第5話 特別なお客様
「アタシを、公爵家に売ってください」
わたしが六歳、ディータが十二歳になった秋。
わたしが隠し部屋に忍び込んで遊んでいると、不意に大好きなディータの声で、不穏な言葉が聞こえてきた。わたしはのぞき窓を薄く開け、応接室を覗いてみた。
父さまの応接室には、年に一度必ず訪れる、父さまの『特別なお客様』が来ていた。
何の獣人かは良く分からないけれど、角があって、白髪交じりの赤茶の髪とヒゲで、ステッキを持ったオシャレなおじさんだ。左目を縦に横切るように傷痕がある。
お客さんが来ているのは知っていたけれど、父さまもおじさんも聞き取りづらい低い声で話していたので、今まで何を話しているのか気にしていなかった。
その向かい合ってソファに座っている二人の横に、唇をギュッと噛んで父さまを見つめるディータの姿。今日は男の子の服を着ている。
その眉間のシワを見た瞬間、わたしはしゅぽんっと隠し部屋を飛び出した。
「ダメ! 父さま、ディータをいじめるの、絶対ダメなのです!」
突然天井から現われて、ディータの前に両手としっぽを広げてすくっと着地した六歳児の姿に、オシャレなおじさんは目を丸くしてから吹きだした。
「ぷくくっ、これは勇ましいお嬢さんだ。このお嬢さんが、ミルト自慢のネリームーアかな?」
額に手を当ててため息をついていた父さまは、眉尻を下げて顔を上げた。
「ネリームーア、そこに入ってはいけないとあれほど……それはともかく、父さまのお客様にご挨拶を」
「はい、ネリームーア・ローゼワルテ、六歳です! 趣味は虫を捕まえることと、ディータを追いかけることなのです! よろしくお願いします!」
ビシッと敬礼して元気よく挨拶をすると、おじさんはなぜか再びぷくくっ、と笑った。
「んー、こちらこそよろしく、ネリームーア嬢。私はペイジ。ディータというのは、こちらの少年のことかな?」
「そうです! わたしの大切な家族なのです!」
「そうか、それでどこまで聞いていたのかな?」
「ほとんど聞いてないです。ディータが『アタシを売ってください』と言ったところだけなのです。ディータを売るなんて絶対ダメなのです」
正直に告げると、父さまが『はぁぁ』とため息を付いた。
「僕だって、もちろんディートハルトを売るつもりなんてないよ。なんでディートハルトがそんなことを言ったのかは……ネリームーアにはまだ難しいかもしれないけれど、聞きたいかい?」
「もちろんです。わたしだってローゼワルテ、ディータの家族なのです」
父さまが説明してくれたことによると。
ディータには、ローゼワルテ伯爵家に来る前に一緒に暮らしていたお姉さんがいる。そのお姉さんを助けるために大金が必要だけれど、ローゼワルテ伯爵家は貧乏なのでそのお金が用意出来ない。ただ、一つだけお金のアテがあって、それがこのペイジおじさんが年に一度だけ持ってきてくれる特別な角の欠片なんだそう。その角は不治の病にすら効果がある薬の原料で、売ればかなりのお金になる。
ただ、この角をペイジおじさんが毎年譲ってくれているのは、王都にいるマリアベル――父さまの奥さんでわたしのお母さま――の治療のため。それを売ってしまうということは、お母さまの寿命を縮め、ペイジおじさんとの友情に泥を塗ることになる。
この話はむしろお母さまから提案されたことで、お母さま本人は角を売ることに納得しているけれど、ペイジおじさんは大反対で、そんなことをするならもう次の角を持ってくることはない、お前との友情もここまでだ、と言い合っていたところで、聞いていたディータが部屋に入ってきての『自分を公爵家に売って』発言だったらしい。
父さまとペイジおじさんが言い争っていたなんて全く気付かなかった。
我ながらどんだけディータ以外に興味が薄いのか。
「……これは、アタシの問題です。そのために、奥様の寿命を縮めるなんてとんでもありません!」
「けれどね、ディートハルト。公爵家の現在の当主、君の大叔父にとって君はとても邪魔な存在なんだ。君の存在を知れば、公爵家は君を殺そうとするだろう。それは分かっているね? 君が助けようとしているお姉さん、シータやそのお母さんのシエラさん、君の産みの母であるレガリア姉さんも、全員が君を生かすために我が身をなげうった。君を死なせるということは、その三人全ての献身をドブに捨てるということなんだよ」
「分かって……分かっています。だから伯爵に頼んでいるんです。アタシがただ公爵家に名乗り出たら殺されておしまい。でも、伯爵なら、公爵家と交渉して、アタシの命をお金に換えられるでしょう!? そのお金で、どうかシータを……」
悲痛な表情のディータに、父さまは首を横に振る。
ネリームーアとしては説明されていないことだけれど、前世の記憶が情報を補完する。
ディータの最愛の姉、シータはもうじき十六歳。遊女としての水揚げ……デビューを迎えなくてはならない年だ。
ディータは遊女の中で育ち自らも高位遊女となる教育を受けていたので、遊女への偏見はない。
けれど、シータだけは遊女にしたくない理由がある。
シータはディータの借金を返しローゼワルテ伯爵家の養子とするために、自分の特技である治癒魔法でお金を稼いでいた。
この治癒魔法というのは生まれながらの才能が必要なので、使える人が少ない。さらに一人当たり一日に使える、またはかけられる上限というものが存在する。それを越えて治癒魔法にさらされると、治癒魔法アレルギーというものを発症するのだ。
前世の日本で放射線技師が一年に浴びられる放射線量に制限があり、安全な被ばく量が決められていたようなもの、らしい。
シータとその母シエラは、その上限を無視して治癒魔法を使い続けた。
そうして当然、治癒魔法アレルギーを発症した。
治癒魔法アレルギーは食物アレルギーと似たようなもので、アレルギーの原因となる治癒魔法に触れなければ普通に生活できる。
しかし食べ物と違い、治癒魔法使いは自分が苦しいときや傷ついたとき、無意識下で治癒魔法を発動してしまう。
シータの母・シエラはアレルギーを発症して間もなく、治癒魔法による免疫暴走で亡くなった。
遊女という仕事は、治癒魔法アレルギー持ちにとっては、死につながるのだ。
「……っ!」
わたしは拳を握りしめた。
それが分かっていたから……わたしは二年前に前世の記憶を取り戻したとき、転生知識チートでお金を稼ぎ、シータを身請けしようと思った。
けれど残念なことに、前世の私にあった知識は……虫だけだったのだ。
いわゆる転生知識チートでおなじみの、石けんの作り方もシャンプーの作り方も日本の美味しい料理の作り方も知らなかった。
ハラビロカマキリとオオカマキリとコカマキリの卵が見分けられたところで何の役にも立たなかったし、蝉や蚊の生態に詳しくても一文にもならなかった。
ローゼワルテ伯爵家に身を寄せていた錬金術師の兄弟、烏のサガリとアガリにも協力してもらって目新しい製品を開発しようとしたけれど、現状完成しているのは、虫下しと虫除けと虫刺されの薬だけ。
役立たず過ぎるだろう、自分。
何のための前世。何のための記憶。
「君たちの事情は私も聞いているし、長年の友人の頼みだ、マリアベルと少年の分、快くいつもの倍の量を用立ててあげたいところなんだがね。この角は、私にとっても簡単に用意出来るものではないんだよ」
黙ってしまったわたし達を気遣うように、ペイジおじさんがヒゲを撫でつつ口を開いた。
「我々の種族の角は独特でね、体力を増強する薬になる。知っての通り、治癒魔法は傷にはよく効くが、病には効きづらい。なぜかというと、病というのは体の中に小さな生き物が入って悪さをしている状態だからだ。治癒魔法は、体だけでなく病そのものまで元気にしてしまうんだ。けれどこの角ならば、体だけを元気にしてくれる。万病に効くと言われるのはそのせいだ」
何かの魔獣の角なのかと思っていたけれど、どうやら角はおじさんの頭に生えているものと同じらしい。けれどおじさんの角に欠けはないし、誰か別の人の……と思ったところでちょっと怖い考えが浮かんだ。まさか死んだ人の角だったりする……?
「我々は若い頃には定期的に角が生え替わるが、年を取ると角が抜けなくなる。我々は強さを求める一族でね、体質的に回復薬が効きづらいこともあって、若い頃は角を砕いて飲んで体力を回復し、不眠不休で戦いや修行に明け暮れる、なんて無茶をよくやったものだよ。それでもいざというときのために、抜けた角の二本や三本はとっておくものなんだけれど……しばらく前に大きな戦があってね、私の手持ちの角は全て使い尽くしてしまった」
おじさんはスーツの内ポケットから紫色の布を取り出し、それを大切そうに開いた。
中に入っているのは、子どもの握りこぶしほどの赤味がかった黒い塊だった。
「これはね、体力回復用の角を使い尽くしてしまった我々老兵に何かあってはと案じてくれた一族の若者が、一年に一度、自分の角を譲ってくれているんだよ。その子は心優しいが、我が一族にしては体が弱くてね……本人にとっても角は命綱なのに、断っても断っても、我々が大切だからと贈ってくれるんだ」
本来の持ち主にとっても、角は大切な薬なのだ。確かにそれでは、倍の量を譲って欲しいとはとても言えない。
事情を知っているだろう王都のお母さまが、自分の分を使って欲しいと言うのも分かる。
でも。でも。
わたしにとってディートハルトはもちろん誰よりも何よりも大切だけれど、ネリームーアとしてのわたしにとっては、お母さまも大切なのだ。
会ったことも記憶にもないお母さまだけれど、毎年、誕生日には手作りのデイドレスが届く。刺繍のレースまで全てお母さまの手作りで、小柄なりにもすくすくと成長しているわたしが、次の一年間着られるくらいの大きさに毎年バージョンアップされている。
しっぽに結ぶリボンや、手編みの手袋、帽子、靴下まで、体の弱いお母さまが体調の良い日を選んで少しずつ作ってくれるそれは、手に取ると心がポカポカと温かくなってくる。
添えられた手紙は自分の体調の悪さには少しも触れず、いつもわたしや父さまやディータ、領地の皆を気遣う優しい穏やかな内容で、わたしは一緒に届いたお菓子の箱の中に大切に全部とってある。
シータか、お母さまか。
六歳のネリームーアが、「お母さま死んじゃイヤだ」と叫んでいる。
前世の柚希が、「シータを死なせるわけにはいかない」と首を横に振っている。
わたしは。わたしは。わたしは。
「わたしは、ディータのお姉さんにも、お母さまにも死んでほしくないのです! わたしができることなら何でもします! ごめんなさいっ、こんなこと言って困らせるだけなのは分かってるのです……でもっ、お願いします……っ」
だばっ、と涙と鼻水があふれ出した。
うまい解決策なんて何も浮かばない。こんなの子どものワガママだ。鍵を握っているペイジおじさんを困らせても、何も良いことはないのは分かっているのに。
一度あふれてしまった言葉も鼻水も、もう元には戻らなかった。
「……ふむ」
ペイジおじさんはわたしの頭をグリグリと撫でた。
「我々の種族は強さを尊ぶ。欲しいものがあるなら実力で示すのが我らの流儀。しかし、君のような幼子に私と戦って勝てというのはちと酷だな。ひとつ、試練を与えよう。先ほどの話、若者――リムダというのだが、断っても断っても私たち老兵に角を贈ってくれるのでな、私たちは毎年角を受け取ると、ちょうどその時期に開催される『根性試し』の祭に参加することにしているんだ」
「根性試し……?」
目の前の洒脱なペイジおじさんと、『根性』という泥臭い単語が似合わなすぎて、頭の中が疑問符で埋まる。
「我々の種族は強さや根性が大好きでね。とても美味ではあるが、生で食すとそれなりの確率で腹痛を起こす海の魚を肴に宴を開き、盛大に飲み食いして、当たれば一週間ほど激痛に苛まれるものの根性と武運を得られる、という祭なんだ。参加は自由だが、私たち老兵はあえて参加し、リムダの角を使うことなくその腹痛を乗り切ることで『我らに角は不要』と角を返す……ということをしているのだよ」
「……は?」
鼻水が止まった。
なにそれ?
リムダさんという人がお年寄りズを心配して薬になる角を渡している、というところまでは理解出来る。その後のお年寄りズの対応が意味不明。
「角には体力回復の効果がある。自分たちに角を使わずとも病を乗り切れる体力があると証明出来れば、角は必要ない。むしろ『我らを侮るな若造が』とリムダに気に病ませず突っ返せると、その、私の古い友人が提案してくれてね……」
なんつー脳筋。
ペイジおじさん本人も苦笑いしてるし。若干迷惑そう。
「私は一族でも変わり者で痛みがとても苦手でね。その上不運なものだから、ここ数年、私は必ず魚に当たり、痛みに耐えられなくなって角を飲んでいる。つまり、全部を飲んだことにして、残りの半量をミルトに流していたんだ。もちろんリムダには了承を得ているよ? ただ人を嫌う者もいるからリムダ以外にはナイショにしている。だからもし君たちが、私が角を飲まなくとも腹痛をやり過ごせる手段を講じられたなら、私が飲むはずだった分も渡してやれると、そういう話なんだが、いかがかね?」
わたしのしっぽが、真っ直ぐに立った。
「ありがとうございます! ペイジおじさん大好きです! 絶対、絶対なんとかするのです!」
細かい突っ込み所とかどうでもいい。
いや、あえて腹痛を起こしてせっかく分けてもらった貴重な角を浪費してるとか、リムダさんかわいそうだろとか、とってもとっても言いたいけど。
大事なのは、シータもお母さまも、両方助かるかも知れない手段があったことだ。
しかも――わたしの推測が当たっていたら。
その『激痛を引き起こす魚』の原因は、虫だ。
生で食べると腹痛を起こす。けれど全ての魚で起きるわけじゃないから毒とは違う。一週間の激痛。それを耐えきると治る。
アニキサス。
前世の日本でもそれなりに有名だった、サバなんかにいる寄生虫だ。
寄生虫っていうのは、実は全生物数の半数が寄生生物なんじゃないかってくらい数が多くて、正しい寄生主にとっては無害なものも多い。けれど、自分の望まない相手に食べられたりすると、とたんに暴れ出す。
前世の地球で問題になっていた寄生虫は、そのパターンが多かった。
虫本人もパニックになるんだと思う。
「サガリー! アガリー!」
わたしはペイジおじさんにぺこりと頭を下げると、錬金術師の兄弟を探して走り出した。
そのわたしの後を、ディータも慌てて追いかけてくる。
前世、アニキサスを食べてしまったら、お医者さんに行き、内視鏡で胃の中を目視し、つまみ出してもらうのが一般的だった。けれど、実は人間の体には寄生虫に対応する免疫細胞がいて、放っておいても一週間くらいで駆除してくれる。その間はものすっごい痛いので、耐えられるペイジおじさんの種族は異常だと思うけど。
それでも医者に行きたくない、という人は多いのか、前世では有名なアニキサスの民間療法があった。
正○丸を飲むとアニキサスを退治できる――この民間療法が、実は本当に有効だと実験で証明されたのは、前世で死ぬ直前だった。ただし胃液に薬が溶けるので、薬を飲んだ時点で既に胃壁に取り付いてしまっているアニキサスには効果がない。今回の対処としては、邪道ではあるけれど、魚を食べる前に飲んでもらえば大丈夫なはず。
有効成分は、松から抽出できる『木クレオソート』。松なら、植物が少ないローゼワルテ領にも自生している。
「待ってちょうだい、ネム! これはアタシの問題なんだからっ」
「ディータの問題はわたしの問題なのです!」
わたしはディータの制止を振り切って錬金術師兄弟の元に駆け込み、一週間をかけてああでもないこうでもないと試行錯誤して完成した『木クレオソート』の丸薬をペイジおじさんに手渡した。
さらに一週間後、ペイジおじさんの一族の祭が終わり、薬が無事に効力を発揮したと、わたしは恥ずかしくなるくらいたくさん褒めてもらって――そして、『万病に効く角』の欠片は、父さまの手のひらにひとつ。わたしの手のひらにひとつ載せられた。
「よく試練を乗り越えた。次代のローゼワルテと友誼が結べて、とても嬉しいよ」
そう言って、ペイジおじさんは再びグリグリとわたしの頭を撫でた。
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