第3話 樋辺くねぎは卒業したい!


「もちろん、キラキラ学園生活をしてもいいのですよ。それはこれからこの学園に入る学生さんが作っていけばいいのですから」


 校長先生はそう言いますが――不思議と、さっきまでの優しさはありませんでした。


「“勝利”――この言葉こそが、この学校、いえ、この世界で最も大切なものになります。この学校を卒業する生徒には強い生徒であってほしい。学校を卒業して、その後の人生で常に勝ち続けてほしい――そう思って私はこの学校を運営しているんです」


 ぱん、と手を叩いて校長先生は理念を話します。

 校長先生の首に掛かっている真珠のアクセサリがじゃらりと揺れました。


「とっても……」


 私は、それを聞いて心が動かされました。


「とっても、いいと思います! 私も、卒業する頃には強くなれるでしょうか!?」


「ええ、もちろん」


 校長先生は、私のことを見て優しく微笑みました。

 ですが、その表情を私は知っています。

 眼鏡の下でギラリと輝く黒目が何よりの証拠です。


「卒業できれば、の話ですが――」


 それは、『不可能』と決めつけているときの貌でした。

 眼鏡の下で光るその瞳の輝きを、私は知っています。


「つまり――この学校は弱肉強食ってわけだ。“勝利”できる奴が生き残り、“敗北”した奴は毟り取られる」


「ええ。勝てない生徒は退学も視野に入れていただきます」


「何が退学も視野に、だ。入学生と卒業生の割合が十倍以上も違うだろうが」


 パンフレットの後半のページには堂々と卒業生の人数が書かれていました。

 年度によってばらつきこそありますが、今年は三十二名らしいです。

 ちなみに、入学者数は覚えている限りでは五百七人。

 十倍どころじゃありませんでした。


「なるほど――強さ、ですか……。私、これでも体力には自信があります。負けませんよ!」


「よくこの数字見てその態度でいられるな。これだからバカは……」


「バカって言った方がバカなんですー! むきーっ!」


 エリスちゃんは私の言葉に反論せず、校長先生に向き直ります。

 この勝負(口喧嘩)、相手が逃げたので私の勝ちです。

 バカなのはエリスちゃんの方です!


「強さ、と一口に言っても色々あるんですよ。純粋な力の強さのみで戦えば私たちは男性に勝つことは難しいでしょう。ですが、強さは様々です。立崎さん。貴女は一人部屋を望んでいましたね」


「ああ。それともう一つ、このバカとのペア解消だ」


「何でですか!? 私強いですよ!?」


「いいでしょう――この学校長である私に勝てるのなら、それを認めましょう」


 ついに校長先生にも見放された気がします。

 今の私にはジトっとした視線を送ることしかできません。

 無視されるのは悲しいです……。


「そう拗ねないで樋辺さん。折角ですから、貴女にも参加してもらいましょう」


「私も……ですか?」


 何に参加しろというのでしょうか。

 百メートル競走?

 テニス?

 もしかして重量挙げ?

 それとも相撲でしょうか。


 もちろん、どんな勝負だって負けるつもりはありません。

 地元では同じくらいのサイズの熊と戦ったことだってあります。

 常に負け知らずです。

 パワーで戦えば負けなしです!


「ええ。勝ったら――そうですね、私のできる権限ではあるけれど、なんでも望みを叶えてあげるわ」


「な、なんでもですかっ!?」


 意図せず出た涎を私はじゅるりとしまいます。

 頭の中は満漢全席、高級フランス料理のフルコース、そして木の板に乗ったお寿司の三種がくるくると回転を始めてしまいました。

 すみません、今だけはバカだと罵られても仕方ありません。

 私の満腹中枢だけは誰にも支配できないのです。


「ほんっとバカだな。相手がそれだけ大きいものを賭けてくるっていうことは、相手も同じくらいの対価を求めているってことか――」


「新入生の君たちに酷なことを求めるなんてことはないわ。しかも、樋辺さんは立崎さんに巻き込まれてるだけですからね。ただのご褒美ですよ」


 校長先生がエリスちゃんの言葉に割り込み、注釈を加えます。

 ですが、エリスちゃんは不満げなまま。


「あるいは、舐められてるかだよ」


 チッ、と舌打ちして吐き捨てました。


「そうですね……あなたたちが負けたら、『退学』というのはどうでしょう?」


「なっ――」

「困りますっ!」


 エリスちゃんが何かを言いたそうにしていましたが、それよりも私の感情の方がハイスピードでした。


「たち――って今、言いませんでした!?」


「うちの学校では連帯責任を採用しているんです。

“二人組”という名前でペアになってもらい、どちらか一人が負けた分を二人で背負ってもらいう仕組みになっています」


「何ですかそのルール!? 聞いてないんですけど!」


「悪魔のルールだよ。これが嫌(や)だったからオレはお前とのペアを拒絶したんだ。オレは誰かのせいで退学になるなんてまっぴらゴメンだからな」


「私もそうですよ!」


「だから、挑むんじゃねぇか――他人に自分の命を預けるなんて、酔狂そのものだぜ」


 それは、そうなんですけど!

 だからって、入学前に退学なんて正気じゃありません!

 二人一部屋が嫌、二人組(という謎制度)のペアが私なのが嫌――そんな理由でせっかく入った学校を辞めることになるなんて、バカらしすぎます!


