第4話
「ふぅむ」
しわがれた声で唸るのはベルベ爺さん。元王国陸軍の技術者であり、魔法研究一筋だった人物だ。しかしそれも二十五年も前の事。今は町の片隅で余生をのんびり過ごすだけの老翁である。
「異世界、のぅ……」
普段はのぉんびりとしている彼であるが、不可思議な話を受けて少しだけ会話のテンポが速くなっている。と言っても若者からしたら十二分にゆっくりであるが。
「何か知っている事は有りませんか、ベルベさん」
「うぅむ」
ノーラの母の問いかけに、ロッキングチェアで前後に揺られながらベルベ爺さんは考える。古くなって接続の悪くなった脳をフル回転させ、過去の知識を引っ張り出していく。彼の思考が加速するのと比例して、ロッキングチェアの前後運動も速くなる。
速くなる。
速くなる。
速い。
速い速い。
速い速い速い。
お爺ちゃんが飛んでいってしまいそうな速度で椅子がスイングする。少しずつ前進しているように見える、いや実際前に動いている。それだけの集中力で彼は頭を動かしているという事なのだろう。
「あらぁ、おじいさん、今日はいつもより難しいクイズでもしているのかしらぁ?」
夫の様子を見に来た夫人がニコニコと笑いながらノーラの母に尋ねる。聞きに来た内容を彼女に話すと、不思議な事もあるものねぇ、と驚き、そして夫がこうなっているのは当然だと納得した。
彼女達がしばらく世間話に花を咲かせていると、突然ベルベ爺さんの前後運動が停止する。そして彼は目をカッと見開いた。
「思い出したぞぃ!」
そんな街中から離れた街道。
男とノーラは近代化によって役目を終えようとしている町を囲む防壁を潜り、町の外へと出ていた。二人は南へ向かって歩いている。
「あの、何処まで行くんですか……っ」
ずんずんと進んでいくノーラの背中に、男は問いを投げかけた。此処に至るまで彼女は彼に目的地を告げておらず、さあ行くぞ、そら行くぞ、としか言っていないのだ。
「ふーむ、そろそろ良っか」
そう呟いてノーラはピタリと歩みを止め、くるりと振り返る。
そして彼女は道の先を指さした。
「あそこ!」
ビシィと示したのは、街道脇の背の低い山だった。遠目で分かりにくいが、標高は三百メートルといった所ではないだろうか。此処まで十五分近く歩いてきたが、あと四十五分は必要な距離である。どうやら木は一本も生えていない、だが全面を草で覆われているようで緑一色だ。
「な、なんでまた突然に……?」
「まあまあ、行けば分かるから。さあさ、頑張れーっ」
素早く後ろに回り込み、ノーラは男の背を押して無理やり前進させる。
そんなこんなで四十五分、ようやく目的地へと到着した。
「つ、疲れた……」
ふうふう、と膝に手をついて息を整えているのは男……ではなくノーラだった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。というか、結構体力あるんだね……」
「一応、陸上部で長距離走してたので……」
徒歩移動、途中で軽く走ったり、雑談しつつ進んだり。ペースは決して一定ではなく、ノーラは元気よく動き回っていた。そのせいで余計な体力を使ってしまって、到着した所でバテてしまったのだ。
が、しかし。彼女は回復も早かった。
「よし、もう大丈夫」
「おお」
一分休憩で完全復活。当人曰く獣人の体力を舐めるな!との事らしい。
「じゃあ行くぞー」
「やっぱり上るんですね」
「そのために来たからねっ」
山を目的地にしたのだから、頂上へと向かわないわけがない。というわけで二人揃って標高三百メートルに挑戦だ。といっても町に近く街道脇にある事から完全に登山道が整備されており、山自体もなだらかな事もあり登山と呼べるほどのものではない。男が趣味としていた
日本の山と違い、低い山なのに木が一本も無い。それ故に視界は開けており、進む先がどうなっているのか、歩んできた道がどうなっているかも一目で分かる。街道から繋がっていた道は山肌をなぞりながら街道とは反対側へ進み、そこから蛇腹折りに山頂へと繋がっていた。
低山であり、登頂難易度は有って無い様なもの。しかしだからと言って疲れないわけではない。のんびりと歩きながらも時折少し休憩を挟みつつ、時間にそこまで追われる事無く進んでいく。
「そういえば」
そんな中、男はふと思い出した事をノーラに問う。
「この世界には魔物がいるんですよね」
「うん、一杯いるよ~」
「ここにはいないんですよね」
「え?」
「え?」
質問に対してノーラが首を傾げ、その様子に男が首を傾げた。
「いるよ?」
「いるんですか?」
「うん」
「危険は……」
「無くはないかな?」
「え」
