第1話 乙女ゲームの世界

「きょうちゃん! じゃーんっ! 持ってきたよ!」


 日比谷京ひびやきょう、十五歳。

 この日、一歳年上の従姉妹である日比谷東華ひびやとうかが突然京の部屋にやってきて、一つのゲームソフトを掲げた。


 それが日比谷京が初めて乙女ゲーに触れた日だ。


 東華がルンルンでソフトを開き、勝手にゲーム機にディスクを挿入しプレイしていく。京はそれを隣で見ていて、彼女の実況を聞きながら楽しんでいた。


『乙女ゲーム』と言われるジャンル。


 それは主に主人公が女性で、周囲にはイケメンの男子ばかりが登場する恋愛育成シュミレーションが主流のゲームだ。


 京も最初はイケメンばかりでつまらないと思っていた。でもよく見ると、可愛い女の子もたくさん登場していることに気づいた。


 京は京なりに乙女ゲーを楽しんだ。

 何より楽しかったのは、東華の実況だった。


「このクソガキャアアアアッ!!」


 テレビ画面に向かって、自分より年上のイケメンキャラを罵倒する姿、それが最高に楽しかったのだ。


「貴様……今に見てろよ……必ず好きにさせてから、どん底に落として振ってやるっ!!」


 と、本気でゲームにのめり込んでいた。


 東華はその乙女ゲーを数日間やり込み、京は隣でその様子をずっと見守っていた。


「わああああん。なんで私が堕とされちゃってるのおおおおお〜〜っ」


 最後にはイケメンキャラに惑わされ、いつの間にか好きになっていた東華。

 悔しがるその姿は京にとっては楽しくて、それが見たくて影でイケメンを応援していたこともあった。


 こんな東華の面白い顔を見れる乙女ゲーは最高だぜ! ……と、自分なりの楽しみ方を

見つけて——。



 ◇ ◇ ◇



 ——そうして三年が過ぎた。


 日比谷京は高校三年生になり、東華は大学一年生になった。


 東華の影響で京も乙女ゲーを個人的に買うようになり、プレイの感想を言い合ったりして、過ごすようになった。

 しかし色々な乙女ゲーを何度プレイしても東華の詳しさには勝てず、京が見つけられなかった裏ルートまで発見するくらいだった。やはり男性目線と女性目線では着眼点が違うのかもしれない。


 そんな雪が降り積もるある日のことだ。


 女性に大ヒットした乙女ゲーム『ホワイト・マジカル・ラブロマンス』こと『ホワマジ』の周回クリア後の感想会を開こうと東華の家に自転車で向かい、下り坂に差し掛かった時のこと。


