其の二
壱
鬼の力を持っていた頃と違って、人間の足だとやっぱり時間がかかるようです。一日で一山を越えるのが精一杯で、雉子の守る山に着いた頃はもう三日目の昼になっていました。
雉子の祠は一番の大きさです。昔は天柱山に向かう人が一休み出来るようにと考えられた大きさでもありました。
いつの日か、またそういう時代が来るといいなと桃子は思いました。
祠の影で一休みしようと近づくと、小さなキジが目に入りました。おや?と思って近づこうとしましたが、飛んで逃げる訳でもなくそのままスーッと姿が消えました。
(もしかしたら今の子は、チトかも知れない)桃子はそんな気がしました。
羽音が聞こえ、祠の向こうに何かが降りて来たようです。そっと裏へまわると、立派な羽根を持った大きなメスのキジがおりました。
「雉子…さん?」
桃子が声をかけると、ゆっくりとした足取りで近づいてきます。おおきな羽根をバサバサッと羽ばたかせて、どうやら歓迎の気持ちを表してくれているようです。
「やっぱり雉子さんだ!やっと会えた…。綺麗だね」
桃子がそういうと、雉子は得意げに歩き回ります。人間の姿であった時の美しさが目に浮かぶようでした。
「だいぶ遅くなっちゃったけど、やっと一人で会いに来れたよ。洞を建てさせて貰う時は大工さんたちがいっぱい来てびっくりしたでしょう?あの御神体ね、私は羽根を広げてるところがいいなって思ったんだけど、細く削ると石が脆くなっちゃうんだって。村の子たちが色を塗りたがってたけど、おもちゃじゃ無いんだぞって、大人たちにダメッて言われたみたい。あの子たちが大きくなって、もしもみんなが綺麗な大池を拝みに来たら、その時はまたよろしくお願いします」
雉子はひと鳴きして応えました。
「…そろそろ帰らなきゃ。少ししか居られなくてごめんね」
雉子が桃子に体を寄せます。少し切なくなりそうでした。
「…何だかね。みんなと一緒に旅したのが、すごく昔のようにも、ついこの間の事みたいにも思えるんだ。
…楽しかった…」
しゃくり上げそうになるのを何とかこらえて、桃子は立ち上がりました。
「また来るね。きっと、ううん、必ずまた、一人で来るから。
……元気でね。神様に言うのも変だけど」
雉子はバサバサっと羽ばたき、またひと鳴きして別れの挨拶をしました。
「それじゃあ…」
桃子は振り返って歩いていきます。雉子は空へ舞い上がり、鳴き声を上げながらグルグルと廻りました。
" ずっとここに居るから。いつでもおいで ”
そんなふうに言ってくれてる様な気がして、桃子は大きく手を振って別れました。
弐
村での決め事を決定するのは村長さんです。ですが桃子の村では村長さんという人がいないので、お寺の大坊さまが、相談事や話し合いを最終的に判断して決定しています。
その大坊さまの元に、別の村から越して来て住む所を探している人が居ます、と村人から相談がありました。
お寺へ寄越すようにと言われて訪れたのは、小さな子供も連れた六人の一家族でした。
越してきた理由を尋ねると、一番下の男の子が海風に体が合わないようでよく体調を崩すとの事です。
もしやと思って大坊さまが訊くと、父親が
「はい。わしらは山向こうの村から天柱山を越えて来ましただ」と少し肩身が狭そうに答えました。
自分たちの村が鬼を祀っているため、他の村の人たちには受け入れられないのではないかと心配したのです。
「それはそれは、遠〜い所からよう来なさった。幼子も連れてよう頑張られたのう」と大坊さまはニコニコしながら話しました。家族みんな、少しホッとした顔になります。
「それがのう、この村はあまっておる家などのうて。まぁ、今はもう誰も住んどらん廃村なら、ちぃと上った所にあるんじゃが。そこに住まわせるのものう…」
父親は安心した顔をしました。
「屋根があれば、どこでもええです。そこの家を貸してもらっていいんですかいな」
「誰〜れも住んでるんで、好きなようにしたら良いわい。家はしっかりしとるでのう」
一家は何度もお礼を言ってその村に向かいました。
