗り替えられ、ゴテゴテとした印象だ。貴族の末えいだと言い張るユナ婆の言い分によれば、他の貴族達は遠い昔に、後ろ暗い魔術の力によって大地をかち割り、大地のかけらごと「昊」へと逃げて行ってしまったそうだ。今でもたまに、綺麗にカットされた宝石のような形をした大陸が、宮殿を乗せて空に浮かんでいるのが見えることがあるだろう、とユナ婆は言った。確かに、正面から見ると菱形をした島のようなものが、空に浮かんでいるのをタキも何度か見たことがあった。

 さて、そろそろ来訪者の話をしよう。

 ここの砂漠では、そうしょっちゅうではないが、湖から人が浮いてやってくることがあった。湖から来る人は皆、湖と繋がっている「どこか」から来た人みたいで、記憶が曖昧だったり、言葉が通じなかったりすることもあった。その、湖から来た人々をここでは来訪者と言った。

 タキも、来訪者の一人だった。

 タキの後に来た来訪者は、これで五人目。いずれにしろ、来訪者はここではそう珍しいものでもなかった。むしろ、ここでは元いる人々と、来訪者が集まって助け合って暮らしている感があった。

 タキは、すでにできている人だかりの間を縫って、来訪者、湖の岸で介抱されている者の近くへ行った。

 タキと同じ歳、十六ぐらいの女の子だった。びしょ濡れで、大きなタオルに包まれて、歯をがたつかせて震えている。顔立ちはそこそこ。体つきを見ると、過去にそれなりに鍛えてきた者だとわかる。

 タキは、その子を見た時から、じゃりっと砂を噛んだような気持ちだった。その子の髪は、黒かった。タキの昔の髪色と一緒だ。黒い髪の者が来るのは珍しい。タキの髪は、ここで食べているもののせいか、それとも、砂漠の砂に含まれている鉱物のせいか、何故か明るい茶色になってしまった。それに、ろくに手入れもできていないため、傷んでいる。それに比べ、この子の髪は、美しい。

 タキは、来訪者のすぐ側に既にシュウがいることに気がついた。シュウは、タキの親代わりをしてくれた男性だった。シュウは、その温厚かつ鷹揚な性格を気に入られ、この砂漠の人々のまとめ役の立場でもあった。シュウは、タキが近づくと、

「タキ、いいところに来てくれた。この子は、少しパニックになっている。記憶もあるみたいだ。何より、昔のお前と同じことを言うんだ。ちょっと、落ち着かせてやってくれないか?」

 シュウが、タキにそう言うので、タキはさらに来訪者のそばへ近寄り、

「大丈夫?」

と聞いた。すると、来訪者はこう言った。

「大丈夫じゃない。ここは何処?帰らなきゃ。ドヨウが来る前に……」

 キィィィィィン。と、耳の奥で高い音が鳴ったような気がした。

 ドヨウ

 ここずっと、他の忙しいことにとらわれてずっと忘れていた言葉だった。

 タキが幼い頃この砂漠に来た時、タキもまたこの湖の岸で介抱されていた。そこに来るまでの記憶がほとんど無い中、一言口にしたのが、「ドヨウ」という言葉だった。

 ただ、この言葉は、この砂漠では通じないらしく、人々は皆首をかしげるばかりだった。タキは、記憶は無いながらも、自分は何処か遠いところから来た、と言うことを実感したのだった。

 タキは、幼い頃からドヨウとは何か、自分は何処から来たのかを調べてきた。しかし、来訪者の集まるこの砂漠でも、ヒントとなるものはほとんど無く、時間だけが過ぎ去っていった。

 ドヨウという言葉すら忘れかけていた、そんな時に、目の前にその言葉を口にする者が来た。タキは、自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

「ドヨウって、何?」

 タキは、逸る心を抑えて、これでも慎重に聞いた。

「ドヨウはドヨウ。それより、私、変な世界に来ちゃったの……?」

 タキは、シュウと目を合わせ、ここは彼女のパニックを抑えることが先、と判断し、彼女に語りかけた。

「大丈夫。ここは変な世界なんかじゃない。まずは落ち着いて。これを飲んで」

 タキの後ろにやって来た少年が、気分の落ち着くお茶を持って来てくれたので、タキはそれを受け取ると、来訪者に差し出した。来訪者は、受け取っても、それを見つめるばかりで口に運ぼうとはしなかった。

「いいから、飲んで」

 タキは、来訪者の目を見て言った。タキの目つきは、半ば脅しかけるようなものだったと思う。大体、人を落ち着かせるのは、そんなに得意じゃない。シュウの方が上手だ。ただ、シュウでも落ち着かせるのがむずかしかったとなれば、私がなんとかするしかない。

