第1区間
第5話
タビトとノーラが帰宅すると、父親がリビングでのんびりとしていた。徹夜明けの今日、そして明日も休みという事で彼は珈琲片手に本を読んで随分とリラックスしている。
「おかえり」
「ただいま~」
元気に帰宅の挨拶をするノーラ。
対してタビトはどう返すべきか悩む。他人であるから『お邪魔します』が正しいのだろうか、しかし今日の朝に出た場所へ戻ってきたのだから『ただいま』なのだろうか。だが他人の家に上がり込んでいるのだから、やはり前者だ。そう彼が考えて口を開こうとした時。
「タビトくん、ただいま、は?」
「え」
ノーラに先を越された。
「ほーらー、たーだーいーまー?」
「た、ただいま……」
「はい、よろしい!」
半ば強制的に、彼は帰る場所を決められた。
二人のやり取りをノーラの父は微笑みながら見て、ゆっくりと珈琲を啜る。
「いやー、それにしても痛かったぁ~」
「僕、今すっごい足も腰も痛いですよ」
「結構激しい運動になっちゃったねぇ」
父はブフッと珈琲を噴いた。
「うわっ、お父さん何してるの!?」
「ゲホッゴホッ、おま、お前たちこそ何を……っ」
「近くの山まで行ってきたけど?」
「ノーラさん、リスに噛みつかれたところ一応手当しておいた方が良いですよ?」
「大げさだなぁ、大丈夫だって」
娘の言葉に、自分の妙な勘違いに気付く。珈琲をぶちまけた服を着替えるために、父はちょっとだけ安堵しながら自室へと去っていく。彼の様子にタビトとノーラは顔を見合わせて首を傾げた。
「ただいま~、ちょっと話し込んじゃった~」
「あ、お母さんおかえり~」
父が寝室に戻るとほぼ同時に母が帰宅する。どうやらベルベ爺さんから情報を得た後も夫妻と世間話を続けていたようだ。既に十六時近く、かなりの時間を井戸端会議に費やした様子である。
「ノーラちゃん、タビトくん、すっごい情報手に入れたわよ~」
「おおっ!」
「本当ですか!?」
前のめりな二人を宥めて、彼女は一先ずお茶を淹れる。自分とノーラ、タビト、そして着替えて戻ってきた夫の四人分だ。ちょっとしたお菓子も出してティータイムである。
「ベルベさん、技術者として王都にいた時に研究の閃きが欲しいからって王都図書館に入り浸ってたそうなの」
「あー、なるほどな」
王都図書館というワードに父が反応する。聞いただけで察する事が出来る程の書籍がある、そしてその中に転移に関する情報が載っている本があってもおかしくない、と言えるほどの図書館だという事だ。
「それで五十年以上昔だそうなのだけれど、図書館の何処かで不思議な冊子を見たらしいの。そこには鳥?みたいな物を瞬時に別の場所へ移動させているような、そんな絵が描かれていたらしいわ」
「おおおっ!それ有力情報じゃない!?」
身を乗り出すノーラを手で制して、母は茶をひと口啜った。
「でもね、中の文字が読めなかったのよ」
「な~んだぁ。あれ?でもベルベのお爺ちゃんって……」
「そう、語学が凄く堪能な人よ、それなのに読めなかった。勿論興味を持って調べたらしいんだけど、どこの国の辞書を引いても分からなかったって。で、調べてる途中でいつの間にかその冊子が図書館から無くなっていたらしいわ」
そう言って彼女は一枚の紙きれを机の上に出す。ベルベ爺さんの記憶の中にあった、その時に見かけた文字を書き出した物である。
「うわ、何この角ばってて複雑な字!」
ノーラは一目見ただけで絶対読めないと確信する。
だが。
「大日本帝國、陸海軍統合第一研究所……?」
「えっ!?」
ベルベ爺さんが文字としてではなく記号として覚えていたせいか、非常に歪な文字である。しかしタビトはそれをなんとか読む事が出来た。そしてそれが何なのか、どういう事なのかを理解する。
