防波堤

安政元年十二月、下田の空は冬の陽光に輝いていた。


機巧堤防の完成検査の日。幕府からの視察団を迎えた地下室には、緊張が満ちていた。


「では、実演を」


堀勘定奉行の声に、お由が操作盤に向かう。彼女の手が動くと、新旧の機構が見事な調和を示しながら始動した。蒸気の力が古い歯車を回し、その動きが水門の制御へと伝わっていく。


「見事な制御性能です」


川路聖謨が感心したように言う。彼の隣では、プチャーチンも満足げな表情を浮かべていた。


「これぞ、両国の叡智の結晶」プチャーチンの言葉を一郎が訳す。「技術は、国境を超えて人々を結ぶ」


実演は予想以上の成功を収めた。特に、地震と津波の予知能力は、視察団の大きな関心を集めた。


「江戸、大坂の港でも」川路が興奮気味に語る。「このような防災の仕組みが必要ではないか」


その言葉に、宗弘が静かに歩み寄った。


「しかし、それには条件があります」彼の声は落ち着いていた。「この技術は、決して一国のものであってはならない」


「どういうことだ?」


「見てください」宗弘は古い図面を広げた。「我らの先人は、既に百年前からこのことを示唆していた」


図面には、様々な国の技術を組み合わせた構想が描かれていた。まるで、現在の日露協働を予見していたかのように。


「技術の真価は」宗弘は続けた。「人々の協力の中にこそある。一つの国の中に閉じ込めては、その進化は止まってしまう」


その言葉に、堀の表情が和らいだ。


「そうだな。まさに今、我々が目にしているような」


実演の後、一行は港に向かった。そこでは、新しい水門が静かに潮を制御していた。その姿は、まるで新時代の象徴のようだった。


「条約の調印式は」プチャーチンが一郎に尋ねる。「明日になるのですね」


「はい。戸田にて」


日露和親条約の調印を翌日に控え、下田の町には期待と不安が入り混じっていた。しかし、この機巧堤防の成功は、新しい時代への確かな一歩を印していた。


「見てください」お由が港を指さした。「波が、少しずつ変わっています」


潮の流れが、徐々にその姿を変えていく。それは、新しい防波堤が着実にその力を発揮している証だった。


「父上」一郎は宗弘に向き直った。「これからどうなるのでしょう」


「それは」宗弘は穏やかに微笑んだ。「我々の手で、作り上げていくものだ」


その言葉には、確かな重みがあった。技術の進歩は、決して一方向的なものではない。それは、人々の協力と理解の中で、新たな形を見出していくものなのだ。


夕暮れの港には、日本の和船とロシアの軍艦が穏やかに揺れていた。その光景は、まるでこれからの時代を暗示するかのようだった。


波は、新しい防波堤に導かれながら、静かに岸辺を洗っていた。それは、まるで未来への航路を示すかのように。

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