其の三


          壱


今日も早朝から絶好の日和でした。


桃子は誰よりも早起きして

「お日様おはよーっ」「風さんおはよーっ」

「イタチさんっおはよーっ」

と声を掛けて廻ります。

朝食の添え物とおやつ用に、あの美味しい木の実を探しに桃子は一人で森へ入りました。


久しぶりの森は前よりも木が鬱蒼としている気がします。まだ日が昇る前ともあって、奥の方はよく見えないほど暗い感じがしました。

どこに生えてるかなーと、桃子は森の奥へ奥へと入って行きます。

急に、何かの気配を後ろに感じました。


 熊です。

それは大きな姿で、じっとこちらの様子を伺っています。

桃子が前に視線戻すと、小さな子グマが二匹、こちらもじっと動かず桃子を見つめていました。

大きな熊はたぶん母親で、普段は森で見かけない人間に警戒しているのでしょう。しかもその向こうには大事な子どもたちがいます。桃子はなるべく刺激しないように、そっと声をかけました。

「大丈夫だよ…。わたしは、木の実を採りに来ただけだから。この子たちには、何もしないよ…」

でも母熊は、ゆっくり桃子に、いいえ、その向こうに居る子グマたちのもとに近づいていきます。

黙っていても、その目からは敵を見るような気配を感じました。

 動いてはだめだ。

桃子はそう直感しました。

もうオンノコではなく普通の人間です。心を通わせる事も、敵意がない事を分かってもらうことも出来ません。

大きな熊がこちらをじっと見ながら近づいて来ることに怯え、思わず後ずさりしました。

見えない木の枝を踏んだ瞬間、静かな森に

「パキッ!」と音が響きます。

ギリギリの所でとどまっていた母熊が、思わず反応して「グオオォッ!」と唸り、走って来ました。

桃子は思わず目をギュッとつむります。

 (ごめんなさい!来ないで!怖い!)

 

木の上から、何かがドサッと熊の前に飛び降りました。その姿を見た瞬間、熊はピタッと走るのをやめます。


立ちはだかった大猿は、

(危害を加えるな。この者は敵ではない。近づく事は許さぬ)

と何も言わずに目で警告しました。

大猿は子グマたちにもお母さんの所へ行くように伝え、子グマたちは走って母熊の元へ戻り、三匹は寄り添うようにその場を離れて行きました。



桃子がおそるおそる薄目を開けると、目の前に大きな猿が座っています。

「久留!」

桃子は走って行って抱きつきました。

「久しぶりだね!久留!それから。助けてくれて、ありがとう!」

熊と変わらない程の大きな久留は、桃子との再会を喜びました。


この辺りは久留の守る山です。人間が悪さをする事はもちろん許しませんが、桃子に危害を加える様な生き物たちも、主として黙っていません。

桃子はこの山の神様に敬意を払って、頭ではなく背中などを撫でました。

でも久留みずから頭を突き出し「撫でて」という感じで懐きます。

桃子は精一杯、頭や体中をくしゃくしゃに撫でて、

「会いたかったよ、久留。嬉しいよ、久留」

と、感謝と親しみを込めて言いました。

「木の実を探してたんだけど、なかなか見つからなくて森の奥に来てしまったの。ごめんなさい。あなたたちの大切な場所に入り込んで…」

久留は何も言わずにその場を離れました。

 

 (山の神様ともなると、そんなに気安く人間と

 関わってはいけないのかな)

桃子は少し寂しい気持ちになりました。 

ところが、久留はすぐに戻って来て両手いっぱいに木の実を携えています。

「久留……。ありがとう……!」

山の神様に戻っても、桃子が人間になっても、久留は久留。そして久留にとって桃子は大事な友達です。

桃子はそれを心から嬉しく思いました。


言葉が交わせなくても、心は通えます。

山の神様として森の生き物たちを守り、時として旅ゆく人間を見守り、そしていつでも桃子の事を忘れず、大切に思う。

桃子は思わず涙ぐみました。

そんな彼女に(さ、持っていけよ。元気出せ)

と言わんばかりに木の実を差し出します。

「こんなにたくさん。えへっ……。持ってけないぐらいだよ」

桃子は木の実を受け取る前に、その大きくて優しい大猿を抱きしめました。

「ありがとう。行ってくるね」

見えなくなるまでその場で見送る久留を、桃子は両手いっぱいの木の実を抱えながら何度も振り返りました。



          弐


 先に朝食を食べ始めていたみんなが

「どこに行っちまったかと思ぅたー」と、帰ってきた桃子に声を掛けました。

そしてその両手いっぱいの木の実を見て

「おお~!そんなにたくさん大変じゃっただろうに。ありがとう」

と大喜びしました。

 早起きした桃子にはいい事がいっぱいです。

「さぁ、あんたさんも朝から元気つけて、今日はたくさん歩こ」

離れ村のおじさんが、炙った干物をくれました。

「ありがとう」

程よい塩味に、桃子は焼き米のおにぎりと一緒にモグモグ食べました。



村の人たちが切り拓いてくれたおかげで、久留ヶ山も前よりずっと歩きやすくなっています。狼や、獰猛な動物に出会わなかったのも、どこかで久留が見守ってくれているからに違いないと桃子は思っていました。


