第4話 初めてのお給料。
ギルド職員の仕事は市役所の窓口に近い。
ざっと業務内容を列挙していくと――
ダンジョンの攻略許可申請の受理。ギルドに登録している探索者の審査。探索者たちがダンジョンで拾ってきた
と、これだけの仕事がある。
覚えることが山ほどあり、多忙を極める日々だが、なんとかやれている。
それもこれも同僚たち――というより佐藤さんのおかげだった。
「マニュアルはここのフォルダにあります。わからないことがあれば、チャットで連絡ください。データ入力が終わったら、私に回してくださいね」
「はい」
「では、お願いします」
佐藤さんはギルド内にある総務課の課長である。
勝手に結構年が離れていると思っていたが、実は年齢は俺より三つだけ上らしい。
業務で使われる管理ツールやマニュアルもすべて佐藤さんが作成したという。
そりゃあ、二十代のうちに課長ポジにもつくなと納得できてしまう。
ベテランのおじさんも、おばさんも、みんな佐藤さんを頼りにしている。
探索者たちの中には、受付に立つ佐藤さん目当てで来る人も多いが、本気で佐藤さんを口説く輩はいない。
佐藤さんの薬指に光る指輪のせいだ。
「結婚三年。幸せにやってます〜」
うふふ、と笑う佐藤さんに、ぐぬぬ、と探索者たちはここにいない旦那への憎しみと嫉妬をたぎらせる。こんな光景を毎日のように見ていた。
まあ、当然の話ではある。
あんな美人で優しい人、周りが放っておくわけがない。
だから全然残念になんて思ってない。身のほどはわきまえている。
……本当だよ?
なんにせよ、ギルド『カーバンクル・ホーム』はいい職場だ。
田名部さんはもともとA級探索者だったらしく、全国のダンジョンを深層まで制覇したことがあるという。
だからなのか、探索者の気持ちを田名部さんはよくわかっており、ここのギルドに集う探索者たちはどこかみんな、気安い雰囲気を漂わせていた。
そんな『カーバンクル・ホーム』の空気が、俺には大変居心地が良かった。
こうして『カーバンクル・ホーム』での日々にもすっかり慣れ、やがて俺の口座に初任給が振り込まれた。
もともと実家暮らしのあいだは、両親に五万渡すと決めていたが、せっかくなので焼肉を奢ることにした。
ちなみに妹の瑞希も一緒だ。
「人のカネで食う肉ほど旨いモノはない」
とは妹の談である。
なんて清々しい奴だ。
行永家が向かったのは、近所の焼き肉屋である。高級肉とはいかなかったが、それでも両親は大層感激してくれた。
「お兄ちゃんが生きて目覚めてくれただけでも嬉しいのに、就職してごちそうまでしてくれるなんてねえ」
「無理はしなくていいからな。ゆっくりでいいんだぞ、太郎」
両親はオーバーに喜んだ。
なんだか善行を行なった不良みたいな扱われ方でこそばゆい。
俺たちは焼肉をつつきながら、近況を話した。職場のこと、同僚のこと、瑞希の大学のこと、ダンジョンのこと。
「そういえば、ダンジョンには最近、潜ってるの?」
妹はハラミを食べながら、訊ねてくる。
俺もタン塩を箸でつまみながら、答える。
「行けてないな。休日は勉強ばっかりだし」
「職員ならダンジョン巡回の仕事とかもあるんじゃないの?」
「B級以上の資格がないと無理。俺一人じゃ、中層にもソロで潜れないよ」
ダンジョンは階層が深くなるほど、出現するエネミーも強くなり、階層のフロアも広大になる。
このため、各ダンジョンの階層は難易度に合わせて、表層、中層、深層に分けられている。そして、ダンジョン協会の規約により、探索者が進める範囲はランクごとに区分されていた。
C級がソロで潜れるのは表層まで。B級なら中層まで、A級なら深層もソロで潜ることが可能、といった具合だ。
ちなみに最高ランクであるS級は規格外なので、ここでは考慮しない。
ダンジョン巡回の仕事につくには半年に一度のランク昇格試験を受けて、B級にならなくてはいけない。
巡回の仕事をするなら中層まで行かないと話にならないので、今の俺の担当業務にはならないのだ。
