第2話 リプレイの目覚め
セルゲイの授かった能力は、ひと言でいえば「死ねば過去に戻れる」というものである。念じれば具体的な時間に跳躍することが可能だ。彼の半生はこのリプレイという能力なくして語れない。
遡ること六年前。徴兵されたセルゲイは機械化歩兵師団の一員としてアフガニスタンにいた。
機械化歩兵師団とは、戦闘車などに乗って移動する機械化された歩兵のこと。歩兵であるからには、彼らの任務は主に敵を狙撃して殺すことにあった。そうした狙撃兵の一人にセルゲイがいた。
彼は一九八七年に実施されたマギストラリ作戦に従軍し、戦闘車の火力に支援されながらライフル片手に敵の殲滅を図っていった。
その作戦において、セルゲイを含む部隊にある命令が下った。それは戦闘車が入れない山腹に敵兵が逃げ込んでおり、彼らを撃滅しながら周囲を制圧するという作戦。
セルゲイにとってその任務は最初要領を得なかったが、現地に赴いたときすべてを理解した。彼ら歩兵部隊が侵入したのは少数の部落が点在する谷間のエリアであり、そこに築かれた無数の洞窟をシラミ潰しにして敵を各個撃破していくことが求められていたのだった。
「こんな任務、やってらんねえわ。敵がどこに潜んでいるのかもわからないのに、必ず逆襲に遭うだけだ」
部隊長が上官の文句をいいながら、ライフルの整備をしていた光景をセルゲイは覚えている。
そう、いくら武装しているとはいえ、火力に支援されているわけでもない部隊が敵の内部に切り込めば、当然反撃に遭うし、迎え撃つムジャヒディンのほうが有利に決まっている。
ムジャヒディンとはソ連の傀儡として誕生した共産主義政権に反対し、アフガニスタンの解放をかけて戦う武装組織である。
彼らは粗末な装備を身につけ、大砲やロケットランチャーを用いるものの潤沢とはいえず、その戦術はおのずと囮を使った騙し討ちなど、ゲリラ的な要素が色濃く出ていた。
部隊長が文句をいったのも、歩兵対歩兵の戦いならソ連軍が優位を確保できるとはかぎらず、むしろ地の利を得られるムジャヒディンのほうが優勢な戦闘を実施できることが背景にあった。
セルゲイを含む部隊は、山村に逃げ込んだ敵兵を潰し、地域一帯の掌握を求められたが、その困難さは部隊の士気を下げ、「これじゃ決死部隊だろうが」と末端の兵士までこぼす始末だった。
ところがセルゲイは、彼らの言動に振り回されず、黙々と任務を遂行した。死ぬ恐れは高かったものの、彼は人生が報われたことなど皆無であり、ここで死のうと生きようと大差ないと考えていたのだ。どんなことにも通じるが、失うものがない人ほど逆境に強い。セルゲイは怖じ気づく同僚を尻目に、部隊の先頭を切って進み、無数に空いた洞窟を一つひとつ洗っていった。
十日ほど経っただろうか。順調に成果を挙げはじめた矢先、セルゲイを悲劇が襲った。戦いにおけるすべてのリスクを引き受けていた彼は、重武装した敵兵と出会うべくして出くわしたのだ。
彼らは洞窟に隠した大砲を撃ち、友軍に奇襲をかけてきた。細長い剥き出しの山道に分散して進む彼らは、ムジャヒディンにとって格好の餌食となる。
周囲を轟かす発砲音がして、セルゲイたちは狙い撃ちされた。空の彼方から降ってくる爆弾は、噴煙のような軌道を描いて頭上に着弾した。
(死んだ……)
薄れゆく意識のなか、セルゲイは達観した境地で最期を迎えた。正確にはそのはずだった。
しかし目が覚めてみると、彼は天国にも地獄にもいなかった。そこはムジャヒディンの襲撃にむかう道中であり、セルゲイが死を覚悟したときから遡ること数時間前の地点だった。
生まれた境遇が悪かっただけで、頭脳的には本来軍に一兵卒としているべきではなかったセルゲイは、己の身に起きた奇妙な出来事を瞬く間に理解した。
(死ねば過去に戻れる……?)
