第2区間
第9話
「間もなくヴァルボス、ヴァルボスに到着いたします。お荷物、切符等、お忘れ無きようご注意ください」
天井スピーカーから車内アナウンスが響く。既に外は日が沈んでいて空は橙から黒へと変わろうとしている、あと少しで完全な夜になる時間だ。夜七時、定刻通りに一つ目の駅に到着である。
出発した時は畑で一杯だった景色は林に、そして森に変わっていた。王国の中でも有数の森林地帯、その中心地である町、それがこれから鉄の龍が停まるヴァルボスである。
「ああ……ようやく着いた」
両腕を伸ばして、ベタンと机にへばり付くような姿勢でノーラが呟く。
「あはは」
そんな彼女を見てタビトは笑った。
出発から到着まで十時間。しかしこの世界にはネットなどというものは無く、当然携帯ゲームという暇潰し装備も存在しない。となれば出来る事は列車内の探索であるが、行ける場所は十輌ある三等車輌の前後に連結されている物販展望車くらいだ。
本でも読めれば良かったのだが、残念ながらノーラはそれを家置き忘れてしまった。車内で購入する事も出来るのだが、物販に置かれている書籍は有名どころばかり。当然ながら彼女も何度も読んだ事のある作品である。
退屈だ、しかし一時の退屈しのぎに内容を知っている本を買うのも。という逡巡の結果、彼女は我慢を選択したのである。
だがそれもあと少し。鉄の龍が足を止めるその時に終わるのだ。
龍が鳴く、今日の目的地への到着を告げて。
駅のホームへと進入した汽車、その足の回転がゆっくりゆっくりと遅くなっていき、遂には停止した。先頭の機関車が余剰の蒸気をバシュゥゥと吐き出し、本日の仕事を終えた鉄の龍はゆっくりと眠りにつく。
「よっしゃ、町に繰り出すぞー!」
ガバッと勢いよくノーラが立ち上がった。その様は獄中から解き放たれた囚人のようである。個室に戻った彼女は上着を羽織って財布をポケットに突っ込んだ。
「なにしてるの、さあ準備っ」
「分かりました、ちょっと待って下さいよ」
早く早くと急かす彼女に圧されてタビトもまたトレッキングジャケットを羽織った。リュックサックに一旦入れていた財布を取り出し、残金を確認する。
と。
「あれ……?」
お金がない。
わけではない、十分にある。
彼が首を傾げたのは、カードを入れる部分にいつの間にか入っていたものを見たからだ。見慣れない模様のそれは黒色で、取り出してみると異世界の文字で『コスモヴェルト銀行』と書かれていた。そのままを読み取れば、これは銀行のカードという事になる。下の方には彼の名が金の文字で書かれていた。
「ねぇ~、まだぁ?」
「あの、ちょっと来て下さい」
「ん~?」
一刻も早く街へ出たいというのに呼ばれて、不満そうな顔でノーラは個室に入る。リュックサックに向かって屈んでいるタビトの側までやって来た彼女は、彼の手にある物に気付いた。
「銀行のカードじゃん」
「作った覚えなんて当然ないものです。というか……」
「さっきお金返してもらった時、無かったよね、それ……」
「はい、だから不思議で」
切符を買う際はノーラが全額支払っている。乗車後にお金を返したのだが、この世界の金銭に慣れていないタビトは、間違いがないように財布を彼女に渡して代金分を取ってもらったのだ。その時に彼の財布の中にあったカード類について色々と会話をしている。
その時に異世界の銀行の口座カードなど、存在しなかったのだ。
「……どゆこと?」
「僕が知りたいです」
「別の人の、って事は?」
「ここ、僕の名前が書いてあります」
「ホントだ。怖っ」
「怖いですね……」
さっきは無かったのに突然出現した、幽霊のようなカードだ。しかしそれを言ったらタビト自身も突然この世界に現れたのだから、言ってしまえば似たようなものである。日本のお金が異世界のものに変わった事も考えれば、何かしらの意思を感じる現象である。
「神、の仕業でしょうか」
「これは考えても分かんないでしょ。まあ口座があるなら銀行に行ってみようよ。もしかしたらすっごいお金持ちかもしれないじゃない~」
「いやいやそんな訳無いですよ」
ニマニマと嫌な笑みを浮かべるノーラにタビトは苦笑いする。日本の口座にはおおよそ二百万はあった。社会人になってからはお金のかかる趣味をする時間が無くなって溜まる一方だったのだ。一般的に大金ではあるが、富豪というにはあまりにも貧弱な資産だ。
「この時間ならまだ銀行開いてるから、さあさあ」
興味の湧いた事は確かめたい、ノーラはその一心でタビトを急かす。この訳の分からないカードの中身がどうなっているのか、彼も確かめる必要はあると感じていた。
二人は駅前のコスモヴェルト銀行支店へと向かった。
「……」
「……」
呆けた顔でタビトとノーラは駅前公園のベンチに掛けている。どちらも何を言うでもなく、ただ虚空を見上げるだけだ。
法律で営業時間が十五時までと決まっている日本とは異なり、この世界の銀行は汽車の動きに合わせて行われている。そのため朝は八時から開いており、昼に四時間ほど店を閉め、夜八時まで業務が続いているのだ。
そんな窓口を訪ねて口座カードを渡し、その残高を確認した。
そして二人は絶句する。
タビトの口座残高は、二億以上だったのだ。
日本の口座に入っていたのは二百万、それを思えば資産が百倍になっている。どういった原理なのかは全く分からないが口座を作ったのは一年前らしい。口座カードに魔法で登録されている顔写真を確認すると、それは間違いなくタビトの顔であった。
「あの……二億って……」
「……一生遊んで暮らせるよ、うん。私の年収って百万くらいで十分生活できてるから、細々となら二百年暮らせる」
「うへぁ」
とんでもない事実にタビトは変な声で鳴く。
突然異世界にやって来た、未知の存在にお金を何かされた、勝手に過去に口座を作られた。その結果、資産額が百倍になって生涯安泰となった。手放しで喜べるはずがない、怖い、怖すぎる。
「……ま、考えてもしょうがないじゃない。その口座は確実にタビトくんの物だし、入ってるお金も詐欺や犯罪で得たものじゃない。なら貰っちゃえ貰っちゃえ」
「いやそんな、落ちてた小銭拾ったみたいに」
「そう言っても口座を放り捨てるのももったいないじゃん。もしかしたらニホンの銀行からこっちにお金が移された事で百倍になったかもしれない。うん、そうだ、そうに違いない。為替で儲けたんだよ!」
「え、ええ~……」
かなり無理矢理な話だが、何の理由も無いよりはマシだ。口座開設時の顔写真も自分だった、であるならば少なくとも他の誰かが使えるお金ではない。ならば日本に帰るまでの間、それを借りても問題にはならないだろう。
「さあ、それじゃあ臨時の大規模収入を得たタビトくんに今日の晩御飯を奢ってもらいましょうか!」
「初めからそれが目的でしたね!?」
「勿論だろうがっ!豪勢に行こう!」
へへへ、とノーラは笑う。
その調子の良さに呆れてタビトも笑うが、これが彼女の気遣いだと分かっている。お金を使う第一回目を他人の強要にすれば、口座の中身に手を付けるハードルが下がるだろう、という。もちろん同時にお零れに与ろうという
この日、二人の晩御飯はとても素晴らしい物になったのだった。
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