「——君! 危ないっ!!」


 背後から声が聞こえた。

 それも慌てるような大きな声で。


 京は振り返る。

 雪で自転車が滑る——なんてことではなかった。

 黒く大きな何かがこちらへと向かってきたように見えたのだ。


 それはここ北海道の田舎ではよく名前が知られているもの。

 黒くて大きくて、それに加え、毛深くて獰猛で——、


「——くまあああああああっ!?」


 クマを視界に収めた瞬間、京は前へ前へと漕ぎ出した。


 やばいやばいやばい。死ぬ死ぬ死ぬ。

 追いつかれたら絶対殺される。


 そう思って、京は必死になって足を回転させ自転車を漕いだ。


「兄ちゃん! そこは——」

「へ————ブへッ!?」


 今度は横から聞こえた声。

 ただ、何を言われようとも京はも止まらなかった。

 いや、止まれなかった——という方が正しかったのかもしれない。


 クマに気を取られて、前がちゃんと見えていなかったのだ。


 次の瞬間、京はガードレールに体から突っ込み、自転車ごと大きく崖の外へと放り出された。


 自転車のかごに入れていたトートバッグから『ホワマジ』のソフトが飛び出ていくのが見える。

 逆さになった視界からクマが京と同じくガードレールを突き破って宙に浮かぶのが見えた。

 全てがスローになったかのように、長い時間宙に浮かんでいるように思えた。


 ——終わった。


 京はそう思った。


 その時だった。飛び出た『エンマジ』のソフトが光だし、そしてそれは京の体を包み、視界を白に染めた。



「ぁ————」



 ——これ、死んだ。



 ◇ ◇ ◇



 気付いた時には見知らぬ部屋にいた。


 白い天井が見えたわけではない。

 なぜなら京は二本の足で立っていたから。


 金色や赤色の主張が強い豪奢な飾りに、テーブルの上に置かれているのは高級そうな茶器やお菓子類。

 ふわりと鼻腔をくすぐるのは、アロマのような甘い香り。


「ここは、どこだ……?」


 周囲を見渡してみても、見覚えのない光景。

 夢の中なのかと錯覚するほど、現代日本ではなかなか見られない西洋風の部屋の雰囲気。


 にしては夢ではあり得ないほどリアルに感じる自分の体。


 手を開いたり閉じたりしてみる。思う通りに動く。

 やっぱりこれは現実だ——と少年はそう思った。


「——何をしてるの? 早く塗ってちょうだい?」


 ふと、後ろから声をかけられた。

 そういえば背後は確認していなかったと思いつつ振り返ってみる。


 少年は振り返って、後悔した。


「——は?」


 そこには、一糸纏わぬ姿でマッサージベッドにうつ伏せになっていた美しい女性がいたのだから。


 まとめ上げている濃い桃色の髪に琥珀色の瞳。

 背中からお尻にかけての曲線は美しく、肌艶は言うまでもなくピチピチだ。


「はああああああっ!?」

「な、なに!? どうしたのルスト!?」


 少年が大声で叫ぶと、目の前の女性は目を丸くして驚く。

 そのせいで上半身が起き上がってしまい、あらぬところが視界に入ってしまった。


「エエエ、エリシア様っ!? む、胸が見えてますっ!!」

「あら、やっと私の体に興味を持つようになったの? 今までは全く興味なんてなかったのに、突然の変化ね」


(あれ……なんで俺、この女性の名前を知ってるんだ? 初めて見たはずなのに……いや、俺は……彼女を知って、いる……?)


「とにかく! 今すぐその胸を隠してください!」

「? よくわからない子ね。じゃあ早く塗ってちょうだい」


 そう言うとエリシアはマッサージベッドの横へと視線をすぐ横にあった棚へと誘導し、再びうつ伏せになる。

 視線を棚へと移すと置いてあったのはアロマオイルが入っているビンだった。


(——つまり、俺が? エリシアにアロママッサージをするって……こと!?)


(いやいやいやいや。生まれてこの方女性と付き合ったこともないただの乙女ゲーマニアだぞ? マッサージの仕方なんてわかるわけ…………)


(おかしい。童貞ってなんだ。乙女ゲーってなんだ。さっきだって、日本がなんとかって自分で——)


