声の魔女は先輩を振り向かせたい

室太刀

声の魔女は先輩を振り向かせたい


 「ゼッタイに、先輩を振り向かせる声の魔女になってみせますっ!!」


 あの日、思いがけず出会った少女が叫んだその言葉を、今もハッキリと覚えている。




 「────あの! ……お久しぶりです」


 金木星の香りが華やかにかおる秋の夜。

 予備校の帰りですっかり遅くなったあおいは、駅を降りたところで小柄な少女に急に声を掛けられた。

 その声は鈴を鳴らしたような綺麗な声で、透き通った音色は寒空の下によく響いた。


 「覚えて、ますか?」

 「……誰?」

 「……覚えてないんですか? 紗雪さゆきさんの店で働いてましたよね」


 蒼は思わず怪訝な顔を少女に向けた。


 紗雪さんというのは蒼が今年の春までアルバイトしていた料理店レストランの店主だ。

 七十近い老婦人で、蒼のことも孫のように可愛がってくれていた。


 「紗雪おばあちゃんの店、高校生でバイトの男の人って珍しいですから、覚えてます」

 「そうだけど……もしかして紗雪さんのお孫さんとか?」

 「いえ。私のお祖母ちゃんが紗雪さんとお友達なので、そう呼んでるだけで。同じ“魔女”仲間ですし」

 「え?」


 何か、普通じゃない言葉が聞こえたような。


 「いえ、それより見かけてよかったです。私も偶然この近くで収録があって来てただけなので」

 「収録?」

 「こっちの話です。それよりも、用件を済ませないと。……はい、これを」


 そう言って手渡されたのは、可愛らしい袋に包まれた細長いもの。

 サイズ的に、折り畳み傘くらいの────


 「って、ああ!」

 「やっと思い出しましたか」


 少々あきれ気味な顔で少女はため息を吐いた。


 そう、蒼はこの子を知っている。

 なにしろ、この傘は蒼のものだったのだから。


 「二年くらい前、紗雪おばあちゃんの店から帰る時に傘を貸してくれましたよね」

 「店の前で雨宿りしてるから……紗雪さんの知り合いなら、入れてもらったらよかったのに」

 「ええと、あのときは色々あったというか……そ、それはどうでもいいんです! それより、傘ですよ傘。ずっと返さなきゃって思ってて」

 「そんな、大層な物でもないのに……どこにでもある安物の傘だし」

 「でも、ちゃんと名前まで書いてあるんですよ? 大切な物なのかなって」

 「名前? ……あ゛」


 そう言って返してもらった傘を見てみると、生地の端っこの部分にネームプレートが縫い付けてあった。

 しかも、ご丁寧にふりがな付きで「三柳みやなぎあおい」と書かれている。


 「ちょっと待て。こんなものを初対面の子に渡していたのか俺……!」

 「最初から思ってましたけど、良い人なんだなって思いました。これはちゃんと返さないと、って」

 「いや、これは、小学生の頃から使ってた傘だったからで!」

 「くすくす……お母さんの字でしょうか? 今の時代、ちょっと不用心ですよね」


 可笑しそうに笑う女の子。

 栗毛色の長い髪に、楽しそうな笑顔が絵になる美少女だった。


 「私は白石しらいし佳実かさねといいます。あの時は傘をありがとうございました」


 ぺこりと深くお辞儀をする少女こと、白石さん。


 「なんかこの流れだとからかわれてるような気がするけど、どういたしまして」

 「そんなことありませんってば! 嬉しかったんです。あの頃は本当、色々あったので……」

 「ふうん。まあ律儀に返してくれてありがとう。それじゃ」

 「え? ちょ、ちょっと待って! それで終わりですか!?」


 照れ隠しもあって、さっさと話を打ち切ってそそくさと帰ろうとする蒼を、白石さんが引き留める。


 「それで終わりって、用件は済んだんじゃ?」

 「済みましたけど……せめてRAINくらい教えてくださいよ~! 言ってみれば私、先輩の個人情報を守ってあげてたんですよ? それくらいのお礼は貰ってもいいですよね?」


 さっきとは打って変わって、妙に押しつけがましい態度になる白石さん。


 「はあ……まあRAINくらいならいいけど。ってか、なんで『先輩』?」

 「だって私、高1ですし。先輩は高3ですから、先輩ですよね」

 「なんで知ってるんだよ」

 「え? ……そ、そう! 紗雪おばあちゃんに聞いてたんです!」

 「だったら紗雪さんに預けてくれてたらよかったのに。というか偶然会ったのに、持ち歩いてたの?」

 「だって、もし会ったらいつでも返せるようにって思って……」


 天然なのか、それとも抜けているだけなのか。

 どうにも見た目の美少女な雰囲気に反して、残念な部分が見え隠れする子だ。


 「はい、これでよしと……ん? “間宮まみや佳実かさね”……?」


 交換し終わったRAINの画面を見ると、さっき聞いた名前と違う。


 「あ、あーっ! 仕事用のスマホと間違えちゃいましたー!」


 妙にわざとらしい悲鳴を上げる白石さん。


 「なにそのザル演技……ってか仕事って……」

 「ざ、ザルじゃないもんっ! こっちですっ! こっちにもお願いしますっ!」

 「はいはい……でも、間宮佳実って」

 「! 知ってます!?」

 「いや全く。なに、芸能人でもやってるの? 芸名とか?」

 「ふふん。芸能人といえば芸能人かもですね。これでも、声優やってます!」


 ドヤァ、と胸を張ってみせる白石さん。


 「声優かぁ。その歳ですごいなぁ。頑張ってね」

 「あ、あれ……? あんまり興味ない感じです?」

 「声優さんにそこまで注目してないし……そもそも俺、受験生だよ? 今年はアニメなんて観てるヒマ無いって」

 「がっくし。そうでした……高3ですもんね。なら、受験終わったら観てください! 『俺、声優の子と知り合いなんだよ』って自慢できますよ!」

 「いや、しないし……というか声優ってだけでそんなに有名人扱いされるもんなの?」

 「うっ、微妙に核心を突いた事実を…………おかしいなぁ、大抵の男の人は私が声優だと知ったらお近づきになりたがるのに」


 不思議そうに首をかしげる白石さんに、蒼は心の中で「それは君の見た目のせいだよ」と呟いた。


 栗毛色の綺麗な髪に、整った顔立ち。

 美少女と呼んで過言のない容姿は、間違いなくモテるのだろう。

 実際に面と向かっている蒼としては、そこはかとなく漂う残念感と、押し売りするような態度のせいで若干ウザく感じてしまうが。


 「まあ、まだ高校生なのに声優として活躍してるのはすごいと思うよ。でも現状、お近づき以上になろうとは思わないかな」


 蒼も現在彼女はいないが、かといって今すぐに恋人を作りたいとも思わないし、そもそも受験前だ。

 この子が蒼の何を気に入ってくれているのかは分からないが、こうも知り合ってすぐにグイグイと来るのなら警戒もしようというもの。


 そんな蒼の態度に不満なのか、やけに悔しそうに拳を握り、歯を食いしばりながら言い放った。



 「ぐぬぬ……だったら私っ、ゼッタイに、先輩を振り向かせる声の魔女になってみせますっ!!」




 ◇ ◇ ◇




 「“声の魔女”……ねぇ」


 翌日、学校のクラスでふと彼女──白石さんが言っていた言葉を思い出す。


 声優なのだから、声で人を魅了するという意味では“魔女”と呼ばれるのも相応しくはある。

 だから、特に他意は無いのかもしれないが……


 (なんか、こだわりがありそうなんだよな)


 しれっと紗雪さんのことも“魔女”仲間だとかなんとか言っていたような気がする。

 RAINも交換したことだし、いっそのこと訊ねてみるかと考えていたところで、クラスメイトに声を掛けられ思考は阻まれた。


 「もうそろそろハロウィンだよなー。仮装パーティでもするか?」

 「おい受験生」

 「受験生だからこそ、息抜きは必要だろって話。女子は吸血鬼とか魔女とかの仮装して集まってたりするし、俺たちもそういうのやりたいなーって」

 「まあ、やるならお好きにって所かな。俺は遠慮しとく」

 「ま、蒼はそう言うと思ってたけどなー。こういうのの食いつき悪いし」

 「……悪いね」

 「いやいや、責めてるわけじゃ」


 友人の言う通り、蒼はこの手の人付き合いは悪い方だ。

 過去にちょっとした出来事があって、友達付き合いには一歩引いてしまう癖があった。

 現に、友人も気にしないと言いつつ気を遣ってくれているのが伝わってくる。


 「でもまあ、そうだよな。男同士でしか集まれないってのも寂しいしな。ハロウィンが終わったら今度はクリスマスだろ? オレも一度くらいは、女の子とクリスマスを過ごしたい……!」

 「……まあ、それこそ受験が終わってからのお楽しみってことで良いんじゃないか。そもそも、クリスマスイブは予備校の模試があるし」

 「それ! 空気を読まないにも程があるよな〜」

 「いや、むしろクリスマスイブだからこそ、羽目を外さないように模試をしようって魂胆の可能性も」

 「マジかよ。でも、あり得るな……」


 クリスマスとなると、若者としてはどうしたって意識してしまうもの。

 恋人持ちなら言わずもがな、そうでない者もなんとなく気分が浮ついてしまうものだ。

 気分を引き締めるという意味では合理的だが、受ける側としては水を差されたような心地になるのもまた仕方のないことだろう。


 「しゃーねえ、クリスマスはアニメでも観て過ごすしかないかぁ」

 「……まあいつどこで何して息抜きをするかは勝手にしたらいいけどさ」


 結局試験前の追い込みから逃げたいだけなんだな、という言葉を蒼は飲み込む。

 いくら受験前だからといって、勉強ばかりだと息が詰まるのは分かるので責める気にはなれなかった。

 もちろんオンオフの切り替えは必要だし、この友人にそれが出来るのかどうかは怪しいので心配でもあったが。


 「そうそうアニメといえば。さすがに今期は追ってないけど、この前の『Lip-Sync』は面白かったよな〜。この調子だと2期も期待できるって話だし」

 「評判良かったのは知ってる。今年は全然観てないから分からないけど、受験が終わったらのお楽しみかな」

 「マジメだねぇ。ま、それはそうとあの作品、声優も新人が多いのにみんなレベル高いって評判だぜ。特にお嬢様キャラやってた間宮佳実なんか、高1らしいぜ?」

 「! ごほっごほっ」

 「ど、どうした蒼?」

 「い、いやなんでも。俺たちよりも年下なのに声優として活躍してるなんてすごいなって思って」

 「だよなー。住んでる世界が違うんだろうなぁ」


 よりにもよってその名前が出てくるとは思わず、むせ込んでしまった。


 「……声優だからって、同じ人間なんだからそんなに違わないだろ。大変だとは思うけどね」


 なにせつい昨日、本人に会ったばかりなのだ。

 世界が違うどころか、意外と身近にいる等身大の女の子としか思えなかった。


 「いやいや、すごい子らしいぜ? なんでも昔からDikDakとかYourTubeで活動してて、スカウトされて事務所入りして中学生でデビュー、翌年にはアニメにも何作も出てるし」

 「……そんな凄いの、あの子?」

 「ああ。この前ラジオで言ってたから間違いない」

 「マジか…………ってか、詳しいな?」

 「へへ、だろ〜? オレ、ファンになっちゃったかも」


 目を輝かせる友人の顔に、蒼は必死で何事も無いふうを装った。


 あの子は、自分と知り合いだということを自慢しろと言っていたが。

 もしこの友人が、彼女と知り合いどころかRAINまで交換しているなんて知ったら、間違いなく面倒なことになる。


 (これは、ゼッタイに話せないな……)


 妙な所でとんでもない縁があったものだと、蒼は心の中で呟いた。

 だが、蒼の驚きは更にもう一段上を更新させられる。


 「それに────お母さんも亡くしてるらしいぜ。こんなの、応援しないわけにはいかないよな」




 ◇ ◇ ◇




 (……まさか、そんな背景があったなんて)


 それからというもの、勉強もそこそこに白石さんのことを色々とネットで調べていた。

 すると、出るわ出るわ。

 まとめ記事を読むだけで、濃ゆい情報がわんさかと出てきた。


 友人の言っていたように、確かに彼女は三年前に母親を亡くしているらしい。

 間宮まみや樹里じゅり

 名前が分かったのは、その母親自身もそこそこ名の売れた存在だったからだ。

 絵本作家として一定の知名度はあるらしく、代表作のタイトルは蒼にも見覚えがあった。


 そしてその母親──間宮樹里は、娘と二人でYourTubeやDikDakに動画を投稿していたらしい。

 活動内容は親子での声劇せいげき、つまり短い台本を使った声による寸劇や即興劇など。

 本人たちが出てきての人形劇なんかもあった。


 動画を見ていると、乳白色を混ぜたような栗毛色の二人の髪と青みがかった深い瑠璃色の瞳が目を引く。

 親が作家であり母娘揃って美人、何より娘のたどたどしいながらもハッとするような迫真の演技には引き込まれるものがあり、チャンネルの登録者数もかなりのものだった。


 (ホント、凄い子だったんだな)


 チャンネル名は、「絵本の魔女親子ちゃんねる」。

 投稿された動画の中では二人とも“魔女”を名乗り、衣装もなんだか魔女らしい三角帽子を被っていた。

 白石さんが“魔女”という言葉に拘るのも、ある意味では当然と言えるのかもしれない。


 このチャンネルの最終更新は三年前。

 理由はもちろん、母親の方が亡くなったからだ。

 この活動が声優事務所の人間の目に留まり、スカウトを受けた娘は“現場”叩き上げの実力と亡き母の遺志を胸に、プロの声優としてデビューする。

 それこそ映画やドラマにでもなりそうな経歴だ。


 「うおっと。RAIN?」


 ピロン、という通知音が鳴り、RAINの着信通知が入る。


 【佳実:あの……はじめてRAIN送ります】

 【佳実:こんばんは先輩】

 【佳実:こんな感じでよろしいでしょうか?】


 どこか投稿動画の時と同じたどたどしさを感じる文章で、送ってきたのはまさに今調べていた相手である白石さんご本人だった。


 【蒼:こんばんは白石さん】

 【蒼:昨日ぶりだね】

 【蒼:忙しいだろうにわざわざありがとう】

 【佳実:いえ、こちらこそ、お勉強中だったらすみません】

 【蒼:息抜き中だったから大丈夫。何か用?】


 ピコリ、ピコリと連続で送り交わされるメッセージのやり取り。

 高校生の友達同士ならそう珍しくはない光景だが、画面の先にいる相手が新進気鋭の新人声優だと思うと不思議な感じがする。


 【佳実:いえ……特に用事があったわけじゃないんですけど】

 【佳実:ただせっかく交換したし、昨日はあまり話せなかったから少しお話したいなって】

 【蒼:それは光栄に思っておけばいいのかな?】

 【蒼:あれから白石さんのことも調べててさ、凄いんだなって驚いてたところ】


 しばらく返信が止んだ。

 自分のことを調べていた、などと言われるのはさすがに良い気分はしないかと反省する。


 【蒼:ごめん、勝手に詮索する気は無かったんだけど】

 【佳実:いえ、調べたら普通に出てくることですし。ネット百科事典の記事とか、持ち上げられ過ぎな気がするんですけど】

 【蒼:少なくとも嘘が書いてあるわけじゃないんだろう?】

 【蒼:本当に凄い経歴だし、声優にだってなるべくしてなったんだなって納得した】

 【佳実:成り行きみたいなものなんですけどね。お母さんと一緒に軽い気持ちで始めて、あれよあれよという間にこんな風に】

 【蒼:それでも、声優になると決めたのは白石さん自身なんだろう? なりたいからって誰でもなれる仕事じゃないけど、なりたいと思わなきゃ絶対になれない仕事だからね】

 【蒼:しかもその歳で活躍してるんだから、尊敬する】


 しばし時間が空いて、返事。


 【佳実:ありがとうございます……】


 やはり忙しいのか、それとも単に照れただけなのか。


 【蒼:いずれ作品も観させてもらうよ。受験終わったらになっちゃうけど】

 【佳実:嬉しいです。先輩に観てもらうって思ったらちょっと恥ずかしいですけど】

 【蒼:そう? YourTubeを見る限り、演技には天賦の才能がありそうだけど】

 【佳実:それは見ないでくださいって!! なんでお母さんのチャンネル知ってるの!?】

 【蒼:だって調べたら書いてあるし】


 誰だって小さい頃の映像を見られるのは恥ずかしいだろうが、この子の場合は堂々と公開しているのだからそれを見て怒られるのは道理に合わない。


 【佳実:はぁ……先輩にだけは見られたくなかったのに】

 【蒼:いいじゃん、可愛かったよ?】


 またしばらく返信に時間が空いた。

 おそらく悶絶しているであろう姿が容易に想像がつく。

 ちょっと面白いかもしれない。


 【佳実:褒めたって何も出ませんよ?】

 【佳実:私そんな安い女じゃないです】

 【蒼:単純に褒めただけじゃん】

 【佳実:もう……もしかしてからかってます?】

 【蒼:うん】

 【佳実:理不尽です!!】

 【蒼:有名税だと思って諦めてくれ】


 思った以上にからかい甲斐のある子だった。

 さすがにお母さんのことには触れられなかったが、悲しい過去を乗り越えて立派に生きているのだと感心する。

 さっき送った尊敬するという言葉は心からの本心だった。



 それから、白石さんとのやり取りは定期的に続くようになった。


 夜、勉強の合間の息抜きがてら、送られてきていたRAINに返信する。

 お互い忙しい身だからか、すぐに返信できなかったり、夜遅いからと会話を打ち切っても気にせずに済む。

 話の内容も他愛のないもので、勉強の疲れを気にしてきてくれたり、ちょっとした愚痴に付き合うこともあった。


 (なんか、真っ当に友達してるよな)


 最初に会ったときは、やたらとアピールが強いというか、やけに声優であることを押してきたりしてきてウザったい印象があったが、いざ接してみると驚くほど普通の友達付き合いといった感じだった。

 何より、「友達付き合い」そのものに思う所があって否応なく身構えてしまう蒼が、自然とこんな関係を築けていることに蒼自身が一番驚いている。


 【佳実:そういえば、先輩って好きなアニメとかあるんですか?】


 休憩している時に、ちょうどまた白石さんからのRAINが来た。


 【蒼:今日もおつかれさま。ちょうど休憩しようと思ってたところだから良かった】

 【蒼:うーん、取り立てて「これが好き!」って作品は案外無いんだよな】

 【佳実:先輩こそおつかれさまです】

 【佳実:そうですか……】

 【佳実:普通はそういうものですよね……】


 どうやら落ち込ませてしまったらしい。

 考えてみればアニメで作品づくりをする人間なら、興味無さげな蒼のこの反応には傷付いて当然だろう。

 そう気付いた蒼は慌ててフォローを入れる。


 【蒼:あ! でもアニメ化はしてないけど好きなマンガならあるよ】

 【蒼:『魔女フラメシュの旅路』】

 【蒼:人気作だからそう遠くないうちにアニメ化するだろうって言われてるけど、どうなんだろうね】


 この『魔女フラメシュの旅路』は少年漫画誌で連載されているマンガ作品。

 週遅れでWeb版も最新話だけ公開されていて、受験のためにアニメ断ちしている蒼もこの作品だけは読み続けていた。


 【佳実:ホントですか!?】

 【佳実:私も大好きな作品で】

 【佳実:事あるごとに主人公アイメルが思い出す師匠せんせいがカッコよくて、優しくて。お母さんを思い出すんですよね〜】


 そんな返信が返ってきたところで、蒼は自らのやらかしに気付いた。


 この『魔女フラメシュの旅路』は、世界を救った大魔法使いフラメシュの死後、彼女の弟子の見習い魔女アイメルが、師のかつての仲間たちと共に魔女の旅路を再び辿たどる物語。

 主人公アイメルの置かれた状況は、今の白石さんにあまりに酷似し過ぎている。


 【蒼:ごめん】

 【佳実:?】

 【佳実:なんでですか?】

 【蒼:いや、お母さんのこと思い出させたかなって】

 【佳実:大丈夫ですよ】

 【佳実:先輩があえて聞かないでくれていたのは分かってましたけど】

 【佳実:お母さんは、思い出をたくさん残してくれましたから】

 【佳実:それこそ、大魔法使いフラメシュみたいに】

 【蒼:思い出か】

 【蒼:もしかして、あのYourTubeも?】


 この前YourTubeで見た、“魔女”を名乗りながら二人で楽しそうに演じていた姿を思い出す。

 二人の姿はとても楽しそうで、親子という以上に強い絆を感じられるような気がした。


 【佳実:そうです】

 【佳実:「私には残された時間が少ないから」って】

 【佳実:私がいつでも何度でも見返せるように、私たちの親子の証を残しておきたいんだって】

 【佳実:撮影は大変でしたけど、思い返すと本当に楽しかったな】

 【蒼:大事な娘のため、いや“弟子”のためかな?】

 【蒼:たしかに大魔法使いフラメシュみたいだ】


 残された時間を、娘の思い出のために使う。

 未来で彼女を一人にしないために。


 たしかにあの動画からは、深く、強い愛情を感じられるような気がした。


 【佳実:ですよね!】

 【佳実:ふふ、ですから先輩も『フラメシュ』が好きだって聞けて嬉しいです】

 【蒼:そっか】

 【蒼:なんか、話してたらまた観直したくなってきたな】

 【蒼:友達がクリスマスに息抜きにアニメ祭りやるって言ってたし、俺もそれに乗っかってみようかな】


 新しい作品を観始めると続きが気になって勉強に手が付かなくなりかねないが、知っている作品を観るのならそんな心配もしなくて済む。

 息抜きをしたい友人の意も汲んで、一日くらいなら付き合ってやっても良いかもしれない。


 【佳実:クリスマスですか……】

 【佳実:蒼さんは誰かと過ごすご予定なんですか?】

 【蒼:それがねえ。クリスマスイブは予備校の模試があってね……】

 【佳実:え、クリスマスイブにですか?】

 【蒼:そうなんだよ】

 【蒼:受験生が浮かれるなってことなんだろうな】

 【佳実:なんというか、鬼畜ですね】

 【蒼:だよな】


 華の高校生からクリスマスを奪い試験を課す。

 たしかに鬼畜の所業と言っていいだろう。


 【蒼:その後はバイト先に臨時で入ってくれって頼まれてるから、そっちに行くつもり】

 【佳実:それって、紗雪さんのお店ですか?】

 【蒼:そ。3年になってからは辞めてるけど、この日だけは人手が足りないからって頼まれてて】

 【佳実:大変ですね……】

 【蒼:まあその分クリスマス当日は友達に誘われてるから、そっちに行こうかなと】


 他ならぬ紗雪さんの頼みだ。

 世話になっている手前、断る理由はない。


 【蒼:そういう白石さんは?】

 【蒼:誰か特定の相手と過ごすってことは無さそうだけど】

 【佳実:ちょっと先輩、それってどういう意味です??】

 【佳実:私にそういう相手がいたらおかしいんですか!?】

 【蒼:だってこの前、「先輩を振り向かせる」とかなんとか言ってたし】

 【蒼:正直、予定聞かれたときそういうお誘いかと思ったぞ】

 【蒼:もしそうならお断りしてたけど】

 【佳実:そ、そんなつもりじゃないです!】


 彼女ほどの美少女からのクリスマスのお誘いなら嬉しいのは確かだが、そうは言ってもまだ一度しか会ったことのない相手だ。

 結局蒼の勘違いだったようだが。


 【佳実:というか先輩、妙に慣れてるっていうか】

 【佳実:もしかして、誰か付き合っている人がいるとか……】

 【蒼:ないよ。今も昔も、誰かとお付き合いしたことは。今のところ恋愛とかする気が無いだけで】


 そう送ったところで、ふう、とひとつため息を吐く蒼。


 恋愛にせよ、友達付き合いにせよ、蒼にはそういった深い関わり合いになるのを恐れている面がある。

 目の前の相手が、実は何を考えているのかなんて分からない。

 一見して好意的な相手が、心の中では全く逆のことを考えていたりだとか。



   『蒼くんのそういうとこ────嫌いだよ』



 (っ……)


 心の奥に突き刺さったものが、不意に思い出されて疼くような感覚に襲われた。


 【佳実:むむむ……なんか余裕たっぷりで余計にムカつくんですけど!】

 【佳実:女の子として負けた気がします!】

 【蒼:それはごめん】

 【佳実:ふーんっ、だ! ……なーんて】

 【佳実:先輩はそういう感じだってことは分かってますから】

 【佳実:むしろ、だからこそこうやって気軽に話せるんですけどね】

 【佳実:先輩のそういうとこ、キライじゃないです】


 奇しくも画面越しの相手が、記憶とほぼ同じ言葉を使ってきたのを見て、蒼は思わず息が止まる。


 けれど、彼女の言葉は何故か表裏のないまっすぐであたたかなものに見えて。


 【蒼:……ありがとう】

 【佳実:? どういたしまして?】

 【佳実:まあ、私もクリスマスは友達と過ごしたいですから】

 【佳実:ただ気になって聞いただけなので~、気にしないでください】




 ◇ ◇ ◇




 そんなやり取りがあったのも束の間、あれよあれよという間に季節は年末を迎えていた。


 「あ~! やっとクリスマスだってのに、何でオレらは予備校の教室に閉じ込められてんだ~!?」

 「つべこべ言わない。あと1科目なんだから頑張ろう。共通テストの予行演習をさせてやろうっていう、大人たちからの有り難~いプレゼントだと思って」

 「そんなプレゼント嫌だぁ……」


 模試と言っても全国的な規模のものではなく、この予備校が独自で実施している練習問題のようなもの。

 クリスマスに浮かれさせてなるものかという意図を感じる試験だ。

 一番嫌がっているのは学生ではなく準備や採点に追われる大人たちの方かもしれない、誰が呼んだか通称・誰得模試。


 そんな模試も終わり、やっと一息。


 「やっと終わったぁ! 蒼、この後どうする!?」

 「……受験前のピリピリした空気を気にせずそのテンションできるの、逆に凄いな」

 「だからこうして外出てから言ってるんじゃんか」


 呑気とも言える友人の言動にジト目を向ける蒼だが、これで気遣いもできるし成績も悪くない奴であることも知っている。

 友達付き合いに難のある蒼にとってはつくづく有り難い存在だと、心の中で感謝していた。


 「それで、どうする? 明日は男同士寂しくパーティだとして、今日もメシとか行っとくか?」

 「ううん、悪いけど今日はこれで。以前のバイト先に今日だけは手伝ってくれって頼まれてて」


 時はクリスマス、店としては書き入れ時かつ、アルバイト等の休みも被りがちな困った日だ。

 既に辞めたバイト経験者にも、出れるならば出てほしい。

 店主の紗雪さんにそう言われてしまえば、世話になっていて恩もある蒼としては断りづらい。


 「ええ……大丈夫かよ蒼の方こそ。模試終わりの休みがバイトって」

 「クリスマスってのはな……誰かが仕事を回して成り立っているんだよ」

 「世知辛えなぁ……」

 「まあ気分転換と思うようにするさ。紗雪さんのまかないは美味しいし、彼女無しには丁度良い。バイト辞めて以来、あの忙しさもたまに恋しくなってたからさ」


 心配してくれる友をなだめつつ、蒼は懐かしのバイト先へと向かう。




 「お久しぶりです、紗雪さん」


 久々に訪れたバイト先。

 蒼は真っ先に、お世話になっている店主に挨拶をした。


 「あら、蒼くん! 待ってたわ、来てくれてありがとう」

 「いえ。紗雪さんにどうしてもなんて頼まれたら、来ないわけにはいかないですし」


 優しげでどことなく気品のある物腰の初老の女性が蒼を歓迎してくれる。

 この店の店主の紗雪さんは、二年間勤めた蒼にとってもお祖母さんのような存在だった。


 「お、蒼くん! ようやく来たわね」

 「来やがったな蒼。受験前だってのに無理しやがって。厨房こっちはいいからホールに回ってくれ」

 「遅いですよアオ先輩。クソ忙しいんですからさっさと入ってください」

 「亜季あきさん、お待たせしました。庄司さん、了解ですホール入ります。おい紫苑しおん、先輩に向かってその口の利き方はなんだ」


 頼れる懐かしき先輩後輩たちと軽口を叩きつつ、さっと着替えて注文や配膳に回る蒼。


 「クリスマスイブだってのに先輩も暇ですね」

 「うっせ。紫苑の方こそクリスマスイブなのに何やってんだ。今日はスズと一緒に過ごすとばかり」

 「っ!? 鈴蘭とは別に、まだ付き合ったりとか、そんなんじゃ……っ!」

 「だからこそ、だろ。せっかくのクリスマスなんだし、男見せろよなって」

 「先輩うるさいです」

 「そう言う蒼くんだって、男見せたら一緒に過ごしてくれる相手の一人や二人、いるんじゃないの〜?」

 「彼氏持ちのくせに仕事してる亜季さんに言われたくはないです」

 「カレも仕事なの! どうせどこも混んでるし、だったら別の日でいいよねって話し合ったんだから!!」


 わいわいガヤガヤ、くだらない会話も交わしつつ仕事をこなしながら、思い浮かぶのはやはり“あの子”のこと。


 今の蒼にとって一番身近な女の子といえば、やっぱり白石さんになるのだろう。

 だが、それ以上に彼女について考えてしまう理由が、今の蒼にはあった。




 発端は、先程の模試でのこと。

 現代文の問題にあった文章が原因だった。

 というのも、その文章は何の因果か「魔女」についてのものだったのだ。


 特に中世から近世にかけてのヨーロッパにおいて。

 「魔女」とはおとぎ話の存在ではなく、不思議な魅力を持っていたり、あるいは優れた才能を持っていた人が畏敬を込めてそう呼ばれた人たちだったのだと。

 中には迫害のための方便として「魔女」呼ばわりされた人や、異文化や独自の伝統を持つ少数派の人々が「魔女」と呼ばれて虐げられた例もあったらしい。

 中には本当に、不思議な力を使う人もいたのかもしれないけれど。


 (魔女、か……)


 その言葉は、なんとも不思議で人を惹きつける魔法のようなチカラがあるように思う。


 現代の日本で「魔女」という言葉を耳にする時、それは良くも悪くも特別な存在である人をたとえて使われている。

 スポーツや芸能で活躍する女性を「魔女」と呼んで称えたり、多くの男性を魅惑する人を「魔性の女」と揶揄したり。


 (そういえば、紗雪さんのことも“魔女”仲間だって)


 閉店時間も過ぎて、片付けがてら紗雪さんの振舞ってくれた賄い料理をつまみながら、蒼はふと白石さんの言っていたことを思い出していた。


 「今日は助かったわ……って、どうかしたの? 蒼くん」


 ふと、見つめられていたことに気付いた紗雪さんが訊ねてきた。


 「ああいや…………紗雪さんは、白石さん────間宮佳実って知ってます?」

 「ああ、佳実ちゃん。知ってるも何も、たまにうちにも来てくれるわ。友達のお孫さんだから、他人とは思えなくてねぇ」


 当然ではあるが、紗雪さんも白石さんのことは知っているようだ。

 この様子だと、それなりの頻度で来ているらしいが……


 「というか、蒼くんも知っていたのね。佳実ちゃんのこと」

 「実は以前に会ったことがあったみたいで……最近知り合う機会があって。あんなに凄い子だとは思いませんでしたけど」

 「そうねえ。あんな立派な孫がいて、キャシーも鼻が高いと思うわ」

 「キャシー、って、もしかして白石さんのお祖母さん?」

 「ええ。曽祖父ひいおじいさんと一緒にイギリスから移住してきたんですって」


 髪や瞳の色から、彼女に外国の血が入っていることは薄々察してはいたが、事実彼女はイギリス人の血を引いていたらしい。


 「あの子はおばあちゃんっ子でね。『私もおばあちゃんみたいな魔女になるんだ』って、何度も話してくれたっけ」

 「魔女……ですか」

 「別に魔法が使えるわけじゃないのよ? 昔からの知識や伝統を独自に守り続けている一族と、その家柄。あの子のひいおじいさんがこの国に来て日本で初めての天文台を造ったのも、“魔女”の家系の知恵があってこそのものだったとか」

 「天文台を造った!? そもそも、ひいおじいさんなのに“魔”って……」

 「“魔女”って言葉も、英語のwitchを日本語に当てはめただけだもの。一族なんだから、男性だっていて当然でしょう?」


 今、さらっと物凄い情報が出てきたような。

 一族そろってタダ者じゃない経歴を持っているとは、もうそういう星の下に生まれているとしか言いようがない。

 そんな凄い先代たちを間近で見てきたのならば、彼女が“魔女”に拘るようになったのも頷ける話だ。


 「まあ、そんなだからあの子は魔女そのものに憧れがあってね。尊敬してる人のことを“魔女”って呼びたくて仕方がないみたい。ひいおじいさんは“天文台の魔女”、絵本作家のお母さんのことは“物語の魔女”。わたしも、“お料理の魔女”なんて呼ばれちゃってねぇ」

 「なるほど、それで……そして、白石さん本人は“声の魔女”、か」


 彼女の拘りにそんな背景があったとは思わなかったが、同時にそれがとても大切なものだということも伝わってきた。

 それは拘りというよりも、彼女なりの親や先達せんだつに対する敬意であり、「誇り」なのだろう。


 だが同時に、ふとそれが彼女にとって重荷になっていないか心配にもなる。

 実際、直接会った時の白石さんは妙に余裕のない態度だったように見えた。

 今なら分かるが、それは立派な魔女で、大人の女性であろうとして、そう“演じて”いるだけのようにも見えたのだ。


 そしてそう感じていたのは蒼だけではなかったようで。


 「でも良かった。ちゃんと蒼くんと会えてたのね、佳実ちゃん」

 「どういうことですか?」

 「ずっと会いたがってたみたいだから、蒼くんに。高校に入ってからはちょくちょく遊びに来てくれるようになったけど、蒼くんは予備校のために辞めちゃったって言ったらたいそう残念そうにしてたわ。わたしが連絡取ってあげましょうかって聞いたら、それは恥ずかしいからって……あら? これは言わない方が良かったかしら」

 「言ってから気付かないでくださいよ……でも、なんで俺に会いたいなんて」

 「昔、助けてもらったことがあったって。あの子、仕事があるせいで友達もいなくて寂しそうにしてたから。でも蒼くんが気にかけてくれてるのなら、少しは安心だわ」

 「……」


 たしか、彼女はクリスマスは友達と過ごしたいと言っていたはずだ。


 いや───「友達と」というのは本当だろう。

 だが、それはあくまで希望であって、本当に過ごせるかどうかは分からないという意味にも受け取れる。受け取れてしまう。


 「そういえば蒼くんは、どうやって佳実ちゃんと知り合ったの?」

 「それは、たまたま予備校の帰りに、この辺りで収録があった白石さんと駅で出会って……」


 だが、この付近に収録スタジオがあるのなら、もっと以前からこの店に寄っていてもおかしくないはずだ。

 彼女が声優として活動し始めたのは、2年近くも前なのだから。

 それなのに、彼女は高校に入って蒼がバイトを辞めた後の今年になってから、ようやくここに立ち寄るようになった……


 ────もしも。

 あの日、彼女が現れたのが“偶然”ではなかったとしたら。

 予備校の授業が終わる時間なんて、調べようと思えば調べられる。

 帰ってくるのがここの駅なのは分かっているのだから、あとは曜日やタイミングが合うのを待てばいい。


 もしも彼女が、そうやって“待って”くれていたのだとしたら。


 「…………紗雪さん」

 「蒼くん?」

 「すみません、先に帰ります。急用が出来たので」

 「……そう。いってらっしゃい。あの子をよろしくね」


 何かを察したように、紗雪さんは一言そう言って、慌ただしく帰り支度をする蒼を優しげな目で見送っていた。




 「……あっ!」

 (居た……)


 紗雪さんの店を出て程なく。


 蒼の予想した通り、コートとマフラーに包まりながら、白い息を吐く小柄な女子がこちらを見つけて駆け寄ってきた。


 「先輩! えへへ……実はさっきまで仕事があったから、どうせならと思って来ちゃいました」

 「…………全く」


 あくまで“偶然”を装う白石さんの態度に、蒼は思わずため息が出た。


 「何の仕事かは知らないけど。来たのなら店に入ったら良かったのに。…………、こうやって俺を待ち構えてたの?」

 「え……」


 はた、と少女の動きが止まる。


 「いやなに、紗雪さんが心配してたから。あの子は仕事のせいで友達がいないらしいからって。それを聞いてさ、今日は友達と過ごすって聞いてたけど、どうなんだろうって思ったんだ」

 「それは……その。ウソは言ってません。私は、友達と過ごしたいって言っただけで」

 「そうだね。……だったら、これからでも一緒に過ごそうか。まだもうちょっとくらいなら出歩いてもいいだろ。クリスマスなんだし」

 「え?」


 そう言って蒼は近くにあった公園の自動販売機でホットココアを2本買い、ひとつを白石さんに手渡した。


 「冷えただろ? どうぞ」

 「あ、ありがとうございます……」


 カシュッと音を立てて缶を開ける。

 繊細さなど無い、砂糖とミルクとチョコレートで構成された甘ったるさで喉を潤した。


 「正直、忙しいとはいえ白石さんなら友達くらい簡単に作れると思ってたからさ。……そう、簡単なものでもないんだね」

 「……そうですね。自分で言うのもなんですけど、私ってそこそこ有名だから、お近づきになりたいって人は結構います」


 ぽつり、ぽつりと呟くように話し出す白石さん。

 自分で人気者だと言っても嫌味が無いのは、晴れない表情のせいだろう。


 「でもそういう人って、大抵下心で近づいてきてるんですよね。女の子だったら有名人と友達だと自慢できるとか、男の人だったら私と付き合いたいとか。でもそれって、私の表面ばっかり見てて、私自身に興味があまり無いっていうか……」

 「それは分かる。ステータスのために近づかれてチヤホヤされても嬉しくはないよな。でも、それだったら同じ声優仲間とか」

 「声優仲間は、仕事を取り合うライバルですよ。特に私は養成所も出てない外様とざまですから、競争を知らない温室育ちだって、快く思われないこともあるみたいで。声優になりたくて頑張ってる子たちの“枠”をったって、反感もあるのかもしれません」

 「何だよそれ」


 世の中は綺麗事だけで済むものではないとは言うが、熾烈な競争社会の芸能界はやはり人間関係もシビアな側面が際立つようだ。

 事が感情の問題だけに、そう簡単に折り合いがつくものでもない。


 仕事もプライベートも、人気商売は気苦労が絶えないのだろう。


 「事務所の先輩たちは良くしてくれてますけど、やっぱりお互い忙しいですし……私だって普通に友達したいし、付き合う相手くらい決める権利があると思います!」

 「そうだね」


 だんだん愚痴が容赦なくなってきた白石さんに、蒼は心からいたわりの気持ちを覚えた。

 デビューした当時中学生だった彼女には、どれほどの重圧と現実がのしかかっていたのだろうと。


 「でもそっか。なんとなく分かった気がする。『振り向かせる』とかなんとか言ってたけど、お付き合い云々うんぬんじゃなくて、友達が欲しかったんだね。白石さんは」


 最初に出会ったときの、彼女の言動を思い返してみる。

 個人情報がどうのとゴネた時も、妙に自分の魅力を誇示しようとする様子も、今となっては「それしか方法を知らなかった」のだと分かる。


 幼い頃からYourTubeで顔が知られ、一目置かれる存在だったのだ。

 友達のつくり方や、人間関係の色々を学んでいく多感な時期に、プロの声優になり大人の世界に足を踏み入れた彼女は、“演じる”ことでしか自分を表現できなかったのだろう。

 嘘と飾り立てた風評に怯え、安心して素の自分を晒せる場所を見つけられなかった。


 「…………先輩?」


 気がつくと、手が彼女の頭を撫でていた。

 白石さんは不思議そうに首を傾げながら、くしゃくしゃにされた前髪を少し鬱陶しそうに整えている。


 「……先輩ってやっぱり、女の子の扱いに慣れてる気がします」

 「気のせいだ。慣れてるとしても、家族相手くらいだよ。妹も従妹いとこもいるし」

 「その妹さんたちにはこうやって急に頭撫でてるんですね。やっぱり先輩はとんでもないジゴロです」

 「別に他意はないから気にするな」

 「他意がないのは余計にタチが悪いです! ……今日のところは素直に撫でられておいてあげますけど」


 そう言うと、彼女は黙って頭を差し出してきた。

 わさわさと雑に撫でると、白石さんは「乱暴です……」と不服そうに口を尖らせながらも大人しく撫でられ続けていた。


 「……私、友達が欲しかったんです。気軽に何でも話せて、くだらないことで笑い合える友達が」

 「なら良かったね。叶ったじゃん」

 「え?」

 「ここにいるだろ。遠慮も何もなく話せて、くだらない冗談飛ばせる相手が」


 目を見開いた白石さんを見て、笑う。

 直接会った回数は少ないにせよ、何度も何度もRAINでやり取りをして、何気ない会話を積み重ねてきた。

 それは一般的な物差しで見ても、十分に「友達」と言える間柄のはずだ。


 「……そっか、友達……なれてたんだ」


 ぐっと噛み締めるように口にする白石さん。


 と、ちょうどそこに、空気を読まないスマホの着信通知が鳴り響いた。

 バッと咄嗟に距離を取り、我に返った二人は気まずい空気のままお互いのスマホを確認する。


 「こほん……えっと、俺のじゃないみたいだな」

 「あ、私のですね…………え!?」


 素っ頓狂な声を上げて停止する白石さんを、蒼は思わず凝視してしまう。

 さすがに画面の内容を見てしまうわけにもいかず、かといって目を潤ませながら口に手を当てて今にも泣き崩れそうな彼女を放ってもおけなかった。


 「だ……大丈夫?」

 「せん……ぱい……」


 口にせずにはいられないといった具合に感情が高ぶっている白石さんの肩に、そっと手を添える。


 「話してみて?」

 「……でも、仕事のことを話すのは……」

 「なら、独り言だ。信頼できる友達なら、つい耳にした独り言をこぼしたって、それを言いふらされたりなんてしないさ。……信頼してもらえるなら、だけど」


 口元に人差し指を立ててウィンクし、言いたくてうずうずしているのを何とかこらえている彼女の背中を押してやる。

 それもまた、「友達」であり「先輩」でもある蒼の役目だろうから。


 「…………じつは…………アニメキャストのオーディションに受かったって連絡だったんです」

 「へえ。それはすごいね」


 なんでもない事のような風を装って、適当な相槌とともにじっと耳を傾ける。


 「知ってる作品なら、俺も観たいかもしれないな」

 「それが……………………『魔女フラメシュの旅路』の、アイメル役で」

 「!?!!?」


 蒼は絶句した。


 「ふっ、『フラメシュ』のアニメ!? しかもアイメルって、主役じゃんか!!」

 「ちょっ、せんぱい声おっきいっ!?」

 「ご、ごめん」


 内心はともかく建前としては聞き流すつもりだったのだが、こればかりはとても無視できる内容じゃなかった。

 なにせ、好きな作品がついにアニメ化するという情報に加えて、目の前の子がその主演をやるというのだから。


 「はぁぁ…………なんというサプライズ」

 「気持ちは分かります。私だってオーディションの話が来たときはテンションおかしくなりましたし。……絶対誰にも言っちゃダメですよ?」

 「誓って誰にも言わない。余計なことして企画が中止とかシャレにならないし、何より白石さんのためにもちゃんとしておかないとね」

 「ありがとうございます。……実は、この前クリスマスの話題になったあの日。あの日って、この『フラメシュ』のオーディションの前日だったんです。これには絶対に参加したいし、でも有名な作品だから経験の浅い私なんかじゃ無理かもって半分くらい諦めてて。……そしたら先輩が、好きな作品が『フラメシュ』だって……」

 「言ったなぁ。まさか、そんなタイミングだったなんて」

 「はい。……私にとっても『フラメシュ』は大事な作品なんです。大魔法使いフラメシュはお母さんと似てるし。お母さんから教えてもらったんですよ? このマンガのこと。それに何より、先輩が好きって言ってくれた作品だったから。ただ一人、声優になる前の私を見て傘を貸してくれた、あなたがそう言ってくれたから」


 彼女の口からは、そっと、こぼれるように止めどなく言葉が溢れ出てくる。


 「アイメルの役に決まったっていうマネージャーさんのメールを見たら、こう……こうっ……!」

 「うん」


 感極まって、言葉に詰まる白石さんの頭をもう一度、優しく撫でた。


 「ありがとう。楽しみにしてるよ」

 「先輩……」

 「つーか、なんてプレゼントだよ。いくらクリスマスだからって、とんでもないサプライズを持って来やがって。度が過ぎててお返しをしようにも思いつかないぞ」


 元々会うつもりなんて無かったので、プレゼントの用意なんてしていない。

 遅くなってもいいから明日の空き時間にでも買おうかと思っていたのだが、ここまで特大のものを持って来られてはとても釣り合いそうにない。


 「だったら、ひとつだけ。どうしても欲しいものがあるんですけど……いいですか?」

 「え……何だろう? 俺に用意できるものなら。もうバイトもしてないし、そこまで余裕があるわけじゃないけど」

 「大丈夫です。お金の掛からないものですから。…………ただ、ひとつだけ。先輩に、名前……呼んでほしくて」


 甘えるような、少し不安げな顔で蒼を見る白石さん。

 瑠璃色の目が、ほんの少しだけキラリと輝いたような気がした。


 「それくらいなら。…………佳実。これでいい?」

 「はい、蒼先輩。えへへ……」


 心底嬉しそうに屈託なく笑う白石さん──佳実の笑顔に、急に恥ずかしくなって目を逸らした。


 とはいえ見えていたとしても、ちょうど公園の街灯が切れていて、暗くてお互いの表情は読み取れないだろう。

 けれどもその代わりに、澄み切った空には幾つもの星がまたたいているのがよく見えた。

 あいにくホワイトクリスマスとはいかなかったが、100万とは言わずとも無数の星が人々を祝福するように世界を照らしている。


 「……綺麗ですね」

 「だな」


 彼女はクリスマスを友達と過ごしたいと言っていた。

 短い時間ではあったけれども、その願いを叶えてあげられて良かったと本当に思う。


 「友達と過ごすクリスマス。有言実行、かな?」

 「そうですね……」


 佳実は嬉しそうに、噛み締めるように胸に手を当てて、ゆっくりと頷いていた。

 が、


 「でも、やっぱりただの友達ってだけで何も意識されないのは、女の子として負けた気がします」

 「え」


 突然彼女は咎めるようなジト目になったかと思うと、最初の頃のような百面相を取り戻して、再びこう宣言したのだった。



 「改めて、決めました。私、ゼッタイに先輩のこと、振り向かせてみせますから!」



 単なる「友達」というだけではない、熱い想いのこもった眼差し。

 胸が熱くなるその想いを受け止めながら、蒼はそっと心の中で呟く。


 (もうとっくに目を奪われてるよ)


 今は受験も控えていて、それに今のままでは彼女と並んで釣り合えないという想いもあるので、決して口にはしないけれど。

 蒼もまた、この不器用で頑張り屋さんな小さな“魔女”に、視線も心も奪われ始めているのを感じていた。


 そして、そんなくすぐったい気持ちに気付かれないように、ふっと小さく鼻で笑い飛ばすと、


 「やれるもんならやってみな」


 と、心にもない態度で、素直じゃない言葉を口にした。

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声の魔女は先輩を振り向かせたい 室太刀 @tambour

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