第4話 変装其のニ 美雨《メイユイ》
しばらくして奥から戻ってきた時、春明は大きな籠を抱えていた。
「ちょうどいいのがありましたよ。
今回はお毒見の少女、という設定でいきましょう。給餌係には、話を通せる者がおりますから。女給の衣装と黒色の直毛の鬘です。これだと、色を染める必要がなくて便利でしょう。貴女の髪色は目立ちすぎる」
ポン、と頭に髪の毛の束が被せられる。
目の前に落ちてくる黒髪の束。
ふと、こないだの蒼龍とのことが頭に湧いて、こそばゆい気持ちになってしまう。
小蘭は女給用の衣装に袖を通しながら、雑念を打ち消すように当たり前の疑問を口にした。
「先生ってさ、何でこんなに準備がいいの?いつも何処で手に入れてるの、こういうの」
春明は、クスクスと笑った。
「さあ、どうしてでしょう?ひょっとしたら
「む、ありがと」
ともかく、小蘭の変装のバリエーションが増えた。
「いいですか?黎貴妃の
もし勘付かれたら、私もあなたも、手引きを頼んだ友人も終わりです。
……特に貴方を目の敵にしている雲流には気をつけて。貴女の最大の特徴の金の髪は隠しましたが、翠の瞳は隠しようがない。せめて前髪でこう、隠しましょうか」
「わ、前が見えないよ」
「我慢してください。いつもの甲高い声は封じて、ボソボソと低い声で喋りなさい。ぴょんぴょん跳ねる動作はやめて、前かがみでゆっくり歩くこと。
名前は
「何で?」
「人の交代が分かるように。……察してください」
ぞぞっと、背筋に冷たいものが上がってきた。
「小蘭、私が最近、頻繁に
小蘭、私からも、是非お願いします。
「…わがっだわ…これで…いいがしらぁ…」
「……。
まあいいでしょう」
小蘭の、新たなキャラクターの演出に、春明は何とも浮かない顔をした。
さて、その3日後。
先生の診察の日に合わせて、私は黎貴妃様の居る東宮に入った。
(いいですか、くれぐれも大人しく。もう少し背中は伸ばして、それじゃあおばあさんみたいです。こらそこ、飛び跳ねない!)
私は先生の後ろに控え、その後ろに、黎貴妃様のお膳を下げた女給達が連なっている。
私は、さっきから歩幅を小さくしたり、背中を丸めたりと頑張っているのだが、厳しい演技指導がしきりに前から入ってくる。
にしたって、厨房から東宮までが、こんなに遠いだなんて、驚いた。
これじゃあせっかくのご馳走も、黎妃様のところについた時には冷たくなってしまうだろう。
厨房のすぐ近くに
東宮門には、思い出したくもない男が待っていた。
雲流だ。
「来たな女ども。これより、東宮様謁見の検閲を行う。一列に並ぶがよい」
たまたまのお役目のくせに、相変わらず嫌なやつだ。
雲流は、偉そうに私たち女給に指図をして、彼の前に並ばせた。
(先生は別格なので、後ろに控えて待っている)
左から順に、ねめつけるように上から下までを眺め始めた。
「んー、どれどれ?凶器など隠してはおらんだろうな。おや?この膨らみは大きすぎるな。もしや、武器ではないのかぁ」
「ひっ」
主菜のお膳を手にした若い女給の胸元を、むんずと掴む。
「うむ、固いものは…なさそうだな。おっと、膳を落とすなよ。死罪になるぞ」
雲流は、面白がるように必死で膳を掴む女給の胸を、ニ、三度揉みしだいた。
後に続く女達の検査も、その調子で行われ...
「さーて、最後はお前だな。…おや、新顔か?」
「新しい毒味の娘だよ。
雲流、なるべく早くしてくれないか。薬膳は決まった時刻に食さねば効果が薄いのでね」
あからさまな職権濫用に、さすがの先生も苦い顔をしている。
それを無視して雲流は、私の顔の直近まで顔を寄せた。
「ふーん、お毒味とは哀れな役目よな。
毒で死ぬのは、物凄く苦しいらしいぜぇ?
ま、儚い命にはぴったりの貧相なナリだが」
相変わらず最悪な性格だ。
ジロジロと舐め回すような視線が気持ち悪くて、私は前髪で顔を隠すように、背を丸めて俯いた。
と、雲流はさらに顔近くに鼻を寄せて、くんくんと匂いを嗅いできた。
「んー?お前、なーんか嗅いだことあるような匂いがするな?甘ーい、桃みたいな香りが」
「雲流!もう時刻に間に合いません。
これ以上待たせるならば、こちらで足留めをされたことを、報告せざるを得なくなりますが」
先生の一喝に、雲流はチッと舌打ちした。
「...異常なし、行ってよし」
面白くもなさそうに一言告げて、ふいっと背を向けていってしまう。
「さあ、参りましょうか」
先生が柔らかな笑顔を向けると、女官達は安心して、ほっと息を吐いた。
東宮は、私のいる北宮の何倍も大きい建物で、太后様の居られる西宮と対になっている。
その奥の奥、いくつもの角を渦巻き状に曲がったど真ん中の
案の定、入口から黎妃様の居室までには半刻もかかり、到着した時には、膳を運んでいる女給達はくたくただ。
しかもこの東宮は、道すがらも、酷く陰気な様相を呈している。
奥に進むにつれて灯りが減り、薄暗くなってゆく様は、まさに呪われた邸、魔王の巣だ。
そんな状況だったから、房室の扉が開いた時に溢れんばかりの光を感じた時には、本当に驚いた。
房の前には、ふたりの宦官が番をしていた。
先生が黙礼すると、左右に別れて2人が扉を開く。
「うわ、眩し」
思わず呟いた私を、先生がチラと見て笑った。
「貴妃様、お待たせしてすみませんね」
背中をこちらに向け、寝台に伏していた金色の光が、物憂げな様子で起き上がる。
「春…明?」
「ああ、眠っておられましたか?」
「春明!」
彼女はふわりと体重を感じさせず起き上がると、寝台に腰掛け、嬉しくて堪らないと言ったふうに微笑みかけた。
なんて、綺麗な
私は、思わず我を忘れて見惚れてしまった。
ここに来るまでの全ての瘴気をうち払ってしまうほどの清浄な光。
窓ひとつない部屋では、彼女自身が光源となってキラキラと輝いている。
正直に言って、私にはまるで似ていない。
その姿は、出会った全ての人に現世を忘れ、夢を見させてくれるという天女を思わせる。
膳の準備を始めている女給達も、いつしか緊張を忘れて、ほわんと顔を和ませている。
これが、男女を問わず虜にする、本物の傾城傾国。
これでは、親子間で争奪戦が起こるのも仕方が無い、そんな気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます