第2話 於 東京競馬場 昭和57年5月 パドックにたたずむ謎の美女
俺は東京競馬場のパドックに張り付き、目の前を回る15頭に目を凝らしている。
一頭一頭が目の前を通り過ぎるたび、気合、落ち着き、踏み込みの深さ、キレ、緩み、発汗をチェックするが、結局最後は全体の雰囲気で優劣を判断していく。
間違いない。今日、ピカイチの仕上がりなのは、最内1枠1番の「ホワイトランナウェ(白い逃亡者。馬名表記は9文字までなので「ランナウェ」になる)」 、次いで大外8枠15番の「ヒカリノハヤサ」だ。ランナウェは単勝8倍で4番人気、ヒカリは3倍で1番人気。思ったより差があるな。ランナウェは白い分見栄えしないからか?
と、そこで、パドックを挟んで正面にいる女と目が合った。向こうも気づいて、なぜか「ニッ」って返してくる。
競馬場じゃちょっと見ないすごい美人だ。ラコステの白いポロをタイトなブルージーンにインして、足元はパープルのヒール。背が高くてスタイル抜群。細いけどモーレツなボインだ。胸にピラミッドが建ってるみたい。峰不〇子が競馬場に降り立ったら、きっとこんな感じだろう。
とはいえ俺には関係ない話だ。女は、グレーの背広を着た50絡みの紳士に肩を寄せている。おおかた、馬主が二号(愛人)を連れて来たんだろう。
そう思って、俺は女から視線を外し、周回する馬を見ながら馬券の検討に入る。さっきのレースで勝った分があるからな。懐には余裕がある。ここはランナウェの単勝一点勝負か。
俺が意を決してパドックを後にし、馬券の穴場(当時は窓口女性に口頭で注文した)に向かおうと振り返ったところで、ふと足が止まった。
ワンレンの長い黒髪をかき上げ、あの美女が目の前で微笑んでいた。
******
「ねえ、君、学生でしょ?」って、しっとりと落ち着いた声音で聞いてくる。
「違うよ」
「大丈夫。私、補導員じゃないわよ」(当時、学生は補導されることがあった)
「だから違うって」
「ふふ、まあいいわ。このレース、どれを買うの?」
「ランナウェの単勝。ヒカリもピカピカで迷ったけど、追い込みだし、逃げ馬が絶好調なら、差し切るとこまでは難しいかなって」
すると、女は『へえっ!』って驚いた顔して、「その2頭に絞るなんて、あんたいい眼してるじゃない」って言っあと、続けて「だけどランナウェは、この3戦、2着、3着、3着だから、勝ち切れてないんだよ。しかも殆ど同じメンバーで。だから複勝(3着以内)は売れるけど、単勝は人気ないんだ」と、暗に再考するよう促してきた。
「へー、そうなのか」
「へーって、あんた競馬新聞見ないの?」
「見ない。600円もするしな。それに新聞はパドック見る前に書くわけだから、そこまで信用してない。前何レースの成績とか、調教が順調かとか、そういうのはオッズに反映されるだろうから、評論家とファンに任せてる。とにかく俺はパドックでピカピカの馬を見つけるのに専念して、それが単勝10倍切るなら、『今日絶好調で、経過も順調』って判断して買うことにしてる」
「あはは、ケチケチ作戦か。あんた面白い子ね。毎回競馬場に来られる人しか使えないけどね」
「まあな。だけど、俺は目の前で見たものしか信用しないことにしてるから」
「ふーん。そうなんだ。目の前で見て信用したのがランナウェなんだ。‥‥‥だけどね、今日勝つのはヒカリなんだよ」 女は、いたずらっぽく小鼻に皺を寄せて、そう宣言してきた。
「な、なんでそんなの分かるんだよ」
「私、競馬新聞でバイトしてるのね。本当は正社員にして欲しいんだけど、女なんて雇ってくれないのよ。競馬って男社会だから『女が競馬で何しようってんだ』くらいの扱いでさ(当時)。まあ、それはさておき、毎週あちこちの記者とか厩舎関係者に会って、いろいろ情報が入ってくるからね。今日はヒカリなのよ」
「なんだか眉唾だなあ。どうせオカルトみたいな話だろ。馬番の語呂合わせとか。ええと、今日は5月15日だから‥‥‥。あ、ヒカリが15番」
「違うって(苦笑)。あんた競馬新聞見ないから分かんないだろうけど、ランナウェとヒカリは同じ小久保厩舎でしょ」
「あ、そうだったのか」
「だから厩舎がどっちを勝たせたいかって話。ヒカリはデビュー戦はコケたけど、その後3連勝してここでしょ。ランナウェはずっとこのクラスで2位とか3位よね」
「‥‥‥なるほど、馬主に頼まれてるってことか」
「そのとおり。ヒカリはまだまだ先のある子よね。追い込みって勝ち方もスター性あるし、上のクラスでも十分やれるでしょ。だけどランナウェは、ここで2着とか3着なんだから、クラスあがったらきっと着外(6位以下。賞金がつかない)ばっかりよね。それだったら、ずっとこのクラスにとどまって、毎回賞金咥えて来てくれたら、馬主はありがたいのよ。厩舎の預託料だって月50万もかかるんだしさ」
「そうか、じゃ、ヒカリの単勝に突っ込むとするか」
「わ、すごい素直。大丈夫? 私そんな信用されてるの?」
「いや、『なんだかよく分からない』というのが正直なとこだけど、『騙されてもいいや』くらいに思わないと、人を信頼できないだろ。ひと月分のバイト代、姉さんに賭けるよ。もし負けたら、俺が人を見る目がなかったってことだ」
「うわあ、言うわね。ハードルあげてくれるじゃないの(笑)。私、責任重大」
「ははは、俺が勝手に姉さんに賭けたんだ。負けたって恨みっこなしでいいよ」
そう言って、俺は馬券売りの穴場に向かった。
少し後ろから美女もついてくる。
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