「これは僕の故郷の、日本の文字です。ああいや、漢字自体は別の国が発祥ですけど、この内容は間違いなく日本のものです」
スッと二つの文字を指す。大日本帝國の中にある『日本』という国名を。
「おお、おおお!これは間違いなく当たりじゃない!?……あれ?でも何でタビトくんの国の冊子が図書館に?」
「何故なのかは分からないですけど、もしかしたらそれも『転移』してきたのかも……そして」
可能性、だがしかし有り得る。
ベルベ爺さんが書いた、いや描いたもう一つの文がタビトの目を離さない。その文章、いやおそらくは冊子の名前を彼は指さす。
「空間転移ニ関スル
故郷へ帰る事が出来る可能性を持つ、現状唯一の手掛かりだ。王都図書館、そこの何処かに有るはずの冊子を見付ける。それがタビトの目下の目的となった。
「そっかそっか!よし、じゃあ私も一緒に王都まで行ってあげよう!」
「えっ、いやそこまでしてもらうのは流石に悪いですよ!」
「いやいや、実を言うと丁度王都に顔を出す予定が有ったんだよ」
自分に気を使わせないように嘘を吐いているのか、とタビトが訝しんでノーラを見る。しかし本当に違うんだと彼女は首を横に振って、一枚の紙を取り出した。それはタビトが日本でも良く見た品である。
「名刺、ですか?」
「そうだよ」
そこに書かれていたのは、ノーラの名前と職業。
彼女は旅情報ライターだったのだ。
「旅行に関するライターですか?」
「そう。で、その出版社が王都にあるの。普段は郵便使って原稿提出してるんだけどね、たまには顔を出して色々話をしておこうと思って。実家に寄ったのも、こっちの方に来るならついでに、ってコト」
ふふふ、と彼女は笑う。そういった事情が無くとも嘘も方便とばかりに無理やり同行する予定だったが、完全な理由があるために彼女は得意げだ。
「分かりました、そういう事なら」
「うんうん、それでよろしい」
「でも、どうして僕にそこまで親切にしてくれるんですか?」
当然に湧く疑問。タビトとノーラはまだ出会ってから一日しか経っていないのだ。行先は分かった、目的も得た、ならば後は汽車の乗り方やらを説明すれば見送っても決して薄情などではない。
不思議そうな顔のタビトに対してノーラは勿論、彼女の両親も笑顔で答える。
「困った人がいたら助けるのが当然。それに私達は出来る範囲の事しかしてないよ」
日本でもそうだった、困っている人がいたら可能な限り助ける。もちろん全員が全員そうするわけではないが、助けを求めている人に対して自分に出来る事があるならしてあげたいと思うのは自然な事だろう。
ノーラは右も左も分からない状態のタビトを自宅に案内して、落ち着くまでの場所を提供した。受け入れた人間が何か悪い事をしようとしたなら、彼女自身が制圧できるという理由があっての事だ。
彼女の母親は魔法の知識がある人に話を聞きに行ってくれた。しかしベルベ爺さんも奥さんも元々知り合いであり、出会えば世間話をするような間柄。いつもと違う話題があっただけで、している事は普段通りなのだ。
ノーラの父親は二人の判断を信頼した上でタビトの事を信用してくれた。ノーラが強いというならば、その父親で同じく獣人の彼もまたそれ相応の力があると見て良いだろう。それも含めての判断である。
三者とも無理をして助けてくれている訳ではない。自分に出来る範囲でやれることをやってくれているだけなのだ。しかしそれは中々出来る事ではないとタビトは知っている。
「ありがとうございます」
「あ、また頭下げたーっ」
「今回は下げさせてください、心の底からそうしたいんです」
厚意と感謝。
どちらも無償であり、相手を大切に思うからこそ出来る事だ。
そして明日、タビトは遂に旅に出る。
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