「辞めましょうよこんな勝負! ねぇエリスちゃん! 私――どうしてもこの学校を卒業したいんです!」


 慌てる私を見て――エリスちゃんは言います。


「目の前に自分で可能性を掴み取れるチャンスがあるんだぞ? しかも何でも叶えてくれるって言ってるんだ――参加しねぇのは女じゃねぇだろ」


 漢らしいことをいうエリスちゃんの目は、どうしてか闘志に燃えています。


「そんなに私と二人組になるのは嫌ですか……?」


「ああ嫌だね――同じような条件(たいがく)をいつ吹っ掛けられるかも分かんねぇ。だったら、ちゃんと早めに策を打つのが立崎流だ。それに、他の学校ならまだ入学できるだろ」


「ダメなんです! どうしても私はこの学校を卒業しないと……」


「だったら尚のことこのチャンスを受けるべきじゃねぇか? お前みてぇな筋肉バカだってちったぁ頭使えばわかるだろ――なんでもしてくれるっつってんだ、なんでも吹っ掛けてみれば叶えてくれるかもしれねーんだぜ?」


 勢いのまま甘言に飲まれてしまいそうになって、私は一度立ち止まります。


 確かに、卒業出来るのは十パーセント以下……それなら、卒業できるような確約をもらっておけばいいのではないでしょうか?


 いやでも、どんな勝負をするかさえ分からないのにそんなのはリスキーです!

 むしろ、何もわからない状態で勝負に対してノリノリなエリスちゃんの方が不思議です!


 エリスちゃんは舌なめずりをしていました。

 私と違ってお腹が空いているからというわけではなさそうです。


「もしかして、刺激がなくちゃ生きていけないタイプのジャンキーの方ですか……?」


「オレをなんだと思ってるんだ……?」


「ちゃんと自己紹介くらいしておきなさい? 立崎エリス――海外でカジノを開き、胴元として一財産を築いた立崎家の一人娘。その後、破産と再生を繰り返し、現在は今IR計画が持ち出されている関係で日本に滞在中――ってところかしら」


「おい教育者。個人情報の漏洩だぞ」


「はぁ~……すごい人に会ってしまったけぇ……」


 エリスちゃんががやがや校長先生に詰め寄っていますが、私の耳にはがなり声は入ってきませんでした。


 つやっつやの髪に部屋に置かれた王座、ふとした瞬間にあふれ出る気品――確かにお嬢様と言われればその通りです!

 言葉遣いの汚さに気を取られていましたが、エリスちゃんからは並々ならぬお嬢様感を感じます!


 そういう気がしていました!

 ええ!

 初めから気付いていましたとも!


 お嬢様と呼ばれる人に会ったのは生まれてこの方初めてです。

 確かによく見てみれば着ている服も心なしか艶がかって見えます。


「何見てんだよ……着てる制服は同じもんだぞ」


「いつの間に私の心を覗いて……」


「いや、そんだけ近づけば嫌でも分かるがよ」


 おっと……、気付けばエリスちゃんの胸元に鼻頭が当たりそうでした。

 フレグランスの良い匂いがします。


「っと――エリスちゃんの凄さで霞んでいましたが、私はそこまで何も求めません! ちゃんと普通に入学して、それから普通に平穏で楽しい三年間を過ごして、この学校を普通に卒業出来ればそれでいいんです!」


「めちゃめちゃ求めるじゃねーか……今年の卒業生は三十二名。留年は認められてねーから、それ以外のヤツは全員退学だよ。この学校を普通に卒業するのは至難の業だぞ」


「それなら――樋辺くねぎさんには、もしこの勝負に勝ったら“卒業するための条件すべて”をプレゼントするわ」


「い、いいんですかっ!?」


 な、なんと!

 さっきの私の考え(もうそう)が現実になってしまいました!


 卒業の確約が――入学前に行えるってことですか!?

 それはさすがに破格過ぎないでしょうか!?

 これには樋辺くねぎもびっくりです。


 それなら――勝負をする価値もあるというものです。


 いえ、勝負なんて受けるべきじゃない、落ち着けと脳内で赤色のパトランプとアラートが出ているのは自分でも分かっています。

 ただ――目の前にいざニンジンがぶら下げられると、競走馬クネギインパクトとしては止まれないんです!


 校長先生が私の表情をちらと見て、それから「そうね」と切り出します。

 芝居がかった、考えるような表情をしています。


「そうね――ここで勝負を受けずに負けて退学、というルートは確かに可哀想ではあるわね……仕方ないから、くねぎさんはこの勝負を受けなくても退学にはしないわ」


 ――――っ! 私は、息を呑みます。


 勝負に参加せず、普通に学生生活をスタートできるという選択肢が目の前に表れました。

 これを選べと、私の中では絶滅危惧種の理性がそう告げています。


「ただし、勝負参加して勝てば、卒業要件をすべてあげるわ。もちろん、その場合は負けたら退学よ」


 ずっと頭の中でアラートは鳴り響いています。

 乗るべきじゃない、引けくねぎ――と。


 勝負をするのは嫌いです。

 勝者と敗者が明確になり、その禍根は後々まで尾を引きます。


 今からするのは、戦うべき勝負なのでしょうか、乗るべき賭けなんでしょうか?


「伸るか反るか、決めるのは貴女よ」


 そう言われて――新しい環境に来た私は。


 じっと逃走と勝利、そして敗北を天秤にかけて――決めました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月22日 11:00
2024年12月22日 18:00
2024年12月23日 15:00

樋辺くねぎはゲームがキラい! 一木連理 @y_magaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画