星とバスケットゴール

おれんじ

第1話 星とバスケットゴール

 樹里は照明も薄暗いバスケットコートに寝そべって、これまた見えるんだか見えないんだかわからないような小さな星が散りばめられた暗闇を見つめ、自分の視力が幼少期に比べて格段に落ちたことを実感していた。昔は空を見上げれば、星がもっとたくさん見えた。でも今は手で数えられるほどしか見えない。制服越しに伝わるコートの硬さに背中が痛い。でも腕に当たるコートは少しひんやりしていて気持ちが良かった。

 普段だったら、絶対こんなところに寝そべったりしない。そもそも、樹里は日々学校の課題に追われる高二である。そんなに暇ではないのだ。では何故、こんなところで寝ているか。今日は特別だった。もしこの間、あんなことを知らされなければ、樹里だって普通に課題をしていただろう。

 いい加減そろそろ帰ろうか。星なんて見上げたところで現実の問題は変わりはしない。そうわかってはいながらも、樹里の体はだるくていうことをきかなかった。ずっとここで寝ていたい。学校も課題ももう本当にどうにでもなれ。そう思って寝そべり続けていた時だった。

 左足首に激痛が走った。

「いった……」

 一瞬、何が起こったのか本当にわからなかった。ただ、左足首に鈍い痛みだけが広がる。

「わっ‼︎すみません‼︎大丈夫ですか⁉︎」

 少女の声がして樹里はそちらを見た。半袖ハーフパンツ姿の小学校高学年くらいの少女がこちらに向かってペコペコ頭を下げている。どうやら、この少女に左足を踏まれたようだ。

 でも、この少女、いつの間にここに来た?少女の気配にも足音にも気づかなかったなんて、私は一体どれだけぼーっとしていたんだろう?そして、この少女もまた然り。いくら薄暗かったとはいえ。

 そんなことを樹里が考えていると、少女は樹里の左足首を見て、

「傷が」

と言った。

「大丈夫、こんなかすり傷。すぐ治るよ」

 樹里はすぐにそう言った。

「……すみません。あたし今、絆創膏持っていなくて……買ってきます」

「いや、本当に大丈夫!そこまでされるとかえってこっちが気つかうから」

 樹里が慌ててそう言うと、少女ははっとした顔をして、また、

「すみません」

と言った。

「そんな謝んなくていいよ」

 樹里はそう言って立ち上がった。

「ほら、この通り平気だし」

 そう言って樹里は左足首をひらひらして見せた。

「じゃ、私はこれで……」

 そう言って樹里はその場を立ち去ろうとした。

「待ってください、邪魔するつもりはなかったんです」

 少女はそう言って樹里を呼び止めた。

「ここで寝ていたんでしょう?あたし、こんなところで寝てる人がいるとは思っていなくて……」

 少女はそう言った。

「あー、別に寝てなかったから、いいよ。いや、寝転がってはいたけれども」

 樹里は、少し面倒くさく思いながらそう言った。

「じゃあ、寝てなかったんなら、何してたんですか?」

 少女は、半ば怪しむような、しかし、好奇心のこもった目で、樹里を見つめ、聞いた。

「……星を見てたんだ」

 樹里は言いながら、ああ、なんでこんなことを小学生相手にクソ真面目に答えてるんだろうと思った。星を見てたと他人に言うなんて、恥ずかしすぎる。

「星ですか⁉︎」

 少女は、意外と食いついた。それは樹里にとって予想外のことだった。絶対、嘲笑われるか、変な人と思われると踏んでいたのに。

「いいですよね、星。今日、何か流星群とか見える日でしたっけ?七夕は3日前でしたよね?何見てたんですか?」

 樹里はやはり恥ずかしくなった。今日は別に何が見える日でもない。普通の夜だ。なのに、そんな風に張り切って聞くな——。

「別に。何を見てたわけでもないけど……」

 樹里がボソボソと呟いている間に、

「あ、ここ意外と星よく見えますね。あ、あれ、さそり座だ。あっちはいて座。」

と、少女は空を見上げて述べて見せた。そんなに見えたか?私にはよく見えないし、それにそもそもいて座がどんなものかなんて知らない。この子、星好きなのか。そして、視力も良いらしい。

