第7話 鑑定魔法とお師匠さま1
「父さま! わたし、かんてい魔法を習いに行きたいのです!」
ピョンと全力で父さまに飛びつけば、執務机の椅子に座っていた父さまは危なげなく受け止めてくれた。
「鑑定? って、今度王城で大賢者殿が大規模な講義を開催する、っていうアレかい?」
「そうなのです!」
「まだネリームーアには早くないかな」
「早くないのです! 対象年齢は五歳以上なのです。やってみたいのです。お母さまのお役に立てるかもしれないのです」
「そうか……」
キラキラした上目遣いで見上げると、父さまは『ディートハルトも一緒に行くなら』と承諾してくれた。
わたしは両手を挙げて喜び、空中に跳び上がってクルクルと回って着地し、父さまの執務机の隣に机を並べて補佐をしているディータの手を取った。
Yes推し、Noタッチ! いちオタクとしては推しに触れるなんてタブーだよね、とためらった時期もあったけれど、触れられるのを最初に断ったとき、ディータがとても悲しそうだったので、キッパリと割り切った。
推しを悲しませるなんて万死に値する。オタクの矜持なんてくるくるポイだ。
「ディータ、一緒に行ってくれるのです!?」
「ネムのお誘いですもの、もちろん構わないわよ。あー、ほらネムったら、こっち向いて。料理長にクッキーでももらったの? どうやったらそんなところに食べかすがつくのよ」
ディータに手ぬぐいで鼻を拭かれつつ、わたしはぐぬぬと唸った。
今日の父さまのお茶請けは、お母さまに教わったレシピで、いかついモグラの料理長が作ってくれ、わたしもこねるのと型抜きを手伝った。サプライズのはずが、焼きたてをつまみ食いしてきたせいでさっそくバレてしまった。
ディータは今日も貴族男子の服装をしている。女の子の格好をしてもとびきり似合うのに、『ネムが女の子の言葉でしゃべって女の子の格好をしていい、って言ったときから、逆に何でなのか憑き物でも落ちたように女の子の服への執着がなくなっちゃったのよ』と言っていた。
ドレスシャツにベスト、トラウザーズで女口調というのも、それはそれで違った魅力と色気がしたたり落ちていて、毎日目にするわたしは心臓がもたないのと寿命が延びまくるのとでフィフティフィフティなので、結局の所ディータがしたい格好をするのが一番だろうという結論に達した。
そんなわけで、わたしは原作にない現状を役得だと受け入れている。
「ねぇネリームーア。マリアベルに会えて張り切っているのは分かるけれど、ほどほどにね。君はちょっと暴走するクセがあるから」
「やるなら! 何事も全力なのです!」
ぐむっ、と力こぶを作って力強さをアピールしてみると、『可愛いねぇ』と撫でられた。解せぬ。
「お母さまの研究の、お役に立つのです!」
お母さまは体が弱い、とは前から聞いていたけれど、詳しい症状は王都邸に来てから聞かされた。
お母さまは、牛の獣人が発症しやすい白血病という病気なのだそうだ。あまり詳しくないけれど、前世の人間の白血病とはちょっと違うようだ。
原因不明で、発症すると体中に腫瘍が現われ、食欲がなくなり、痩せ衰え、生殖能力がなくなり、死に至る。
発症するのは若い女性に多い。
お母さまは、半発症という珍しい症例で、しかも十歳頃に発症した。
食欲がなくすぐに発熱し同じ年頃の子より発育が遅かったけれど、腫瘍は出来ず、王都より涼しいローゼワルテ領に静養に来ていて、父さまと知り合ったそうだ。
その頃ローゼワルテ伯爵領では、牛の白血病の権威と呼ばれたとある老博士が大学引退後に治療院を開いていて、お母さまや多くの白血病の女性達が博士を頼ってローゼワルテ伯爵領に滞在していたらしい。
お母さまは、他の病気の患者さん達よりは元気で、好奇心旺盛だった。
腫瘍に苦しむ他の患者さん達を見て、自分の将来を悲観するのではなく、あの人達を治してあげたいと、そう願うような子どもだった。
だからお母さまは、老博士の手伝いをしつつ、老博士に教えを請うて錬金術を学び始めた。
この『アリスフォード戦記』の世界では、様々な学問は『魔法学』と『錬金術』の二種に分類される。前世の『柚希』がやっていた『農学』『虫の研究』やお母さまが学びたかった『医学』『薬学』は全て錬金術に分類されている。
最初はお母さまのやることに否定的だった患者さん達も、次第に興味を持つようになり、お母さまと同じ年頃の半発症の子がもう一人加わって、本格的に、子どもならではの自由で突飛な発想で、老博士では思いもしなかった角度からの研究が始まった。
お母さまが父さまと結婚してじきに老博士は亡くなり、治療院は閉院となってしまった。けれど、その膨大な資料と研究はお母さまが引き継ぎ、今でもローゼワルテの王都邸で研究を続けている。
老博士の研究内容は、治療法や延命法、緩和ケアが主だったけれど、患者さん達の多くは延命より『どうして自分は病気になってしまったのか?』ということを知りたがった。自分たちがなぜ苦しみ、死ななければならないのか。
しかし、治療院に来ていた患者さんや、治療院が閉院した後にお母さまが独自に集めたデータでは、白血病を発症した人達に特定の食べ物や発症者との接触などの共通点は見つからなかった。
唯一の共通点は、発症者の半数ほどが、妊娠・出産の前後に発症しているということ。
それでもお母さまのように子どもの頃に発症する人もいるし、何故病気に罹ったのか? という問いの答えにはならない。
『私はね、もうきっとそう長くは生きられないわ。それでも、これからを生きる子ども達が、私たちのような病に罹らなければ良いと、そう思うのよ』
窓から差し込む淡い光の中、お母さまはそう言って微笑んだ。
とても、とても綺麗だった。
わたしがお母さまの研究を応援したい理由なんて、それで充分だ。
前世、わたしは『好きなものはショウねえちゃんとディートハルトと虫!』と横並びにするくらい虫が好きだったけれど、農学部の学生としては一年生から虫の勉強だけしていればいいわけではなかった。
畜産や農業に関してもある程度講義があって、その中でもわたしの記憶に残っているのは虫がらみな内容だけなわけだけれども。
『畜産における虫の功罪』という講義があった。
家畜伝染病には、人畜が運ぶものの他に、蚊やサシバエが媒介するものがあって、確か牛の白血病はそれだったような……?
