第2話

 

「武岡くん」

 学校からの帰り道、不意に後ろから声を掛けられた。あまり抑揚のない、囁くような声。振り返って彼女の顔を見た俺は、どんな表情をしていただろう。ライオンに睨まれた草食動物のような顔か、或いは奈良の大仏が小指をタンスにぶつけたような顔だったかもしれない。

 そこに居たのが昨日、俺に告白してきた上で、クラス一のイケメンに寝取らせようと画策している頭のおかしいクラスメイトだったからだ。


 苦虫を鼻いっぱいに詰めたような顔をしていた俺だが、次の瞬間視線がある一点に吸い寄せられた。


 そう、小走りに走ってくる彼女の胸がゆっさゆっさ揺れているのである。

 祭りじゃあ! 

 別に女子の胸の大きさをいちいちチェックしているわけではないが、秋月さんのそれは誰が見ても大きかった。高校生男子にこれを見るなと言う方が無理である。


 傍まで来た秋月さんは、少し息を切らしながら俺の顔じっと見つめる。昨日は夕日に照らされてあまり表情を観察することが出来なかったが、やはり彼女は高嶺の花だ。それもかなり標高の高い場所に咲いてるやつ。

 雪のように透き通る肌には一点のしみもなく、目鼻立ちはまるで機械のように狂いがなく繊細で、赤縁眼鏡の中で大きな瞳は宝石のように輝いて俺を照らしている。秋月さんの目的のためとはいえ、本当にこんな美少女と付き合うことになるなんて……。


「武岡くん、さっき私の胸見てた」

 いきなり確信を突かれてドキッとする。

「ウウン、ミテナイヨ」

 俺は廃棄される寸前のロボットのようなぎこちない動きで頭を振った。

「あ、そうだ。秋月さんどうしたの? 帰り道こっちだっけ?」

 秋月さんは浅く頷き、俺の横に並んだ。どちらともなく、俺達は揃って歩き出す。

「そう。浜中駅から乗るの」

「へえ、俺と一緒じゃん」

「そうなの。じゃあ私はこれで」

 え?


 彼女は歩を早め、一瞬で俺を抜き去ってしまった。あれ、これ競歩の大会だっけ? 俺ペース配分間違えてる?

 この流れって一緒に帰るとかじゃないの?

 仮にも俺は昨日、秋月さんに告白された……はずだよな? もしかして秋月さんの言う「付き合う」とは口だけのもので、本当は付き合う行為をする予定など無かったとか? あり得る。だって彼女が本当に好きなのはクラス一のイケメン住吉なのだから。

 思考を巡らせれば巡らせるほど、一瞬でも舞い上がっていた自分を撃ち落とす思考ばかりが浮かんでくる。

 そうだよな、俺が秋月さんと本気で付き合えるわけ、ないよなあ。




 夕方とあって、駅の構内は俺達と同じ高校生や、帰宅するサラリーマンでごった返していた。今日もおっさん達と強制おしくらまんじゅう(加齢臭マシマシ)しながら帰らなければならないと思うと、気が重い。

「武岡くん」

 声を掛けられたのは構内に入って直ぐの場所だった。その声を聞いて俺は一瞬耳を疑った。人物をみて目にも嫌疑を掛けねばならなかった。

 彼女はさっき俺を抜き去ったはずの秋月さんだったからだ。

「あ、秋月さんどうしたの?」

「お花を摘みに行ってたの」

 秋月さんはショートボブの前髪をかき上げ、言った。

 それを聞いて先程の彼女の行動に合点がいった。秋月さんはおしっこ漏れそうだったからあんなに急いでいたのか。

「これ」

 そう言って秋月さんはブレザーの裾からスパッと黄色い花を取り出した。

 いや本当にお花摘みに行ってたのかよ。この人結構メルヘンだな。


「じゃあ私はこれで」

「え?」

 俺が声を掛ける間もなく、秋月さんは再び歩き出してしまった。あれ? これって「また会うなんて運命だね」「そうだね、一緒にその花食べようか」の流れじゃないの? 仮にも彼氏になった相手にこの塩てんこ盛り対応は完全に土俵入りである。




 駅のホームはかなり混み合っていた。

「武岡くん」

「秋月さん?」


 重たい気持ちで、ホームの列に並んだ俺の後ろに居たのは、またもや秋月さんだった。え? こんな偶然ある? もしかして俺のことストーキングしてるとか?

「よく会うね。そんなに私と一緒に居たいの?」

「一応彼氏という肩書を背負っているから否定はしないでおくよ。でも三回も会うって……秋月さんも芝海方面だったんだ?」

「そう、芝海方面。いつもはタクシーで帰っているから、会わなかったのも無理はないわ」


 そうだったのか。しかし、では何故今日に限ってこのクソ混んでる時間帯に乗ったのだろう?

 電車が甲高いブレーキの音を響かせながらホームに入ってきた。

「じゃあ私はこれで」

「待て待て待て待て」

 どこに行こというのかね。

 俺は咄嗟に彼女の肩を掴んでいた。秋月さんの大きな瞳が俺を押し込んでくる。

「そこは掴まないで。さっき詰んだお花が落ちちゃう」

 どこに花仕込んでんだよ。

 じゃなくて、秋月さんが一人で居たら危ないから俺と一緒に乗ろうよ」

「どうして?」

 既に列は動き始めており、俺も歩きながら説得を試みた。

「いやほら、痴漢が出るんだよ。うちの生徒も何人か被害に遭ったって聞いてるし、秋月さんみたいな美人で大人しそうな子が一人で居たら絶対ターゲットになるよ」

 秋月さんは顎に手を当て、うつむいた。

「確かに私のような絶世の美少女で巨乳で儚げで全ての男子たちを魅了してしまう女子高生が一人で乗ってたら危ないかも」

「そこまでは言ってないよ」

 この女自己評価高すぎるだろ。


「とにかく俺から離れちゃ駄目だよ!」

 後ろを歩く秋月さんに言い聞かせながら乗り込んだ。電車の出入り口が俺にとっての地獄の門になろうとは、この時は知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る