「どうせ潜るなら中層まで行きたいけど、それにはパーティを組まないとだし。俺と組んでくれる人を探すのはちょっと時間がかかりそうだな」
「ふーん。コミュ障は大変だねえ」
皮肉ではなく、本当に大変そう、という同情の念がこもった一言だった。
やめろ、妹。今の発言、兄貴にはとても効く。
「だったら、瑞希ちゃんがついてってあげたら?」
突然、母はそんなことを口にした。俺も瑞希も予想外の方向から飛んできたボールに面食らってしまう。
「いやいや、母さん。さすがに瑞希と行くのは……」
「だって瑞希ちゃんのほうがお兄ちゃんより強いんでしょ? 中層? とか詳しいことはよくわからないけど、瑞希ちゃんと一生だったら、問題ないじゃないのー。ね? お父さんもそう思うよね」
「ん-。いいんじゃないか?」
父は気のない返事をする。
俺はすぐに母の提案に乗っかることはできなかった。
瑞希が探索者になった当初、俺は一回だけ、ダンジョン潜りに付き合ったことがある。免許を取ったのは俺の方が先だったので、兄貴風を吹かす気満々だったのだ。
しかし瑞希のほうが探索者としてずっとセンスが高かった。俺はそれを認められなくて、マウントを取ろうとしたが、結局は惨めな結果に終わった。
以来、瑞希とはダンジョンに潜っていない。あそこで兄貴としての尊厳はゼロになったと思っている。
瑞希もいい思い出はないだろうし、この提案になるメリットもない。
俺はさっさと話題を変えようとしたが、そこで瑞希は言った。
「まあ、それでもいっか。ヒマだし」
「マジで?」
俺が驚いていると、瑞希は眉をひそめる。
「なに。イヤなの?」
「……そういうわけじゃないけど」
絶対、嫌がると思っていたのに。
どういう風の吹き回しだろ?
「わたしが一緒だったら、大抵のところは行けるし。強いモンスターも倒せるから、兄貴も経験値稼ぎやすいと思う。メリットはあんじゃない?」
「お前にメリットはないだろ」
「ない。だから、これ頼んでいい?」
瑞希が指差したのはメニューに記された『希少部位盛り合わせセット』である。ザブトン、トモサンカク、カイノミなどが一皿に盛り付けられていた。心臓が冷たくなりそうな値段をしている。
こいつ、いい性格してやがる。
でも瑞希と組むのは確かに面白いかもしれない。A級探索者がどういう動きをするのか、間近で見るいい機会だ。
「わかった。好きなの頼んでいい。C級のキャリーもよろしくな」
今度は瑞希が意外そうな顔をしたが、すぐににやりと笑い、店員を呼んだ。
「すいませーん! メニューの追加お願いしますー!」
俺はやれやれと思いながら、ウーロン茶を飲もうとした。そこで母がこちらをニコニコ楽しげに見ていることに気づく。
「どうしたの?」
「お兄ちゃん、頼もしくなったわね。母さん、本当に嬉しい」
「やめてくれよ、気持ち悪い」
二十代も半ばになろうとしてる男に何を言ってるんだ。
「あとは、いい彼女を見つけてくれれば、言うことなしね。そう思うでしょ、お父さん」
「ん-、そうだな」
父、少しは家族の会話に関心を持ってくれ。
彼女、彼女ねえ。
童貞には縁が遠すぎて、いまいちピンとこない話だった。憧れの人は既婚者だし。
しかし彼女という言葉を聞いて、俺は不意に彼女たちのことを思い出した。
リリアン、グラディス、ウィノーナ。
夢の世界で共に旅をした仲間たち。
彼女たちは俺の夢とは思えないほど、実在感があり、生き生きとしていた。
行き違いから全員、俺と結婚していたと思い込んでいたみたいだけど……そういう意味では、俺は彼女どころか結婚歴があるということになるのか?
いや、ないな。この話はないない。夢を勘定に入れるなんて我ながらキモすぎる。
俺は頭に浮かんだ妄想の嫁たちの姿を振り払い、最後に残ったカルビに箸を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます