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 12月12日 木曜日

 

 夜が明けて面会時間になると、すぐに主人がやってきた。15歳未満は小児科病棟には入れないルールで、長女は私の実家で母が見てくれていた。

 私の着替えやタオル、次女が退屈しないようにブロックと塗り絵、それから折り紙。

 

「幼稚園の準備は大丈夫そう?」

「うん。メモにまとめてくれたようにする」

 

 この日から主人は会社を休むと言ったけれど、有り難いことに在宅勤務扱いにしてくれた。幼稚園の送り迎えや習い事、その他諸々の家事を一気に担うことになった主人は、私の母の協力も得つつ今回の次女の入院生活を乗り切ることになる。

 本当は付き添いも分担できればよかったのだが、24時間付き添い可能なのは母親のみだった。

 

「ごめんね。急に全部任せることになって」

「ううん。ママは病院でのことだけ考えて。こっちはなんとかなるから。気をしっかりね」

 

 主人はそう言って笑った。

 週末のお遊戯会は、主人と私の母に行ってもらうことにした。幼稚園や私のパート先に連絡をして事情を話すと皆優しい言葉をかけてくれて、情けないが涙が止まらなかった。

 次女は朝の時点では高熱があったが、点滴が効いたのか昼頃には解熱。まだ目の赤みや発疹、手足の痒みは残るものの、日中はブロックや折り紙で遊んだり、パパやじいじばあばが面会に来てくれたりと比較的ご機嫌だった。長女は主人と共に私の実家で夕飯のカレーを食べたと連絡をもらい、安心する。

 1日が長く感じる中、就寝の時間まで誤魔化し誤魔化し次女と過ごす。だがそれも、入院2日目の夜で早々に限界を迎える。

 

「帰りたい!」

「やだ!」

 

 何を話しかけてもこれしか言わなくなった。暴れて叫び、呼吸が乱れて咳き込む次女をなだめながら、夜中にはガンマグロブリンの6回投与が終わり、熱も下がった。

 

 

 

 12月13日 金曜日

 

 次女は不機嫌なまま。私は主人と長女のことも気になって、メッセージのやり取りを続ける。娘たちの通う幼稚園は本当に協力的で、髪の結べない主人の代わりに私がいない間は先生が長女の髪を結んでくれるとのことだった。ありがたかった。

 

「おはようございます。これから採血なので、娘さんと処置室までお願いできますか?」

 

 大部屋のカーテンを開けてそう告げてきた看護師は、私のことを蹴りながらイヤイヤを繰り返す次女を見て苦笑いを浮かべていた。私にしがみついて拒否していた次女は引き剥がされ、処置室へ。束の間のひとり時間はコーヒー1杯飲む余裕すらなく、帰ってきた次女は意外にも毒気を抜かれたようにケロッとしていた。

 

「娘さん、本当にいい子で注射すぐに終わりました。めちゃくちゃ偉かったですよ」

 

 看護師の言葉の通り、次女は私に甘えるようにぎゅっと抱きついてくると『頑張ったよ』と小さく言った。

 そのあともブロックや塗り絵、シール遊びなど一通りやると、疲れたと言って横になる。スマホで動画を見ている間も機嫌はよく、私はその間に医師の説明があるからと次女を待たせて話を聞きに行った。

 

「えーと、今後の治療はこちらに書いてある通りに進めていくのですが」

 

 そう言って差し出された1枚の紙。そこに書かれてあった一文に、私は反射で涙をこぼした。


【心臓超音波では冠動脈の拡張はなし】

 

 ずっと不安だった。ネットで調べては、最悪の事態を想定して覚悟を決めていた。次女のこれからの人生をどう導くべきか、生活制限ができた場合どう過ごすのが良いのか、その張り詰めた緊張の糸がブツリと切れた瞬間だった。

 私は涙を拭きながら謝り、医師は私を気遣いつつ話を続ける。

 

「経過は順調です。ただ入院時の血液検査の数値が悪く、下がってはいるもののまだステロイドを漸減ぜんげんする段階ではありません。来週の火曜日にまた血液検査をして、その結果次第でスケジュールを立てます。順調にいけば、退院は27日あたりでしょうか」

 

 退院まで先はまだまだ長い。ただここで得た安心感は、私が次女と入院生活を送る上でとても重要なものになるだろう。

 医師からの説明を終えた私は主人にそのままを伝えた。主人も安心したようだった。そうして次女の待つ部屋に戻ると、なにやら顔色が曇っている。

 

「もうやだ」「お菓子は?」「なんでわたしだけここにいなきゃいけないの?」「ねえねは好きなもの食べれてるんでしょ?」

 

 幼稚園に行きたい、パパに会いたい、帰りたい。次女の爆発した欲求を受け止めながら、なんとか機嫌を取ろうと奮闘するも、努力虚しく癇癪は夕方まで続く。

 まだ4歳、耐えられるわけない。看護師や先生は、点滴の影響で少し胸がざわついて攻撃的なのかもと言ったけれど、そんなことがなくともこの状況では仕方がないと思った。

 

「ごめんね」

 

 そう口に出したら涙が止まらなくなった。私の情緒も、もう何周回ったかわからない。2人で泣いた。じたばたと私を蹴りながらなく次女の呼吸が心配で胸をトントンしていると、看護師がやってきて私に言った。

 

「ママ、一旦帰る?」

 

 虚をつかれた。そんな選択肢があったのか、と思った。

 

「娘さん、採血している時は本当にいい子だったんですよ。もしかしたらママがいるから甘えてしまうのかも。今日の夜はこちらで預かるので一旦帰って、少しママも休まれてもいいのかもしれませんよ」

 

 正直、私自身も限界を感じていた。それに明日はお遊戯会。母に観覧を頼んではいたものの、長女の幼稚園最後のお遊戯会が見られると思うと気持ちは帰る方に向いていた。

 それから主人に相談し、迎えにきてもらうことに。次女に説明をする。

 

「今日の夜、ママ一度帰るね」

「なんで?」

「今日はちょっと泊まれないの」

「わたし、ひとり? 眠るの?」

 

 苦しい。でもここで決断しなければ、共倒れだ。

 

「朝になったらまた来るから。眠ったら、もう朝だよ」

 

 次女は当然泣いた。寂しそうだった。後ろ髪引かれながら病院を出て、主人が迎えにきた車に乗ると後部座席では長女が寝ていた。

 長女の前では笑顔でいなければ。でも今だけ。家に着くまで。

 家の近くまで来るとスーパーに寄った。夕飯は出来合いを買って、家で3人で食べた。長女は翌日のお遊戯会をとても楽しみに笑顔で就寝し、私と主人も程なく寝た。久しぶりの我が家のベッドには疲れが溶けたが、私はしばらく目を開けたまま、ぼうっとして。明日は全力で楽しもうと気持ちを新たに目を閉じた。

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