大坊さまはニコニコしながら
「まぁ鬼に好かれとるみたいじゃて、あっちも喜ぶかもしれんわい」
と呟きました。
参
大坊さまに教わった廃村に、越してきた一家は大喜びでした。どの家々も作りがしっかりしていて、少し掃除すればすぐにでも住めそうです。
柱や天井の作りは村にある古いお社に似ています。そのお社というのは、むかし山に住む鬼が村人への恩返しのために建てたものらしい、と言うのが伝えられていて、100年以上経った今でも朽ちることがなく、まるで特別な力で守られているような雰囲気がありました。
この村にもそんな風習があったのかも知れませんが、なにぶん他の村とは離れているので、この集落独自の造りかも知れないなと思いました。
自分たちの村以外で鬼を祀っているという話は聞いたことがありません。どちらかというと人々からは忌み嫌われるものだと分かっていました。
廃村に越してきた一家がいるときいて、桃子は興味津々でそこを訪れました。すでに入り口のヤブは綺麗にされていて、どなたでもどうぞという雰囲気が感じられます。
「こんにちわー!」
村の中に声をかけると、一軒の家から元気そうな男の子が飛び出してきて、「だれー?」と言いました。
桃子はニコニコして
「隣の村に住んでいる、桃子といいます。どなたが越してきたのかなーってご挨拶にきました」と答えました。
男の子は家の中に「ねー!おきゃくさん!」と、また元気よく声を掛けます。
一体誰が来たんだろうと、家の主人が姿を見せました。
「はて、どなたさんじゃろう?」
「あ、私、隣の村に住んでいる桃子と言います。ずっと使われてなかった家に住んでもらえる人たちが居らっしゃったって聞いて、嬉しくてご挨拶に来ました」
主人がちょっと不可解そうな顔をしたので、桃子は
「あ、失礼な気持ちではないんですけど。この集落に人が居ないのも、他の村とはちょっと違って特別な場所なのも知っています」
と伝えました。
“ 廃村 ” や、“ 変わった村 ” とは言いませんでした。
ご主人は何かしら分かってくれたようで、
「そうかい。良かったらお茶でも飲んでいかんかね」と迎え入れてくれました。
「ありがとうございます!」
桃子はウキウキしながら、かつて旅の始まりに一休みした、あの家へと招かれました。
四
村のガキ大将が、近頃ほかの子達に威張っています。15の歳を越え、自分は大人と同じような仕事を任される様になった事で大人の仲間入りになったような気がするのでしょう。
そんななりふりを咎める桃子と久しぶり言い合いになりました。
ガキ大将は負けるもんかと、ついには取っ組み合いになりました。桃子には手加減したら負ける。そう思った彼は本気で桃子を突き飛ばします。
いつもだったらサッと交わすか踏ん張って反撃されるのに、この日は突き飛ばされてそのままひっくり返りました。
周りで見ていた子たちも信じられない気持ちでしたが、なにより女の子たちがみんなで「ちょっと!ひどいじゃない!」とガキ大将に詰め寄り、桃子の介抱にあたります。
一番びっくりしたのはガキ大将本人です。まさかそのまま突き飛ばされるとは思っていなかったので、桃子の傍に行って「ごめん…」と謬りました。
桃子は「…うん」といって体の砂をはたき、女の子たちに付き添われながら家へと帰ってしまいます。
残されたガキ大将に女の子たちはやいのやいのと怒りました。
ガキ大将はひたすら謝ってなんとか許してもらいましたが、帰り道、何だか寂しいような申し訳ないような複雑な気持ちでした。
自分が大きくなったからか、桃子が弱くなったのか。
鬼の力を持っていた事も、それを失った事も知らない彼には分かりませんでした。
その日を境に、ガキ大将は桃子に対して誰よりも優しく接するようになり、桃子もその優しさを素直に受け取りました。
伍
離れた集落に住む家族たちのもとに、桃子は頻繁に通いました。この家に、この集落にいると懐かしいような空気に触れることができて居心地の良い時間を過ごせます。
桃子は、遠く離れた見知らぬ村、鬼を神様として祀っている所に一度行ってみたいとずっと思っていました。