「ぁ…………」


 思い出してきた。


 だんだんと、記憶が蘇って……少年は元々日本にいて、いつも乙女ゲーばっかりやっていて、それでいてあの日のことだ。

 乙女ゲーを教えてくれた従姉妹と遊ぼうとゲームソフトを持って自転車で家に向かっている途中に——。


「ぅっ———」


 急に頭が痛くなり、その場に倒れるようにして膝をついた。


「えっ……ルスト!? ルスト大丈夫!? ちょっと! 誰か来てくださる!? ルストが! 私の可愛いルストが——!」


 頭がぐわんぐわんして、脳が搔き回されているような感覚。

 視線が定まらず、少年を抱き上げた裸のエリシアが何重にも映る。


 ああ、だめだ。

 全部見えてる。


「エリシア様……いい加減、バス……タオル……つけ、て……」

「ルスト〜〜〜っ!?」


 最後に一言だけ呟くと、日比谷京だったはずの少年はそのまま気を失った。


 直前に重要なことを一つ思い出して。



 ——俺は日本で……死んで、ここに転生したんだ。



 ◇ ◇ ◇



「——くまあああああああっ!?」


 目を覚ますと日比谷京は記憶が飛んだかのように叫んでいた。


「あいたっ」


 叫びながらベッドから上半身を起こすと、いきなりデコピンをされた。結構痛い。

 その痛さで少し冷静になれた。


「び、美少女ヒロインとイケメン王子……っ!」


 直前までその乙女ゲーのことで頭が一杯だったので、そんなことをつい呟いてしまった。


 目の前には濃い桃色の髪の美少女に加え、スーツ姿のイケメンが二人ほど京をベッドで囲んでいたのだ。


「おいルスト。私は王子ではないぞ。イケメンだがな」

「そうだルスト。私も王子ではない。もちろんイケメンだがな」


 イケメン1と2がそんな発言をする。


 確かによく見れば王子や攻略対象のようなキラキラさがちょっと足りない。

 どちらかと言えばモブっぽいイケメンだ。モブメン——つまりモブだ。


「ルスト……私がわかる?」


 桃髪の美少女が言った。


「ぁ——エリシア様……ですよね?」


 記憶の中にある彼女の名前を引き出し、そう告げた。


「ええ、合っているわ。ひとまずは問題なさそうね」


 息を吐いて安心したような表情を見せたエリシア。


 そして京は理解した。


 ここは乙女ゲー『ホワイト・マジカル・ラブロマンス』の世界だ。


 なぜなら、この桃髪の美少女——エリシア・ロ・ベルカントは『ホワマジ』の登場キャラの一人だからだ。


 確かベルカント家は男爵——貴族階級では下の方だった気がする。

 それでもこの豪奢な空間。貴族であるだけで、それなりにお金持ちだとわかる。


 そしてこのモブの二人はエリシアに飼われている奴隷だ。

 名前は知らない。そもそも『ホワマジ』にはこいつらの名前がなかったのだから。


「ルスト……って言われてたよな」


 日比谷京——ルストは自分の名前を呟いた。


 ルストなどというキャラも聞いたことがない。

 しかし、今の状況を解釈すればすぐに答えにはたどり着く。


「俺はエリシア様の弟なんですよね——!?」

「馬鹿。あなたはこの二人と同じ奴隷よ」

「がーーーーん」


 最悪の状況にルストはうなだれる。


「あなたね……飼い主のワタクシに向かってその口の聞き方と態度……」

「あ、すみません。以後気をつけます」


(わかってたよ。俺が奴隷だってこと。冗談で言ってみただけじゃないか)


 それでも信じたくなかった。奴隷の身分でルストはこれからどうこの乙女ゲーの世界でやっていくというのだ。


 この世界において奴隷とは最下級の階級である。

 ただ、その中身は元貴族だったりもする。家が取り潰されたりした場合、高貴な美少女やイケメンが奴隷になることだってよくある話だった。


 ああ、説明を忘れていた。


 この『ホワイト・マジカル・ラブロマンス』は女性が主人公の恋愛シュミレーションゲーム。つまり乙女ゲームだ。


 主人公であるヒロインが、雪が降り積もるクリスマスイブの日、攻略対象の一人である王子と運命の出会いを果たし、入学する予定だった魔術学校で再会し、仲を深めていく。


 そこでは王子以外の攻略対象とも出会い、卒業するまでの三年の間、誰の好感度を上げていくかで最終的に結ばれる相手が決まるというストーリーで、その中で主人公は未知の力を覚醒させていく。


 ただ、『ホワマジ』は普通の恋愛シミュレーションゲームではない。


 RPG要素のあるゲームで、戦争や決闘や暗殺、レベル上げや魔物を倒すといったイベントも存在するため、恋愛だけをすれば良いという内容ではない。


 主人公のヒロインは自分や王子たちのレベルを上げて戦っていくことで敵に勝利し、ストーリーを先へと進ませることができるのだ。


 ルストは今説明したような主人公やイケメン王子たちとは全く違う。

 奴隷なのだ。


(まあ、せっかくこの世界に来て、もう一度人生をやり直せるならなんとか生きようとは思うけど、東華のやつ大丈夫かな……悲しんでないと良いけど——いや、あいつは悲しむか……)


 直前まで遊ぶ予定だった従姉妹へと想いを走らせながらもルストは決める。

 でも、こうなってしまったならしょうがない。死なないようにしなければいけないと。


 そう考えていた時、ふと、ルストは自分の手を見た。


(あれ……?)


「エリシア様、手を貸してもらえますか?」

「ん、いいけど……」


 エリシアが俺の前に小さくて可愛い手を出してくれた。

 ルストはその手に自分の手を重ねる。


「————へ?」


 なんだか小さく見える。

 女の子であるエリシアよりも、かなり小さく見える。


 そういえば、エリシアとモブ奴隷二人もどこか大きく見えるような。


「なんだか、僕の手って小さくありませんか?」


 だからルストは聞いてみたのだ。


「ふふ、何を言ってるのかしらこの子は」

「え、どういう——」

「当たり前じゃない。だって、あなたは私より三歳も年下なんだから——」


 エリシアは確か今年十五歳の設定。

 その、三歳年下となれば十二歳。


(待て待て、十二歳? そうだよな。落ち着け俺)


「ぁ————」


 しかし、避けられようもない真実。


 つまりはだ。

 ルストはこういうことになる。


「シ……」

「シ?」

「ショタアアアアアアアっ!?」


 日比谷京が死んで転生したのは、なんとルストというショタ奴隷だったのだ。


(せめて……せめてもう少し大人であってくれたなら、学園で好き勝手移動したりもできたのに。でも待てよ。もしかするとエリシア様の奴隷としてなら一緒に学園にも潜入できるはずだ)


 はあ、やるしかないか。

 この体でも、やってやる。


 まずはエンシェント・レリーフの回収とレベル上げだ。


 日比谷京こと少年奴隷ルストは、自分の体が小さい事によるショックを受けながらも、今の状況に絶望はしなかった。


 なぜなら、『ホワイト・マジカル・ラブロマンス』は、彼が三周もプレイしたことのある乙女ゲーなのだから。

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