ただのハイキングかと思ったら、危険な野生動物が生息する中の行軍だった。そんな真実を当然のように突きつけられて男は絶句する。
そんな時、彼の隣の藪がガサリとなった。
「あ、魔物」
「ぅわっ!?」
ノーラの言葉に彼は飛び退いて、大急ぎで彼女の背後へと退避する。
狼獣人の肩越しに恐る恐るそろりと魔物を見る、すると。
「え、リス?」
そこにいたのは手のひらサイズで、苔色の毛を持つリスであった。額には青く輝く宝石のような物が付いているが、男の知るリスと似た動きで周囲をキョロキョロと見回している。
「似てるけど、これは魔物」
そう言ってノーラは屈んで、魔物に向かって手を差し出す。チョチョッと近寄って来たリスの魔物はそれを嗅ぎ、そして。
がぶり
「痛ぁ!?」
指先に噛みついた。良く見るとリスの口には立派な牙が二つ生えている。男の知る動物とはまるで違う生き物であったようだ。
「大丈夫ですか!?」
「あはは、だいじょーぶだいじょーぶ。この位で怪我しないよ」
心配する男に対して、ノーラは噛まれた手をひらひらさせる。噛みつかれた箇所が少し赤くなってはいるが出血はしていない、リスの魔物には人間をどうこうする程の力は無いようだ。
「さあさあ」
「えっ」
「手を差し出しなさい」
ニヤァと素晴らしく悪い笑顔を浮かべて、ノーラは男の手を引く。半ば無理矢理にそれを開かせて、ほぼ強制的にリスの前に差し出させた。彼女の魂胆は分かりやすい、自分だけ痛い思いをするのは不公平だからお前も噛まれてしまえ、である。自分勝手すぎる。
しかし。
「おぉ、可愛い」
「えぇ、なんでぇ?」
残念ながらノーラの思い描くシナリオは実現しなかった。リスは男の手のひらにピョンと乗り、身体を丸めて伏せをしたのだ。気を許しているのか、手を動かして顔の近くに寄せても特に逃げたりしない。
「ぐぐぐ、不公平……」
「あはは」
不満そうに口を尖らすノーラがおかしくて男は笑った。二人は少しの間リスと戯れ、名残惜しいが彼に別れを告げて山頂への歩みを再開する。一歩一歩前へと進む、少しずつ山頂が近付いてくる。
上り始めておおよそ一時間半、二人は山頂へと到着した。
「とうちゃーっく!」
「ふぅ、結構疲れましたね……」
今度はノーラが元気で男がバテている。
流石に上り道が続いては回復力に優れる獣人の方が強かった様である。
二人は山頂公園の端、景色が眺められるベンチに並んで腰を下ろす。
「どう?楽しかった?」
「ええ、まあ」
問われて男は頷いた。しかし彼には分からない、なぜ彼女がわざわざ今日ここに自分を連れてきたのかが。
「どうして僕をここへ?」
男の問いに答えず、ノーラは立ち上がる。一歩二歩と落下防止の柵へと近付き、くるりと振り返った。
「ずーっと暗い顔してたから」
ニッと彼女は笑った。
「世界はこーんなに広いんだよ。何処かにあるって、帰る方法!」
両腕を大きく広げて、彼女は言う。太陽に照らされて男には狼獣人の
男の目に映るのは防壁に囲まれた町、そしてそこへ続く街道。遠くには連なる山があり、大きな川が流れているのも見える。森があり、丘があり、肉眼で捉えられるギリギリの所に別の町が確認できた。
空は高く広がり、雲が風に流されるままに漂っている。
広い。
とても、広い。
人間など小さく見える、いや世界から見れば人間などちっぽけなのだ。隙間からポロリと零れて別の器にすとんと落ちる、人間がそうなる事も有りえるのではないか、と思えるほどに世界は大きいのだ。
「ふ、ふふ」
男は笑う、自分の小ささに気付いて。悩みがこの世界を超える程に大きい事を自覚して。彼が求めるのはこの巨大な世界を飛び立って、遠い遠い別の地平に行く事なのだ。
「そうそう、笑ってた方が良いよ。なるようになるさ!」
「そうですね、うん、そうだ」
二人は顔を見合わせて笑む。
「改めて、よろしくお願いしますノーラさん」
男は右手を差し出した。
「任せたまえ、
ノーラは彼の手を両手でガシリと掴んだ。
そして上下にブンブンと振った。
「お」
汽笛が響く。
町の真ん中を貫いて別の町まで繋がる鉄路、その上を進む龍の鳴き声だ。駅を出た鉄の龍はゆっくりゆっくりと速度を上げ、町を飛び出して遥か地平に見ゆる次なる町へと駆けていく。
「汽車に乗れば、遠くまで行けますよね」
「うん、勿論。元の世界に戻るために世界を巡るなら、鉄の龍の力を借りるのが一番だよ」
白煙を噴きながら大地を進む龍を見ながら、ゆっくりと流れる時を感じる。
異世界の国、日本。
そこからやって来た男、タビトの旅が始まる。
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