そこへ行くためには、かなりの日にちを使って泊りがけで行くことになります。そういえばおっ父さんも行きたいと言っていたのを思い出し、二人で旅してみようかと話しました。
桃子は17歳になり、おっ父も歳を取りましたが、畑仕事をする人たちは体が丈夫です。娘と旅が出来る、とおっ父は喜んで賛成しました。
村の人達の間でもこの事が話題になりました。
天柱山の向こうに、見たことも聞いたこともない村がある事、そこへたった二人で赴くことは大丈夫なのかと不安を口にする人も居ました。
ガキ大将も二人の、特に桃子の安否を気にかけました。お父っつぁんも一緒なので大丈夫だろうとは思いますが、もしも困った事があった時、二人だけではどうなるだろうかと。
ガキ大将は桃子の家へ行き、自分も何か助けになれないか、一緒に連れて行ってはもらえないか頼んでみました。
若くて力のある男の子が一緒に行ってくれると、二人だけで行くよりより安心だよ、とおっ母さんは大賛成でしたが、おっ父は年頃の娘との久しぶりの旅に彼が入り込んで来るのがあまり気に入らないようです。
桃子はどう思っているのか訪ねてみると、
「長くて危険な旅になるかも知れないよ。私も初めて行く村だし、歓迎してくれるかどうかも分からない」
と彼に伝えました。
ガキ大将は「危険かも知れないならなおさら一緒に行きたい」
と、しっかりした口調で答えます。
桃子は目を合わせていられなくなり、ちょっと斜め下を向いて「まぁ…、そこまで言うなら…」と答えました。
彼は大喜びして「じゃあ家に帰って準備してくる!」
と元気に飛び出して行きました。
「今から出る訳じゃないんだけどな…」
おっ父は桃子がそう言うなら仕方ないか、という感じで畑に戻りました。おっ母さんが桃子にそっと声を掛けます。
「あんなに威張ってた子だったのに、いつの間にか大人になったんだねぇ。桃子の事が気になって仕方ないみたい」
桃子は少しだけ頬を桃色にしながら呟きます。
「…ま、まぁ威張ってるのは今でも変わんないけどね」
ササッとどこかに歩いていく娘の背中を、おっ母さんは微笑みながら見つめていました。
六
桃子は向こうの村に行くために、そこから越してきた家族の中で誰か道案内をしてもらえないか相談に行きました。天柱山の頂上から先は桃子にも全く未知の世界です。
これには一家の主人が喜んで引き受けてくれました。危ないところは少ないようですが、天柱山へは何度も祭事で往復したので一番近くて安全な道を教えてくれるようです。
おっ父と二人きりだったはずの旅は、結果的に四人で発つことになりました。賑やかなのが好きな桃子は大喜びで、反対におっ父は少し残念そうでした。
一山超えるのに一日がかり。三つの山と大池、そして天柱山から向こう村まで。
少なくとも片道五日はかかると考えられ、食料や持ち物などは余裕を持って七日分を用意しました。帰りの分は向こう村で用意してくれるとおじさんが言ってくれたので、やっぱり一緒に行ってもらえて大助かりでした。
おっ父と桃子とガキ大将の三人で離れの村に向かい、そこからご主人と合流していよいよ出発です。
おっ父とガキ大将は初めての道のりにドキドキ。ご主人は久しぶりの旅路を充分に気を付けて。そして桃子はとにかくウキウキした気持ちで。
それぞれの想いを胸に最初の山に向かいます。
織流ヶ山の祠でまずは旅の安全を祈願します。でも今日のところは桃子も長居はしませんでした。またいつでも一人で来れるのです。
天気も良く、一日の終りには二つ目の久留ヶ山の登りまで差し掛かる事が出来ました。
泊まれる場所は無いので、今日は森で野宿をします。何が潜んでいるか分からないので交代で朝まで火の番をすることになりました。
家から持ってきた干物をみんなで分けます。
村のおじさんはお米を焼いたものを、日もちのする葉っぱに包んでみんなの分も持ってきてくれました。
桃子はまだ薄暗いうちに森から採って来ておいた、あのお気に入りの木の実をみんなに食べさせます。