久留の祠にも手を合わせ、心の中でもう一度

(ありがとう)と桃子は感謝を伝えます。


午後には山を越えて、天気の良さもあってか夕暮れ前には雉子山の祠にたどり着けました。

「屋根のある所で休めるのはありがてぇなぁ」とみんなでやっと一息つけます。

「おいらちょっと、山で力のつくものを獲ってくる」

そう言って風太は持ってきた布を広げます。大きな物を担いでるなと思いましたが、どうやら弓矢を持ってきていた様でした。

「すごいだろ。自分で作ったんだ。…大事な所はじいちゃんにやってもらったけど」

桃子はそれを見て、生き物を狙うんだという事を悟りました。

間違ってもキジを撃たないように「私も一緒に行く」と声をかけます。

風太はちょっと顔を曇らせて

「森の中には何が居るか分かんねぇよ。危ないものが潜んでるかも知れない」

と忠告しましたが、それでも桃子は「大丈夫」と言って一緒に付いていくと譲りませんでした。

「分かった。もしもの時は、俺が守ってやるからな」

その言葉を、桃子は自分の心でも思っていました。


風太を、キジたちを、そしてせめて小さな子たちを守りたいと思っていたのです。



森の奥の方へしばらく進んでいくと、子鹿が草を食べているところに出くわしました。

風太は「いいのが居た。足が遅いから狙えるぞ」

と弓矢を構えます。風太の手を押さえて

「あの子はだめ」と桃子が遮ります。

「何でだよ。あいつ一匹なら今夜みんなでご馳走が食べれるのに」

桃子は少し悲しい顔をして

「それでもダメ。あの子は撃たないで」

と懇願しました。

「……分かったよ」

風太は諦めて弓を下ろしました。

桃子が動物好きなのは知っていましたが、これじゃあ狩りにならないなと風太は思いました。


それからはどんなに獲物を見つけても何故か遠い場所から気づかれるし、矢を放っても避けられるしで、全く成果には繋がりません。

「たぶん日が悪いや。川で魚でも獲って来るから、桃子は先に帰っといてよ。今日はもう狩りはやめだ」

風太の言葉に素直に従って、桃子は先に祠の小屋へ向かいました。


とはいえ釣りの道具もないのに苦労しそうだと思いながら風太が川へ向かうと、一羽のキジが水を飲んでおりました。

ちょっと小柄ですが、夕食には足りそうです。川の水に夢中で、今こちらには気づいていません。

 しめた!

風太はこの機会を逃さぬよう、音を立てず静かに矢を構えます。

ギリギリと引っ張って、今まさに矢を放とうとした時、

「バサッ!」

と後ろから大きな音がしました。

水を飲んでいたキジはその音で川のほとりから飛び立ちます。


一体なんだと風太が振り返ると、目を真っ赤に光らせたとてつもなく大きなキジがそこに立っています。あまりのことに、風太は道具を落として尻もちをつきました。

巨大なキジは目を光らせたままゆっくりと風太に近づきます。

 " 雉子山の守り神 ”

風太はそんな言葉が思い浮かびました。


キジは首をもたげて、今まさに風太を鋭いくちばしで突き刺そうとします。

(もうだめだ!)

風太が目をつむった時、

「雉子!」

と離れた場所から桃子の叫び声がしました。 

大慌てで走って来た桃子が大キジに抱きつきます。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

何度も謝る桃子に、大キジの目は赤色の光を収め、彼女に頭を擦り寄せました。

何が何だか分からない風太に

「キジは狙っちゃだめって言ったでしょう!」

とすごい剣幕で怒ります。

前を向いた桃子の後ろで、雉子山の守神は両羽を大きく広げました。すると、なんと今度は桃子の目が赤く光っています。

桃子は口を開き、彼女の声ではないものが語りかけました。

【わらわの名は雉子と申す。この山を守るものじゃ。

人間よ。今度ばかりはこの子に免じて許そう。

だがこの山で狩りをすることは許さぬ。

この山には、お前たちに殺された山の者たちの悲しみ、無念、怒りが渦巻いている。わらわの力を持ってその魂を諌めているが、もしまた四つ足の者や有羽の者を射るような事があれば、この山は再び恐るる山と成りて、人の立ち入ることを二度と許さぬ場所になろう。わらわはそれを望まぬ。山はそこに住む皆の生くる場所じゃ。その事を忘れるな】


雉子神は再び羽を閉じ、その瞬間桃子の目も普通に戻りました。

バサバサッと大きな羽音を立てて、雉子山の守り神は高く翔んで去っていきました。



尻もちをついたままの風太に

「大丈夫?さ、戻ろう」と桃子が声を掛け、

「あっ!」と川の方を指差しました。

川岸に2匹の大きな魚がピチピチと跳ねています。

 (雉子が、くれたんだ…)

桃子には分かりました。これを持って行きなさいという事でしょう。

勇んで山に入り、何も穫れずに帰る若者を不憫に思ったのかも知れません。

「大きなお魚。今夜はご馳走だね」

桃子に手を引っ張ってもらってようやく立ち上がった風太は、森には人間の及ばない、侵してはならないルールがある事を知りました。


勢いよく跳ねる魚を二人で一匹ずつ持ち帰り、待っていたおっ父とおじさんに「大したもんだのう、風太!」と褒められました。

バツが悪そうにしている風太に桃子がニッコリ微笑んで

「ねーっすごいでしょう!?……森に行って良かったね」と言いました。


風太は、(本当に…。良かった) と思いました。

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