第53話 このままでいいや

 せっかく思い出したあの記憶を全てなかったことにするなんてもったいない気がする。


 あの冒険の日々、勇者として生きた記憶、仲間達との友情、そして姫と過ごした時間。


 それらを考えて俺はこう答えた。


「いや、いいですこのままで」


 記憶を消す必要はない、このままでいいと、俺はそう答えた。


「俺は、仲間達と一緒にいて冒険の日々を過ごした。確かに苦しいことも辛いこともあったけど、喜びだってあった。そのことを忘れたくない。俺が間違いなくあそこで勇者だったという名誉はそのままにしたい」


「ほう、なぜじゃ?」


「だって、貴重な経験じゃないですか。異世界で勇者として生きてただなんて、普通に生きてたら絶対に味わえなかった経験で。ほら、最近は異世界転生のアニメや小説だって流行ってる時代だし、この記憶があれば俺達もそういう創作に生かせるかもしれないし、実際に異世界にいたんだからリアルに描けるかなーって。俺、部活で漫画を描いてて、そういうの描くのに憧れてたんです」


 淳はそれを聞いて笑った。


「あっはっは、確かに。俺と兄貴、そういう漫画を描こうとしてたっすよね。ならこの記憶があった方がそういうのリアルに描けるかも。なんせ俺達、本当に異世界にいたんだから。ならこの記憶があった方が世界観も戦いのストーリーを描くのに役に立つかもっす。じゃあ俺もこのこと忘れたくないっす。記憶は残ったままでいいっすよ」


 淳のそれを聞いて、岸野さんも微笑んだ。


「では、私もこのままでいることを望みますわ。みなさんとの大事な記憶、持っていたいですもの」


 机の上にいたモモ太もぴょん、と跳ねた。


「ぼくもこのままでいいです。これからもご主人と一緒にいたいから」


「みんな……」


 俺達のその感動モードに、美智香は複雑な顔をした。


「美智香はどうする?」


「え……?」


「だって美智香にとっては辛い記憶だろ? 姫として生贄にされて、恐ろしい記憶だったんじゃないのか? 美智香はアイドルだし、これからの人生がある。それなら無理に俺達と同じ記憶なんて持ってる必要なんてないんじゃないのか?」


「えーと……」


 美智香は少し考える素振りをして、こう答えた。


「私も……このままでいい」


 それは意外な反応だった。


「いいのか?」


「だって、前世でお姫様として生きていた記憶なんて素敵じゃない。確かに私も最後は怖い思いをした。けれど、こんな経験なんて普通の人は出来ないもの。ほら、私の新曲だってお姫様って歌詞が出てたじゃない『私とメロンの甘いキス』って歌。こういうのはよりそういう記憶があった方がリアルな感情で唄えるかも」


 そういえばそんな歌だったな。「目覚めれば私はお姫様」という歌詞があった。


 あの時はいかにも甘い歌詞のアイドルソングだと思っていたが、美智香は本当に本物のお姫様だったのだから、合ってる気がする。


 全員の意見が一致した。俺達は記憶を消さずにこのままでいいと。


「俺達が前世でも繋がりがあって、この世界でもこうしてまた一緒にいることができただなんてなんか深い友情だって感じるじゃないですか。確かに辛い記憶だった。でも、それがあるからこそ、俺達はこうしてまた巡りあって一緒に戦うことができた。それだって運命です」


「私もここでみなさまにまた会えたことを奇跡だと思いますわ」


「俺もっす。みんなとの友情は前世からって思うと熱いじゃないっすか」


 俺達はフィロ神にその意思を伝えた。


「ではお前達はそのままでいることを望むのだな。記憶を消さずに、覚えておくと」


「ええ。俺たちはあの世界のことを忘れないまま生きていこうと思います」


「よかろう。それがお主らの望むことならば」

 フィロ神は納得したように、頷いた。


「お前達の役目も終わり、お前達の希望も聞いたのじゃ。わしは再びフィローディアの神としての役目に戻る。わしはお前達とはこれでお別れじゃ」


「はい。色々とありがとうございました」


「ではさらばじゃ。達者で生きるのじゃぞ」


 フィロ神は俺達の目の前からすぅーっと消えていく。


「色々とありがとうございました。お元気で」


 みんなでフィロ神を見送った。


 これで全てが終わったのだ。


「じゃあ、今日はここで解散か。みんな気を付けて帰るんだぞ。美智香は俺が彼女の実家へ送っていく。美智香もそれがいいだろ? 今日は実家に帰ったと思えばいいんだ」


「うん。わかった。じゃあ今日は家に帰るね」


「じゃあ兄貴、また学校で」


「では私も帰りますわ。今日はみなさんもゆっくり静養なさってください」


「ああ。じゃあな。気を付けて帰るんだぞ」


 こうして俺達はそれぞれこの日は家に帰ることになった。

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