第6話
ノーラの家での最後の目覚め。といっても二泊しただけだ。
しかしそれでも異世界で最初の居場所だった、旅に出ると考えると少し寂しい思いもある。見ず知らずの自分に親切にしてくれたノーラとその両親の温かさがあってこその感情だろう。
寝間着から自分の服へと着替える。せめてもの礼儀として、脱いだ服を丁寧に畳む。使ったベッドも綺麗に整え直して、顔も知らないノーラの兄に感謝の意を心の内で呟いた。
荷物は一つ、リュックサックだけ。
よいしょと背負って部屋を出る。
「あ、おはよー」
「おはようございます」
ちょうどノーラも自室から出てきた。
ラフな格好で小型のキャリーバッグを引き、パンパンに膨らんだ鞄を肩から掛けている。それの中身が気になってタビトが見ていると、自室のドアを閉めた彼女がそれに気付いた。
「この中身、見た~い?」
「まあ、はい」
「えー。下着とか入ってるんじゃ、とか思わないの~?」
「キャリーバッグがあるので大丈夫かな、と思って」
「中々の観察眼だねぇ……。こっちの鞄の中身は仕事道具だよ~」
揶揄いを躱されて残念そうなノーラ。彼女は肩掛け鞄の留め具を外して中身をタビトに見せる。ノートにスケッチブックに手帳に。中は紙だらけだった、あとは筆記具だ。彼女が旅のライターであるからこそ、その道具で鞄が一杯になっているのである。
「凄い量ですね」
「旅先で仕入れても良いんだけど、手持ちが無いと咄嗟の時に困るからね」
職業病だよ、とノーラは笑う。
「ノーラちゃん、タビトくん、おはよう」
「おかーさん、おはよ~」
「おはようございます」
「よく眠れたかい、タビトくん」
「はい、おかげさまで」
ノーラの両親は既に椅子に掛けており、机の上には朝食が並んでいる。昨日の朝よりも力の入った、少しばかり凝った物も用意されていた。というよりも
「ちょっと張り切り過ぎちゃった」
えへ、とノーラの母は笑う。
久しぶりに帰ってきた娘の出発、そして特殊な事情を持つ異世界からの来訪者の旅の始まり。その門出を祝おう元気づけようと考えていたら、自然と力が入り過ぎてしまったようだ。彼女の夫は、またやった、と呆れ顔。どうやら過去に何度もこういった事があった様子である。
食卓を囲む。
日本では大学入学を機に実家を出て、それ以来七年八年一人暮らしだった。仕事を終えて帰ってきても誰もおらず、ただいまを言っても返ってくる声は無い。日々はそれなりに充実してはいたが、多少の寂しさをタビトは感じていた。たった一日と少しだが、なぜか実家にいた時のような安らぎを得た気がする。
ありがとう、という言葉を今までに何度も口に出して頭を下げた。
それしか渡すものが無かったから。
「ごちそーさまー」
食事が終わる、あれだけ沢山あったご馳走はすっかり無くなっている。主にはノーラががっついたからだが、彼女に負けじとタビトも争奪戦に参加していた。彼は一人っ子だ、こんな形に家庭の食事で取り合いをするなど初めてである。気分的には妹が出来たような感覚だ。
出されたお茶を啜って一息つく。
出立の時間が迫ってくる。
「あ」
タビトは思い出す。そうだ、あれが荷物の中にあるじゃないか、と。
床に置いていたリュックサックを開いてガサガサと中を探る。キャンプ用品や水筒を除けて、薄い長方形のバッグを取り出した。側面ファスナーを開くと、中から銀色の薄い板が姿を現す。
「すみません、少し良いですか?」
タビトの呼びかけにノーラたちは首を傾げた。
彼に言われるがままに両親は椅子に掛け、ノーラはその後ろに立つ。
銀色の板を自分の前に。そこに異世界の恩人たちを映した。
かしゃり、と電子音が鳴る。
今この時を画面の中に切り取ったのだ。
「え?今のってシャッター音?カメラ……?」
「はい」
自身の知るカメラとはまるで違う、しかし状況や音は写真撮影時と同じ。首を傾げるノーラと彼女の両親に対して、タビトはタブレット端末の画面を見せた。
「おおお!?」
「まあ!」
「これは……」
三者三様に驚く。
ノーラたちにとって写真とは撮影した後に現像が必要なもの。撮ってから写真店に持ち込んで、現像完了まで数日待ってから受け取るのだ。それなのにタビトは今撮って、すぐにその写真を見せたのである。驚くのも当然だ。
「すっごいじゃん!これが異世界の技術……!?」
「あはは、そうですね。細かい仕組みは知らないんですけど、これで写真撮れます」
はえー、と感心しながらタブレットを持ち上げてノーラはしげしげと眺める。レンズはあるがファインダーらしきものはない、シャッターボタンが無いのにどうやって撮ったのか。常識が通用しない品である。
「これ、この写真は現像出来るのかい?」
「この写真……データを送って印刷するプリンターが必要なので無理かな、と……」
「そうなのか、残念だな……でもタビトくんの世界の技術には驚きだよ」
ノーラの父は腕を組んで頷く。カメラは高価なものであり、写真店は予約で一杯で今日飛び込みで撮影をお願い出来るようなものではない。そんな中でここまで気軽に写真を撮れている。タビトを疑っていたわけではないが、隔世の技術をまざまざと見せつけられると異世界というものが現実であると実感できる。
「ねえ、もし現像する事が出来たら郵便で送ってくれないかしら」
「はい、勿論です」
「うふふ、期待して待っているわ」
「あ、あまり期待しないで待ってて下さい」
ノーラの母にニコニコ顔で言われてタビトは困り顔。文明水準が少なくとも百年は違うであろうこの世界で、電子データを印刷する方法が簡単に見つかるとは思えない。しかしそれでも彼は、無理です、とは言わなかった。異世界の恩人の願い、応えてあげたいと思うのは当然だからだ。
「あ、そろそろ出ないと。汽車に間に合わなくなっちゃう!」
ちらりと見た時計、それが指し示す時刻にノーラが声を上げる。
電車がひっきりなしに動いている日本とは違ってこの町に停まる汽車は一日一本、毎日朝九時に出発するのだ。逃してしまったら翌日まで待ちぼうけ。先に王都の出版社に訪問の手紙を出していたノーラは大遅刻確定となってしまう。
「お父さんお母さん、行ってきまーす」
「はい、行ってらっしゃい」
彼女は靴を履き、玄関ドアをがちゃりと開ける。タビトもリュックサックを背負って靴を履いて立ち上がり、そして。
「行ってきます」
「気を付けてな。元の世界に帰る方法が見つかる事を願っているよ」
「いつでも戻ってきて良いからね、思い詰めちゃダメよ?」
「ありがとうございます」
本当の両親のような二人の言葉に、少しだけ目頭が熱くなる。タビトはここへ来て何度目か、そして最後となるお礼の言葉と共に頭を下げた。
玄関先で見送る両親に手を振って、タビトとノーラは揃って駅へと歩いていった。
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