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12月11日 水曜日
「……うん。お母さんこれね、
パートを終えてから主人と合流し、長女を幼稚園に迎えに行ったりとバタバタで向かった小児科の診察室で、ぐったりする次女を膝に乗せながら私は固まった。
「川崎病? 溶連菌じゃないんですか?」
「溶連菌も陽性なんだけどね、ほら、白目が今かなり充血してるでしょう」
昨日はそこまで気にならなかった。常に高熱がある状態だったし、ぐずって泣いていたからその赤みだとばかり。
「川崎病っていくつか症状があって、まず発熱ね。それから唇が赤くなったり舌にブツブツが出来たり、娘さんのように白目が赤くなる。そして発疹、手足の浮腫み、首の腫れ。このうち5つ当てはまると川崎病の確定診断になります」
次女に当てはまらないのは舌のブツブツだけ。でもまさか、そんな。
「川崎病は原因ははっきりしないんだけど、血管の病気でね。早めに治療しないと血管に冠動脈瘤を作って心筋梗塞になるリスクが上がります。だから今からこの足で、すぐに大きい病院に向かってね。どこにも寄らずに」
頭が真っ白になった。診察室から待合室に出されて、抱き抱えた次女の背中をトントンしながら、跳ね上がる心臓の鼓動ばかりが強くなっていく。
冠動脈瘤、心筋梗塞。わからない。なにをいわれたのか。私はすぐさま、車の中で長女と待つ主人にメッセージを送った。
【川崎病と言われた。これから紹介状をもらって入院になる。たぶん2週間くらい。私は24時間付き添いになると思う】
主人は冷静だった。会社も休むし、長女の幼稚園の送り迎えも任せて。頑張ろう、と。落ち込む私を気遣って普通でいてくれた。それでも私は気を抜くと泣いてしまいそうで、心と体がバラバラになったようなそんな状態で。大きい病院に向かう道中、何を話したかはよく分からない。頭の中が不安と恐怖でいっぱいだった。
同日16時頃、大きな病院に着いた。この日長女の習い事が夕方からある都合で、主人と長女は先に車で帰宅した。
「今後の治療についてですが」
次女が別室で点滴の針を腕に刺したりと入院の準備をする中、私は主治医と机を挟んで向き合う。
「これからやっていく川崎病の治療ではまず、ガンマグロブリンの点滴を行います。病状から見て、ステロイドの併用もしていく方がいいと思います。それから娘さんは溶連菌も陽性でしたので、抗生物質の点滴も行っていきます」
「あの」
思わず口を挟んでしまった。まだ私は現実を受け止められずにいる。
「川崎病というのはその、確定なんでしょうか。もし溶連菌に感染しているだけだとして、抗生物質の点滴治療だけして、明日熱が下がったり体調が元に戻れば、2、3日で退院できる……そんな可能性はないんでしょうか」
私の問いに、医師は優しく答える。
「もちろん、お母さまの言うように今日は抗生物質の点滴だけして様子を見ることは可能です。しかし川崎病の治療は発熱後早期に開始することが望ましい。日曜日の夜に発熱し、今日で4日目ですよね。グロブリンの治療を行うにはベストなタイミングだと思います。治療が遅くなればなるほど、冠動脈瘤のできるリスクが上がっていきますから」
「それは、もし仮に娘が川崎病でなかったとしても、そのグロブリンやステロイドを点滴する治療は体に悪いものでは無いんですか?」
「問題ありません」
こう言われてしまったら。答えはもう決まっている。
「わかりました。今日から川崎病の治療をお願いします」
医師からの説明後、私の元に帰ってきた次女は涙目で悲しい顔をしていた。左手首には点滴の針を固定され、胸には心電図を測るパットが貼られている。
「痛かった」
私の顔を見た途端再び涙を溢れさせる次女に、私はこれからもっと酷なことを伝えなければならない。
「あのね。今日から病院にお泊まりすることになった」
「今日から? 今日だけ?」
「ううん。今日から、しばらく」
「しばらくってどれくらい?」
どれくらいだろう。それはまだ私にもわからなかった。
「今ね、胸のところに悪さをするバイ菌がいてね、それをお薬飲んだり、お医者さんがちゃんと見てやっつけなきゃいけなくなった。そうしたらお熱も下がるし、辛いの無くなるんだって」
「そうなんだ。わたし、病院にひとり?」
「ママも一緒だよ。ひとりになんてしない」
「お遊戯会は? でれる?」
涙が出そうになる。それを必死で瞬きで抑えて、私は笑顔で嘘をついた。
「うん。治ったらね。ママ楽しみにしてる」
病室に移動する。間も無く18時になる頃で夕食が出たけれど、次女は一口も食べなかった。そのうち長女の習い事が終わり、主人が必要最低限の荷物を届けてくれたあと、時刻は20時に。それは小児科病棟の面会時間の終了と、就寝時間を意味していた。
また明日来るね、と主人と長女が帰る。私は次女の待つベッドに戻り、主人に持ってきてもらった荷物からスウェットのズボンを出して履くと、一緒にベッドに横になった。
「なんでここにいなきゃいけないの?」
「いつ帰れるの?」
「首が痛い」「手がかゆい」「お腹すいた」
次女のフラストレーションを、私はただただ受け止めることしかできない。そうだよね、ごめんね、わかるよ。それだけをずっと繰り返し唱える夜だった。
夜中からガンマグロブリンとステロイドと抗生物質の点滴が始まる。最初はアレルギー反応がないか、少しずつ。その間も次女は泣いて暴れて、涙の跡を頬につけたまま眠りについた頃には私の心も枯れていた。到底、眠ることはできそうになかった。
暗がりの中、川崎病に関する記事をスマホで読み漁る。悪いことばかりが目について、その度に、今も元気に暮らしている川崎病疾患経験のある人の記事を読んだ。
原因不明。そう書いてはあるものの、憶測は私の頭の中でどうにか回路を繋げて自責を呼ぶ。
あの時こうしていれば。
私が薬をちゃんと飲ませていたら、と。
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