ここで気の弱い者ならその能力を持て余しただろうが、セルゲイは違った。彼は生来の図太さを見事に開花させ、
(死んで甦るなら、命懸けの戦術がとれるな)
といった具合に、すべてを都合良くとらえた。元々死を恐れなかった男が、水を得た魚のようになったわけだ。
そこからは、連戦連勝である。編成した兵士の半数が死んでも構わない作戦を参謀たちは平気で立てるが、圧倒的な不利をセルゲイの機転で切り抜けることが何度も起きた。それもすべて、一度めの失敗を丹念に分析し、二度めの行動に生かすことを愚直にやり抜いた結果だ。
最初はセルゲイに目もくれなかった上官も、彼の戦況予測が恐ろしいほど当たるため、実戦にあたってその意見を尊重して聞くようになった。所属する部隊の死亡率は急激に下がり、その恩恵を受ける同僚たちはセルゲイのことを純粋に尊敬しはじめた。「ハンニバルの再来」と冗談めかしていう者まで現れる始末だった。
リプレイ能力よって失敗しても数時間前に戻れるのだから、そのたびに敵兵の位置や装備を把握し、二度めの攻撃では相手の弱点をついて殲滅。その先頭立ったセルゲイは目覚ましい戦果を次々と挙げていく。
最終的に彼は、百人以上のムジャヒディン、とりわけ数名の司令官を屠っていた。アフガニスタンでの戦争が終わる頃、気づけば部隊の副隊長にまで出世したセルゲイは、居住地であるモスクワに戻ったとき、指導部から呼び出しを受けた。
「セルゲイ・ステパノヴィチ。喜びたまえ、きみが叙勲されることになった」
「叙勲?」
「ああ、ソ連邦英雄だよ。部隊で三人が選ばれ、きみがその筆頭だ」
アフガニスタンにおける戦争は惨憺たる失敗に終わっているため、その戦勝パレードはひっそりとしたものだったが、現地の反共勢力を放逐したという名目で式典は粛々と進行した。
観客もほどほどに集まり、パレードの最後は、押し寄せた群衆一人ひとりと握手を交わした。情動の変化に乏しいセルゲイも、これにはいささか感激を覚え、老若男女の手を必死になって握り返した。なかには感極まってキスをしてくる少女もいたが、まんざら悪い気はしなかった。
リプレイ能力のおかげで文字どおり英雄となったセルゲイは、その称号にふさわしい地位を与えられ、翌年からモスクワ市庁に勤務することになった。担当は納税課だったが、ここで彼は、後のバウチャー集めに通ずる機密情報を大量に入手する。
ときの最高指導者の肝煎りで、ソビエト連邦解体前から国有企業の民営化プログラムは動きだし、それはもう既定路線になっていた。バウチャーの配布自体はもう少しあとの話だが、先見の明があるセルゲイにとって未来を予測するのは難しくない。
バウチャーを買い占めた者が国有資産を継承し、会社を私物化できる。保有者に条件はない。バウチャーさえ集めれば、ホームレスですら世界的企業の経営者になれるわけだ。
同じことを考えた人間は少なくないだろうが、セルゲイにはアドバンテージがあった。彼は納税記録を閲覧することで、将来バウチャーを独占するだろう人物にあたりをつけ、リスト化していった。「脱税の恐れがある」と言い訳をつけ、近隣の市役所からも情報を入手した。
やがて最高指導者の交代をもってロシアの資本主義化は加速した。民営化プログラムは予定どおり実施に移され、そのタイミングでセルゲイはモスクワ市庁を退職する。
作成したリストは数ページにも及び、特権階級に居座る人物のデータは頭に叩き込んでいた。もっともセルゲイをそうさせた代償に、彼は多くの記憶を失っていた。リプレイ能力を獲得するとき、爆弾の直撃を受けて脳が壊れてしまったのだと思っている。
だが虫食いだらけの記憶など、彼の得たものに比べれば痛くも痒くもない。
あとは収奪を開始するだけだった。
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