もちろんお母さまは牛の獣人であって、牛そのものではないけれど、可能性はあると思う。
たしか前世のカイゼル髭にマッチョな教授の話によると、やっかいなのは発症畜ではなく未発症の家畜が感染を広げていくことで……発症していない
けれどこの世界に、感染の陽性陰性を判別出来る検査キットなんてない。
科学がないなら、魔法を使えば良いんじゃない?
ってことで、わたしが行き着いたのが『鑑定魔法』というわけだ。
『鑑定魔法』は『治癒魔法』よりも特殊でレアな魔法らしいから、使えるようになれば『シータ身代わり作戦』が一歩前進するに違いない、という下心もモリモリある。
一石二鳥、いやディータと一緒に通えるので一石三鳥の完璧な作戦だ。
「絶対に『かんてい』を使えるようになるのです!」
拳を空に突き上げるわたしに、お父さまとディータは生あたたかい目を向けていた。
◇◇◇
「鑑定魔法っていうのはね、才能がないヤツは何をやって開花しない。けれど逆に、出来るヤツはなんでこんな簡単に、ってくらい呆気なく出来るようになるシロモノなんじゃわ」
王城の何百人と入るホールのステージで、ちんまりとしたリスのおばあちゃんが大きな魔法の杖でコツコツと黒板を叩いた。
黒板には魔法陣だか魔法理論だか何やら難しいことが書かれているけれど、わたしの席からは遠すぎてサッパリわからないし、とりあえず配られた紙に配られた鉛筆で足下にいたカマドウマの細密画を描いてみる。
カメラのないこの世界では、虫の記録を取ろうと思ったら細密画しかない。
真上からだとイマイチ面白くないな、と思っていたら、ピョンと飛んで前の席の背もたれの後ろに止まった。真横から見るカマドウマは、他のバッタと違う丸い背中や長い触覚、アゴヒゲ、ぶち模様がよく分かって興味深い。
描くのも楽しい。
幸いこの世界には、植物製の紙も鉛筆(紙巻きだけど)もあるし、版画技術もあるらしいし、昆虫図鑑とか作れないかなー、と思っていたら、隣の席のディータに脇腹をつつかれた。
「ちょっと、『絶対鑑定魔法を使えるようになるのです!』って叫んでた勢いはどうしたのよ? 大賢者様のお話ちゃんと聞いてた?」
「かんてい魔法は普通の魔法とは違うから、魔法理論とか呪文の正しい発音とかとはほとんど関係なくて、さらに種族も関係なくて、適性がある人とない人の差がイマイチよく分からないから、データをたくさんとるために無条件で受けられるこの講義を開いた、ってとこまでは聞きました」
「……虫にしか興味がないかと思ったのに、エライわ」
目を丸くしつつも頭をわしゃわしゃと撫でてくれるディータに、ムフフと笑って満足しつつ、わたしは内心大賢者のおばあちゃんの動機に納得していた。
今までほとんど大賢者様の弟子筋だけの門外不出だった『鑑定魔法』。
使いたい人は多かったけれど、学ぶのは無理だとずっと言われていたらしい。それが急に無料かつ無条件で希望者全員に教えてくれるというので、貴族も冒険者も一般人も大勢の人達が集まっている。なんでなのかと思っていたけれど、鑑定魔法研究のための統計データ取り。
利権より知的好奇心を優先させるのは、研究者あるあるだ。
前世の昆虫ゼミの教授もそんなタイプだった。
カマドウマの正面から見た細密画が完成間際になったところで、横から紙をツンツンとひっぱられた。
「待ってくださいディータ、まだこの卵型の顔にアゴヒゲを描かないと」
「ふふ、もうみんな帰っちゃったよ? 彼らには『鑑定』の才能はなかったみたいだね」
ディータではない、耳に響く良い声で話しかけられて、わたしは目を瞬きつつ顔を上げた。
わたしの椅子の横に楽しそうに立っていたのは、白金の巻き毛に黒い角、白い騎士服を着た、十歳くらいの凜々しい羊の獣人。この顔は。この人は。
「アリスフォード王女!?」
『アリスフォード戦記』の正真正銘の主役、アリスフォード王女の子ども時代の姿に、わたしは思わず叫び立ち上がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます