高慢エルフはルームシェアに向いてない!

@nazutozu

第1話

「どうぞどうぞ、アズマさん。こちらの、204号室があなたのシェアハウスになりますよ」


 とある真冬日の午前中。吹き付ける風に背筋が震える、そんな日。


 大家である不動産会社の社員に連れられて、俺がやって来たのは一軒のアパート「ケイオス」だ。とにかく急いで引っ越し先を決めたもんだから、建物を見るのも初めてだった。


 温かみのあるオレンジベージュの外壁のそれは、2階建てだが合計で8部屋しかない。その代わり、全ての部屋が2LDKになっており、全室がふたり用のシェアハウスとして運営されていた。


「アズマさんの荷物は、もう搬入済みですので。まずは同居人のかたとのご挨拶と、簡単な部屋の使い方をご説明しますね」


「ありがとうございます」


「ではでは、あ、セレさん? 大家です」


 大家が玄関チャイムを鳴らし、同居人とやらと言葉を交わす。俺はと言えば、これからの暮らしに思いを馳せて、今更ながらドキドキし始めていた。


 諸々の事情も有り、家の確認すらできていないわけで、当然どんな同居人がいるかも知らない。同じ人間ならいいし、この世界で2番目に多い獣人族なら大体普通にコミュニケーションも取れる。その他の少数人類でもまぁ学校にもいたからどうにかなるだろう。問題は希少人類だった場合だけども、そんな時は大体契約書の特記事項に書いてあるもんだ、って友達も言ってた。


 だからまぁ、大丈夫だと思う。思うけど、やっぱりこれからの生活に期待と不安が入り混じって、ドキドキする。そんな俺の前で、静かにシェアハウスの玄関が開かれた。


 まず目に入ったのは星の光かってほど眩い金の髪。艶やかな長い髪が、シャンプーのCMみたいに流れている。続いてその、俳優かってほど整いまくった顔。瞳は晴れ渡った空みたいな深みのある青だ。


 あまりの美しさに、ドッと心臓が跳ねるのを感じる。頬も熱が出たみたいに火照ってしかたない。こんな顔の持ち主を前にしたら、きっと誰だってこうなることだろう。大家は顔色ひとつ変えてないけども。


 そして目の前の男が、今どきそんな服どこで買うんだってぐらい古風な白いローブを羽織っていることに気付き。そんでもって、俺よりもずっと線が細いのに長身であることがわかり、最後に俺は、そいつの耳が人間とは違い尖っていることに気付いた。


「え、エ──」


 エルフだ、これー!?


 俺の心の叫びがそのまま口に出るまでに、大家さんがにこやかに紹介してくれた。


「アズマさん、こちらが同居人のセレさんです。セレさん、今日から一緒に暮らすアズマさんですよ」


 セレ、と呼ばれた麗しい顔立ちのエルフが、ゆっくりと微笑み頷く。その柔らかな瞳に見つめられると、胸がギュンっとなった。美人すぎる。しかも彼が動くだけで金糸の髪が水のように流れて、それにすらドキドキする。離れていてもいい香りまでしてきそうだった。


 俺は正気を取り戻すために首を振って、零した。


「と、特記事項、特記事項に、書いてなかった……」


 そう。


 このシェアハウスの契約書。その特記事項に、同居人がエルフだなんて、書いてなかったはずだ。


「何をおっしゃってるんですか、アズマさん。ほら、ここ」


 大家さんは爽やかな笑顔で、契約書を見せてくる。特記事項の部分は空欄になって──いない。右端! 右端にすっごい小さい字で書いてある! 同居人はエルフですって書いてる!


「そ、そんなっ、こんなの罠じゃないか!」


「いやですねぇ、契約書にはちゃんと書いてありますし、全てを読んで同意しますにサインをしたのはアズマさんじゃないですか」


 大家さんはからからと笑って、それから俺の方にポンと手を置いた。


「ということで、ご挨拶をしましょうね、アズマさん」


 ものすごい圧を感じて、俺の頭の中には「詐欺」「クーリングオフ」「違約金」「希少人類との同居」などの単語が駆け巡っていたけれど、頷くしかなかった。






 星歴3216年。


 あらゆる人類が、戦争と平和を繰り返し、ついに平穏そのものの時代を手に入れて、かなりの年月が経っている。


 人類、と呼ばれる、一般にヒト型をし、一定の思考能力を有しコミュニケーションが可能な存在は、多種多様。無個性の「人間」に始まり、あらゆる動物に似た特徴を持つ「獣人族」全般、少数民族のドワーフに、マナランダー(かつての呼び名は悪魔、または魔族だ)。


 そして希少人類と呼ばれる存在がいる。そのうちのひとつが、エルフだ。


 どうしてエルフが希少人類になったのか、というと、諸々理由はあるんだろうが、俺はエルフ学や人類学を専攻していないからよく知らない。ただ、義務教育で習ったことを簡単に言ってしまえば、こうだ。


 エルフはそのほとんどが、クソ田舎の島国から出てこない。島国では独自の文化やコミュニケーションが形成されているため、仮に島を出ても同じ人類間で軋轢が生じやすい。だから、エルフは「エルフ村」と呼ばれる地区に固まる傾向があり、やはりあまり日常的に接する存在じゃない、というわけだ。


 だからこそエルフが同居人、なんていうのは一般に特記事項となるほど珍しく、そして面倒なことだった。






「どうりで安いわけだよなぁ……」


 飛び込みで住める部屋を探した結果、ここがとびきり条件もいいのに安かったのは事実だ。何かわけがあるんだろうとは思ったけど、まさかエルフが住んでいるとは……。


 大家さんと一緒に部屋を見たけど、きれいなものだ。俺の荷物は段ボールで山積みになっているけど、住みやすそうな場所だとは思う。問題は、キッチンや風呂などは共用だってことだ。そらそうだろう。シェアハウスなんだから。


 ということは、セレとかいうエルフと関わるしかないってことだ。


 覚悟を決めかねている俺をよそに、大家さんはさっさと帰ってしまった。残されたのは俺と、長身エルフ。


「……ええっと、セレ、さん。改めて、これからよろしくお願いします……」


 おずおずと挨拶してみると、セレは柔らかい笑みを浮かべて言った。


「アズマ君、だったか。よろしく。ああ、下等な人間と共に暮らすなんて、信じられないことだ。あまり私の手を煩わせないでくれたまえよ」


「……え、っと、……はい……?」


 軽くお辞儀しながら言われたけど……なんかコレ、ケンカ売られてる?


 眉を寄せていると、続いてセレは俺の荷物を指差した。


「このリビングは共用エリアでね。だが君の荷物が部屋を狭くしている。早く片づけたまえ。まあ、その短い脚では難しいかもしれないがね」


 くすり、と俺の下半身を見て笑った気がする。


 なんか、マジでケンカ売られてる??


「え……っと、セレさん」


「ああ、そんな話しかたはしなくて構わないよ。下劣な人間に、私のようなエルフを敬うことなどできないだろうからね。私のことはセレと呼びなさい」


「……………………」


「私も君の片付けに手を貸さないこともないが」


「や、いいっす。自分でできるんで」


「そうか。では、私は自室に戻る。何か有ったら相談しなさい。……ああそうだ、夕飯の時間は18時だよ。時間厳守だ。私と一緒に食べるように」


 セレはそう言って、自分の部屋に戻ってしまった。そんな彼の背中を見送って、それから俺は心の中で叫んだ。


(なんっっっだ、あの、高慢エルフ野郎……?!)


 え? めちゃくちゃ見下されてない?! そんで、全くもって歓迎されてなくない?


 セレの整った顔に浮かぶ笑みを思い出す。いやあれは絶対見下してた。俺のほうが背も低いから、当たり前っちゃ当たり前だけど。だって「下等」とか「下劣」とか言ってたよ? 日常会話で使わないじゃん、そんなの。


 思い返したら無性に腹が立ってきた。本当にこんな高慢で性格悪い奴とこれから暮らさなきゃいけないのか? 今なら解約間に合わないかな。


 そう思って契約書を見ても、入居してから1ヶ月以内の解約は違約金を取るとか書いてある。しかも、結構な額の。


 そもそも、違約金払えるだけの金があれば、こんな安いシェアハウスに来てないんだよなぁ……。俺は盛大にため息を吐き出した。


 とりあえず、片付けないと。あの、俺と違って「脚が長い」エルフに、また嫌味を言われる前に。

 俺はムカムカするのをひとまず引っ込めて、自室の荷物整理に取りかかった。





 作業に没頭していれば、それなりに気持ちも落ち着くかと思ったが、そんなことはなかった。


 大体、共用リビングまで溢れた荷物を取りに行くたびに、自室に帰ったはずのセレはなんかこっちを見ている。用があるのかと思えば、そうでもない。ただ、俺の作業を「さっさとしろ」とでも言いたげに腕組みして監視してるんだ。


 それだけでもストレスだったが、時々ニヤニヤしてるからまた腹が立つ。どうせ俺の脚の短さが面白いんだろう。しかも、俺の荷物はだんだん俺の部屋に寄ってきている。きっとセレが邪魔だから、勝手にこちらへ寄せてきているんだろう。全てに腹が立ってきた。


 できるだけ顔を合わせないように作業を続け、どうにか荷物の大半を自室に設置できた。残りの段ボールは、とりあえず部屋に入れただけだから、室内はかなり狭い。それでも、あのエルフに何か言われるより遥かにマシだった。


 ようやっとひと段落して、キッチンに向かう。水でも飲むか、と思って、ついいつもの癖で冷蔵庫を開ける。引っ越したばかりで俺のものなど何も入っていないそこは、謎のものが沢山入っていてぎょっとした。


 なんだこれ。エルフの飯か? 見たことない緑の液体やら、木の実みたいなのがいっぱい入ってるけど……。


「君!」


「わッ!」


 急に真後ろから声をかけられて、思わず飛び上がった拍子に冷蔵庫で頭を打った。いてえ、と顔をしかめてもがいていると、セレは淡々と俺に言う。


「君の食べ物は自分で調達してきたまえ。君に食べさせるものはないからね。液体もしかりだ」


 今まで以上に厳しい言い方だ。セレを見ると、彼はあの笑顔もひっこめて冷たい表情をしている。水の一滴も俺に分けたくない、ってのか? もっとも、ここにあるのはただの水ではなさそうだけど……。


「そ、それはそうするつもりだよ、ただ少し喉が渇いてたから、つい開けただけで……」


「君に食べさせるものは、何もない」


 セレは強い口調で繰り返し、それから俺を指差して言った。


「下等な人間に食べさせるものはないと言っている。わからないのか?」


「……わかったよ、今から買ってくる。だから冷蔵庫を半分開けといてくれよ。俺だって食べ物を保管しないと生きていけないんだから」


「…………」


 この時点でだいぶイライラしていたけど、できるだけ怒りを鎮めてそう返す。すると、セレは溜息を吐き、面倒そうに頷いた。


 ホントになんだこいつは。そもそもなんでこんなクソ野郎がシェアハウスなんかに住んでるんだ。向いてなさすぎだろ。


 そう思いつつ、財布を尻ポケットにつっこみ、コートを羽織って買い物に出かけようとする。


「アズマ。風呂は私が先に入る。人間には清らかな水は必要無いだろうからね。それと、18時までには帰ってくるように。夕飯の時間はずらすことができない」


「~~~~っ」


 俺はそれでいい加減、頭にきて言った。


「俺、今日は外で友達と飯を食う約束してるから! 夕飯はセレひとりで食べてくれ!」


 そして俺は、そんな約束なんてちっともないのに、振り返りもせず冬の街に飛び出した。






「えーっ、アズマ先輩の同居人、エルフなんですか? 珍しい~~」


 安さが売りの焼き鳥居酒屋。俺の向かいの席に座ったヴァノンが、大きな耳をぴこぴこさせながら驚きの声を上げた。


 ヴァノンは俺の大学時代の後輩だ。黒髪の犬系獣人族で、人懐こく優しい奴で、「今から飯行かない? おごるから」に「行きます!」と無条件で返してくれる本当にいい男だった。


 俺は引っ越ししたてだし、ヴァノンは適度に気を遣ってくれてるし、ふたりでなるべく安くて美味い飯を頼み、食べながら俺はことの次第を話すことにしたのだった。


「そうなんだよ。まあ本とかテレビとかで見るエルフと同じで、めっっっちゃくちゃ美人なんだけどさ……」


「ええー。いいなぁ、ロマンス始まっちゃいます?」


 ロマンス、という言葉に一瞬セレの顔を思い出しドキリとしたが、すぐに首を振った。


「向こうも男だぞ、あるわけないだろ。それに、あいつめちゃくちゃ性格悪いんだよ」


「えっでも先輩、今日から同居始まったんですよね。さっそくなにか嫌なことされちゃったってことです?」


 驚くヴァノンに、俺は「そうなんだよー」と頷いでことの次第を説明した。


 いちいち見下してくるところ。足が短いとか強調してくるところ。下等、下劣とか言うところ。食わせるものはないとか。風呂は後だとか。


 そりゃあ、後から引っ越してきたのは俺だし、どうせ長命なエルフから見たら俺なんて赤ちゃんみたいなものかもしれないけど。物事には言い方ってもんがあるだろう。


 軽くアルコールを飲みながらひとしきり話したら、多少すっきりした。しかし、これからセレとの毎日顔を合わせるんだと考えるとうんざりしてくる。


「あー、めんどい。これからどうしよ、俺……」


 はぁー、と大きなため息を吐いて、顔を上げると。ヴァノンが、ものすごく困った顔をしていた。青ざめているとさえ言ってもいい。


「……ど、どした。気分悪い? 吐きそ?」


 慌てて声をかけると、ヴァノンは2回瞬きをした後で、口を開いた。


「アズマ先輩、図書館寄って帰りましょ。大きいとこなら夜も開いてるから……」


「は? 急になんで図書館?」


 本当にわけがわからずに聞き返すと、ヴァノンは俺の顔色を窺うようにしながら答える。


「アズマ先輩、エルフ学とか人類学Ⅱの単位、取ってなかったですよね……」


「あ、ああまあ。俺は取ってないな」


「ああ……」


「ああ……ってなんだよ!」


 ヴァノンが頭を押さえて呻く。なんだよ、俺が悪いのか、これ? そう思ったけど、ヴァノンは小さく首を振って言う。


「あの、あのですねアズマ先輩。エルフたちが独自の生活してるのは知ってますよね?」


「ああ、島とか、村とかだろ」


「そう、だから「独自」の文化が有るんですよ。彼らには。ええと……アズマ先輩は確か東国の血が流れてますよね?」


「親からはそうだって聞いてるな」


「で、東国の一部地域に方言があるの知ってます? 褒められてると思ったら厭味だったりするやつ……」


「あー、知ってる知ってる。綺麗な服だね、って言ってたら似合ってねえよ、っていう意味みたいなやつだろ?」


 それは聞いたことがある。もう東国からは離れたここで生まれ育った俺には無縁のことだが、確かにそういう方言が存在しているらしい。実際に聞いたことはないけど。


 でもどうして今その話が。そう考えて、俺はふと気付いてヴァノンを見つめた。


「まさか……」


「そう、そうなんですよ、アズマ先輩……」


 ヴァノンは大きく頷いて、言った。


「エルフ言葉って、人類共通語に単純翻訳しちゃうと……ものすごく貶してるように聞こえるけど、実はめちゃくちゃ好意的なんですよ……」







 日が暮れると冬の街はいちだんと冷える。白い息を吐きながら、かじかんだ手で買い出しの食糧が入ったビニール袋を握り、コツコツと足音を立ててモルタルの階段を登る。アパート2階の廊下へと出ると、俺が帰るべき部屋の前に人影があった。


 相変わらずの時代錯誤なローブ姿。冷え切った玄関扉にもたれかかっていたセレがこちらを見ている。何をしているのか、考えると俺はどうにもムズムズした気持ちになる。


 ヴァノンはエルフという生き物について、大学でも勉強していた。だから親切丁寧に、今日俺の身に起こったことをひとつひとつ説明してくれたのだ。それを踏まえると、どうにも怒る気になれなくて。小さく溜息を吐くと、セレのほうへ歩き始める。


「あ、ああ、君……アズマ」


 セレはぎこちなく笑って、姿勢を正すと、やはり俺を見下ろして言う。


「随分遅い帰りだね。その荷物は食べ物か? 君の短い手足で頑張って運んだものだ」


『いいですか、アズマ先輩。エルフの言葉は大体、聞こえる言葉に含まれてる要素が反対だと思ってください! 厭味っぽく言ってる時は、全然厭味は言ってません! 特に短い手足っていうのはですね──』


 ヴァノンの言葉を思い返して、そして今言われたことを、翻訳し直す。


「……帰りが遅くて心配したって言ってる? あと、重くて大変だろうって労ってくれてる?」


 その問いかけに、セレはきょとんとして答えた。


「そうだが? 下等な人間には、他の意味に聞こえるというのか?」


 俺は思わず目をぎゅっと閉じて、顔をしかめた。いるのかどうか曖昧な神様の名前でも呼びたい気分だった。


「……なんだ、その。夕飯、一緒に食べられなくて悪かった……」


 小さな謝罪を口にする。なんでも、未だに精霊との結びつきを重んじるエルフは、食事の時間を厳格に定めているらしい。同じ家に暮らす共同体は、全員で食卓を囲うのが習わしだ。それは家族、恋人、同居人に関わらず、互いの信頼関係を確認する意味合いもある。


 つまり、だ。


 セレは、今日から同居する俺に対して、めちゃくちゃ歓迎の意思を見せていた。でも俺は全然知らなかったから、その好意を無碍にした、ってわけだけど……でも仕方なくない!? 知らなかったんだし!


 そう。俺はエルフのことも、セレのことも何もわかっていなかった。それだけなのかもしれない。


「……構わないよ」


 セレは笑みを浮かべて答えた。


「君たち下等な人間は、食事の時間や質に拘らないと聞くからね。それより、さっさと部屋に入って、その荷物を片付けたまえ。君は脆弱な人間なのだから」


 セレはそう言い捨てると、さっさと部屋の中へ戻って行った。このクソ寒い廊下で立ち話なんてしたら、風邪を引くとか心配しているのかもしれない。真意を汲み取るにもほどがあるだろ。


 俺は肩を竦めてセレに続き、俺たちの部屋へと入った。室内は暖房が効いていて温かい。ほっと息をついて、俺はコートを脱いでからキッチンへと向かう。


 冷蔵庫を開けると、さっき開けたときとは違い、セレの得体のしれない食糧は綺麗に右半分へ寄せられていた。そんな様子を見て、ヴァノンの言葉を思い出す。


『エルフの食事って、人間食とは結構違って……味の話だけじゃなくって、人間にとっては毒になるものも有るんです。たぶん、セレさんはアズマ先輩が誤って食べないように、慌てて忠告してたんじゃないですかね……わかんないですけど……』


 そうであるなら、この状況になるのも当然だ。セレは互いの食べ物が混ざらないように、冷蔵庫を片付けるのを忘れてたんだろう。セレにしてみれば、何も知らない人間が毒を食べるかもしれないと思って必死だったのかもしれない。


 それは、わかる。わかるが──。


(もーーーーーちょっとわかりやすく言ってくれねえかなあ……)


 はぁーー、と深い溜息を吐き出す。


 いや、不勉強な俺も悪いかもしれんけど、セレがもう少し単刀直入に言ってくれれば、こんな誤解も起きずに済んだわけじゃん。エルフ方言がどういうものかはよくわかったし、理解もする。でも、もうちょっとなんとかならんかったんだろうか。そもそも、セレだって人間社会に溶け込もうとしてシェアハウスしてるんだろうし──。


 ここまで考えて、俺ははっと気づいた。


 溶け込もうとシェアハウスに入ったのに、全っ然うまくいかないセレがいるから、この部屋は格安だったのでは、と。


「アズマ」


 気付きを得ていると、セレが後ろから声をかけてくる。彼はバスルームを指差して、「私はもう使った。あとは好きにするといい」と言う。


 エルフは精霊との繋がりを重視する。何者にも穢されていない、純粋な水の精と触れ合うのは彼らの大切な日課だ。彼らにとって風呂というのは信仰をする聖域と言っても過言ではない。そんな場所をシェアするだけでもかなりの譲歩だ。


 しかし、だとしても先に俺が入ってしまっては、水の精霊が逃げてしまう。だから譲れなかった。それはわかる。わかった。わかったんだけどさあ。


 俺はモヤモヤしながらも頷いて、冷蔵庫に食糧をしまう。そんな俺を、セレはずっと後ろから見ていた。


『あと、その。下等な人間、脚が短い人間っていうやつなんですけど……エルフってめちゃくちゃ長命じゃないですか。それに背も高い。だから、彼らにしてみたら、僕たちって──』


 ヴァノンの言葉を思い出しながら片付け、そして俺は立ち上ると、セレに歩み寄って言った。


「セレ、頼みがある」


「なんだね、私が君のような下等な──」


「これから俺がする質問に、イエス、ノーだけで答えてくれ」


「…………」


 俺が指を突き付けて言ったものだから、セレも目を丸めて口を噤み。やがて小さく頷いた。


 そして俺は、あらかじめ考えておいた質問をする。


「セレは、俺を歓迎してくれてるのか?」


「……イエス」


 こくり、とわけもなく頷いたセレに、俺は一度ぎゅっと目をつぶる。ここでイエスが出てしまったら、たぶん、これから続ける質問はずっとイエスだと思う。


「セレは、俺とルームシェアして暮らせるのが嬉しいんだよな?」


「イエス」


「だから一緒にご飯が食べたかった。でも、エルフの食事は俺には毒だから止めた。風呂も精霊のことがあるからどうしても譲れなかった」


「イエス」


「……それと!」


 俺はこの質問を、自分でするのは恥ずかしくて。少し頬が熱くなるのを感じながら、言った。


「俺のことは、小さい生き物が一生懸命頑張ってるように見えて、めちゃくちゃかわいいと思ってるんだよな!?」


「イエス」


 そのイエスの力強さときたら。こくりと大きく頷いて微笑んだ表情の柔らかさときたら。


 ああそう。そうなのだ。


 セレにしてみたら、俺たち人間は短い手足で頑張って生きている、命短い愛らしい生き物……例えるならば、ハムスター、コーギー、マンチカン……! 言うなれば「短い足でちょこちょこ歩いてるのがすっごいかわいい……!」ってニュアンスだとかなんとか……。


 確かに、何百年も生きるエルフから見れば、人間は愛玩動物にも近い、守るべき愛おしい存在なのかもしれない。それを種族ハラスメントと取るか、価値観の相違と取るかは本人次第ってことだ。


 そして俺は、ハラスメントだとは受け取らないことにした。


 はぁー、と大きな溜息を吐き出して、俺はセレに言う。


「あのさ、セレ。その。セレが選んでる言葉遣い、人間的にはすごく厭味っぽく聞こえるっていうか……」


「……?」


 セレはきょとんとしてる。そりゃそうだ。本人的には一生懸命勉強した人類共通語でちゃんと喋ってるつもりなんだろうし。


「セレがそんなつもりで言ってないことは、よーくわかった。わかったけど……わかっててもやっぱ、イラっとしちゃうことはあるしさ。だからその……これから俺も、エルフのこと勉強するし……。だから、セレももう少しだけ、人間の言葉遣いに合わせてくれるようになったら、いいルームシェアができると思うんだよ。まわりくどい感じじゃなくて、単刀直入に話してくれたら……」


 懐から図書館で借りた「エルフ文化学入門」を取り出して見せると、セレはややして頷いた。


「私も君とは良い関係を築きたいと思っているよ、アズマ。精々頑張ってくれたまえ。私も善処しよう」


「いやその言い方が……はぁ、まあ、いいや。だからその。これからよろしくな、セレ」


 そう言って、俺が握手の為に手を出すと、セレは微笑んで腕を広げると。


「んんっ!」


 そのまま、俺を思いっきりハグした。


 それ自体は想定の範囲内だ。エルフには挨拶代わりにハグをする文化がある。ましてや相手が可愛い可愛い短命で短足な人間なら、犬を抱きしめるようなものだ。ぎゅーっと強く抱きしめられる、それ自体は別にいい。


 問題は、だ。


(くっそ、むちゃくちゃいい匂いがする……!)


 セレの胸に顔を埋めると、言いようもないほど心地がいい甘い香りに満たされる。どんなにイカつい男でも蕩けちまうと思うほどの、本能的に優しさを感じるものだ。おまけに、ぎゅっと抱きしめられる暖かさは、まるで幼い頃に母親からされるそれで、どうにも気持ちよくて仕方ない。


 そこに向けて、追い打ちをかけるようにセレが額に口付けてきた。その柔らかさに、それが彼らの愛情表現であることを知っていても、俺は羞恥とか動揺とか興奮とか、色んなものが混じってじっとしていられなくなる。


 わあわあとセレの腕から逃れても、俺の頬は熱い。


「せ、セレ! 人間はあんまり、こういう挨拶はしないから……っ。ど、ドキドキしちゃいそうになるから……!」


 そう言ってはみたものの、既にドキドキはしているわけで。なんとか深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けていると、セレが静かに言う。


「君と暮らせて嬉しい」


「……っ」


「君と一緒に住めて嬉しい。私を避けないでくれて、嬉しい」


 セレは嘘みたいに素直な言葉で語りかけるから、俺はまた真っ赤になる。もしかしたら、俺がわかりやすく話してほしいと言ったことに応えてくれているのかもしれない。


 セレを見上げると、やはりどこか慈母のような優しい微笑みを浮かべている。ああ、どうだろう。あれほどいけすかない高慢そうだった顔が、美術品みたいに綺麗で魅力的に見えてくる。


(ああ〜、だめだ、だめだ、まずい……)


 俺はドキドキが大きくなる胸を抑えながら「お、俺も嬉しい、頑張る、とりあえず風呂入る!」と言い捨てて、風呂へと逃げたのだった。




 そんなこんなで、俺たちのルームシェアはすれ違いから始まって。これから長い、すれ違いを埋め合いながら過ごすうちに、いろいろ関係も変わってしまうんだけど……。それはまた、後々の話だ。

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