第3話
朝。
男は無事に目を覚ます。
勿論、見慣れぬ天井の下で。
「はぁ」
昨日から何度目だろうか分からない溜息と共に、彼は起床する。カーテンを開けると丁度夜明け、空が白み始めたくらいの時間だ。熟睡は出来ている、だがそもそも眠りについた時間が早すぎるのだ。
窓を開けてみる。朝の冷涼な空気がサァッと流れ込み、ぼんやりとしていた男の意識が覚醒した。そしてやはりこれは現実なのだ、と理解させてくれた。
「ふぁ」
一つ欠伸をして、彼は窓を閉める。
「戻る方法を、見付けないと」
完全に覚めた目を開き、男は決意した。
六十を過ぎた両親はまだ健在、元気過ぎる位に元気だ。自分が行方不明となったと知ったら、どれほど心配するだろうか。友人や職場の上司同僚との関係性は良好、土曜日に山にトレッキングに行くと伝えていたため
日本での生活は平凡で特に刺激のあるものでは無かった。だがそれは同時に大きな不満も無かったという事であり、安心して生活が出来ていたという事だ。異世界に来てしまって失った物が多すぎる、一刻も早く帰還しなければ。
「とはいえ、どうすれば……」
決意はしたがどうすれば良いかは分からない。
いま出来る事と言えば、バタンとベッドに大の字で倒れ込むことぐらいだ。
現時点で繋がりのあるノーラたちは魔法に詳しくなく、知り合いにも知識のある人物はいないと言う。街中で魔法に詳しい人を探して声をかけるにしても、得体の知れない男がいきなり異世界だのと話し始めたら頭の調子を疑われてしまうだろう。
そもそも魔法で異世界転移が出来るのかも分からない。
創作物での魔法は何でもできる、それこそ万能の力のように描かれる。しかしそれなら、この街の姿も自分の知る世界とは大幅に違っていてもおかしくはないはずだ。つまり文明の進化において魔法はそこまで万能では無かった、と考えられる。ならば人間を別の世界へ行かせる魔法、などという超技術があるとは思えない。
「朝ごはんだよー」
ノーラの声にハッとする。色々と考えていたら、太陽が随分と昇ってしまっていたようだ。男は返事をして大急ぎで着替えて階下へと降りて行った。
食事を済ませてから、顔も洗わず寝癖も直さずの彼は洗面所へと向かった。
そんな男が去ったリビングにて。
「ぱっと見は元気に見えるけど、相当落ち込んでるよね」
「そうねぇ。でも当たり前よね、家族と突然離れ離れになってしまったんだから」
机を挟んで座るノーラと母親は彼に同情しつつも、どうすれば良いかが分からずに唸る事しか出来ない。母親の人脈の中で魔法に詳しそうな人物など、随分前に陸軍を退役した近所のベルベお爺ちゃんくらいだ。ノーラに至っては協力を頼めそうな人物が思い当たらない。
「私、ベルベさんに聞きに行ってみるわね」
「お母さん、お願い」
解決策がポンと出てくるとは思えないが、何かしらの切っ掛けさえ得られれば十分である。
「それはそうとノーラちゃん、お仕事、どうするの?」
「あー、それもあるよね……」
指摘されてノーラは天井を見る。そうなのだ、彼女も二十と三、当然ながら働いている。一般的な会社勤めとは異なって毎日通勤しなければならないような仕事では無いが、その反面で自分が動かなければ収入が得られない。いつまでも他人の世話をして仕事を放っておくわけにもいかないのだ。
「うーん」
腕を組んで悩む。
「すみません、お見苦しい所を見せました」
あははと恥ずかしそうに笑いながら、男がリビングへと戻って来た。先程までの酷い有様な髪と顔は消失している。
「ふふ、男前ね」
「ははは」
彼は照れて頭を掻く。社交辞令とは分かっているが、美しい女性に言われたら誰だってこうなるというものだ。ノーラの母は四十半ばであるが、娘と並んでいたら姉妹にしか見えない。事実、男も初対面の際に姉と間違えて挨拶をしているのだ。