 来訪者は、嫌々ながら、それを口に運んだ。言いたいことが、たくさんあるらしい。こちらとて、聞きたいことがたくさんある。まずは、全部飲んで落ち着いてもらわねば。

 来訪者がお茶を全部飲むのを見届けると、タキは、

「上へ行こう。その方が休まる。立てる?」

と言って、来訪者に片手を差し出し、立つように促した。

 来訪者はおそるおそるタキの手を取り、立ち上がった。足は怪我していないようだ。

 シュウが人だかりに、散るように命じた。タキとシュウ、そして来訪者は、「アパート」へと向かった。

 来訪者は、見るもの全てに恐怖心を抱いているようで、その怯えが正直うっとおしかった。

 「アパート」のオンボロエレベーターのシャッターが開く。それにすら怯える来訪者。

 タキ達はエレベーターに乗り込むと、黙って最上階まで行った。

 最上階の扉が開いた途端、タキは、自分もだが、来訪者がピンと張り詰めていた気を緩めたのを感じた。

 最上階は、狭いが居心地の良い階だ。シュウとタキが暮らしている。この階は、シュウの好きでよく焚きしめるお香の香りや、お茶の香りが混ざり合って、何ともいえない落ち着く空間になっている。

 タキは、来訪者を自分の部屋に案内して、タンスから自分の服で余っているものを取り出すと、

「とりあえずこれに着替えて」

と言って差し出した。来訪者はタキの服に着替えると、一気にこの砂漠の者らしくなった。タキは、自分が着るより似合っているんじゃないかと思った。

 タキと来訪者は、それからダイニングへ行った。シュウはキッチンで、さらにお茶を淹れてくれていた。

 タキは、来訪者に、自分の普段使っている木でできた背もたれのある椅子に座るよう促し、自分はより簡易的なパイプ製の丸椅子に座った。

「お、服、似合ってるじゃないか」

 シュウが、カップについだ全員分のお茶をテーブルに置きながら、来訪者に言った。

「ここにきて、少しは落ち着いた?」

とタキが聞くと、

「はい」

と来訪者は言った。

「ここはデザという砂漠。私もあなたと同じで、湖から来た。もし、この砂漠に来る前の記憶が少しでも残っているなら、何でもいい、教えて欲しい。」

 タキがそこまで言うと、

「あなたも?」

と来訪者がタキの方を見た。タキは、

「私の場合は、記憶がほとんど無かったんだけどね」

と言って、シュウが淹れてくれたお茶を飲んだ。タキ自身も、パニックこそ起こしていないものの、落ち着きたかったので、このお茶は、沁みた。

「記憶が無いって……?あなたも私と同じ世界からきたけど、その世界の記憶が無いってこと?」

と来訪者が聞いた。

「言い切れないけれど多分そう。この砂漠のずっと遠くから来た、と思う。あなたが言った、『ドヨウ』と言う言葉も、私は唯一覚えている。だから、きっとあなたと私はかなり近いところから来たんじゃないかと思ってる……」

タキがそこまで言うと、

「こっちって、ヨウビの概念ないの?」

と来訪者が言った。

「ヨウビ?」

タキが間髪容れずに聞くと、

「うん、ヨウビ。七日間あって、一週間でしょ?それが四回あって、一ヶ月。一週間のうち、お休みの日のニチヨウの一つ前の日を、ドヨウと呼ぶ。まあ、今の時代、ニホンはドヨウも休みなんだけど」

 来訪者が淡々と答えていくにつれて、タキの体から力が抜けていった。

「なんだ……。ドヨウって……。そんなことか」

 タキはうなだれた。

「何?私、悪いこと言っちゃった?」

 来訪者はタキの様子を見て慌てていった。うなだれるタキはそのまま動かない。

「ドヨウか……。こっちでは、サチャって言うんだ」

 苦笑いしたシュウがそう言うと、来訪者は、サチャ……と小さく口の中で呟いた。

「まあ、ドヨウの意味がわかってよかったじゃないか、タキ」

 タキは顔だけ上げてシュウの方を睨みつけた。

「こいつ、こっちに来てから、ドヨウの意味を知ることに命かけてたようなもんだったから」

 シュウが、来訪者に向かってそう言うと、タキは、いきなりガバッと椅子から立ち上がり、

「まあ、一歩前進したし、いいか!」

と声を張り上げ、続けて、

「まだ聞きたいことがあるんだ。今言った、ニホンって何?」

と言った。

「まあまあ、そう焦るなよ、タキ。それより、こっちに来た以上、生活することになるんだから、そのことについて考えよう……、もう夜遅いし、疲れただろう、食事にしなければ。用意するからその間、客間を見てくるといいよ。タキ、案内してあげなさい」

 シュウがそう言ったので、タキは来訪者を客間に案内した。その後、客間を出ようとしたその時だった。タキは、気づいた。いけない、ドヨウにとらわれすぎて、来訪者の名前、聞くのも忘れてた。

「あなた、名前はなんて言うの?」

と、タキは来訪者に尋ねた。来訪者はちょっと笑って、

「……教えてなかったっけ?」

と言った。

「うん。私はタキ。ここではそう呼ばれている」

とタキが言うと、

「私は、ジュリ。ハヤシダ、ジュリ。」

 タキは、口の中でジュリ、と小さく呟いた。

「よろしく」

「こちらこそ」

 二人は、まるで古くからの友人かのように、目を合わせて笑った。

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