村のおじさんもこの実は知らなかったようで、桃子の事を褒めてくれました。
教えてくれた久留の事を思い出し、今頃どうしているかなと、と桃子はそっと想いを馳せました。
三つ目の雉子山には宿代わりになる祠があるので、明日は早朝からそこを目指すために、火の番のひと以外はみんな早めに床につきました。
真夜中。くるまっていたムシロがチクチクして、桃子は目を覚ましました。今、火の番はガキ大将がやっているみたいです。
ぼんやり火を眺めている彼を、桃子も何となくぼんやり眺めていました。
追加の焚き木をくべようとした彼と思わず目が合いました。
「わっ、びっくりした!……眠れないの?」
桃子は「う、うん」と寝返りをうって背中を向けました。
が、やっぱりムシロから這い出して火の傍にいきます。
パチパチ音をたてる火を黙って眺めている二人でしたが、ふと彼が話しかけました。
「こないだは、ごめん。その…昔みたいに負けるもんかって、つい力いっぱいやっちゃって」
取っ組み合いの時のことを彼は謝りました。
「ううん、大丈夫」
桃子は何となく言葉が続きません。
静けさを避けるように、ガキ大将がまた話しかけます。
「なんかさぁ、むかし桃子は何でも出来て、とにかく強くてさ。俺たちが知らない事もたくさん知ってて。何だか違う世界の人みたいで、ちょっと近寄りにくかった。でも、今は同じ村の友だちなんだって、素直に思えるんだ。なぜだか分からくて、うまく言えないんだけど」
それは鬼の力を失って、本当のヒトになれたから。
心の中で桃子は呟きました。
「あのさぁ、そろそろ俺のことも、名前で呼んでくれないか。もう、ガキでもないし、大将っていう程大した事ないし。…もう、威張ってないから」
桃子はフフッと微笑みました。
「ずっと大将、大将って呼んでたから、何だか照れくさいね。そういえば名前、何だったっけ?」
「お、おぉ〜、ちょっとがっかりだなぁ…。
俺は風太だよ。生まれた日に大風が吹いてたから、ばあちゃんが名付けてくれたんだ」
そういえば昔そんな話しを聞いた気がすると桃子は思いました。まだ小さかった頃。ガキ大将よりも桃子の方が大将だった頃です。
桃子は彼の名前を呼んでみました。
「ふーた。ふ~た。ふぅーた」
呼んでみると何だか楽しい気持ちになります。
「な、何べんも呼ばなくていいよ。…ありがとう。やっと本当に友だちになれた気がする」
優しい顔で微笑む風太に、なぜだか桃子はドキドキしました。
「ちょっとそっち行っていいか?」
風太が桃子の方を指差します。
「ん、え、何で、なんで?」
「いや、こっち風が吹いてきて煙たいから」
「…いいよ」
少し場所をずれてくれた桃子の隣に、風太が座ります。桃子は落ち着かない気持ちで焚き火を見つめました。
風太がもう一本焚き木をくべて、
「おれ、桃子が好きだ」
と出し抜けに言いました。
「え?え、えぇっ」
突然の事に桃子は戸惑います。
「嫌か?ごめん。嫌だったら謝るよ。でもおれ、昔から桃子が好きだ。小さかった頃は特別な子どもだからって、憧れてたのかと思ったけど。今考えると違う。おれはその時から、ずっと桃子が好きだ」
桃子の胸はドキドキしました。見慣れているはずの男の子なのに。ずっと一緒に村で住んでるのに。
今夜の風太は、今までで一番大人に見えました。
「……いやじゃ、ないよ…」
桃子の言葉を聞いて、風太は嬉しそうに
「そっか。良かった」
とニッコリしました。
「そろそろ交代だから、おじさん起こしてくる」
立ち上がった風太に
「あ、いいよ。このままあたしが、代わり番こする」と言いました。しばらくは眠れそうになかったからです。
「あ、そうか。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
自分の寝床に戻る風太を、桃子はまだちょっとドキドキしながら、そしてちょっと微笑みながら見送りました。
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