「あ、そうだ。あの聞きたい事があるんですけど……」
そう言って彼はポケットから財布を取り出して、変わってしまった紙幣貨幣を取り出した。
「これって、この世界の通貨で合ってますか?」
「うん、そうだよ、間違いない」
紙幣を一枚手に取ってノーラはそれを光にかざす。透かし加工がされている中心部分にはちゃんと図柄が浮かび上がり、偽造紙幣では無い事を示している。貨幣の方も彼女が自分の財布から取り出した物と図柄、質量共に同じで偽造とは思えない。
「なるほど……いつの間にか日本円から変わってしまっていて。でもこれなら明日からはホテルに泊まれますね」
「あら、そんなに急いで出て行かなくてもいいのに」
「いえ流石にご迷惑を掛け続けるわけには」
「迷惑だなんてとんでもないわ、ノーラちゃんが独り立ちして外に出ちゃって寂しいのよ。それに息子も欲しかったから~」
「ちょっとお母さん」
窘められて母親はニコニコ顔で謝罪した。
「こほん。私の知り合いに、むかし軍隊で魔法研究に関わっていた人がいるの。その人に今日ちょっと話をしてみるから、もし出ていくにしてもそれからに、ね?」
「……ありがとうございます」
何から何まで世話になりっぱなしな男は頭を下げる。いいのよ、とノーラの母は笑った。困った時はお互い様で助け合うのは当然だと彼女は言う、娘もうんうんと頷いた。
「本当にありが」
「待った!もう、いちいち頭下げなくて良いよ。そんなにぺこぺこしてたら頭取れちゃう」
日本人の性とも言うべきお辞儀を禁止されて、男はお礼の言葉が引っ込んでしまった。感謝の言葉とお辞儀はセットなのだ。
「ええと」
「私達はやりたくて手伝おうとしてるの、だから気にしなくてよーしっ」
「いやそうは言っても」
「ふふ、大した手間でもないし、本当に気にしなくても良いの。ベルベお爺ちゃんとお話しに行くだけだもの」
二人の善意の圧力に負け、男は素直に従う事にした。
「じゃあ、その、ありが……あ」
「もー」
どうしても人の温かさに感謝の言葉が出てしまう。三人は揃って笑った。
「ただいま~……ん?」
帰宅を告げる男性の声。ノーラの父が帰ってきたのだ。
「あなた、おかえりなさい」
「お客さんかい?」
「ちょっと問題があって困ってる人なの」
「?」
娘と同じ狼耳の彼は背広を脱ぎつつ、妻から事の次第を聞く。信じられないような話であるが、ぽわぽわしているように見えて聡い妻が納得して受け入れたのだ、と彼も異世界人の話を受け止めた。
「中々に大変な状況のようで」
「はい、もしノーラさんと出会っていなければどうなっていたか分かりません」
「娘が助けになったようで何より。元の世界に戻る手がかりが得られるまで、ここを自分の家と思って滞在して下さって構いませんよ」
ははは、とノーラの父は笑う。女二人の状態だった家に転がり込んだ男だ、警戒が全くなかったわけではない。しかし少し話してみて異世界人という彼が嘘を吐いているとは思えなかった。雰囲気から詐欺の類に狙われやすいのに全てを見破ってきた妻が真実と判断している事も合わさって、彼は男の話を信用する事にしたのだ。
「よし、話はまとまったね!」
異世界人の受け入れという大きなハードルをクリアして、ノーラは満足そうに笑った。
「じゃあ行こっか!」
「はい!…………はい?」
勢い十分に彼女から手を差し出されて、男は思わずそれを取る。がしかし彼女とは何の約束もしていない、何処かへ行くという話も聞いていない。反射的に返事をしたが彼は首を傾げた。
「気晴らしだよ、き・ば・ら・しっ。折角異世界に来たんだから!」
そう言ってノーラはグイッと男の手を引っ張って立ち上がらせる。
さあさあ出かける準備、と彼の背中をグイグイ押して二階へと上がっていった。
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