「そういうあんたは、なんで夜中にこんなところに来たの?」

 樹里は、ちょっと悔しくなって腹いせに聞いてみた。この少女だって、何かしら理由があってここに来たのだろう。こっちからも聞いていいはずだ。すると少女は、

「……。バスケの練習ですよ」

と、見え見えの嘘を言ってのけた。

「……ボールも持ってないのに、どうやって練習するつもり?」

 樹里は、意地悪だなぁ、自分、と思いながら聞いた。すると少女は、

「エアバスケです」

と言った。そして、

「こうやって、自分がボール持ってると仮定して、相手の動きを想像して練習するんです‼︎」

と言いながら、どうやらエアバスケなるものをやり始めた。エアバスケだとしても、少女の動きは恐ろしく下手に樹里の目には映った。

「ボールは仕方ないとしても、相手いたほうがよくないか?」

 樹里はそう言いながら、のろのろと少女とゴールの間に立つと、足を開いて腰を低くして、言った。

「さあ、来い。私のディフェンスを抜いてみろ」

「は?」

 少女は一瞬呆気に取られ、間の抜けた声を出した。

「ほら、エアバスケするんでしょ?そっちがオフェンスでしょ?だったら、私のディフェンス抜いてみなよ」

 少女は、しばし黙った後、

「バスケ、強いんですか?」

と言った。

「さあね。強いかどうかは、自分で確かめなよ」

「……はい」

 少女は、深呼吸した後、かかって来た。


「ハァ、ハァ、ハァ……」

 少女は、息を切らしながら言った。

「いやー、全ッ然抜けない。何者なんですか、あなた」

「まぁ。ちょっとかじってたからね、バスケ」

「かじってたなんてもんじゃないでしょう?」

 少女は、エアバスケこそ下手だったが、それでも樹里の力量を測る目ぐらいは持っていた。

「ああ、でも、結構面白かった」

 樹里は、心から満足しながら言った。そして、

「ねぇ、これからもバスケの練習しようよ」

なんて、ちょっと普段じゃ考えられないようなことを、言っていた。少女は驚いている。その顔を見て、樹里は、

「いや、久しぶりにやったら、想像以上に面白かったからさ。今度はさ、ボール使って、もっと本格的にやろうよ。私も体なまってきてるから、鍛えたいし」

と言った。

 樹里はその直後、この少女はおそらく本当はバスケをしに来たわけではないことを思い出し、まずいこと言ったな、と思った。しかし、少女は、大きく目を見開いて、

「いいんですか?」

と言った。

「うん」

「でも、練習につき合ってもらうなら、何かお礼をしなきゃ……欲しいものとかありますか?」

 少女は、真剣な顔つきでそう言ってきた。

「別にいらないけど……。私も楽しくてやるんだし」

と樹里が言うと、

「ダメです。足踏んだお詫びもあります」

と、少女があまり真剣に言うので、樹里もうろたえて、考えたあげく、こう言った。

「……じゃあさ、星のこと、教えてくれない?」

「星?」

「うん、あなた星好きなんでしょ?私も宇宙のことわかれば、少しは……」

ここまでいって、樹里は、言葉を切った。

「少しは?」

 少女がたたみかける。

「……成績良くなるかなって、思っただけだよ」

「なるほど、高校生も大変ですね」

 少女は、樹里の制服を見て、納得したように頷いた。チッ。何にも知らないくせに。

「ところで、次の土曜日の午後三時なら私は空いてる。あなたは?」

 樹里が聞くと、

「大丈夫です」

と少女は頷いた。

「じゃ、その日、またここで会おう」

そう言って、それじゃ、と樹里が帰りかけると、

「あ、待ってください」

と少女が呼び止めた。

「名前、教えてください」

「……教えてなかったっけ?」

「はい、私は、風間千鶴と言います」

「私は、樹里。林田樹里」

 少女は、じゅり、と口の中で小さく呟いた。

「よろしく」

「こちらこそ」

 二人は、目を合わせて笑った。

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